「婚約破棄? それより新作クッキーの試食をしませんか?」

萩月

文字の大きさ
14 / 28

14

しおりを挟む
王宮の晩餐会。
それは、選ばれた者だけが口にできる最高級の食材が並ぶ、贅の極みとも言える場です。

目の前には、白銀の皿に盛られた「若鶏のコンフィ・トリュフソース添え」と、水晶のような輝きを放つ「コンソメのジュレ」。
カッサン殿下は、満足げにワイングラスを傾けていました。

「見ろ、シュガー。これこそが王宮の味だ。チップが作っていたような、品のない、ただ硬いだけの焼き菓子とは次元が違う」

「……ええ。おっしゃる通りですわ、殿下」

シュガーさんは、力なくフォークを動かしました。
彼女は今、王太子の婚約者候補として、至れり尽くせりの生活を送っています。

しかし、彼女の顔色は、宝石のような料理を前にして、どこか青ざめていました。

「どうした、シュガー? 食が進まないようだが。どこか具合でも悪いのか?」

「いえ、そういうわけでは……。ただ、このソース、とても繊細で……繊細すぎて……」

シュガーさんは、そっとフォークを置きました。
彼女の脳裏には、今、あろうことか「追放した敵」の顔が浮かんでいました。

(……味が、しない。正確には、刺激が足りないわ。この宮廷料理、上品すぎて、食べた気がしないのよ!)

彼女は、密かに唇を噛み締めました。
実は、彼女もまた、チップに嫌がらせをしていた裏で、彼女の焼くクッキーの「魔力的中毒性」に毒されていた一人だったのです。

「殿下。……あの、チップ様が焼いていた、あの不気味な茶色い円盤……。あれの成分調査は、まだ終わらないのでしょうか?」

「ああ、あの『洗脳薬』のことか。監察官の報告によれば、あれは一度口にすれば理性を破壊するほどの破壊力を持っているらしい。シュガー、君はあれを無理やり食べさせられていたのだから、後遺症が心配だ」

「理性を、破壊……。ええ、まさにその通りですわ。今も、私の脳裏であの『パキィッ』という音が鳴り止まないのです」

シュガーさんの瞳に、じわりと涙が浮かびました。
それは、殿下には「恐怖の涙」に見えたことでしょう。
しかし、その実態は「重度のクッキー飢餓」による禁断症状でした。

(あの岩塩の効いた、ガリッとした歯応え……! 噛み締めるたびに溢れ出す、あの暴力的なバターの脂分! このふにゃふにゃした鶏肉じゃ、私の顎は満足できないわ!)

「おのれ、チップめ……。追放されてなお、シュガーをこれほどまでに苦しめるとは。監察官を送り込んだのは正解だった。奴の息の根を止め、レシピという名の魔導書をすべて焼却しなければならんな」

「えっ!? 焼却!? そ、それは困りますわ殿下!」

シュガーさんが思わず立ち上がると、カッサン殿下は驚いて目を見開きました。

「どうした、シュガー。そんなに怯えなくてもいい。証拠物件として、私が責任を持って処分する」

「い、いえ! 毒を無害化する研究が必要ではありませんか!? そうですわ、私が自らその『毒』を摂取し続け、耐性を作るための被検体になります! ですから、チップ様をこちらに連れ戻して……いえ、彼女の焼いたものを定期的に王宮へ運ばせるべきですわ!」

「シュガー……。君はなんて自己犠牲の強い娘なんだ。自分の身を挺して、国を救おうというのか」

カッサン殿下は、シュガーさんの手を優しく取りました。
シュガーさんは、その優しさが今はただ、もどかしくて仕方がありません。

(違うのよ殿下! 私はただ、あのサクサクをもう一度食べたいだけなの! このままじゃ、私の顎が退化して、美味しいものを食べた時の感動を忘れてしまうわ!)

晩餐会の後。
シュガーさんは一人、自室のベッドで枕を濡らしました。

「……チップ様の、バカ。あんなに美味しいものを食べさせておいて、自分だけ辺境で楽しく焼いているなんて。……許せない。許せないわ……!」

彼女は、かつて自分がチップの教科書に砂糖をぶちまけた時のことを思い出しました。

(あの時、彼女は『和三盆に差し替えた』って言ってたわね。……今思えば、あれ、とっても上品な甘さだったわ。そのまま舐めれば良かった。ああっ、私のバカバカ!)

シュガーさんの「食いしん坊」としての本能が、ついに王宮の壁を越えようとしていました。

「……決めたわ。こうなったら、私の方から会いに行ってやるんだから」

彼女の瞳に、怪しい光が宿ります。
それは、恋に燃える乙女の輝きではなく、獲物を狙う、あるいは「究極のオヤツ」を求めるハンターの眼差しでした。

その頃、バニラ城のチップは、大量の新作クッキーを前に、盛大なハクションを一つ。

「……あら。誰かが私の『秘密のスパイス』の匂いを嗅ぎつけたかしら?」

「お嬢様、風邪ですか? それとも、誰かの怨念ですか?」

「怨念? いいえ、これは『もっと食べたい』という切実な願いの声よ。クッキー職人の耳には、海を越えた咀嚼音すら聞こえるの」

チップは楽しげに笑い、さらに天板を積み上げました。
王宮の「ヒロイン」が、自分の胃袋の叫びに抗えなくなっていることなど、彼女にとっては「最高のスパイス」に過ぎなかったのです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。 だが―― 彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。 ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。 婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。 制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく―― けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。 一方、帝国は違った。 完璧ではなくとも、期限内に返事をする。 責任を分け、判断を止めない。 その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。 王国は滅びない。 だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。 ――そして迎える、最後の選択。 これは、 剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。 何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。

大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…

みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。   

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

枯渇聖女は婚約破棄され結婚絶対無理ランキング1位の辺境伯に言い寄られる

はなまる
恋愛
 らすじ  フレイシアは10歳の頃母と一緒に魔物に遭遇。その時母はかなりの傷を負い亡くなりショックで喋れなくなtったがその時月の精霊の加護を受けて微力ながらも魔法が使えるようになった。  このニルス国では魔力を持っている人間はほとんどいなくて魔物討伐でけがを負った第二王子のジェリク殿下の怪我をほんの少し治せた事からジェリク殿下から聖女として王都に来るように誘われる。  フレイシアは戸惑いながらも淡い恋心を抱きジェリク殿下の申し出を受ける。  そして王都の聖教会で聖女として働くことになりジェリク殿下からも頼られ婚約者にもなってこの6年フレイシアはジェリク殿下の期待に応えようと必死だった。  だが、最近になってジェリクは治癒魔法が使えるカトリーナ公爵令嬢に気持ちを移してしまう。  その前からジェリク殿下の態度に不信感を抱いていたフレイシアは魔力をだんだん失くしていて、ついにジェリクから枯渇聖女と言われ婚約を破棄されおまけに群れ衣を着せられて王都から辺境に追放される事になった。  追放が決まり牢に入れられている間に月の精霊が現れフレイシアの魔力は回復し、翌日、辺境に向かう騎士3名と一緒に荷馬車に乗ってその途中で魔物に遭遇。フレイシアは想像を超える魔力を発揮する。  そんな力を持って辺境に‥    明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。少し間が開いてしまいましたがよろしくです。  まったくの空想の異世界のお話。誤字脱字などご不快な点は平にご容赦お願いします。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。他のサイトにも投稿しています。

処理中です...