バッドエンドなんて一秒もいりませんわ!婚約破棄されても。

萩月

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「右だ。違う、それは左だ。ジョアン、貴様は戦場なら三回は死んでいるぞ」


ギルバート様の低く冷徹な声が、別荘のテラスに響き渡った。
夕闇の中、私たちは手を取り合い、音楽のないダンスを踊っている。


「……ひ、酷いですわ! これはダンスであって行軍ではありませんのよ? だいたい、ギルバート様。あなたのリードが硬すぎて、まるで鉄柱と一緒に回っている気分ですわ!」


「……鉄柱だと? 俺は貴様の体幹のなさを補っているだけだ。ほら、また足が止まっている。次はワルツの三歩目だ。……踏み込め!」


「はいっ!!」


私は反射的に、軍隊のような返事をしてしまった。
彼の手に引かれ、無理やりステップを踏まされる。
しかし、あまりの勢いに私の足元がもつれ――。


「あだっ!!」


鈍い感触とともに、私のヒールがギルバート様の軍靴を思い切り踏みつけた。


「……。……。……」


ギルバート様はぴたりと動きを止め、無言で私を見下ろした。
その顔は、今にも暗殺者を処刑する直前の死神のように恐ろしい。


「……す、すみません。今のは不可抗力と言いますか、重力のいたずらと言いますか……。痛かったですわよね?」


「……。……。……問題ない。俺の靴は鉄板入りだ」


「……鉄板入りの靴でダンスを踊る人がどこにいますのよ!? 私の足の指がハッピーエンドを迎える前に、粉砕されてしまいますわ!」


私は手を振り払い、その場にしゃがみ込んだ。
ネルが遠くから「お嬢様、優雅さが一ミリもありませんよ」と冷ややかな声を投げかけてくる。


「……ジョアン。夜会は戦場だ。エドワード王子やあの男爵令嬢が、貴様の失態を虎視眈々と狙っているのだろう? そんな腑抜けたステップで、ハッピーエンドが掴めると思っているのか」


ギルバート様が、私の前に大きな手を差し出した。
その言葉は厳しいが、瞳の奥には奇妙な熱が宿っている。


「……掴めますわよ。私はいつだって、泥臭く勝利をもぎ取ってきましたもの。でも、ダンスくらいは、こう……ふわふわとした、夢のような時間にしたかったんですの」


「……。……ふわふわ、か」


ギルバート様は眉間に深い皺を寄せ、宇宙の真理でも解き明かすかのような深刻な顔をした。
それから、ふっと溜息をつく。


「……わかった。次は、貴様の『ふわふわ』に合わせてやる。……もう一度だ」


彼は再び私の腰に手を添えた。
今度は、先ほどのような鉄の拘束ではない。
包み込むような、けれど決して揺るがない、不思議な安心感。


「……あら。……急に優しくなりましたわね。甘いものでも隠し持っていますの?」


「……茶化すな。集中しろ」


ゆっくりと、音楽が聞こえてくるような滑らかな動き。
彼のリードに従えば、私はまるで雲の上を歩いているような錯覚に陥った。
怖い顔の大将軍と、婚約破棄された令嬢。
端から見れば奇妙な光景だろうけれど、今の私には、この不器用な優しさが何より心地よかった。


「……ギルバート様。あなた、意外とダンスがお上手なんですのね。王宮の令嬢たちが、あなたを怖がって誘わないのがもったいないくらいですわ」


「……俺は、自分が必要だと思った相手としか踊らん。……それと、この練習の報酬は、明日のフォンダンショコラだ」


「……やっぱり! 結局はチョコなんですのね!」


私は笑いながら、彼の広い胸に顔を寄せた。
彼の心臓の音が、少しだけ早く打っているのが伝わってくる。


「……ジョアン」


「なんですの?」


「……踏むなよ。……次は、絶対に踏むな」


「……努力はいたしますわ!」


テラスに二人の笑い声(と、時折ギルバート様の悶絶する声)が混ざり合い、夜の帳が下りていく。
エドワード王子がこちらへ向かっていることも知らずに、私たちはただ、自分たちのステップを刻み続けていた。
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