婚約破棄ですか? はい。慰謝料は即金で返してくださいね?

萩月

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「キャサリン様! 大変です、大変です!」


舞踏会当日の朝。


血相を変えたマーサが、わたくしの部屋に飛び込んできた。


「どうしました? まさか、朝食のパンが焦げましたか?」


「違います! ドレスですよ、ドレス!」


マーサは悲鳴を上げた。


「今になって気づいたのですが……この屋敷には、キャサリン様が着られるようなドレスが一着もありません!」


「あら、当然でしょう。わたくし、着の身着のままでここに来ましたから」


「当然じゃありません! 今夜は王家主催の舞踏会ですよ!? 相手は最新流行のドレスで武装したリリーナ様です。普段着で乗り込んだら、笑いものにされるだけです!」


マーサは頭を抱えた。


「今から仕立て屋を呼んでも間に合いません……ああ、どうしましょう。私が徹夜して雑巾を縫い合わせるしか……」


「雑巾ドレスは斬新すぎますね」


わたくしは苦笑し、手元の電卓を置いた。


「ご安心を、マーサさん。手は打ってあります」


「手?」


「ええ。この屋敷には、素晴らしい『眠れる資産』があるではありませんか」


わたくしがニヤリと笑ったのと同時に、ドアがノックされた。


「……入るぞ」


現れたのは、大きな衣装箱を抱えたルーカス公爵だった。


彼は箱をベッドの上にドスンと置くと、埃を払うように手を叩いた。


「倉庫の奥から発掘してきた。……母上の遺品だ」


「奥様のですか!?」


マーサが驚きの声を上げる。


ルーカス公爵が蓋を開ける。


そこにあったのは、深い群青色のドレスだった。


三十年ほど前のデザインで、肩パッドが入っていたり、レースが少し黄ばんでいたりと、明らかに「時代遅れ」の代物だ。


普通の令嬢なら、「こんな古臭いもの着られないわ!」と泣き出すレベルだろう。


しかし。


わたくし、キャサリンの目はドル箱マーク($)になっていた。


「……素晴らしい!」


わたくしはドレスに駆け寄り、布地を指先で愛おしむように撫でた。


「見てください、この光沢! 今は亡き幻の蚕『月光蚕』のシルクですわ! 現代のペラペラな既製品とは繊維の密度が違います!」


「うむ。母上が嫁入り道具として持参した最高級品らしい。一度しか袖を通していないから、生地の傷みはほぼない」


「一度しか!? なんという贅沢……いえ、なんという優良在庫!」


わたくしは興奮して鼻息を荒くした。


「デザインは古いですが、素材の価値(ポテンシャル)は金貨千枚クラスです。これを新調するとなれば、今の相場では不可能ですわ!」


「だろう? これをただ眠らせておくのは、資産運用として間違っていると思ってな」


ルーカス公爵が得意げに胸を張る。


「買う必要はない。これを着ろ。……サイズ直しとリメイクにかかる人件費は、君の残業代として計上していい」


「ありがとうございます! 最高の上司です!」


わたくしはドレスを抱きしめた。


タダで最高級ドレスが手に入る。こんなに美味しい話はない。


「で、でも……キャサリン様」


マーサがおずおずと口を挟む。


「素材が良いのはわかりますが……デザインが、その……あまりにも『お母様』すぎませんか? 肩の膨らみとか、スカートの重さとか……」


「ふふん、マーサさん。わたくしを誰だと思っています?」


わたくしは裁縫箱(実家から持参した年代物)を取り出した。


「『リフォームの鬼』とはわたくしのこと。……さあ、オペを始めますよ!」


***


それから数時間。


わたくしの部屋は、戦場と化した。


「肩パッド摘出! 袖のレースは紅茶染めでアンティーク風に加工!」


「スカートの重すぎるパニエを外して、ドレープ(ひだ)を寄せて今風のシルエットに!」


「ウエストを三センチ詰めます! 余った布でリボンを作成!」


わたくしの指示に従い、マーサや器用なメイドたちが針を動かす。


チョキチョキ、チクチク。


無駄な装飾を削ぎ落とし、本来の生地の美しさを引き出す「引き算」のリメイク。


それは、公爵家の家計再建と同じ手法だった。


「……できました」


夕暮れ時。


ついに「それ」は完成した。


「……嘘でしょう?」


マーサが完成品を見て、絶句した。


古臭かった群青のドレスは、シンプルながらも洗練された、夜空のようなイブニングドレスへと生まれ変わっていた。


黄ばんでいたレースは、紅茶染めによって上品なベージュゴールドになり、群青色とのコントラストが美しい。


「これが……あの古いドレスですか?」


「ええ。流行を追うのではなく、素材の良さを活かした『タイムレス・デザイン』です」


わたくしは満足げに頷いた。


「かかった費用は、糸代と紅茶のティーバッグ代のみ。……原価率、ほぼゼロです!」


「信じられません……魔法使いですか、あなたは」


マーサが呆れたように、しかし尊敬の眼差しで言った。


「さあ、着替えましょう。旦那様がお待ちですよ」


***


玄関ホール。


正装したルーカス公爵が、懐中時計を見ながら待っていた。


彼もまた、父親譲りの古い燕尾服を着ているが、手入れが行き届いており、新品よりも体に馴染んでいて美しい。


「……お待たせいたしました、閣下」


階段の上から声をかける。


公爵が顔を上げた。


そして、動きを止めた。


「…………」


彼の目が、少し見開かれる。


眼鏡の奥の青い瞳が、わたくしを映して揺れている。


わたくしは階段をゆっくりと降りた。


「どうでしょう? 『減価償却』は済んでいそうですか?」


目の前まで来て、くるりと回ってみせる。


公爵は、ゴホンと咳払いをした。


「……ああ。償却どころか、資産価値が跳ね上がっているな」


「お世辞ですか?」


「査定だ」


彼は真面目な顔で言った。


「よく似合っている。……母上も、草葉の陰で喜んでいるだろう。『やっと元が取れた』と」


「ふふ、最高の褒め言葉ですわ」


わたくしは笑った。


「さあ、行きましょうキャサリン。……戦場へ」


ルーカス公爵が腕を差し出す。


「はい。敵の度肝を抜いて差し上げましょう。……0ゴールドの装備で」


わたくしはその腕に、自分の手を重ねた。


体温が伝わる。


頼もしくて、温かい。


外には馬車が待っている。


アレックス殿下とリリーナ様が待つ、煌びやかで残酷な舞踏会の会場へ。


わたくしたちは、最強の「節約ペア」として乗り込んでいくのだった。
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