婚約破棄ですか? はい。慰謝料は即金で返してくださいね?

萩月

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「――覚悟はよろしくて?」


わたくし、キャサリンの手には、高級シャンパン『ドン・ペリニヨン(ロゼ)』の瓶が握られていた。


未開封のそれは、鈍器として十分な質量を持っている。


「ひっ……!」


アレックス殿下が、無様に後ずさりした。


彼の顔には、恐怖の色が張り付いている。


無理もない。今のわたくしは、おそらく鬼のような形相をしているはずだ。


だって、目の前で「わたくしの管理する最高資産(ルーカス公爵)」が傷つけられたのだから。


「殿下。わたくし、先ほど申し上げましたわよね? 『高くつく』と」


カツン、カツン。


ヒールの音を響かせながら、わたくしは一歩ずつ距離を詰める。


「く、来るな! 僕は王太子だぞ! 無礼討ちにしてやる!」


「無礼? 公衆の面前で、国の重鎮である財務卿に爆発物を投げつけた時点で、あなたは王族である前にテロリストです」


わたくしは冷たく言い放った。


「さあ、計算の時間です。電卓を出す暇もありませんので、暗算でいきますわよ」


「な、何を……」


「まず、ルーカス公爵の治療費。彼の手腕が一時的にでも損なわれれば、国益に関わる損失です。よって、慰謝料込みで金貨一万枚」


「い、一万!?」


「次に、公爵の燕尾服。これは先代から受け継がれた一点物(ヴィンテージ)です。歴史的価値を加味して、金貨五千枚」


「ふ、ふざけるな!」


「さらに!」


わたくしはシャンパンの瓶を、ブン! と振り上げた。


「ひいぃっ!?」


殿下が頭を抱えてしゃがみ込む。


殴りはしない。これはただの威嚇だ。


「会場の床の修繕費、パニックになった招待客への精神的慰謝料、そして何より……わたくしに『心配』という無駄なコストを支払わせた罪!」


わたくしは殿下の目の前で仁王立ちになり、見下ろした。


「合計、金貨五万枚。……今すぐ払えますか? 払えないなら、その体で払っていただきましょうか!」


「あ、あばば……」


アレックス殿下は腰を抜かし、床を這って逃げようとする。


その姿は、もはや一国の王太子としての威厳など欠片もなかった。


周囲の貴族たちも、冷ややかな目で見ている。


「……なんて無様なんだ」


「あれが次期国王? 冗談じゃない」


「公爵を殺そうとしたんだぞ。廃嫡は免れないな」


囁き声が、殿下に追い打ちをかける。


「ち、違う……僕は悪くない! 悪いのはキャサリンだ! こいつが僕を追い詰めたから……!」


「往生際が悪い!」


その時。


ドンッ!


会場の扉が乱暴に開かれた。


「――そこまでだ、アレックス」


現れたのは、近衛騎士団を引き連れた、初老の男性。


国王陛下その人だった。


「ち、父上……!?」


「見ておれん。……余の顔に泥を塗るのもいい加減にせよ」


国王陛下の低い声に、アレックス殿下が震え上がる。


「連れて行け。……地下牢で頭を冷やさせろ」


「そ、そんな! 父上! 僕は騙されたんです! リリーナが! ゲオルグ叔父上が!」


殿下はなりふり構わず、周囲に責任をなすりつけ始めた。


隣で震えていたリリーナ様も、騎士たちに囲まれる。


「いやっ! 私は関係ないわ! 全部アレックス様が勝手にやったことよ!」


「なんだとリリーナ! お前が『キャサリンなんか死んじゃえばいいのに』と言ったんじゃないか!」


「言ってないわよ! この貧乏王子!」


醜い罵り合いをしながら、二人は騎士たちに引きずられて退場していった。


会場には、呆れ返った空気と、静寂だけが残された。


「……はぁ」


わたくしは大きく息を吐き、シャンパンの瓶を近くのテーブルに置いた。


(終わった……のかしら)


ふと、我に返る。


公爵は?


「……ルーカス様!」


慌てて振り返ると、ルーカス公爵は床に座り込んだまま、苦笑いを浮かべていた。


その左腕の袖は焦げ、火傷を負っているようだが、命に別状はなさそうだ。


「……派手にやったな、キャサリン」


「喋らないでください! 傷が!」


わたくしは駆け寄り、ハンカチで患部を押さえた。


「ごめんなさい……わたくしのために……」


「気にするな。……君が無事なら、安いものだ」


公爵は痛むはずの腕で、わたくしの頬に触れた。


「それに、君がシャンパン瓶を振り回して僕の敵討ちをしてくれる姿……なかなか壮観だったぞ」


「……もう。茶化さないでください」


涙が出そうになるのを、ぐっと堪える。


ここで泣いたら、化粧が崩れる。化粧直し代(コスメ代)がかかる。


そう自分に言い聞かせて、わたくしは公爵を支え立たせた。


「さあ、医務室へ行きましょう。……最高級の治療を受けていただきます。請求書は王家に回しますから」


「頼もしいな」


わたくしたちは寄り添って会場を後にした。


背後から、国王陛下が申し訳なさそうに頭を下げるのが見えたが、今はそれどころではない。


***


公爵邸に戻り、医師の診察を終えた頃には、日付が変わっていた。


「……全治二週間、か」


ベッドに横たわるルーカス公爵の腕には、包帯が巻かれている。


「幸い、魔力の防御が間に合ったおかげで、皮膚の表面だけで済んだそうです」


わたくしは安堵のため息をつき、ベッド脇の椅子に腰掛けた。


「ですが、無理は禁物ですよ。明日からの公務は休んでください」


「そうはいかん。王太子の廃嫡手続きに、事後処理……山積みだ」


「ダメです。仕事より体が資本(アセット)です」


わたくしは公爵の額に手を当てた。


「あなたが倒れたら、誰がわたくしのお給料を払うのですか?」


「……ふっ、そうだな」


ルーカス公爵は、わたくしの手を握った。


その手は熱かった。


「キャサリン。……ありがとう」


「お礼には及びません。契約ですから」


「契約、か。……なら、追加報酬を払わないとな」


「え?」


公爵は体を起こし、わたくしの顔を覗き込んだ。


「今回の件が落ち着いたら……話がある」


「話?」


「ああ。僕の人生の……長期的なパートナーシップ契約についてだ」


ドキリとする。


それは、つまり。


(……プロポーズ、の予約?)


顔が熱くなる。


暖房費の節約になるくらい、熱い。


「……見積もり、出しておいてくださいね。わたくし、高いですよ?」


「善処する」


公爵は優しく笑い、やがて薬の効果か、静かな寝息を立て始めた。


わたくしは部屋の明かりを消し(節電)、そっとドアを閉めた。


廊下に出ると、窓の外は嵐のような雨が降り出していた。


(……とりあえず、一件落着ね)


そう思った。


王太子は捕まり、リリーナも失脚した。


もう脅威はないはずだ。


だが。


わたくしは甘かった。


腐った権力の中枢には、まだ「残党」がいることを忘れていたのだ。


「……キャサリン様」


廊下の角から、マーサが現れた。


顔色が悪い。


「どうしました、マーサさん?」


「あ、あの……裏口に、不審な荷物が届いておりまして……」


「荷物?」


「はい。差出人不明なのですが……『ラ・マネー伯爵からの贈り物』と」


お父様から?


こんな時間に?


嫌な予感がした。


わたくしはマーサと共に、裏口へと急いだ。


そこに置かれていたのは、小さな木箱だった。


恐る恐る開ける。


中に入っていたのは――。


父が愛用していた、あの『金のマグロ像』のヒレの一部。


そして、一枚の手紙。


『父親を預かった。返して欲しくば、一人で「古の時計塔」へ来い』


「……!」


わたくしは手紙を握りつぶした。


アレックス殿下の側近か、あるいはゲオルグ叔父の残党か。


王太子が捕まってもなお、悪あがきをする輩がいる。


しかも、あろうことか、あのおバカな父を人質(マグロ質?)に取るとは。


「……上等じゃない」


わたくしの目から、恋する乙女の色が消え、再び『戦う経理担当』の色が宿った。


「マーサさん。公爵様には内緒にしてください。……ゴミ掃除の残業をしてきます」


「えっ!? お一人で!? 危険すぎます!」


「大丈夫です。……わたくしには、最強の武器(電卓と万年筆)がありますから」


わたくしは雨の中、闇へと飛び出した。


これが、最後の決算期。


借金まみれの悪役令嬢、最後の戦いが幕を開ける。
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