悪役令嬢は婚約破棄に笑顔で去った。

萩月

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「寒い……。これでは事務作業の効率が二十パーセント低下してしまいますわ」


北の岩山に、本格的な冬が到来しようとしていた。

『携帯用・瞬間展開式ハウス』の中は魔法で保温されているとはいえ、一歩外に出れば極寒の世界だ。

吹き荒れる風は刃物のように鋭く、吐く息は瞬時に白く凍る。

私はかじかむ手をこすり合わせながら、作業台の上に積み上げられた青紫色の石――魔鉱石の欠片を見つめた。


「温泉の配管工事で掘り出した残土に、これだけの魔鉱石が混ざっているなんて。普通なら産業廃棄物として捨てるレベルの小さな欠片だけれど……」


私はピンセットで欠片を摘み上げた。

純度は高い。

だが、小さすぎて魔導具のコアにするには出力が安定しない。

だからこそ、市場価値はなく「ゴミ」として扱われてきた。


「でも、熱変換効率の計算式を書き換えれば……」


私は羊皮紙にさらさらと数式を走らせた。

通常の魔導回路は「高出力・短時間」を目指すが、逆に「低出力・長時間」に設定し、さらに熱伝導率の高い鉄板と組み合わせれば……。


「できましたわ」


私はニヤリと笑った。

作業台の上には、私の試作品第一号が完成していた。

名付けて『全自動・ポータブル魔石温熱器(愛称:ホッカイロ・マークⅡ)』だ。


「お邪魔するぞ、ステファニー。職人たちへの差し入れを持ってきた」


タイミングよく、ハウスのドアが開いた。

冷気と共に現れたのは、隣国のクラウス大公だ。

彼は分厚い毛皮のマントを羽織っているが、それでも鼻の頭が少し赤い。


「あら、閣下。良いところへ。ちょうど実験台……いえ、モニターが必要だったんです」


「……今、実験台と言いかけたな?」


「気のせいです。さあ、こちらへ座ってください。そして、この金属の箱に足を乗せてみて」


私は足元に置いた、薄型の金属ボックスを指差した。

見た目はただの鉄の箱だ。

大公は怪訝な顔をしながらも、ブーツを脱いで足を乗せた。


「冷たいぞ。ただの鉄板じゃないか」


「スイッチ・オン」


私が指先で魔力をチョンと流し込む。

その瞬間。


「……っ!?」


大公の目がカッと見開かれた。


「なんだこれは……!? 温かい……いや、熱いくらいだ! 足の裏から全身に熱が回っていく!」


「成功ですね。魔鉱石の欠片を燃料にし、微弱な魔力を熱エネルギーに変換して循環させています。一度起動すれば、この小さな欠片一つで約一ヶ月間、四十度の温度を維持し続けます」


「一ヶ月だと!? 薪も炭もいらないのか!?」


「ええ。燃料費は実質タダ(ゴミだから)。煙も出ないし、一酸化炭素中毒の心配もありません。サイズを変えれば、部屋全体を暖めるストーブにも、懐に入れて持ち運ぶカイロにもなります」


大公は立ち上がり、私の肩をガシッと掴んだ。

その瞳が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラギラと輝いている。


「ステファニー。これは革命だ」


「大げさですわ。ただの暖房器具ですよ」


「わかっていないな! 北国において『寒さ』は死に直結する。薪の確保だけで一冬の労働の大半が消えるのだ。それが、この石ころ一つで解決するだと? ……軍事利用すれば、雪中行軍の概念が変わるぞ」


「あ、軍事利用は禁止です。特許契約に条項を入れておきますね」


「ちっ、抜け目ないな。……だが、民生品としても凄まじい価値だ。いくらだ? 言い値で買う。我が国の全世帯に配給したい」


「商談成立ですね」


私は計算尺を取り出し、パチパチと弾いた。


「原価はタダ同然ですが、加工技術料と私のアイデア料を上乗せして……一台あたり銀貨五枚でどうでしょう?」


「安い! 安すぎる! 金貨一枚でも飛ぶように売れるぞ!」


「いえ、薄利多売がモットーです。それに、普及させることで『替えの魔鉱石』のサブスクリプション……定期購入契約を結ばせるのが狙いですから」


「……恐ろしい女だ。本体を安くばら撒いて、燃料で永続的に搾取する気か」


大公は呆れつつも、すぐに契約書にサインをした。


「ドワーフたちに量産ラインを作らせよう。来週には第一弾を出荷する」


「お願いします。商品名は『ぬくぬく君一号』で」


「……ネーミングセンス以外は完璧だな」


こうして、私の発明品は隣国の商会ルートを通じて市場に放たれた。

結果は、爆発的だった。


一週間後。

まだ建設途中であるはずの岩山の麓に、長蛇の列ができていた。


「これか! 噂の『魔法のストーブ』は!」


「炭がいらないって本当か!?」


「これさえあれば今年の冬は凍えずに済む!」


隣国だけでなく、周辺の小国や、なんと王国の地方都市からも商人たちが押し寄せてきたのだ。

彼らは馬車に金貨や食料を積み込み、「ぬくぬく君」を求めて殺到した。

岩山の一角に急遽設営した『販売所』では、ドワーフたちが作った製品が、並べる端から売れていく。


「はいはい、並んで! お一人様五台までよ!」


元侍女のマリアが、臨時の売り子として声を張り上げている。

彼女の手元には、あっという間に売上金である銀貨や金貨が積み上がっていく。

その額は、王国の中堅貴族の年収を、たった一日で超えていた。


「お嬢様、笑いが止まりません! 手が腱鞘炎になりそうです!」


「マリア、金貨は重いから定期的に金庫へ移してね。あと、商人たちにはついでに『温泉まんじゅう(試作品)』も配って。リゾートの宣伝も忘れないで」


私は仮設の執務室で、売上台帳を見ながらほくそ笑んだ。

この資金があれば、リゾートの建設を前倒しできる。

ホテルは当初の予定よりグレードアップして、全室スイート仕様にしようかしら。


「報告します! 王国の大手商会『ゴールドマン商会』の会頭がいらっしゃいました! 『今後の取引を独占させてほしい』とのことです!」


「お断りして。独占契約は競争力を削ぐわ。それに、王国の商人は信用できないもの(特に王家と癒着しているところは)」


「承知しました! 『出直してこい』と伝えます!」


商売は順調。

人も、金も、情報も、全てがこの岩山に集まり始めている。

かつて「不毛の地」と呼ばれたこの場所は、今や北の大陸における最大の『経済ホットスポット』へと変貌しつつあった。


一方、その頃。

王国の王都では、悲惨な冬が始まっていた。


「さ、寒い……。薪がない……」


王城の暖炉の前で、ギルバート王太子はガタガタと震えていた。

暖炉の中には火がない。

薪を買う予算がないからだ。


「どうなっているんだ……。なぜ今年はこんなに薪が高いんだ?」


「殿下……。商人たちが皆、北の岩山へ行ってしまったからです」


側近が涙ながらに報告する。


「岩山? ステファニーのところか? あんな岩だらけの場所へ行って何をするんだ」


「あそこでは、薪を使わずに暖をとれる『魔法の道具』が売られているそうです。商人たちは薪の仕入れをやめて、その道具の買い付けに走っています。おかげで王都への薪の供給が止まり、価格が十倍に高騰しています」


「な、なんだとぉ!?」


ギルバートは毛布を頭から被り直した。


「おのれステファニー! またあいつか! 僕を凍死させる気か!」


「さらに悪い報告が。王都の富裕層や貴族たちが、『こんな寒い国にはいられない』と、こぞって北へ避難し始めています。『岩山には極楽のような温泉があるらしい』と……」


「温泉だと!? 僕だって入りたい!」


「ご安心ください、殿下にはミナ様の『愛の炎』があります!」


「うるさい! 愛で湯が沸くか!」


ギルバートの叫びも虚しく、吐く息は白く、部屋の温度は氷点下へと近づいていた。

窓の外を見れば、王都から北へと続く街道に、貴族の馬車が列をなしているのが見える。

人々の心も、体も、そして財布の中身も、すべては暖かな岩山へと流れていく。


「くっ……! 認めん! 僕は認めんぞ!」


ギルバートは震える手で、冷たいパンをかじった。

そのパンもまた、ステファニーが管理していた頃のふっくらとした白パンではなく、予算削減で作られた石のように硬い黒パンだった。


岩山では、ステファニーが最新の暖房完備の部屋で、ドワーフ特製のシチューを食べているとも知らずに。


「(さて、資金は潤沢。次は人材の確保ね。……王都から優秀な文官や料理人が流れてきているらしいし、ヘッドハンティングでもしましょうか)」


ステファニーの商才は、王国の経済基盤そのものを根こそぎ奪い取ろうとしていた。
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