任せていたら、いつの間にか稀代の悪女として婚約破棄されました

萩月

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王都、アストレア公爵邸の豪華なサロン。


そこでは現在、お茶会の華やかな笑い声……ではなく、胃に穴が空きそうなほどの重苦しい空気が漂っていた。


「……ラーナ。先ほどから聞いているが、この隣国への親書、内容が余りにも稚拙ではないか?」


婚約者となったエリオット王子が、机の上に置かれた羊皮紙を指先でトントンと叩く。


(……やばいやばいやばい! どうしよう、なんて答えればいいの!?)


ラーナは扇で顔を隠し、冷や汗を流していた。


「そ、それは……エリオット様への愛が溢れすぎて、言葉がまとまらなかったのですわ」


「愛と外交は別物だ。以前のルミール……いや、あの悪女が書いた書面は、もっとこう、理知的で、相手の出方を完璧に封じ込めるような鋭さがあったはずだが」


エリオットは首を傾げ、怪訝そうな顔でラーナを見つめる。


それもそのはずだ。


今までルミールが「無口」で通していた裏で、夜な夜な完璧な外交文書を作成し、魔法理論の難解な論文を書き上げていたのは、他ならぬルミール本人だったからだ。


ラーナはそれを「お姉様の代わりに私が清書しました」と言って横取りしていたに過ぎない。


(だってお姉様、あんなにコミュ障のくせに、ペンを持つと急に人が変わったみたいに難しいこと書くんだもん! 私がそんなの書けるわけないじゃない!)


「あ、あの……エリオット様? 難しいお話は後にして、この特製のケーキを召し上がってくださいな」


「……さっきからケーキの話ばかりだな。今は、隣国との魔石貿易の関税交渉について話しているんだぞ?」


「関税……? ええと、安くすれば、みんなハッピー、ですわね?」


ラーナの精一杯の「知性」を振り絞った発言に、エリオットは言葉を失った。


サロンの隅に控えていた侍従たちも、そっと目を逸らす。


「……ルミールなら、鉱石の含有魔力量を算出し、我が国の魔導師団の年間消費量から逆算して、最適な妥協点を提示してきたものだが……」


「もう! エリオット様ったら、あんな悪女の名前を出すなんてひどいですわ! 私、悲しくて涙が出てしまいます!」


ラーナは嘘泣きを始めたが、エリオットの顔には隠しきれない焦燥感が浮かんでいた。


「分かっている。あの女は冷酷で、不気味で、何を考えているか分からない恐ろしい女だった。……だが、実務においては、確かに完璧だったんだ」


(そうよ! お姉様はただの便利な『実務マシン』だったのよ! なのに、いなくなったらこんなに困るなんて聞いてないわ!)


ラーナのイライラは最高潮に達していた。


一方その頃、公爵邸の図書室では、アストレア公爵が頭を抱えていた。


「……おかしい。ルミールの部屋から持ち出したはずの魔導書が、一冊も開けんぞ! どういうことだ!」


「旦那様、それが……書物全体に高度な認識阻害の魔法がかけられておりまして。ルミール様以外の人間が触れると、文字が全て『肉』という漢字に変換されてしまうようです」


「肉!? なんだそれは! あの娘、どれほど食い意地が張っていたんだ!」


公爵は机を叩いた。


ルミールがいなくなったことで、公爵家が秘匿していた魔法技術の維持ができなくなっていたのだ。


彼女は「喋るのが苦手だから」という理由で、屋敷中の魔法設備を自分にしか分からないコードで勝手に自動化・最適化していた。


結果、彼女がいなくなった途端、屋敷の給湯魔法は暴走し、庭園の噴水からは炭酸水が噴き出し、警備のゴーレムは「ニク……ニク……」と呟きながら迷走を始めている。


「……ラーナ! お前ならルミールの魔法の仕組みが分かるだろう!? 何とかしろ!」


サロンに駆け込んできた公爵の怒号に、ラーナは引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。


「わ、私に聞かれましても……。お姉様はいつも、呪文を唱えずに指パッチンだけでやっていましたから……」


「無詠唱魔法だと!? そんな高等技術、あのアホ面をした娘が使えるはずが……!」


「でも、本当にそうだったんですもの!」


王都の社交界では、「完璧な聖女」ともてはやされていたラーナの化けの皮が、少しずつ、だが確実に剥がれ始めていた。


一方。


辺境の別荘では。


「……う、うま。この、肉……うま」


(最高! 王都で食べたどのステーキよりもジューシー! カイル様の持ってくる食材、もしかして全部伝説級なんじゃないの!?)


ルミールは、カイルが持参した「A5ランク相当の魔獣肉」を頬張り、感動のあまり白目を剥いていた。


彼女の背後では、新しく作られた石像執事二号が、完璧な温度管理で彼女の背中をマッサージしている。


「ははは。ルミール、君、口元にソースが付いているよ。……王都では今頃、君の不在を嘆く人々で阿鼻叫喚だろうに。当の本人がこんなに幸せそうな『心の声』を漏らしているなんて、皮肉なものだね」


カイルは優雅にワインを傾けながら、ルミールの「うるさすぎる歓喜の歌」をBGMに食事を楽しんでいた。


ルミールはソースを拭おうとしたカイルの手を、反射的にフォークで突こうとしてしまった。


(ひっ! 食べ物を奪われるかと思った! 反射神経が野生に還っちゃった!)


「……っ!」


ルミールの表情は、一瞬で「私の獲物に触れる者は死あるのみ」という、地獄の番犬ケルベロスも裸足で逃げ出すほどの凶悪な威圧感を放った。


カイルは声を上げて笑った。


「すまない、奪わないよ。……それよりルミール。明日、隣国の視察団がこの近くを通る。君のその『石像執事』、少し隠しておいたほうがいいかもしれない」


(えっ、なんで? 自慢の出来栄えなんだけど!)


「……あんな禍々しい威圧感のある執事、視察団が見たら『辺境に魔王軍が組織されている』と報告されかねないからね」


ルミールのスローライフは、王都の混乱を余所に、どんどん「愉快な魔王の休日」へと突き進んでいくのだった。
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