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「……昨日の膝枕の件ですが。あれは、その、私の極度の疲労による一時的な理性の喪失でありまして」
翌朝。朝食のテーブルで、カイルは一度も私と目を合わせようとせず、ひたすらトーストにバターを塗り続けていた。
「あら、いいじゃない。おかげで私も、あなたの頭の重みで安眠できたわ。お互い様よ」
「……令嬢として、もう少し危機感を持っていただきたい。私がもし、邪な考えを持つ男だったらどうするんですか」
「カイルが? 邪な考え? ……プッ、アハハハ! 面白い冗談ね。あなたは仕事と結婚したほうが幸せになれるタイプでしょ?」
「……。トーストのバターを、三倍に増やしてやりたくなってきました」
カイルが不機嫌そうにナイフを置いた、その時だった。
邸内を揺るがすような、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
「お嬢様! 大変でございます!」
セバスが珍しく、息を切らして食堂へ飛び込んできた。
「何事? またお父様が変なお見合い相手を連れてきたの?」
「いいえ。正面玄関に、ウィルフレイド王太子殿下が……。今度は壁を登るのではなく、近衛兵を引き連れて、正式な『王命』を携えてお越しです!」
「……王命?」
私とカイルは顔を見合わせた。カイルの表情が、一瞬で「遊び」から「冷徹な政治家」へと切り替わる。
「……なるほど。なりふり構わず来ましたか。ディアナ、ここは私が出る」
「いいえ。正面から来たなら、正面から叩き潰してあげるわ。私の定休日を王命で縛れると思ったら大間違いよ」
私は「綿スモック」の上から、適当に豪華そうなガウンを羽織り、カイルと共に玄関ホールへと向かった。
そこには、まばゆいばかりの正装に身を包んだウィルフレイド様が、仁王立ちで待っていた。
「ディアナ! そしてカイル! なぜ君がここにいるのかは後で問い詰めるとして……まずはこれを見ろ!」
王子は、仰々しく金色の刺繍が施された書状を突きつけた。
「国王陛下のお言葉だ。『ディアナ・フォン・グラナートは、速やかに王宮に戻り、滞っている秋の収穫祭の予算編成を完了させよ』。……これは命令だぞ、ディアナ!」
私は鼻で笑い、書状を一瞥した。
「ウィルフレイド様。その『王命』、肝心なところが抜けていますわね」
「なにっ?」
「国王陛下は、私が『承諾すれば』という前提条件を付けていらしたはず。……カイル、そうよね?」
カイルは懐から別の書類を取り出し、眼鏡を光らせた。
「その通りです。陛下からは昨日、私宛に『ディアナが嫌がるとは思うが、一応聞いてみてくれ。ダメならウィルフレイドを適当に叱っておく』との私信を頂いております」
「な、なな、なんだと……!? 父上、私にはそんなこと一言も……!」
ウィルフレイド様は目に見えて動揺し、書状を持つ手が震え出した。
「ディアナ! 頼む、この通りだ! リリアンが……リリアンが、『計算機を叩く音が、私への呪詛に聞こえる』と言って、執務室にひきこもってしまったんだ!」
「それは彼女が繊細なだけで、私の知ったことではありませんわ」
「それだけじゃない! 近隣諸国からの親書が山積みで、どれから返信すればいいか分からないんだ! 間違えて宣戦布告の返事を出してしまったらどうする!」
「……。あなた、王子ですよね? その程度の判断もできないのですか?」
私は呆れて、深く溜息をついた。
「いいですか、ウィルフレイド様。今の私は『悪役令嬢』ではなく、ただの『定休日を満喫している女』です」
「定休日だと!? 国家の危機に何を言っている!」
「国家の危機を招いているのは、有能な補佐役を自ら追い出した、あなたの無能さですわ。……カイル、あの方に『定休日の哲学』を教えてあげて」
カイルは一歩前に出ると、ウィルフレイド様を見下ろすように冷たく言い放った。
「殿下。彼女は今、私の『監視』という名の休息期間にあります。それを邪魔することは、宰相である私への挑戦と受け取ってもよろしいですか?」
「カ、カイル……君、いつからそんなにディアナの肩を持つようになったんだ!」
「十数年前からです。……さあ、衛兵たち。殿下を王宮までお送りしろ。お仕事が山積みだそうだぞ」
「待て! ディアナ! ディアナぁぁぁ!」
ウィルフレイド様は、今度は正面から、しかし情けなく衛兵たちに抱えられて連行されていった。
「……ふぅ。今度こそ、静かになるかしら」
「どうでしょうね。あの王子、諦めだけは悪いですから」
カイルは肩の力を抜くと、私のガウンの襟元を整えてくれた。
「……ディアナ。さっきの『十数年前から』っていうの、どういう意味?」
「……。……さあな。それより、冷めたスープを温め直させよう。朝食の続きだ」
カイルは顔を背けて、足早に食堂へと戻っていった。
私の定休日は、相変わらず騒がしい。
でも、少しずつ「二人分」の定休日になりつつあることを、私はどこか心地よく感じていた。
翌朝。朝食のテーブルで、カイルは一度も私と目を合わせようとせず、ひたすらトーストにバターを塗り続けていた。
「あら、いいじゃない。おかげで私も、あなたの頭の重みで安眠できたわ。お互い様よ」
「……令嬢として、もう少し危機感を持っていただきたい。私がもし、邪な考えを持つ男だったらどうするんですか」
「カイルが? 邪な考え? ……プッ、アハハハ! 面白い冗談ね。あなたは仕事と結婚したほうが幸せになれるタイプでしょ?」
「……。トーストのバターを、三倍に増やしてやりたくなってきました」
カイルが不機嫌そうにナイフを置いた、その時だった。
邸内を揺るがすような、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
「お嬢様! 大変でございます!」
セバスが珍しく、息を切らして食堂へ飛び込んできた。
「何事? またお父様が変なお見合い相手を連れてきたの?」
「いいえ。正面玄関に、ウィルフレイド王太子殿下が……。今度は壁を登るのではなく、近衛兵を引き連れて、正式な『王命』を携えてお越しです!」
「……王命?」
私とカイルは顔を見合わせた。カイルの表情が、一瞬で「遊び」から「冷徹な政治家」へと切り替わる。
「……なるほど。なりふり構わず来ましたか。ディアナ、ここは私が出る」
「いいえ。正面から来たなら、正面から叩き潰してあげるわ。私の定休日を王命で縛れると思ったら大間違いよ」
私は「綿スモック」の上から、適当に豪華そうなガウンを羽織り、カイルと共に玄関ホールへと向かった。
そこには、まばゆいばかりの正装に身を包んだウィルフレイド様が、仁王立ちで待っていた。
「ディアナ! そしてカイル! なぜ君がここにいるのかは後で問い詰めるとして……まずはこれを見ろ!」
王子は、仰々しく金色の刺繍が施された書状を突きつけた。
「国王陛下のお言葉だ。『ディアナ・フォン・グラナートは、速やかに王宮に戻り、滞っている秋の収穫祭の予算編成を完了させよ』。……これは命令だぞ、ディアナ!」
私は鼻で笑い、書状を一瞥した。
「ウィルフレイド様。その『王命』、肝心なところが抜けていますわね」
「なにっ?」
「国王陛下は、私が『承諾すれば』という前提条件を付けていらしたはず。……カイル、そうよね?」
カイルは懐から別の書類を取り出し、眼鏡を光らせた。
「その通りです。陛下からは昨日、私宛に『ディアナが嫌がるとは思うが、一応聞いてみてくれ。ダメならウィルフレイドを適当に叱っておく』との私信を頂いております」
「な、なな、なんだと……!? 父上、私にはそんなこと一言も……!」
ウィルフレイド様は目に見えて動揺し、書状を持つ手が震え出した。
「ディアナ! 頼む、この通りだ! リリアンが……リリアンが、『計算機を叩く音が、私への呪詛に聞こえる』と言って、執務室にひきこもってしまったんだ!」
「それは彼女が繊細なだけで、私の知ったことではありませんわ」
「それだけじゃない! 近隣諸国からの親書が山積みで、どれから返信すればいいか分からないんだ! 間違えて宣戦布告の返事を出してしまったらどうする!」
「……。あなた、王子ですよね? その程度の判断もできないのですか?」
私は呆れて、深く溜息をついた。
「いいですか、ウィルフレイド様。今の私は『悪役令嬢』ではなく、ただの『定休日を満喫している女』です」
「定休日だと!? 国家の危機に何を言っている!」
「国家の危機を招いているのは、有能な補佐役を自ら追い出した、あなたの無能さですわ。……カイル、あの方に『定休日の哲学』を教えてあげて」
カイルは一歩前に出ると、ウィルフレイド様を見下ろすように冷たく言い放った。
「殿下。彼女は今、私の『監視』という名の休息期間にあります。それを邪魔することは、宰相である私への挑戦と受け取ってもよろしいですか?」
「カ、カイル……君、いつからそんなにディアナの肩を持つようになったんだ!」
「十数年前からです。……さあ、衛兵たち。殿下を王宮までお送りしろ。お仕事が山積みだそうだぞ」
「待て! ディアナ! ディアナぁぁぁ!」
ウィルフレイド様は、今度は正面から、しかし情けなく衛兵たちに抱えられて連行されていった。
「……ふぅ。今度こそ、静かになるかしら」
「どうでしょうね。あの王子、諦めだけは悪いですから」
カイルは肩の力を抜くと、私のガウンの襟元を整えてくれた。
「……ディアナ。さっきの『十数年前から』っていうの、どういう意味?」
「……。……さあな。それより、冷めたスープを温め直させよう。朝食の続きだ」
カイルは顔を背けて、足早に食堂へと戻っていった。
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