婚約破棄? ありがとうございます、今日から廃業いたします

萩月

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「ディアナ・フォン・グラナート公爵令嬢! 貴様との婚約を、本日この時をもって破棄させてもらう!」


きらびやかなシャンデリアが輝く、卒業記念パーティーの真っ只中。


第一王子、ウィルフレイド・ル・ヴァルムの声が、祝杯の喧騒を切り裂いて響き渡った。


楽団の演奏が止まり、着飾った貴族たちが一斉にこちらを振り返る。


主役であるはずの王子の傍らには、守られるように震える男爵令嬢のリリアンが寄り添っていた。


対する私は、手に持っていたシャンパングラスを静かに給仕のトレイへと戻す。


「……お言葉ですが、ウィルフレイド様。今、なんとおっしゃいましたか?」


「聞こえなかったのか! 婚約破棄だと言ったのだ! この悪辣な毒婦め!」


ウィルフレイド様は、まるで英雄にでもなったかのように胸を張り、私を指さした。


「ど、毒婦……。それはまた、ずいぶんと風情のない呼び名ですわね」


「ふん、自業自得だ! 貴様がリリアンに行った数々の嫌がらせ、すべて把握しているぞ!」


王子の言葉に合わせて、周囲からひそひそと蔑みの視線が突き刺さる。


普段の私なら、ここで完璧な公爵令嬢の仮面を被り、理路整然と反論していただろう。


だが、今の私の脳内では、まったく別の感情が爆発していた。


(……やった。ついに、ついに来たわ!)


(これで、明日からあの過酷な『完璧な王太子妃教育』を受けなくて済むのね!?)


(早起きして礼儀作法を叩き込まれ、昼食を抜きながら語学を学び、夜は夜で歴史の研究……。そんな地獄の日々から解放される!)


(おまけに、この無能で空気の読めない王子のお守りも卒業……。最高すぎる!)


私は必死で、こぼれそうになる笑みを堪え、震えるふりをして俯いた。


「……嫌がらせ、とおっしゃいますと?」


「しらを切るな! リリアンの教科書を隠し、彼女のドレスに泥をかけ、あろうことか……最高級のクリームパフを彼女の机に十箱も送りつけたそうではないか!」


会場が、どよめきに包まれる。


「まあ、十箱も!」


「なんて恐ろしい……。甘いものの暴力だわ……」


(……いや、それは私がリリアンさんに『あなた最近痩せすぎだから、これでも食べて太りなさい』って親切で贈ったやつなんだけど)


(まさか嫌がらせにカウントされるなんて、私の善意って一体何なの?)


隣でリリアンが、ハンカチを噛み締めながら私を睨みつけてくる。


「ディアナ様……。私、あの日から一週間、主食がシュークリームだったんですよ!? おかげでウエストが二センチも増えたんです! 一生の不覚ですわ!」


「……それは、災難でしたわね」


「そうだ! リリアンの可憐なウエストを脅かすとは、公爵令嬢として、いや人間として恥を知れ!」


王子の追撃に、私は心の中で拍手喝采を送った。


いいぞ、もっと言え。もっと私を「不適格」だとなじって、完全に縁を切ってくれ。


「さらに! 貴様は私がリリアンと図書室で語らっている際、通りすがりざまに『……仕事しろ』と吐き捨てたそうだな! 私の王太子としての威厳を傷つけた罪は重いぞ!」


「それは……事実ですわ。だって、執務室には書類が山積みでしたもの」


「黙れ! 愛の語らいは、どんな公務よりも優先されるべき高潔な儀式なのだ!」


(ダメだわ、この王子。早く隠居させないと国が滅ぶわ)


(まあ、もう私の知ったことではないけれど!)


私は深く、深く溜息をつく演技をした。


「……わかりました。ウィルフレイド様がそこまでおっしゃるのなら、私に弁明の余地はございません。謹んで、婚約破棄をお受けいたしますわ」


「……え? あ、ああ。そうか。ようやく認めたか」


拍子抜けしたように、王子が目を瞬かせた。


もっと泣き喚いて縋り付かれるとでも思っていたのだろうか。


「つきましては、婚約解消に伴う諸手続き、および慰謝料の請求についてですが……」


「ふん、慰謝料だと? 加害者の貴様が何を……」


「いえ、逆ですわ。私がウィルフレイド様に『自由』という名の慰謝料を差し上げます。ですから、私の身辺整理については一切口出しをしないと、ここで誓っていただけますか?」


「なんだそれは……。よくわからんが、貴様が二度と私の前に現れないというのなら、望むところだ!」


「ありがとうございます。お言葉、しかと承りました。証人の皆様も、今の言葉をお忘れなきよう」


私は周囲の貴族たちに向けて、これ以上ないほど優雅に一礼した。


その動作があまりに完璧だったためか、会場は静まり返る。


「それではウィルフレイド様。そしてリリアン様。お二人で末永く、クリームパフな日々をお過ごしくださいませ」


「き、貴様……最後まで嫌味を!」


「さようなら。……ああ、せいせいした」


最後の一言は、誰にも聞こえないほどの小声で。


私は背筋をピンと伸ばし、出口へと向かって歩き出した。


背後で王子が何かを叫んでいたような気がするが、今の私には心地よいBGMにしか聞こえない。


一歩、会場の外へ踏み出した瞬間。


夜の冷たい空気が、火照った肌に触れて最高に気持ちよかった。


「……終わった。私の『公爵令嬢・ディアナ』としての役目は、今この瞬間に終わったのよ!」


私は夜空に向かって、拳を握りしめた。


「明日からは、何時に起きてもいい。誰に指示されなくてもいい」


「お茶を淹れるのも、ドレスを選ぶのも、全部後回しにして……」


「死ぬほど、ダラけてやるんだから!」


これが、後に「氷の悪役令嬢」と呼ばれた私が、最高の「定休日」を手に入れるまでの、輝かしき第一歩であった。
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