婚約破棄? ありがとうございます、今日から廃業いたします

萩月

文字の大きさ
15 / 28

15

しおりを挟む
「……昨日の膝枕の件ですが。あれは、その、私の極度の疲労による一時的な理性の喪失でありまして」


翌朝。朝食のテーブルで、カイルは一度も私と目を合わせようとせず、ひたすらトーストにバターを塗り続けていた。


「あら、いいじゃない。おかげで私も、あなたの頭の重みで安眠できたわ。お互い様よ」


「……令嬢として、もう少し危機感を持っていただきたい。私がもし、邪な考えを持つ男だったらどうするんですか」


「カイルが? 邪な考え? ……プッ、アハハハ! 面白い冗談ね。あなたは仕事と結婚したほうが幸せになれるタイプでしょ?」


「……。トーストのバターを、三倍に増やしてやりたくなってきました」


カイルが不機嫌そうにナイフを置いた、その時だった。


邸内を揺るがすような、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。


「お嬢様! 大変でございます!」


セバスが珍しく、息を切らして食堂へ飛び込んできた。


「何事? またお父様が変なお見合い相手を連れてきたの?」


「いいえ。正面玄関に、ウィルフレイド王太子殿下が……。今度は壁を登るのではなく、近衛兵を引き連れて、正式な『王命』を携えてお越しです!」


「……王命?」


私とカイルは顔を見合わせた。カイルの表情が、一瞬で「遊び」から「冷徹な政治家」へと切り替わる。


「……なるほど。なりふり構わず来ましたか。ディアナ、ここは私が出る」


「いいえ。正面から来たなら、正面から叩き潰してあげるわ。私の定休日を王命で縛れると思ったら大間違いよ」


私は「綿スモック」の上から、適当に豪華そうなガウンを羽織り、カイルと共に玄関ホールへと向かった。


そこには、まばゆいばかりの正装に身を包んだウィルフレイド様が、仁王立ちで待っていた。


「ディアナ! そしてカイル! なぜ君がここにいるのかは後で問い詰めるとして……まずはこれを見ろ!」


王子は、仰々しく金色の刺繍が施された書状を突きつけた。


「国王陛下のお言葉だ。『ディアナ・フォン・グラナートは、速やかに王宮に戻り、滞っている秋の収穫祭の予算編成を完了させよ』。……これは命令だぞ、ディアナ!」


私は鼻で笑い、書状を一瞥した。


「ウィルフレイド様。その『王命』、肝心なところが抜けていますわね」


「なにっ?」


「国王陛下は、私が『承諾すれば』という前提条件を付けていらしたはず。……カイル、そうよね?」


カイルは懐から別の書類を取り出し、眼鏡を光らせた。


「その通りです。陛下からは昨日、私宛に『ディアナが嫌がるとは思うが、一応聞いてみてくれ。ダメならウィルフレイドを適当に叱っておく』との私信を頂いております」


「な、なな、なんだと……!? 父上、私にはそんなこと一言も……!」


ウィルフレイド様は目に見えて動揺し、書状を持つ手が震え出した。


「ディアナ! 頼む、この通りだ! リリアンが……リリアンが、『計算機を叩く音が、私への呪詛に聞こえる』と言って、執務室にひきこもってしまったんだ!」


「それは彼女が繊細なだけで、私の知ったことではありませんわ」


「それだけじゃない! 近隣諸国からの親書が山積みで、どれから返信すればいいか分からないんだ! 間違えて宣戦布告の返事を出してしまったらどうする!」


「……。あなた、王子ですよね? その程度の判断もできないのですか?」


私は呆れて、深く溜息をついた。


「いいですか、ウィルフレイド様。今の私は『悪役令嬢』ではなく、ただの『定休日を満喫している女』です」


「定休日だと!? 国家の危機に何を言っている!」


「国家の危機を招いているのは、有能な補佐役を自ら追い出した、あなたの無能さですわ。……カイル、あの方に『定休日の哲学』を教えてあげて」


カイルは一歩前に出ると、ウィルフレイド様を見下ろすように冷たく言い放った。


「殿下。彼女は今、私の『監視』という名の休息期間にあります。それを邪魔することは、宰相である私への挑戦と受け取ってもよろしいですか?」


「カ、カイル……君、いつからそんなにディアナの肩を持つようになったんだ!」


「十数年前からです。……さあ、衛兵たち。殿下を王宮までお送りしろ。お仕事が山積みだそうだぞ」


「待て! ディアナ! ディアナぁぁぁ!」


ウィルフレイド様は、今度は正面から、しかし情けなく衛兵たちに抱えられて連行されていった。


「……ふぅ。今度こそ、静かになるかしら」


「どうでしょうね。あの王子、諦めだけは悪いですから」


カイルは肩の力を抜くと、私のガウンの襟元を整えてくれた。


「……ディアナ。さっきの『十数年前から』っていうの、どういう意味?」


「……。……さあな。それより、冷めたスープを温め直させよう。朝食の続きだ」


カイルは顔を背けて、足早に食堂へと戻っていった。


私の定休日は、相変わらず騒がしい。


でも、少しずつ「二人分」の定休日になりつつあることを、私はどこか心地よく感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない

翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。 始めは夜会での振る舞いからだった。 それがさらに明らかになっていく。 機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。 おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。 そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?

何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。 だが―― 彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。 ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。 婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。 制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく―― けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。 一方、帝国は違った。 完璧ではなくとも、期限内に返事をする。 責任を分け、判断を止めない。 その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。 王国は滅びない。 だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。 ――そして迎える、最後の選択。 これは、 剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。 何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

『めでたしめでたし』の、その後で

ゆきな
恋愛
シャロン・ブーケ伯爵令嬢は社交界デビューの際、ブレント王子に見初められた。 手にキスをされ、一晩中彼とダンスを楽しんだシャロンは、すっかり有頂天だった。 まるで、おとぎ話のお姫様になったような気分だったのである。 しかし、踊り疲れた彼女がブレント王子に導かれるままにやって来たのは、彼の寝室だった。 ブレント王子はお気に入りの娘を見つけるとベッドに誘い込み、飽きたら多額の持参金をもたせて、適当な男の元へと嫁がせることを繰り返していたのだ。 そんなこととは知らなかったシャロンは恐怖のあまり固まってしまったものの、なんとか彼の手を振り切って逃げ帰ってくる。 しかし彼女を迎えた継母と異母妹の態度は冷たかった。 継母はブレント王子の悪癖を知りつつ、持参金目当てにシャロンを王子の元へと送り出していたのである。 それなのに何故逃げ帰ってきたのかと、継母はシャロンを責めた上、役立たずと罵って、その日から彼女を使用人同然にこき使うようになった。 シャロンはそんな苦境の中でも挫けることなく、耐えていた。 そんなある日、ようやくシャロンを愛してくれる青年、スタンリー・クーパー伯爵と出会う。 彼女はスタンリーを心の支えに、辛い毎日を懸命に生きたが、異母妹はシャロンの幸せを許さなかった。 彼女は、どうにかして2人の仲を引き裂こうと企んでいた。 2人の間の障害はそればかりではなかった。 なんとブレント王子は、いまだにシャロンを諦めていなかったのだ。 彼女の身も心も手に入れたい欲求にかられたブレント王子は、彼女を力づくで自分のものにしようと企んでいたのである。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

離れ離れの婚約者は、もう彼の元には戻らない

月山 歩
恋愛
婚約中のセシーリアは隣国より侵略され、婚約者と共に逃げるが、婚約者を逃すため、深い森の中で、離れ離れになる。一人になってしまったセシーリアは命の危機に直面して、自分の力で生きたいと強く思う。それを助けるのは、彼女を諦めきれない幼馴染の若き王で。

処理中です...