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昨夜のスパイス爆発事件から一夜明け、別荘の空気は驚くほど澄み渡っていた。
物理的に窓を全開にして一晩中換気したせいでもあるが、何より、あの木彫り人形が(物理的に)沈黙したことが大きかった。
私は、お気に入りの部屋着でテラスに出ると、庭で素振りをしているゼクスの背中を眺めた。
「……おはようございます、ゼクス様。今朝は一段と、剣筋に迷いがありませんわね」
「……。メリーか。……ああ。守るべきものが明確になれば、剣は自ずと鋭くなる」
ゼクスは剣を鞘に収めると、私の方を振り返った。その視線は以前よりもずっと真っ直ぐで、私は不覚にも目を逸らしてしまった。
「……そ、そうですか。それは重畳ですわね。……ところで、リリアーナは?」
「『お腹が空いて、自分の指がパンに見えてきた』と言って、キッチンでマーサに泣きついていたぞ。……全く、あの子はどこまで行っても食欲の化身だな」
「……。……あんたが甘やかすから、あんな大食いヒロインになってしまったんですのよ」
私たちがそんな軽口を叩き合っていた時だった。
カッカッカッ、と、整然とした馬の足音が別荘の門へと近づいてきた。
現れたのは、王宮の正装に身を包んだ、見るからに位の高そうな使者だった。
「……来たか」
ゼクスが私の前に立ち、警戒の色を強める。
使者は馬を降りると、仰々しく一枚の封筒を取り出した。
「王太子ヴィルフレド殿下より、メリー・ローズ様、ならびに……そこにいらっしゃるであろうリリアーナ・男爵令嬢へ、命を預かって参りました」
使者は、テラスに隠れていたリリアーナを鋭く見遣った。リリアーナは口にクロワッサンを咥えたまま、固まっている。
「命……? なんですの、それ」
私は、ゼクスの背後から身を乗り出した。
「三日後、王宮にて『王太子殿下との和解と祝福の舞踏会』を開催する。両名とも、正装にて出席せよ。……もし拒むのであれば、侯爵家への厳しい処罰、ならびにゼクス・アシュフィールドの解任も辞さない、とのことであります」
「「…………!!」」
静寂が走る。
「……卑怯ですわ。私を人質にするならまだしも、ゼクス様まで巻き込むなんて」
リリアーナが、クロワッサンを飲み込み、憤慨して叫んだ。
「……和解と祝福、か。殿下の辞書には『強要』という言葉はないらしいな」
ゼクスが、苦々しげに吐き捨てた。
使者は、私たちの反応を待たずに馬に乗ると、最後にこう言い残して去っていった。
「殿下は仰せでした。『メリー、君の用意したカレーは、僕というメインディッシュの前の前菜に過ぎない。舞踏会で、僕という名の最高級の晩餐を味わわせてあげよう』……と」
「……。……。……吐いてもよろしいかしら?」
私は、思わず手すりを掴んで身をよじった。
「お姉様、耐えてください! ここで倒れたら殿下の思うツボですわ!」
リリアーナが私の背中をさするが、彼女の顔もどこか青ざめている。
「……ゼクス様。どうしましょうか。これ、行かないわけには……」
私は、不安な気持ちでゼクスを見上げた。
ゼクスはしばらく沈黙していたが、やがて私の肩を力強く掴んだ。
「……行くしかないだろうな。……だが、ただ行くだけではない」
「……え?」
「殿下が『晩餐』を自称するなら、こちらは『劇物』を用意するまでだ。……メリー、リリアーナ嬢。三日間、私の猛特訓に耐えてもらうぞ」
「……。……特訓? 舞踏会の練習ですの?」
「いや。殿下の妄想を粉砕し、全貴族の前で『婚約破棄』を確定させるための、完璧な演技の特訓だ。……リリアーナ嬢、君は食欲を抑えて『儚げな被害者』を二十四時間演じ続けろ。メリー、君は……」
ゼクスは、私の顔をじっと見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
「君は、世界で一番美しくて、残酷な『元婚約者』を演じ切るんだ。……私が、そのパートナーを務めてやる」
「……。……あんた、本当に……」
心臓の音がうるさくて、彼の言葉が途切れ途切れにしか聞こえない。
自由への決戦の舞台は、煌びやかな王宮の舞踏会場に決まった。
「……いいわ。ヴィルフレド殿下。あんたの用意した晩餐、皿ごとひっくり返して差し上げますわ!」
私たちは、三日後の決戦に向けて、固く、固くハイタッチを交わした。
物理的に窓を全開にして一晩中換気したせいでもあるが、何より、あの木彫り人形が(物理的に)沈黙したことが大きかった。
私は、お気に入りの部屋着でテラスに出ると、庭で素振りをしているゼクスの背中を眺めた。
「……おはようございます、ゼクス様。今朝は一段と、剣筋に迷いがありませんわね」
「……。メリーか。……ああ。守るべきものが明確になれば、剣は自ずと鋭くなる」
ゼクスは剣を鞘に収めると、私の方を振り返った。その視線は以前よりもずっと真っ直ぐで、私は不覚にも目を逸らしてしまった。
「……そ、そうですか。それは重畳ですわね。……ところで、リリアーナは?」
「『お腹が空いて、自分の指がパンに見えてきた』と言って、キッチンでマーサに泣きついていたぞ。……全く、あの子はどこまで行っても食欲の化身だな」
「……。……あんたが甘やかすから、あんな大食いヒロインになってしまったんですのよ」
私たちがそんな軽口を叩き合っていた時だった。
カッカッカッ、と、整然とした馬の足音が別荘の門へと近づいてきた。
現れたのは、王宮の正装に身を包んだ、見るからに位の高そうな使者だった。
「……来たか」
ゼクスが私の前に立ち、警戒の色を強める。
使者は馬を降りると、仰々しく一枚の封筒を取り出した。
「王太子ヴィルフレド殿下より、メリー・ローズ様、ならびに……そこにいらっしゃるであろうリリアーナ・男爵令嬢へ、命を預かって参りました」
使者は、テラスに隠れていたリリアーナを鋭く見遣った。リリアーナは口にクロワッサンを咥えたまま、固まっている。
「命……? なんですの、それ」
私は、ゼクスの背後から身を乗り出した。
「三日後、王宮にて『王太子殿下との和解と祝福の舞踏会』を開催する。両名とも、正装にて出席せよ。……もし拒むのであれば、侯爵家への厳しい処罰、ならびにゼクス・アシュフィールドの解任も辞さない、とのことであります」
「「…………!!」」
静寂が走る。
「……卑怯ですわ。私を人質にするならまだしも、ゼクス様まで巻き込むなんて」
リリアーナが、クロワッサンを飲み込み、憤慨して叫んだ。
「……和解と祝福、か。殿下の辞書には『強要』という言葉はないらしいな」
ゼクスが、苦々しげに吐き捨てた。
使者は、私たちの反応を待たずに馬に乗ると、最後にこう言い残して去っていった。
「殿下は仰せでした。『メリー、君の用意したカレーは、僕というメインディッシュの前の前菜に過ぎない。舞踏会で、僕という名の最高級の晩餐を味わわせてあげよう』……と」
「……。……。……吐いてもよろしいかしら?」
私は、思わず手すりを掴んで身をよじった。
「お姉様、耐えてください! ここで倒れたら殿下の思うツボですわ!」
リリアーナが私の背中をさするが、彼女の顔もどこか青ざめている。
「……ゼクス様。どうしましょうか。これ、行かないわけには……」
私は、不安な気持ちでゼクスを見上げた。
ゼクスはしばらく沈黙していたが、やがて私の肩を力強く掴んだ。
「……行くしかないだろうな。……だが、ただ行くだけではない」
「……え?」
「殿下が『晩餐』を自称するなら、こちらは『劇物』を用意するまでだ。……メリー、リリアーナ嬢。三日間、私の猛特訓に耐えてもらうぞ」
「……。……特訓? 舞踏会の練習ですの?」
「いや。殿下の妄想を粉砕し、全貴族の前で『婚約破棄』を確定させるための、完璧な演技の特訓だ。……リリアーナ嬢、君は食欲を抑えて『儚げな被害者』を二十四時間演じ続けろ。メリー、君は……」
ゼクスは、私の顔をじっと見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
「君は、世界で一番美しくて、残酷な『元婚約者』を演じ切るんだ。……私が、そのパートナーを務めてやる」
「……。……あんた、本当に……」
心臓の音がうるさくて、彼の言葉が途切れ途切れにしか聞こえない。
自由への決戦の舞台は、煌びやかな王宮の舞踏会場に決まった。
「……いいわ。ヴィルフレド殿下。あんたの用意した晩餐、皿ごとひっくり返して差し上げますわ!」
私たちは、三日後の決戦に向けて、固く、固くハイタッチを交わした。
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