婚約を破棄する!と言われた私と、裏でハイタッチするヒロイン。

萩月

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「……メ、メリー! 今、僕に向かって『お花畑』と言ったのか!? この、僕という完璧な造形を持つ王太子に対して!」


ヴィルフレド王子は、驚愕のあまり自分の頬を叩き、それが夢ではないことを確認すると、わなわなと指を震わせた。


周囲の貴族たちは、息を呑んでこの光景を見守っている。誰もが「メリー・ローズは正気か?」という目で見ているが、私の隣に立つゼクスだけは、楽しげに口角を上げていた。


「ええ、何度でも申し上げますわ。殿下。貴方の脳内は、春の陽気に誘われた蝶々が舞い踊るほどにおめでたい仕様ですわね。私の謹慎理由を『愛ゆえの拉致』だなんて、どの三流小説にも書けませんわよ」


「嘘だ! 君は僕を愛しているはずだ! でなければ、あんな刺激的な香りの秘薬(カレー)を僕に献上するはずがない!」


「……あれは、ただの夕食ですわ」


私は、扇をバサリと広げて鼻を鳴らした。


「殿下。貴方の隣にいることに、私がどれほど吐き気を催していたか……いいえ、退屈していたか、想像もつきませんでしょう? 毎日毎日、鏡の中の自分に語りかける貴方の背中を見て、私は『この国の将来、大丈夫かしら』と、税金の使い道を心配しておりましたのよ」


「な、ななな……不敬だぞ! おい、ゼクス! 何を黙っている! この不敬な女を今すぐ捕らえろ!」


王子の叫びに、ゼクスが一歩前に出た。


だが、彼は私の手を取ったまま、深々と頭を下げた。


「――お断りいたします、殿下。私は、メリー嬢の仰ることに全面的に同意しておりますので」


「……は?」


ヴィルフレドの口が、マヌケなほど大きく開いた。


「私は監視役として彼女に同行して参りましたが、そこで見たのは、自立した女性の強さと、親友を思う深い慈しみ、そして……殿下の歌声に対する、あまりにも正当な拒絶反応でした」


ゼクスは、冷徹な瞳で王子を射抜いた。


「殿下。貴方が『拉致された』と仰るリリアーナ嬢の、今の姿をよくご覧ください。彼女が本当に、メリー嬢を恐れているように見えますか?」


リリアーナが、タイミングを見計らったように、フラフラと私の肩に寄り添った。


「殿下……。私は、お姉様と過ごしたあの日々で、初めて『真の安らぎ』を知りましたわ……。お姉様が剥いてくださった(削り取られた)ジャガイモの欠片……あれこそが、私の乾いた心に潤いを与えてくれたのです……」


(……リリアーナ、それだとなんか貧相な食事を強制されてたみたいに聞こえますわよ)


「殿下にお会いするのが……怖くて、怖くて……。あの方の、音程の迷子になったような歌声が、今も耳の奥で爆発しておりますの……! うっ、ううっ……!」


リリアーナが、私の胸に顔を埋めて激しく肩を震わせる。周囲からは「なんということだ」「あの可憐なリリアーナ様が、そこまで追い詰められて……」「王子の歌声、確かに壁を貫通して聞こえてくるしな……」という同情の声が漏れ始めた。


ヴィルフレドは、初めて自分の「絶対的な支持」が揺らいでいることに気づき、顔を真っ青にした。


「ば、馬鹿な……。僕の歌は、天界の音楽だと……鏡の中の僕は絶賛してくれていたのに……!」


「鏡は嘘を吐きませんわ。ただ、貴方の都合のいい幻覚を映し出していただけですわ、殿下」


私は一歩踏み出し、王子の鼻先に扇を突きつけた。


「今日、この場を持って、私は貴方との関係を完全に、永久に断たせて頂きますわ。私は『悪役令嬢』として追放されるのを、心から喜んで受け入れます。……さあ、リリアーナ。行きましょう」


「……待て、メリー! 行かせるものか! 僕を置いて、どこへ行くというんだ!」


「どこへでも。貴方の声が届かない、静かで、美味しいカレーがある場所へ!」


私は、ゼクスの腕をギュッと引き寄せた。


「ゼクス様。……行きましょう。私、もうこの部屋のキラキラした粉で、くしゃみが止まりませんの」


「ああ、行こう。……殿下。私は本日を持って、近衛騎士の座を辞任いたします。……これからは、一人の女性の『自由』を守るための剣となります」


ゼクスはそう言い捨てると、混乱する会場を背に、私とリリアーナを連れて堂々と歩き出した。


背後でヴィルフレドが「待ってくれ! せめて最後にもう一曲……! 新曲『別れのスパイス』をーー!!」と叫んでいたが、私たちは一度も振り返らなかった。


扉を抜けた瞬間。


夜風が私たちの頬を撫で、どこからか、本当の静寂が降りてきた。
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