田舎の元騎士団長はどタイプメイドに振り回される

れおぽん

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第4部_「幸せな気持ちで、帰ってもいい」

第58話:待つ女たちの夜

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アルベルトたちが戦場へ向かってから、数日が過ぎた。森の屋敷は、かつてないほど静まり返っていた。窓を打つ風の音だけが、やけに大きく響く。ノアは、淡々と家事をこなしていた。手を止めてしまえば、悪い想像が黒い霧のように思考を覆い尽くしてしまうからだ。

夕暮れ時。ふと、手が止まる。西の空が赤く染まっている。その赤色が、血の色を連想させて、ノアは無意識に胸元の服を握りしめた。

その時だった。ドンドンドン!と、玄関の扉が景気よく叩かれた。

「よう!生きてるか、留守番役!」

扉を開けると、そこには両手いっぱいに紙袋を抱えたミリアムが立っていた。彼女は驚くノアを尻目に、ズカズカと上がり込んでくる。

「ミリアム様?いったいどうされたんですか」
「どうもこうもないわよ。……寂しくて死にそうだったから、押し掛けに来たのよ」

ミリアムはキッチンに荷物をドサリと置いた。中から出てきたのは、高級なワインの瓶と、大量の食材。彼女は腕まくりをして、強がった笑みを浮かべた。

「あの馬鹿亭主がいないと、食卓が静かすぎて酒が不味いのよ。……付き合いなさいよ、ノア。今日は朝まで女子会よ」

その横顔に、隠しきれない不安が滲んでいるのをノアは見て取った。強気な「女帝」として振る舞っている彼女もまた、夫を死地へ送り出し、平気を装っているのだ。

二人はキッチンに立ち、簡単なつまみを作り始めた。
包丁を叩く音が、部屋の静寂を紛らわせてくれる。
ワインを開け、グラスを傾けると、ミリアムの口が少し軽くなった。

「……心配なのは、ミトスの方ね」

ミリアムはグラスを回しながら、ぽつりと呟いた。

「あの子、研究室に籠もりっきりなのよ。連絡しても返事がないし……悪い方向に考え込んでなきゃいいけど」
「ミトス様が、ですか?」

ノアは手を止めた。あの理知的で、常にデータを重んじるミトスが、取り乱している姿は想像がつかなかった。

「……あの子にはね、トラウマがあるのよ」

ミリアムは遠い目をして、語り出した。

「十数年前、あの子がアルベルトに失恋した後……レティちゃんが亡くなって、アルベルトが去って、ボロボロになっていた時期があったの。その時、あの子を支えようとしてくれた男性がいたわ」
「……」
「優しくて、少し気が弱くて、でも誠実な魔導師だった。あの子も、アルベルトを吹っ切るために、その人の気持ちに応えようとしていたのよ。……でも」

ミリアムの声が、少し震えた。

「その彼、死んじゃったの。……遠い国境の紛争で、流れ弾に当たって」

ノアは息を呑んだ。

「あっけなかったわ。……『帰ったら結婚しよう』なんて約束も、何の意味もなかった。遺骨さえ戻らなかった」

ミリアムはワインを一気に飲み干した。

「それ以来よ。あの子が『観測者』なんて名乗って、感情に蓋をするようになったのは。……誰かを愛して、その人がいなくなるのが怖いから、最初から距離を置くようになったの」

それが、ミトスの孤独の正体だった。そして今、彼女はようやくレオンハルトという新しい存在を意識し始めている。だからこそ、恐怖も蘇るのだ。「私が想う人は、みんな死んでしまうのではないか」という、呪いのような予感が。

「……怖い、ですね」

ノアの口から、震える声が漏れた。ミトスの話を聞いて、人ごととは思えなかった。
旦那様は強い。約束を守る人だ。頭では分かっている。けれど、ミトスの恋人がそうであったように、戦場には「絶対」なんてない。もし、あの人が帰ってこなかったら。この広い屋敷で、私一人、どうやって息をしていけばいいのだろう。

「ミリアム様……。私……」

ノアは、キッチンのカウンターに手をつき、うつむいた。視界が滲む。強がっていた心が、ひび割れていく。

「私、行かせるべきじゃなかったんでしょうか。……無理やりにでも引き止めて、足にしがみついていれば……こんなに怖い思いをしなくて済んだのでしょうか」

涙が、カウンターにポタポタと落ちる。

「会いたいです……。無事な顔が見たい……」

その肩を、温かい腕が包み込んだ。ミリアムだった。彼女は背後からノアを抱きしめ、子供をあやすように背中を叩いた。

「……馬鹿ね。後悔なんてしちゃ駄目よ」

ミリアムの声は、優しく、そして力強かった。

「あんたが引き止めたら、アルベルトは身体だけは無事だったかもしれない。……でも、彼の心は死んでいたわ。一生、自分を責め続けて、抜け殻みたいになっていたはずよ」
「……はい」
「あんたは、彼の『心』を守ったの。……誇りなさい。あんたは、最高の妻よ」

ミリアムは、ノアの体を自分の方へ向け、その濡れた頬をハンカチで拭った。

「それにね、男って生き物は単純なのよ。……帰る場所があると思えば、地獄の底からだって這い上がってくるわ」

彼女はニカっと笑った。その笑顔は、不安を吹き飛ばすほど明るかった。

「私のグレイブを見なさいよ。あんな無鉄砲なのに、私が『夕飯抜きよ』って脅すだけで、何回も生還してるんだから。……男の『帰りたい』って執念を舐めなさんな」

その力強い言葉に、ノアの胸のつかえが少しだけ取れた気がした。そうだ。私は彼を信じると決めたのだ。ここでメソメソしていては、帰ってきた彼に笑われないか。

「……そうですね。旦那様は、私が怒るとシュンとしてしまう人ですから」

ノアは涙を拭い、小さく笑った。

「約束を破ったら、一生口を聞いてあげないつもりで待ちます」
「そうそう、その意気よ」

ミリアムは満足そうに頷き、そして窓の外、王都の方角を見た。

「……さて。私たちが元気になったところで、あの子を引っ張り出しに行こうか」
「ミトス様ですね」
「ええ。一人で震えてるなんて、あの子らしくないもの。……私たちがついてるって、教えてあげなきゃ」

***

夜の王立魔導研究院。警備員に頼んで第4研究室の鍵を開けてもらうと、そこは真っ暗だった。魔導ランプもつけず、書類の山の隙間で、白衣の塊が震えていた。

「……ミトス?」

ミリアムが声をかけ、明かりをつける。照らし出されたミトスの顔は、酷いものだった。目は虚ろで、唇はカサカサに乾き、膝を抱えてブツブツと何かを呟いている。

「……計算、したの」

ミトスは、入ってきた二人を見ても焦点が合わないまま、うわ言のように言った。

「今回の敵の数、地形、味方の戦力。……どうシミュレーションしても、生存確率が……出ないの……」

彼女の足元には、計算式が殴り書きされた羊皮紙が散乱していた。
彼女は知性で恐怖をねじ伏せようとして、逆に絶望的な数字に飲み込まれてしまったのだ。過去のトラウマが、数字という形をとって彼女を追い詰めている。

「また、なの……?また、私の大事な人は、いなくなっちゃうの……?」

ミトスが顔を上げた。その目には、深い絶望が宿っていた。

「怖いよぉ……。レオンハルト君も、アルベルトも……みんな、私の前から消えちゃうよぉ……」

ノアは、駆け寄ってその前に膝をついた。そして、冷え切ったミトスの両手を、自分の手で包み込んだ。

「大丈夫です、ミトス様」

ノアの声には、もう迷いはなかった。ミリアムに貰った勇気を、今度はミトスに渡す番だ。

「人間は、数字じゃありません。……私の旦那様も、レオンハルト様も」

ノアは、真っ直ぐにミトスの瞳を見つめた。

「彼らは、貴女が思っているよりずっと強くて、ずっとしぶとい人たちです。……『帰る』という約束一つで、限界を超えられる人たちなんです」

「……約束?」

「はい。私も、信じて待っています。……だから、一緒に待ちましょう」

ミリアムも、ミトスの背中を優しく抱きしめた。

「あんたは一人じゃないわ。私たちがいる。……朝が来るまで、ずっと手を握っていてあげるから」

ミトスの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。張り詰めていた恐怖が、二人の体温に溶かされていく。

「……うん。……うん……っ!」

その夜、三人の女性は研究室のソファで寄り添って眠った。
誰も熟睡はできなかったけれど、繋いだ手の温もりだけが、凍える夜の救いだった。それぞれの愛する人が、必ずこの手に帰ってくると信じて。
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