愛想が尽きました。婚約破棄?喜んで。

萩月

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「……重いです」

ヴァイサリウス辺境伯領、大聖堂の控室。

私は全身鏡の前で、本日十回目の溜息をついた。

「エマール様! 溜息をつくと幸せが逃げますよ! それに、そんなに重いですか?」

専属メイドのロッテが、私のドレスの裾を懸命に整えながら言う。

「物理的に重いのです。この真珠の総重量、推定3キログラム。さらに、生地に織り込まれた金糸と、背中のダイヤモンド装飾……。これを着てバージンロードを歩くのは、もはや『歩行訓練』か『筋力トレーニング』です」

私は自分の姿を凝視した。

マダム・ルージュが、クラウス様の「予算度外視(アンリミテッド)」という極秘指令を受けて作り上げた、最終兵器のようなウェディングドレス。

純白のシルクは、光の加減で虹色に輝く最高級品「天使の絹(エンジェル・シルク)」。

レース部分は、熟練の職人が三年かけて編んだという「幻のレース」。

そして、全身に散りばめられた真珠と宝石。

(……このドレス一着で、城下町のメインストリートが買えるわね)

私は眩暈(めまい)を覚えた。

「でも、すっごくお綺麗です! お人形さんみたいです!」

ロッテがうっとりと目を潤ませる。

「そうかしら。私には『歩く国家予算』にしか見えないけれど」

「もう、素直じゃないんですから! ……あ、お時間です! 旦那様がお待ちですよ!」

扉がノックされ、会場への移動を促される。

私は覚悟を決めた。

今日は私の結婚式。

数字(コスト)との戦いは一時休戦だ。

この重みは、クラウス様の愛の重みだと思って、耐え抜いてみせる。



「……」

大聖堂の入り口。

そこに立っていたクラウス様は、私を見た瞬間、石像のように固まった。

今日の彼は、純白の礼服に、ヴァイサリウス家の正装である蒼のマントを羽織っている。

銀髪は丁寧に撫で付けられ、その美貌は神々しいほどだ。

「……閣下? どうされました? また計算違いですか?」

私が声をかけると、彼はハッと我に返り、ゆっくりと私に近づいてきた。

「……計算違いどころじゃない」

彼は私の手を取り、震える声で囁いた。

「君は……本当に、私のエマールか? 天から降りてきた女神じゃないのか?」

「女神ではありません。戸籍上の妻(予定)です」

「美しい……。言葉にならないほどだ」

クラウス様のアイスブルーの瞳が、熱っぽく潤んでいる。

「このドレスを作らせて正解だった。君の輝きを、世界中に自慢できる」

「……お世辞は結構です。それより、このドレスの請求書を見た時の私の『悲鳴』を、どう補填してくれるのですか?」

「一生分の愛で償うさ」

クラウス様は私の腕を取り、エスコートの体勢に入った。

「行こう、エマール。……私達の未来への第一歩だ」

「はい、閣下」

重厚なパイプオルガンの音が鳴り響く。

大聖堂の扉が、ゆっくりと開かれた。



「うおおおおおッ!!」

「エマール様ぁぁ! 綺麗だぁぁ!」

「閣下! おめでとうございますぅぅ!」

扉が開いた瞬間、私たちを迎えたのは、厳かな静寂……ではなく、地響きのような大歓声だった。

参列者は、領内の貴族だけでなく、屋敷の使用人、街の商店主、さらには農民たちまで。

大聖堂に入りきれない人々が、窓の外や回廊に溢れかえっている。

「すごい人数ですね……。定員オーバーでは?」

「皆、君を祝福したいんだよ。……ほら」

クラウス様が指差す先では、ロッシ料理長が号泣しながらハンカチを噛み締め、執事のハンスが感極まって鼻をかんでいる。

ガットン(あの商人)も最前列にいて、「おめでとう! ご祝儀は最高級の毛皮ですぞ!」と叫んでいる。

「……愛されていますね、私たち」

「ああ。君がこの領地を豊かにしてくれたおかげだ」

私たちは、赤い絨毯が敷かれたバージンロードをゆっくりと歩き出した。

天井から、ヒラヒラと何かが舞い落ちてくる。

「……紙吹雪ですね」

私が提案した「古紙裁断エコシステム」による紙吹雪だ。

色とりどりの紙片が、ステンドグラスの光を浴びてキラキラと舞う。

「どうだ、エマール。鳩より綺麗だろう?」

「ええ。コストはゼロですが、美しさはプライスレスです」

私は素直に認めた。

祭壇の前。

老司祭が、聖書を広げて私たちを待っていた。

「……コホン」

司祭が咳払いをして、厳かに口を開いた。

「新郎、クラウス・フォン・ヴァイサリウス。汝(なんじ)、この女(ひと)を妻とし、健やかなる時も、病める時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うか?」

クラウス様は、迷いのない瞳で私を見つめ、力強く答えた。

「誓います。……彼女が黒字の時も、赤字の時も。彼女が計算高い時も、不器用に甘えてくる時も。私の全財産と全人生を懸けて、彼女を守り抜くことを」

会場から「ヒュー!」と冷やかしの声が上がる。

「……素晴らしい誓いです」

司祭が頷き、次に私の方を向いた。

「新婦、エマール・フォン・ローゼンバーグ。汝、この男(ひと)を夫とし、健やかなる時も、病める時も……」

「司祭様。少し文言の修正(リライト)をお願いしても?」

私が手を挙げると、司祭が目を丸くした。

「え? しゅ、修正?」

「はい。その定型文では、契約内容が曖昧です」

私はクラウス様に向き直り、背筋を伸ばして宣言した。

「私、エマールは誓います」

会場が静まり返る。

「健やかなる時も、病める時も。……インフレの時も、デフレの時も。資産価値が高騰した時も、暴落した時も」

私は、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「貴方の資産を適正に管理し、貴方の健康という『資本』を維持し、貴方の笑顔という『最大利益』を出し続けることを。……この命(契約期間)が尽きるまで、貴方の隣で、貴方だけの『最強のパートナー』であり続けることを、ここに誓います」

一瞬の沈黙の後。

クラウス様が、堪えきれないように破顔した。

「……ははっ! 最高の誓いだ」

「……変でしたか?」

「いや。世界一、君らしい」

クラウス様は私のベールを上げ、顔を近づけた。

「契約成立(ディール)だ、エマール」

「……はい、あなた」

唇が重なる。

大聖堂の鐘が、カランカランと高らかに鳴り響く。

ワァァァァァッ!!

割れんばかりの拍手と喝采。

紙吹雪が嵐のように舞い、私たちを祝福する。

「おめでとうー!」
「末長くお幸せにー!」
「早く二世の顔が見たいぞー!」

その喧騒の中で、私はクラウス様の腕に抱かれながら、ふと天井を見上げた。

ステンドグラス越しに見える空は、どこまでも青く澄み渡っている。

(……ああ。計算できない)

私の頭の中の電卓が、完全に停止していた。

この胸の温かさ。
溢れ出る幸福感。
そして、隣にいる愛する人の存在。

これらはすべて、数字に置き換えられない「特別資産」だ。

「……エマール」

キスを終えたクラウス様が、耳元で囁く。

「愛している」

「……私もです」

私は彼に抱きついた。

「世界中の誰よりも、何よりも。……お金よりも、貴方が好きです」

「おっ、勝ったか。金に」

「僅差(きんさ)ですけどね」

「素直じゃないな」

私たちは笑い合い、参列者たちに向かって手を振った。

かつて「悪役令嬢」と呼ばれ、婚約破棄され、数字しか信じていなかった私。

そんな私が、こんなに温かい場所に立っている。

人生の収支決算は、間違いなく「大黒字」だ。



式の後、私たちは馬車に乗り込み、領内をパレードした。

「エマール様ー!」
「領主様ー!」

沿道の人々が手を振る。

「……人気者だな、君は」

「税金を下げて、公共事業を効率化しただけですが」

「それが一番の政治だよ」

クラウス様は私の手を握りしめた。

「さて、エマール。この後は披露宴だ。……そして夜は」

彼の手が、少しだけ強くなる。

「待ちに待った『初夜の儀』だな」

「……っ」

「君が許可した『大量のバラの花びら』と『ムード満点の照明』が待っているぞ?」

「……経費の無駄遣いだと思いますが」

私は顔を赤らめながら、そっぽを向いた。

「……今日だけは、目をつぶります」

「ありがとう、奥様」

馬車は夕日に向かって進んでいく。

これから始まる、甘くて、少し騒がしくて、そして計算高い新婚生活。

不安要素(リスク)はゼロではないけれど、この人が隣にいれば、どんな赤字も乗り越えられる気がした。

「……あ、閣下。そういえば」

「ん?」

「ご祝儀の集計作業、いつやりますか? 現金管理はスピードが命です」

「……今夜くらい、金のことは忘れろ!」

クラウス様の呆れたツッコミが、幸せな空気に溶けていった。
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