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「――だから! 僕は寛大な心で言っているんだぞ、ミナ! 過去のことは水に流して、僕の元に戻ってこいと言っているんだ!」
応接室のソファ。
ジュリアン殿下は、一杯金貨一枚(時価)の紅茶を前に、顔を真っ赤にして喚いていた。
対する私は、優雅にカップを傾けながら、心の中で「そろそろ延長料金が発生しますね」と計算していた。
「ジュリアン殿下。先ほどから『水に流して』と仰いますが、貴方が流そうとしているのは『汚水』レベルの過去ですよ。
環境汚染になりますので、自国で処理してください」
「なっ……! 汚水だと!? 僕との美しい思い出を!」
「美しい思い出? ああ、私が貴方の代わりに書類を片付けている横で、貴方が『暇だ、リリアと遊びたい』と駄々をこねていた記憶のことですか?
確かに、あの時の貴方の『無能ぶり』は、ある意味で芸術的でしたわ」
「ぐぬぬ……ッ!」
ジュリアン殿下が言葉に詰まる。
すると、隣でケーキを頬張っていたリリアが、クリームを口につけたまま参戦した。
「そうですよ、ジュリアン様!
ミナ様に戻ってきてほしいなら、まずはその『上から目線』を直すべきです!
今のジュリアン様は、泥舟の船長が『乗せてやるから感謝しろ』って言ってるようなものですもん。
私なら絶対に乗らないで、浮き輪で逃げます!」
「リ、リリア……! 君はどっちの味方なんだ!」
「私は正義とイケメンの味方です! つまり、ミナ様とカイル殿下の味方です!」
リリアがキッパリと言い放つ。
清々しいほどの裏切りである。
ジュリアン殿下はプルプルと震え、助けを求めるようにカイル殿下を見た。
「カイル王子! 貴様も何か言ったらどうだ!
ずっと黙って……置物のように座りやがって!
ミナもミナだ! こんな何ごとも自分で決められない、言葉も発せない『欠陥品』のどこがいいんだ!」
……ピキッ。
私の頭の中で、何かが切れる音がした。
私を侮辱するのは構わない。慣れているし、倍にして言い返せるからだ。
だが、カイル殿下を侮辱することだけは、万死に値する。
私は扇を閉じ、ジュリアン殿下の眉間に向かって投げつける準備をした。
……その時だった。
「……訂正しろ」
「え?」
低く、地を這うような、しかし凛とした声が部屋に響いた。
私の声ではない。
ジュリアン殿下でも、リリアでもない。
カイル殿下が、ゆっくりと顔を上げていた。
その紺色の瞳は、怒りに燃えているというよりは、絶対零度の冷徹さでジュリアン殿下を射抜いている。
「訂正しろ、と言ったのだ。ジュリアン」
「しゃ、喋った……!?」
ジュリアン殿下が腰を抜かさんばかりに驚く。
カイル殿下は、滑らかな動きで立ち上がると、テーブルを挟んでジュリアン殿下を見下ろした。
「私は『欠陥品』でもなければ、何も決められないわけでもない。
……ただ、選んでいたのだ」
「な、何を……」
「言葉を、だ。
私の思考は、お前のような浅はかなものとは違う。
一つの言葉を発するのに、数千の可能性を考慮し、最適解を探している。
だから時間がかかる。それだけのことだ」
カイル殿下が一歩踏み出す。
その威圧感に、ジュリアン殿下がソファの背もたれに張り付く。
「だが、今は違う。
お前に対して選ぶべき言葉は、迷うまでもなく一つしかない」
カイル殿下は、私の肩を力強く抱き寄せた。
そして、部屋の空気を震わせるほどの、はっきりとした声で宣言した。
「――私の『通訳官』に、二度と触れるな。
彼女は道具ではない。私の……私の、心そのものだ」
「……!!」
時が止まったようだった。
ジュリアン殿下は口をパクパクさせ、リリアは「きゃーーっ!」と無言で悶絶している。
そして私は、カイル殿下の「肉声」の破壊力に、全身の血が沸騰するのを感じていた。
(……殿下。今の言葉、録音していなかったのが一生の不覚ですわ)
「彼女を侮辱することは、レオンハルト王国への宣戦布告と見なす。
そして、私個人への最大の挑発だ。
……死にたくなければ、今すぐ消えろ」
「ひっ……ひぃぃッ!!」
ジュリアン殿下は、完全に戦意を喪失した。
彼は転がるようにソファから飛び降り、出口へと走った。
「お、覚えてろよ! リリア、帰るぞ!」
「えーっ、もう帰るんですか? ケーキまだ残ってるのに!
……あ、ミナ様! また手紙書きますね! カイル殿下、最高でした!」
リリアは残りのケーキを一口で詰め込むと、嵐のように去っていった。
静寂が戻った応接室。
カイル殿下は、私の肩を抱いたまま、大きく肩で息をした。
顔を見ると、耳まで真っ赤に染まっている。
「……(……言った。言ってしまった……)」
殿下はガックリと私の肩に額を預けてきた。
どうやら、一生分の勇気を使い果たしたらしい。
「……殿下」
「……」
「最高でしたよ。
『私の心そのもの』だなんて……。
今の言葉には、どんな名文句も敵いません。
私の超訳も、今日だけは廃業です」
私は殿下の背中に手を回し、優しくポンポンと叩いた。
震える殿下の体温が、愛おしくてたまらない。
「……ミナ」
殿下が、私の肩に顔を埋めたまま、ボソリと呟いた。
「……喉が、渇いた」
「ふふ、そうでしょうね。あれだけカッコよく啖呵を切ったんですもの。
とびきり甘い紅茶を淹れますわ。
……もちろん、私からの『愛』という名の砂糖をたっぷり入れて」
カイル殿下は、私の服で顔を隠したまま、コクコクと小さく頷いた。
元婚約者撃退完了。
そして、私の王子様は、ついに「氷」の殻を自ら打ち破ったのだ。
応接室のソファ。
ジュリアン殿下は、一杯金貨一枚(時価)の紅茶を前に、顔を真っ赤にして喚いていた。
対する私は、優雅にカップを傾けながら、心の中で「そろそろ延長料金が発生しますね」と計算していた。
「ジュリアン殿下。先ほどから『水に流して』と仰いますが、貴方が流そうとしているのは『汚水』レベルの過去ですよ。
環境汚染になりますので、自国で処理してください」
「なっ……! 汚水だと!? 僕との美しい思い出を!」
「美しい思い出? ああ、私が貴方の代わりに書類を片付けている横で、貴方が『暇だ、リリアと遊びたい』と駄々をこねていた記憶のことですか?
確かに、あの時の貴方の『無能ぶり』は、ある意味で芸術的でしたわ」
「ぐぬぬ……ッ!」
ジュリアン殿下が言葉に詰まる。
すると、隣でケーキを頬張っていたリリアが、クリームを口につけたまま参戦した。
「そうですよ、ジュリアン様!
ミナ様に戻ってきてほしいなら、まずはその『上から目線』を直すべきです!
今のジュリアン様は、泥舟の船長が『乗せてやるから感謝しろ』って言ってるようなものですもん。
私なら絶対に乗らないで、浮き輪で逃げます!」
「リ、リリア……! 君はどっちの味方なんだ!」
「私は正義とイケメンの味方です! つまり、ミナ様とカイル殿下の味方です!」
リリアがキッパリと言い放つ。
清々しいほどの裏切りである。
ジュリアン殿下はプルプルと震え、助けを求めるようにカイル殿下を見た。
「カイル王子! 貴様も何か言ったらどうだ!
ずっと黙って……置物のように座りやがって!
ミナもミナだ! こんな何ごとも自分で決められない、言葉も発せない『欠陥品』のどこがいいんだ!」
……ピキッ。
私の頭の中で、何かが切れる音がした。
私を侮辱するのは構わない。慣れているし、倍にして言い返せるからだ。
だが、カイル殿下を侮辱することだけは、万死に値する。
私は扇を閉じ、ジュリアン殿下の眉間に向かって投げつける準備をした。
……その時だった。
「……訂正しろ」
「え?」
低く、地を這うような、しかし凛とした声が部屋に響いた。
私の声ではない。
ジュリアン殿下でも、リリアでもない。
カイル殿下が、ゆっくりと顔を上げていた。
その紺色の瞳は、怒りに燃えているというよりは、絶対零度の冷徹さでジュリアン殿下を射抜いている。
「訂正しろ、と言ったのだ。ジュリアン」
「しゃ、喋った……!?」
ジュリアン殿下が腰を抜かさんばかりに驚く。
カイル殿下は、滑らかな動きで立ち上がると、テーブルを挟んでジュリアン殿下を見下ろした。
「私は『欠陥品』でもなければ、何も決められないわけでもない。
……ただ、選んでいたのだ」
「な、何を……」
「言葉を、だ。
私の思考は、お前のような浅はかなものとは違う。
一つの言葉を発するのに、数千の可能性を考慮し、最適解を探している。
だから時間がかかる。それだけのことだ」
カイル殿下が一歩踏み出す。
その威圧感に、ジュリアン殿下がソファの背もたれに張り付く。
「だが、今は違う。
お前に対して選ぶべき言葉は、迷うまでもなく一つしかない」
カイル殿下は、私の肩を力強く抱き寄せた。
そして、部屋の空気を震わせるほどの、はっきりとした声で宣言した。
「――私の『通訳官』に、二度と触れるな。
彼女は道具ではない。私の……私の、心そのものだ」
「……!!」
時が止まったようだった。
ジュリアン殿下は口をパクパクさせ、リリアは「きゃーーっ!」と無言で悶絶している。
そして私は、カイル殿下の「肉声」の破壊力に、全身の血が沸騰するのを感じていた。
(……殿下。今の言葉、録音していなかったのが一生の不覚ですわ)
「彼女を侮辱することは、レオンハルト王国への宣戦布告と見なす。
そして、私個人への最大の挑発だ。
……死にたくなければ、今すぐ消えろ」
「ひっ……ひぃぃッ!!」
ジュリアン殿下は、完全に戦意を喪失した。
彼は転がるようにソファから飛び降り、出口へと走った。
「お、覚えてろよ! リリア、帰るぞ!」
「えーっ、もう帰るんですか? ケーキまだ残ってるのに!
……あ、ミナ様! また手紙書きますね! カイル殿下、最高でした!」
リリアは残りのケーキを一口で詰め込むと、嵐のように去っていった。
静寂が戻った応接室。
カイル殿下は、私の肩を抱いたまま、大きく肩で息をした。
顔を見ると、耳まで真っ赤に染まっている。
「……(……言った。言ってしまった……)」
殿下はガックリと私の肩に額を預けてきた。
どうやら、一生分の勇気を使い果たしたらしい。
「……殿下」
「……」
「最高でしたよ。
『私の心そのもの』だなんて……。
今の言葉には、どんな名文句も敵いません。
私の超訳も、今日だけは廃業です」
私は殿下の背中に手を回し、優しくポンポンと叩いた。
震える殿下の体温が、愛おしくてたまらない。
「……ミナ」
殿下が、私の肩に顔を埋めたまま、ボソリと呟いた。
「……喉が、渇いた」
「ふふ、そうでしょうね。あれだけカッコよく啖呵を切ったんですもの。
とびきり甘い紅茶を淹れますわ。
……もちろん、私からの『愛』という名の砂糖をたっぷり入れて」
カイル殿下は、私の服で顔を隠したまま、コクコクと小さく頷いた。
元婚約者撃退完了。
そして、私の王子様は、ついに「氷」の殻を自ら打ち破ったのだ。
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