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「……おい、この予算申請書の承認印はどこだ。ジョアンなら、私が席に着く前に用意してあったぞ!」
エドワード王子の怒声が、静かな執務室に響き渡った。
控えていた文官は、怯えながらも淡々と答える。
「……殿下。ジョアン様はもう、一週間以上前にお出ましになられました。現在の担当はマリア様ですが……」
「マリアだと? 彼女はどこにいる!」
「……『字が細かくて頭が痛くなるから、お庭でお花とお喋りしてくる』と仰って、三時間前に中庭へ……」
エドワードは、持っていた羽根ペンをへし折った。
マリアの可愛らしさは、確かに彼の心を癒やした。だが、癒やしだけでは国は回らない。
ジョアンがいた頃、彼は自分のことを「有能な次期国王」だと思い込んでいたが、実際は彼女が裏で完璧にレールを敷いていただけだったのだ。
「くそっ、どいつもこいつもジョアン、ジョアンと……! あんな可愛げのない、ジャガイモみたいな女のどこがいいんだ!」
「失礼いたします、殿下。……街の社交界で、少し不穏な噂が流れておりまして」
側近の一人が、困り顔で入室してきた。
エドワードは苛立たしげに顎をしゃくった。
「噂? どうせ私の婚約破棄を揶揄する内容だろう。放っておけ」
「いえ、それが……療養中のはずのジョアン様が、南の別荘近くの市場で、屈強な騎士風の男と仲睦まじくクレープを分け合っていたという目撃情報が」
「……は?」
エドワードの動きが止まった。
クレープ。分け合う。屈強な、男。
「……聞き間違いか? ジョアンは今、ショックで寝込み、生死の境を彷徨っているはずだろう。公爵がそう言っていた!」
「ですが、目撃者によれば、ジョアン様はこれ以上ないほどの満面の笑みで『ハッピー!』と叫びながら、その男に食べさせてあげていたとか……」
「『あーん』か!? ジョアンが男に『あーん』をしたというのか!!」
エドワードは机を叩いて立ち上がった。
彼の中で、ジョアンは自分に捨てられて、一生暗い部屋で泣き暮らす存在でなければならなかった。
それが、自分も知らないような「騎士」と、自分の前では見せたこともない「満面の笑み」でクレープを食べている?
「ありえん! あんな鉄面皮な女に、そんな浮ついた真似ができるはずがない! ……その男は誰だ! どこの馬の骨だ!」
「それが……顔が恐ろしくて誰も近づけず、正体は不明とのことです。ただ、ジョアン様はその男を『ギル様』と呼んでいたそうで……」
「ギル……様だと……?」
エドワードの脳内に、得体の知れない嫉妬という名の業火が燃え広がった。
自分を「エドワード殿下」と硬い敬称で呼んでいた彼女が、どこの誰とも知れぬ男を愛称で呼んでいる。
「……殿下、あ、あの、お顔が怖いです」
「……うるさい! ジョアンは私の婚約者だった女だ。他国へ情報が漏洩するのを防ぐためにも、その男の正体を突き止め、ジョアンを保護しなければならん!」
(そうだ、これは国家安全保障の問題だ。決して、彼女が他の男と幸せそうにしているのが許せないわけではない!)
エドワードは自分にそう言い聞かせたが、握りしめた拳は小刻みに震えていた。
そこへ、機嫌の悪そうなマリアが部屋に入ってくる。
「エドワード様ぁ! 聞いてくださいませ! さっきの噂、本当なんですの? ジョアン様、男の人と駆け落ち同然のことをしてらっしゃるなんて、やっぱりあの方は不潔な悪役令嬢だったんですわ!」
マリアの言葉は、火に油を注ぐだけだった。
「不潔……? ……そうだ。私の名誉を守るためにも、ジョアンを連れ戻し、真実を問い質さねばならん。……マリア、視察の準備をしろ! 南へ向かうぞ!」
「ええっ!? あんな田舎に行くんですの!? 嫌ですわ、お肌が荒れます!」
「嫌なら置いていく! 私は明日、出発する!」
エドワードの瞳には、かつてないほどの執念が宿っていた。
彼はまだ気づいていない。
自分から投げ捨てたはずの「悪役令嬢」が、今や自分にとってどれほど替えの利かない、そして「他人に渡したくない」存在になっていたのかを。
「待っていろ、ジョアン……! その『ギル』とかいう男から、必ず貴様を……!」
勘違いした王子が、いよいよ南の地へと牙を剥き始めた。
一方、その頃のジョアンは、ギルバートに「美味しいアップルパイの食べ方」を熱弁しており、王子のことなど一ミリも思い出してはいなかった。
エドワード王子の怒声が、静かな執務室に響き渡った。
控えていた文官は、怯えながらも淡々と答える。
「……殿下。ジョアン様はもう、一週間以上前にお出ましになられました。現在の担当はマリア様ですが……」
「マリアだと? 彼女はどこにいる!」
「……『字が細かくて頭が痛くなるから、お庭でお花とお喋りしてくる』と仰って、三時間前に中庭へ……」
エドワードは、持っていた羽根ペンをへし折った。
マリアの可愛らしさは、確かに彼の心を癒やした。だが、癒やしだけでは国は回らない。
ジョアンがいた頃、彼は自分のことを「有能な次期国王」だと思い込んでいたが、実際は彼女が裏で完璧にレールを敷いていただけだったのだ。
「くそっ、どいつもこいつもジョアン、ジョアンと……! あんな可愛げのない、ジャガイモみたいな女のどこがいいんだ!」
「失礼いたします、殿下。……街の社交界で、少し不穏な噂が流れておりまして」
側近の一人が、困り顔で入室してきた。
エドワードは苛立たしげに顎をしゃくった。
「噂? どうせ私の婚約破棄を揶揄する内容だろう。放っておけ」
「いえ、それが……療養中のはずのジョアン様が、南の別荘近くの市場で、屈強な騎士風の男と仲睦まじくクレープを分け合っていたという目撃情報が」
「……は?」
エドワードの動きが止まった。
クレープ。分け合う。屈強な、男。
「……聞き間違いか? ジョアンは今、ショックで寝込み、生死の境を彷徨っているはずだろう。公爵がそう言っていた!」
「ですが、目撃者によれば、ジョアン様はこれ以上ないほどの満面の笑みで『ハッピー!』と叫びながら、その男に食べさせてあげていたとか……」
「『あーん』か!? ジョアンが男に『あーん』をしたというのか!!」
エドワードは机を叩いて立ち上がった。
彼の中で、ジョアンは自分に捨てられて、一生暗い部屋で泣き暮らす存在でなければならなかった。
それが、自分も知らないような「騎士」と、自分の前では見せたこともない「満面の笑み」でクレープを食べている?
「ありえん! あんな鉄面皮な女に、そんな浮ついた真似ができるはずがない! ……その男は誰だ! どこの馬の骨だ!」
「それが……顔が恐ろしくて誰も近づけず、正体は不明とのことです。ただ、ジョアン様はその男を『ギル様』と呼んでいたそうで……」
「ギル……様だと……?」
エドワードの脳内に、得体の知れない嫉妬という名の業火が燃え広がった。
自分を「エドワード殿下」と硬い敬称で呼んでいた彼女が、どこの誰とも知れぬ男を愛称で呼んでいる。
「……殿下、あ、あの、お顔が怖いです」
「……うるさい! ジョアンは私の婚約者だった女だ。他国へ情報が漏洩するのを防ぐためにも、その男の正体を突き止め、ジョアンを保護しなければならん!」
(そうだ、これは国家安全保障の問題だ。決して、彼女が他の男と幸せそうにしているのが許せないわけではない!)
エドワードは自分にそう言い聞かせたが、握りしめた拳は小刻みに震えていた。
そこへ、機嫌の悪そうなマリアが部屋に入ってくる。
「エドワード様ぁ! 聞いてくださいませ! さっきの噂、本当なんですの? ジョアン様、男の人と駆け落ち同然のことをしてらっしゃるなんて、やっぱりあの方は不潔な悪役令嬢だったんですわ!」
マリアの言葉は、火に油を注ぐだけだった。
「不潔……? ……そうだ。私の名誉を守るためにも、ジョアンを連れ戻し、真実を問い質さねばならん。……マリア、視察の準備をしろ! 南へ向かうぞ!」
「ええっ!? あんな田舎に行くんですの!? 嫌ですわ、お肌が荒れます!」
「嫌なら置いていく! 私は明日、出発する!」
エドワードの瞳には、かつてないほどの執念が宿っていた。
彼はまだ気づいていない。
自分から投げ捨てたはずの「悪役令嬢」が、今や自分にとってどれほど替えの利かない、そして「他人に渡したくない」存在になっていたのかを。
「待っていろ、ジョアン……! その『ギル』とかいう男から、必ず貴様を……!」
勘違いした王子が、いよいよ南の地へと牙を剥き始めた。
一方、その頃のジョアンは、ギルバートに「美味しいアップルパイの食べ方」を熱弁しており、王子のことなど一ミリも思い出してはいなかった。
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