愛想が尽きました。婚約破棄?喜んで。

萩月

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「ヴァイサリウス辺境伯、クラウス様。ならびに、ご婚約者のエマール・フォン・ローゼンバーグ嬢、ご入場です!」

重厚な扉が開くと同時に、ファンファーレが鳴り響く。

私はクラウス様の腕に手を添え、パーティー会場である大広間へと足を踏み入れた。

一歩進むごとに、会場の空気がピリリと張り詰めるのを感じる。

数百人の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。

(……分析開始。視線の内訳は、好奇心が6割、恐怖が3割、嫉妬が1割といったところね)

私は扇子で口元を隠し、冷静に群衆を観察した。

「悪役令嬢」としての私の悪名は、ここ辺境にも届いている。

「あれが、あのエマール嬢か……?」
「噂では、気に入らない令嬢を論破して再起不能にするとか……」
「でも……なんて美しいんだ」

ざわめきが波紋のように広がる。

私の纏(まと)うミッドナイト・ブルーのドレスが、シャンデリアの光を反射して星空のように煌めく。

隣を歩くクラウス様は、氷の彫像のように美しく、そして威厳に満ちている。

私たちは、間違いなく今宵の「最高額資産(トップ・オブ・アセット)」だ。

「緊張しているか? エマール」

クラウス様が小声で尋ねてくる。

私は小さく首を横に振った。

「いいえ。これだけの人数が集まれば、室温が上昇し空調効率が悪くなることだけが懸念事項です」

「……ふっ、君らしいな」

クラウス様は私の腰を少し強く抱き寄せた。

「堂々としていればいい。君は私の選んだ女だ。誰にも文句は言わせない」

その力強い言葉と、腰に触れる大きな手の熱に、私の心臓がトクリと跳ねた。

(……ん? 今の動悸はなに? 緊張していないはずなのに)

私は訝(いぶか)しみながらも、壇上へと進んだ。

クラウス様が短く挨拶を述べ、乾杯の音頭を取る。

グラスが触れ合う軽やかな音が響き、パーティーが始まった。



「まあ、エマール様! そのドレス、素敵ですわねえ!」

早速、領内の貴族夫人たちが包囲網を敷いてきた。

扇子で顔を隠しながら、値踏みするような視線を向けてくる。

「マダム・ルージュの新作でしょう? さぞお高かったのではなくて?」

嫌味を含んだ質問だ。

「辺境伯様のお金で贅沢三昧」と言いたいのだろう。

私はニッコリと、営業用スマイルを浮かべた。

「お目が高いですね。確かに初期投資額(イニシャルコスト)は張りましたが、このドレスの生地には特殊な魔術加工が施されており、耐久年数は五十年。親子三代で着回せば、一年あたりのコストは既製品のドレスよりも安くなります」

「え……? た、耐久年数……?」

「さらに、このダイヤモンドパウダーは光を乱反射させ、肌のくすみを飛ばす照明効果があります。これにより、高価な美白化粧品の使用量を減らせますので、トータルでの美容コスト削減にも寄与しております」

私は立て板に水で説明した。

夫人たちはポカンと口を開け、やがてヒソヒソと話し始めた。

「……あら、意外と堅実な方なのかしら?」
「ただの浪費家ではないようね……」
「美容コスト削減……その視点はなかったわ。詳しく聞きたいかも」

どうやら、主婦層のハートを「節約術」で掴むことに成功したらしい。

そこへ、クラウス様が戻ってきた。

「エマール。挨拶回りは退屈だろう。……踊ろうか」

彼は紳士的に手を差し出した。

会場の中央、ダンスフロアが空けられる。

私は一瞬、躊躇した。

「閣下。私、ダンスは得意ではありません。足を踏んで、貴方の革靴(資産)を傷つけるリスクがあります」

「構わない。新しい靴を買う口実ができるだけだ」

クラウス様は強引に私の手を取り、フロアへと誘った。

楽団が優雅なワルツを奏で始める。

彼の手が私の腰に添えられ、私の手は彼の肩へ。

距離が、近い。

普段の執務中よりも、馬車の中よりも、ずっと近い。

彼の吐息がかかる距離だ。

「力を抜いて。私に身を任せればいい」

クラウス様がリードする。

その動きは滑らかで、まるで流水のようだった。

私は彼に導かれるまま、ステップを踏む。

ターンをするたびに、ドレスの裾がふわりと広がり、星屑を撒き散らす。

「きれいだ、エマール」

耳元で、甘い声が囁かれる。

「……っ」

その瞬間、私の胸の奥で、警鐘が鳴り響いた。

ドクン、ドクン、ドクン。

心拍数が急上昇する。

呼吸が浅くなる。

顔に熱が集まる。

(こ、これは……不整脈? それとも狭心症の前兆? あるいは、会場の人口密度による酸素欠乏症?)

私は必死に原因を分析しようとした。

だが、目の前にあるクラウス様のアイスブルーの瞳を見つめていると、思考回路が霧散してしまう。

計算ができない。

数字が浮かばない。

ただ、「彼が素敵だ」という、非論理的で感情的なデータだけが脳内を占拠していく。

「顔が赤いぞ。どうした?」

クラウス様が心配そうに覗き込む。

「熱でもあるのか?」

彼が踊りながら、そっと自分のおでこを私のおでこにコツンと合わせた。

「ひゃうっ!?」

私は変な声を出してしまった。

周囲の貴族たちが「おおっ」とどよめく。

「ね、熱はありません! これは……その、運動による代謝機能の向上に伴う体温上昇であり……!」

しどろもどろに言い訳をする私を見て、クラウス様はふっと笑った。

その笑顔が、反則級に色っぽい。

「そうか。私はてっきり、君が私に『ときめいて』いるのかと思ったのだが」

「と、ときめき……?」

「ああ。計算や理屈じゃなく、心が勝手に反応してしまう現象だ」

クラウス様は私の腰を引き寄せ、さらに密着した。

「私は今、猛烈にときめいているよ。エマール、君に」

「~~ッ!!」

私の体温計(脳内)が限界突破した。

ボンッ、と音が聞こえた気がする。

(認めない! 私は認めませんわ! これは吊り橋効果の一種か、あるいは交感神経の異常興奮です!)

私は必死に理性を保とうとした。

しかし、彼の腕の温かさ、優しい眼差し、そして私を特別扱いしてくれるその態度に、心が降伏宣言(ホワイトフラッグ)を上げそうになる。

「……閣下。一つだけ、計算外のことがあります」

「なんだ?」

「……貴方という存在が、私の人生の『バランスシート』に、これほど大きな影響(インパクト)を与えるとは、予想しておりませんでした」

それは、私なりの精一杯の告白だった。

貴方が好きだ、と言う代わりに。

クラウス様は目を丸くし、そして破顔した。

「嬉しい誤算だな」

「……赤字覚悟で、投資を継続します」

「ああ。最高のリターンを約束しよう」

私たちは見つめ合い、曲の終わりまで踊り続けた。

会場からは割れんばかりの拍手が送られたが、私の耳には、自分の心臓の音しか聞こえなかった。



ダンスが終わり、私たちはバルコニーへ出て夜風に当たっていた。

火照った頬を冷ますためだ。

「……ふう。危険な運動量でした」

「ははは。たった一曲で大袈裟だな」

クラウス様がグラスを渡してくれる。

冷たい果実水が喉を潤す。

星空が綺麗だった。

隣には、愛する(と認めるのはまだ悔しいが)人がいる。

完璧な夜だ。

「エマール」

「はい」

「この騒ぎが落ち着いたら、二人でゆっくり……」

クラウス様が何かを言いかけた、その時だった。

ドガァァァァン!!

屋敷の正門の方から、爆発音のような轟音が響いた。

「!?」

「なんだ!?」

会場が騒然となる。

「敵襲か!?」

クラウス様が瞬時に「武人」の顔になり、私の前に立って庇う。

衛兵たちが慌ただしく走っていくのが見える。

「報告せよ! 何事だ!」

クラウス様がバルコニーから怒鳴ると、庭を走ってきた衛兵隊長が、青ざめた顔で叫び返した。

「へ、変質者です!!」

「変質者だと?」

「ボロボロの服を着た男女が二人、門を強行突破しようとして……馬車ごと突っ込んできました!」

「男女……?」

私とクラウス様は顔を見合わせた。

嫌な予感がする。

的中率100%の、最悪の予感が。

「そ、そこをどけえぇぇッ! 僕は王子だぞおぉぉッ!」

「きゃあああ! 私のドレスが泥だらけよぉぉ! 弁償しなさいよぉぉ!」

聞き覚えのある、知能指数の低そうな叫び声が、風に乗って聞こえてきた。

「……来ましたね」

私は眼鏡(心の目)をクイッと押し上げた。

ロマンチックな夜は終了だ。

ここからは、残業時間(債権回収タイム)である。

「閣下。どうやら『嵐』が到着したようです」

「……チッ。いい雰囲気だったのに」

クラウス様が不機嫌そうに舌打ちをする。

「行こう、エマール。私の大事な婚約者との時間を邪魔した罪、高くつくと教えてやる」

「ええ。請求書の準備はできています」

私はドレスの裾を翻(ひるがえ)し、戦場(エントランス)へと向かった。

胸の高鳴りは、もう「ときめき」ではない。

「戦闘モード(バトルフェイズ)」への切り替え完了の合図だった。
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