アーデルハイドは止まらない ~絶対いらない領地を押し付けられたから、国を立て直します~

れおぽん

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第13話 厨房は戦場、段取りは武器



 水場が少しだけ落ち着いた翌朝、私はようやく「次に困るもの」を正面から見ることにした。

 鍋である。

 人は喉が潤うと、次は腹が減る。
 大変正直でよろしい。

「というわけで、今日は厨房です」
 私が言うと、バベットは露骨に嫌そうな顔をした。
「嫌な予感しかしないね」
「光栄です」
「褒めてないよ」
「知っています」
「最近そればっかりだね」
「便利なので」

 朝の厨房は、相変わらず寒くて、狭くて、そして回っていなかった。

 回っていない、というのは、働いていないという意味ではない。
 皆ちゃんと動いている。
 動いているのに、うまく回っていないのだ。

 水桶を運ぶ者と薪を運ぶ者が入口でぶつかる。
 豆を洗う場所と野菜を切る場所が近すぎて、床がすぐ濡れる。
 鍋に寄る人が多いのに、配膳台が遠い。
 そして何より、バベットが三人分くらいの仕事を一人で見ている。

 美しくない。
 現場として大変よくない。

「見ないでおくれ」
 バベットが言った。
「今、私だって分かってるんだから」
「ええ」
 私は頷いた。
「分かっている人がいるのは素晴らしいことです」
「でも直す余裕がないんだよ」
「では作ります」
「簡単に言うね」
「簡単ではありません。でも、簡単に言わないと皆が嫌な顔をするので」

 すでに十分嫌な顔をされていますが、という視線が返ってきた。
 事実である。

 私は厨房の真ん中に立った。
 鍋。薪。水。乾物棚。下ごしらえ台。配膳口。
 順に目で追う。
 働く人間の足元まで見る。

「まず、今のままだと何が一番困ります?」
 私が聞くと、丸顔の料理番がすぐ答えた。
「ぶつかる!」
「ええ」
「あと水が足りない!」
「それも」
「それからバベットが怖い!」
「それは今に始まったことではありませんね」
「そうだよ!」
 バベットが怒鳴る。
 大変元気でよろしい。

「他には」
 私が促すと、若い下働きが恐る恐る手を挙げた。
「鍋が遠いです」
「どこから」
「配るところから」
「なるほど」
「あと、豆が足りなくなるのが早いです」
「それは導線のせいだけではありません」
「でも、配る時に偏ります」
「それは大問題ですね」

 よろしい。
 現場から出る不満はだいたい本物だ。

「では決めます」
 私は手を叩いた。
「今日から、鍋の前に立つのは三人だけです」
「は?」
 バベットが眉を上げる。
「少ないよ」
「逆です。多すぎるのです」
「何だって?」
「今は皆が鍋に寄るから、誰も全体を見ていません」
 私は指を折った。
「鍋を見る人。水を見る人。配膳を見る人。この三つに分けます」
「それで?」
「切る人は切る場所から動かない。洗う人は洗う。薪は薪。鍋に口を出すのは三人まで」
「口も?」
「口もです」
 ロランが厨房の入口で笑いを堪えた。
「厳しいな」
「鍋の前での善意は、だいたい邪魔になるので」

 私は床に木炭でざっと線を引いた。
 入口側に水桶置き場。
 その奥に洗い場。
 窓際に切る台。
 火の近くに鍋担当。
 配膳口の手前に椀並べ。

「ここから先は鍋担当だけ」
 私が線を示す。
「水担当はここまで。配膳担当はこっち」
「何だいそれ」
 バベットが怪訝そうに言う。
「王宮ではもっと綺麗なやり方をします」
「ここは王宮じゃないよ」
「ええ。だから床に炭で書いています」

 丸顔の料理番が、おそるおそる聞いた。
「これで変わりますか」
「変えます」
「具体性があるようでないね」
「具体的ですよ」
 私はにっこりした。
「今よりひどくならなければ成功です」

 それは低い目標のようで、現場では十分高い。

 最初の一刻は、たいへんひどかった。

「水はこっちだって言ってるだろ!」
「切った芋どこ置くの!?」
「その桶、洗ってない!」
「洗う場所がないんだよ!」
「あるよ、今作っただろ!」

 厨房は怒号で満ちた。
 でも昨日までと少し違う。
 怒鳴り方が、諦めではなく“何とかしようとしている怒鳴り方”になっていた。

 私は入口脇に立ち、流れだけを見る。
 手は出さない。今はまだ。

「笑ってないで何とかしな!」
 バベットが飛ばす。
「笑っていません」
「口元が!」
「人がちゃんと混乱していると、少し安心するんです」
「嫌な癖だね!」

 それでも、二刻目には少し変わった。

 水桶が定位置に置かれる。
 切った芋が迷子にならない。
 鍋へ入る量が一度にまとまり、火加減を見る余裕ができる。
 配膳口では椀が先に並べられ、よそう速度が上がる。

 私は鍋の前へ寄った。
「どうです?」
 バベットは木杓子を回しながら、ふん、と鼻を鳴らす。
「腹は立つ」
「ええ」
「でも昨日より動きやすい」
「素敵です」
「その褒め方は嫌いだよ」
「ですが本音です」
「それも気持ち悪いね」

 鍋を覗く。
 今日は昨日より少しだけ具が揃っていた。
 井戸が増えた分、炊き出しに回す水の確保が早かったからだ。豆を焦らず戻せたし、芋の処理も雑ではない。
 そして何より、鍋の中身が“薄める前提”で始まっていない。

「塩は?」
 私が聞く。
「昨日よりひとつまみ多い」
「干し肉は」
「細かくした」
「なるほど」
「大きいままだと当たり外れが出るからね」
「ええ。賢い」

 そこへ、配膳口の方から若い下働きが叫んだ。
「椀、足りません!」
「足りるよ!」
 丸顔の料理番が叫び返す。
「奥の棚!」
「どこですか!?」
「そこじゃない、逆!」
 私が口を挟む。
「棚に札を」
「何?」
「札です。椀、塩、布、豆。文字が読める人も読めない人も、印で分かるように」
「そんな暇あるかい」
 バベットが言う。
「今じゃない。昼の後です」
「昼の後に暇があると思ってる?」
「作ります」

 その時、入口で台帳を持ってきた書記役の男が、恐る恐る言った。
「その、札くらいなら書けます」
 全員がそちらを見た。
 男はびくっと肩を震わせる。

「……素敵です」
 私が言うと、彼は嫌そうな顔をした。
「その言い方やめてください」
「今日は本当に役に立っているので」
「そういう時だけ妙に真っ直ぐ来ますね」
「使える人には素直です」

 よろしい。
 少しずつだが、回り始めている。

 昼の炊き出しの時間になった。

 表井戸と古井戸の水配分が落ち着いたおかげで、配る側の顔にも昨日ほどの切羽詰まった感じがない。
 もちろん余裕などない。
 でも、余裕がないなりの段取りがある。

「今日の列、少し早いね」
 洗濯場のマルゴが言った。
「でしょう」
 バベットが鼻を鳴らす。
「私がいるからね」
「自分で言うんですか」
 私が聞くと、
「言うよ」
 と返ってきた。
「言わないと誰も言わないだろ」
「ええ。では私も言います」
「何を」
「あなたが一番役に立っています」
「……気持ち悪いね」
「五回目ですね」

 配膳が始まる。
 一杯目。
 二杯目。
 三杯目。

 私は昨日と同じように鍋の揺れ方を見た。
 今日は違う。
 表面が水だけで先走らない。具がちゃんと混ざって動いている。

「アーデルハイド様」
 鼻の赤い子どもが椀を抱えて見上げてきた。
「何でしょう」
「今日、ちょっといい匂いする」
「そうですね」
「昨日よりいい」
「ええ」
「じゃあ、昨日よりまし」
「はい。少しだけ、かなり」

 子どもは分からないなりに頷いて、椀を両手で持って行った。

 その背中を見送って、私はゆっくり息を吐く。
 こういう時だけは、疲れが少し軽い。

 配膳が一巡した後、バベットが鍋底を見て言った。
「……残ってる」
「はい?」
 丸顔の料理番が目を丸くする。
「少しだけど、残ってるよ」
 私は鍋の中を覗いた。
 本当に少しだけだ。
 でも昨日までなら、最後の方は水面しかなかった。

「どうして」
 若い下働きが呟く。
「段取りです」
 私が答える。
「あと、無駄にぶつからなかったから」
「それだけ?」
「現場では“それだけ”が一番効きます」

 バベットは木杓子を鍋縁に置き、ふっと息を吐いた。
 疲れている顔だった。
 でも、昨日までの疲れ方とは違う。
 削られるだけの疲れではなく、少し前へ進んだ日の疲れだ。

「ねえ」
 彼女が低く言う。
「何でしょう」
「私、炊き出し側の責任者なんだっけ」
「ええ」
「じゃあ言うけど」
「はい」
「明日から、野菜を切る順番変えるよ」
「理由は」
「火の通りが悪いのがある」
「素敵です」
「またそれかい」
「今のは最大級です」
「気持ち悪いって言ってるだろ」

 でも彼女は、少しだけ笑っていた。

 その日の夜。
 私は報告用の紙に、新しく一行を書き足した。

 ――厨房動線を再編。鍋担当、水担当、配膳担当を分離。炊き出しの安定性が向上。

 向上。
 たったそれだけの言葉なのに、今日はやけに気分がよかった。

 エドモンが向かいで帳面を閉じる。
「今日は、ちょっとだけ勝った感じがありますね」
「ええ」
「珍しく嬉しそうです」
「珍しいですか」
「だいたい怒ってるので」
「失礼ですね」
「事実です」
「……否定しづらいですね」

 私はペンを置き、窓の外を見た。
 暗い庭。井戸番の交代の声。遠くで誰かが笑う音。

 明日にはまた別の問題が出るだろう。
 王都も静かではないはずだ。
 でも、今日は少しだけ、鍋が人を裏切らなかった。

 それだけで十分、続きをやる理由になる。

 厨房は戦場だ。
 でも、段取りは武器になる。

 そして今日、ベルノーの鍋には、昨日より少しだけちゃんと味がした。
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