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アイゼンベルク近郊、高級宿場町の一室。
セドリック皇太子は、届けられた一通の封筒を手に、彫刻のように固まっていました。
その封筒には、王都では嗅いだこともないような、あまりにも強烈なスミレの残り香が漂っています。
「……殿下? どうかなさいましたか? 顔色が、茹で上がったタコのように真っ赤ですが」
隣でティーカップを傾けていたリリアンが、不思議そうに彼を覗き込みました。
「リ、リリアン……。これを見ろ。……ローズマリーからだ。あの中央から追放された、厚顔無恥な女からの手紙だぞ!」
「あら。ローズマリー様から? 私ではなく、殿下に届いたのですか?」
リリアンの瞳がわずかに細まりました。
セドリックは、震える手で手紙の冒頭を指し示しました。
「見てみろ、この宛名を!『最愛なる、光の結晶様へ』だぞ!? この国で『光』と言えば、王家の血を引くこの私に決まっているだろう! しかも『最愛』だと……。あいつ、あんなに潔く婚約破棄を受け入れたくせに、やはり私への未練を断ち切れていなかったのだな!」
セドリックは、嫌悪感を示しながらも、その口角はどこか得意げに上がっていました。
男という生き物は、自分を熱烈に愛している(と勘違いした)女性の存在を、心のどこかで誇らしく思ってしまうものです。
「……光の結晶、ですか。殿下、その続きを読んでみてもよろしいかしら?」
リリアンが手紙をひったくるようにして奪い取り、内容を速読しました。
そこには『白磁のようなうなじ』『完璧なカーブを描く上唇』『左目の下の泣きぼくろ』という、具体的すぎる称賛の嵐が吹き荒れていました。
「……殿下」
「なんだ、リリアン。やはりあいつの愛の重さに、君も戦慄しているか?」
「殿下には、うなじに白磁のような透明感がありますの? それに、殿下の左目の下に泣きぼくろなんてありましたかしら? ……あ、鼻の横に小さなニキビならありますけれど」
「ニキビ!? ……な、ない! そんなものは断じてない! ……だが、そうか。泣きぼくろか。……これは比喩だろう。私の瞳が涙を流しているように美しい、という意味の……」
「いいえ。殿下、これはどう見ても――」
リリアンは手紙を窓の光に透かし、自分の頬を指差しました。
「私のことを言っていますわ。この『上唇の完璧なカーブ』という記述、以前ローズマリー様が私の目の前で三時間ほど熱弁されていた内容と一言一句違わな……いえ、さらに語彙が増えていますけれど」
セドリックは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まりました。
「な……。リリアン、君に? そんな馬鹿な。あいつは私の婚約者だったのだぞ! 愛の言葉を贈る相手を、間違えるはずが――」
「いいえ、殿下。ローズマリー様は間違えてなどいませんわ。おそらく、配達の兵士が『リリアン様への手紙』を『皇太子一行への手紙』と混同して、代表者である殿下に渡してしまっただけですわ」
リリアンの声には、確信に近い響きがありました。
彼女は手紙をぎゅっと胸に抱き寄せ、どこか誇らしげに微笑みました。
「『凍てつく石の牢獄より、貴女の美貌だけを糧に生き延びている』……。ふふ、ローズマリー様らしい、なんて不器用で情熱的な言葉かしら」
「……リリアン。なぜ君が、あんな変態からの手紙を読んで嬉しそうにしているんだ。……というか、私への愛ではなかったのか? 私の『光』はどこへ行ったのだ!」
セドリックのプライドは、音を立てて崩れ去っていきました。
彼は期待していたのです。
北の果てでボロボロになったローズマリーが、自分の慈悲を乞うために泣きながらラブレターを書いてくる姿を。
しかし現実は、彼女が北の果てで「ヒロインへの愛」をさらに深め、自分を単なる「手紙の誤配先」としてしか扱っていないという事実。
「……納得いかん。リリアン、その手紙を返せ。これは公文書として没収する!」
「お断りしますわ、殿下。これは私宛の私信です。……ああ、ローズマリー様。今夜はスミレの香りに包まれて、ゆっくりお休みくださいね」
リリアンはセドリックの制止を振り切り、優雅に部屋を出て行きました。
残されたセドリックは、空中に漂うスミレの香りを虚しく掴もうとしました。
「……なんなんだ。この三角関係は……。私がローズマリーを追い出し、リリアンを手に入れたはずなのに。なぜ私が、二人から除け者にされているような気分になるんだ!?」
一方、そんな修羅場が展開されているとは夢にも思わない私は、修道院の食堂で、目の前の光景に絶叫していました。
「司祭様! その髭! その左右非対称な髭のせいで、貴方の素晴らしいはずの骨格が完全に殺されていますわ! 今すぐ、右側を三ミリカットさせてください! それだけで貴方は『深みのある美おじさま』に昇華できるんですのよ!」
「……。ローズマリー嬢、修行の邪魔だ。私は今、沈黙の行をしている最中なのだ」
「沈黙していても髭は伸びますわ! 美しさに休息はないのです!」
私は、追いかけてくるカトリーヌ様とアンから逃げ回りながら、司祭様の髭にハサミを突き立てようと奮闘していました。
王都から「光の結晶」を巡る勘違い軍団が近づいていることも知らず、私の「修道院美化計画」は着々と、そして暴力的なまでの情熱を持って進められていたのでした。
セドリック皇太子は、届けられた一通の封筒を手に、彫刻のように固まっていました。
その封筒には、王都では嗅いだこともないような、あまりにも強烈なスミレの残り香が漂っています。
「……殿下? どうかなさいましたか? 顔色が、茹で上がったタコのように真っ赤ですが」
隣でティーカップを傾けていたリリアンが、不思議そうに彼を覗き込みました。
「リ、リリアン……。これを見ろ。……ローズマリーからだ。あの中央から追放された、厚顔無恥な女からの手紙だぞ!」
「あら。ローズマリー様から? 私ではなく、殿下に届いたのですか?」
リリアンの瞳がわずかに細まりました。
セドリックは、震える手で手紙の冒頭を指し示しました。
「見てみろ、この宛名を!『最愛なる、光の結晶様へ』だぞ!? この国で『光』と言えば、王家の血を引くこの私に決まっているだろう! しかも『最愛』だと……。あいつ、あんなに潔く婚約破棄を受け入れたくせに、やはり私への未練を断ち切れていなかったのだな!」
セドリックは、嫌悪感を示しながらも、その口角はどこか得意げに上がっていました。
男という生き物は、自分を熱烈に愛している(と勘違いした)女性の存在を、心のどこかで誇らしく思ってしまうものです。
「……光の結晶、ですか。殿下、その続きを読んでみてもよろしいかしら?」
リリアンが手紙をひったくるようにして奪い取り、内容を速読しました。
そこには『白磁のようなうなじ』『完璧なカーブを描く上唇』『左目の下の泣きぼくろ』という、具体的すぎる称賛の嵐が吹き荒れていました。
「……殿下」
「なんだ、リリアン。やはりあいつの愛の重さに、君も戦慄しているか?」
「殿下には、うなじに白磁のような透明感がありますの? それに、殿下の左目の下に泣きぼくろなんてありましたかしら? ……あ、鼻の横に小さなニキビならありますけれど」
「ニキビ!? ……な、ない! そんなものは断じてない! ……だが、そうか。泣きぼくろか。……これは比喩だろう。私の瞳が涙を流しているように美しい、という意味の……」
「いいえ。殿下、これはどう見ても――」
リリアンは手紙を窓の光に透かし、自分の頬を指差しました。
「私のことを言っていますわ。この『上唇の完璧なカーブ』という記述、以前ローズマリー様が私の目の前で三時間ほど熱弁されていた内容と一言一句違わな……いえ、さらに語彙が増えていますけれど」
セドリックは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まりました。
「な……。リリアン、君に? そんな馬鹿な。あいつは私の婚約者だったのだぞ! 愛の言葉を贈る相手を、間違えるはずが――」
「いいえ、殿下。ローズマリー様は間違えてなどいませんわ。おそらく、配達の兵士が『リリアン様への手紙』を『皇太子一行への手紙』と混同して、代表者である殿下に渡してしまっただけですわ」
リリアンの声には、確信に近い響きがありました。
彼女は手紙をぎゅっと胸に抱き寄せ、どこか誇らしげに微笑みました。
「『凍てつく石の牢獄より、貴女の美貌だけを糧に生き延びている』……。ふふ、ローズマリー様らしい、なんて不器用で情熱的な言葉かしら」
「……リリアン。なぜ君が、あんな変態からの手紙を読んで嬉しそうにしているんだ。……というか、私への愛ではなかったのか? 私の『光』はどこへ行ったのだ!」
セドリックのプライドは、音を立てて崩れ去っていきました。
彼は期待していたのです。
北の果てでボロボロになったローズマリーが、自分の慈悲を乞うために泣きながらラブレターを書いてくる姿を。
しかし現実は、彼女が北の果てで「ヒロインへの愛」をさらに深め、自分を単なる「手紙の誤配先」としてしか扱っていないという事実。
「……納得いかん。リリアン、その手紙を返せ。これは公文書として没収する!」
「お断りしますわ、殿下。これは私宛の私信です。……ああ、ローズマリー様。今夜はスミレの香りに包まれて、ゆっくりお休みくださいね」
リリアンはセドリックの制止を振り切り、優雅に部屋を出て行きました。
残されたセドリックは、空中に漂うスミレの香りを虚しく掴もうとしました。
「……なんなんだ。この三角関係は……。私がローズマリーを追い出し、リリアンを手に入れたはずなのに。なぜ私が、二人から除け者にされているような気分になるんだ!?」
一方、そんな修羅場が展開されているとは夢にも思わない私は、修道院の食堂で、目の前の光景に絶叫していました。
「司祭様! その髭! その左右非対称な髭のせいで、貴方の素晴らしいはずの骨格が完全に殺されていますわ! 今すぐ、右側を三ミリカットさせてください! それだけで貴方は『深みのある美おじさま』に昇華できるんですのよ!」
「……。ローズマリー嬢、修行の邪魔だ。私は今、沈黙の行をしている最中なのだ」
「沈黙していても髭は伸びますわ! 美しさに休息はないのです!」
私は、追いかけてくるカトリーヌ様とアンから逃げ回りながら、司祭様の髭にハサミを突き立てようと奮闘していました。
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