婚約破棄された悪役令嬢~金貨と狂犬大公、どちらが効率的ですか?〜

萩月

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「クリスティーン・オルコット公爵令嬢! 貴様との婚約を、この場をもって破棄する!」

王城の大広間。

きらびやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑する夜会の最中。

突如として響き渡ったその大声は、オーケストラの優雅な演奏さえもかき消した。

シン、と静まり返る会場。

視線の中心にいるのは、この国の第一王子フレデリック。

金髪碧眼、絵に描いたような王子様である彼は、いま怒りに顔を真っ赤に染め、私を指差している。

その腕には、小動物のように震える桃色髪の少女――男爵令嬢リリーナがしがみついていた。

「……あら、そうですか」

私は手元の扇をパチンと閉じ、眼鏡の位置を人差し指でクイと直す。

表情筋はピクリとも動かさない。

あくまで冷静に、氷の如く冷淡に。

それが「氷の令嬢」と呼ばれる私のパブリックイメージだからだ。

けれど、私の内心は違った。

(き、きたぁぁぁぁぁ――――ッ!!)

扇の下で、私は唇がニヤけるのを必死に噛み殺していた。

待っていた。

この時を、私は三年前からずっと待っていたのだ。

フレデリック殿下との婚約が決まったあの日から、私の人生は「我慢」の二文字に塗りつぶされていた。

彼は顔こそ良いが、頭の中身は驚くほどにお花畑だ。

公務の書類は読まない、予算会議では居眠りをする、視察に行けば迷子になる。

その尻拭いをしてきたのは誰か?

私だ。

私が夜なべして書類を書き、私が予算を組み、私が彼にGPS魔道具を持たせて管理してきたのだ。

まさに無償労働。ブラック企業も裸足で逃げ出す過重労働である。

だが、婚約破棄となれば話は別だ。

私は自由になれる。

この巨大なお荷物を、そこの桃色髪の小娘に押し付けることができるのだ!

「……殿下。婚約破棄、とおっしゃいましたね?」

私は確認のために問い返す。

「そうだ! 耳が遠くなったのか!? 貴様のような冷血女、もう願い下げだと言っているんだ!」

「理由は、そちらのリリーナ様への『いじめ』でしょうか?」

「白々しい! リリーナから全て聞いているぞ! 教科書を破き、ドレスにワインをかけ、階段から突き落とそうとしたそうだな!」

フレデリック殿下が叫ぶと、周囲の貴族たちがヒソヒソと囁き始めた。

「やはり、噂は本当だったのか……」

「オルコット公爵令嬢ならやりかねないわ」

「あんなに冷たい目をした方だものねぇ」

周囲の視線が突き刺さるが、痛くも痒くもない。

むしろ、この誤解こそが私の切り札だ。

私は静かに口を開いた。

「殿下。事実確認をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「言い訳など聞く耳持たん!」

「言い訳ではありません。事実の照合です。まず、教科書を破いた件ですが」

私は懐から一冊のメモ帳を取り出した。

常に携帯している、私の業務日誌だ。

「その事件が起きたとされるのは、先月の五日ですね? その日、私は王宮の経理部にて、殿下が使い込んだ『交際費』の使途不明金について監査を行っておりました。朝の八時から夜の十時まで、一歩も部屋を出ておりません。証人は経理部の職員全員です」

「なっ……」

「次に、ドレスにワインをかけた件。これは二週間前の園遊会ですね? あの日、私は殿下が視察と称してサボろうとしたのを阻止するため、執務室の前で仁王立ちしておりました。ドレスどころか、リリーナ様のお姿さえ拝見しておりません。これには近衛騎士団の皆様が証言してくださるでしょう」

淡々と事実を並べ立てる私に、フレデリック殿下の顔が引きつり始める。

しかし、腕の中のリリーナが「ううっ」と嘘泣きを始めたことで、彼は再び勢いを取り戻した。

「だ、黙れ! 貴様が直接手を下さずとも、裏で手を回したに決まっている! 貴様はそういう陰湿な女だ!」

「陰湿? いいえ殿下、私は『効率的』なだけです」

「屁理屈を言うな! とにかく、貴様の悪逆非道な振る舞いにはもう我慢ならん! リリーナのような純粋で心優しい女性こそ、次期王妃にふさわしい!」

「そうですか。では、婚約破棄は決定事項ということでよろしいですね?」

「ああ、そうだ! 今すぐ出ていけ! 二度と私の前に顔を見せるな!」

殿下は勝ち誇ったように叫び、リリーナの肩を抱き寄せた。

リリーナもまた、私のほうを見て勝ち誇ったような、嘲るような笑みを浮かべている。

(ああ、なんて愚かで、愛おしいカモたちなのでしょう)

私は深く一礼した。

感謝の気持ちを込めて。

そして、ドレスの隠しポケットから、分厚い封筒を取り出した。

ドサッ。

重厚な音がするその束を、私は近くのテーブルに置いた。

「……なんだ、それは」

殿下が怪訝な顔をする。

私は眼鏡を光らせ、ニッコリと微笑んだ。

この場に来て初めて見せた、満面の笑みで。

「請求書でございます」

「は?」

「本日までの、殿下の公務代行費用、家庭教師代、尻拭いに要した経費、および今回の婚約破棄による精神的苦痛に対する慰謝料。締めて金貨一億枚になります」

「い、一億……っ!?」

会場がどよめいた。

国家予算並みの金額である。

「内訳はこちらに記載してあります。例えば、先日の隣国との外交文書作成代行。あれは本来、専門の文官を雇えば金貨百枚はかかりますが、深夜料金と特急料金を上乗せさせていただきました」

「き、貴様……金の話か!?」

「愛の話をご所望でしたか? あいにくですが、私と殿下の間にあったのは『契約』のみです。契約不履行による違約金が発生するのは、商取引の基本でしょう?」

私はさらに別の書類を取り出す。

「それから、こちらが『同意書』です。殿下が有責での婚約破棄であること、およびリリーナ様との関係を認める旨が記されています。ここにサインをいただければ、私は今すぐ、喜んでこの場から消え失せましょう」

「ふ、ふざけるな! 誰がそんなものにサインなど……!」

「サインなさらなければ、この証拠書類――殿下がリリーナ様に送った恥ずかしいポエム付きの手紙の束を、明日の朝刊に掲載することになりますが?」

「なっ!?」

私は束ねた手紙のコピーをパラパラと見せた。

『君の瞳は宝石箱、僕はその中を泳ぐ魚……』

「や、やめろぉぉぉぉッ!!」

殿下の顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。

恥ずかしさのあまり卒倒しそうな彼を見て、私はさらに畳み掛けた。

「さあ、殿下。選んでください。一億枚払って自由になるか、恥を晒して破滅するか。……ああ、ちなみにリリーナ様にも連帯保証人になっていただきますので、あしからず」

「えっ? わ、私?」

それまで他人事のように見ていたリリーナが、素っ頓狂な声を上げた。

「当然です。これは『共同不法行為』ですから。お二人で仲良く、借金返済の愛の物語を紡いでくださいませ」

私はペンを突きつける。

その切っ先は、まるで剣のように鋭く、彼らの喉元に突きつけられていた。

「さあ、サインを。今すぐに」

会場の空気は、もはや私の独壇場だった。

誰も口を挟めない。

氷の令嬢は、ただ冷たいだけではない。

触れれば凍傷を負う、絶対零度の合理主義者なのだと思い知らせてやる。

震える手でペンを握るフレデリック殿下を見下ろしながら、私は心の中で高らかに叫んだ。

(やったわ! これで引退よ! 待ってて私のスローライフ、待ってて私の現ナマ!!)

私の新しい人生は、このサインと共に始まるのだ。

まさかその先に、狂犬のような男との出会いが待っているとは、この時の私はまだ知る由もなかったのである。
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