愛想が尽きました。婚約破棄?喜んで。

萩月

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南のリゾート地『蒼の海岸(アズール・コースト)』。

照りつける太陽、白い砂浜、そしてどこまでも広がるエメラルドグリーンの海。

ここは、王国中の貴族が憧れる、最高級の保養地である。

「素晴らしい景色だ、エマール。空気も美味い」

クラウス様が、サングラス(王都の最新流行)をかけて、デッキチェアでくつろいでいる。

白い麻のシャツのボタンを少し開け、潮風に髪をなびかせる姿は、まるでファッション誌の表紙モデルのようだ。

周囲の女性客たちが、チラチラと彼を見ては「素敵な方……」「あの方、辺境伯様よ」と色めき立っている。

一方、私は。

「……高い」

私はデッキチェアの隣で、パラソルの下、トロピカルジュースのグラスを睨みつけていた。

「どうした? 口に合わないか?」

「味は良いです。しかし、このジュースの氷の比率(アイス・レシオ)が問題です」

私はストローで氷をかき混ぜた。

「グラスの容積の70%が氷です。実質的な果汁は150ミリリットル程度。これで銀貨二枚? 原価率を計算すると、粗利益が90%を超えています。暴利です」

「……エマール」

クラウス様がサングラスを少し下げて、呆れた目をした。

「ここはリゾート地だ。『場所代』と『雰囲気代』が含まれているんだよ」

「雰囲気で喉は潤いません。……ああ、あそこの焼きトウモロコシ屋も怪しいわ。炭の品質が悪そう。あれじゃ香ばしさより煤(すす)の臭いがつくわよ」

私がブツブツと文句(市場調査)を言っていると、クラウス様が立ち上がり、私の手を取った。

「計算は休憩だ。せっかく海に来たんだ。……泳ごう」

「泳ぐ? 私は泳ぎが得意ではありません。水難事故のリスクがあります」

「私がついている。溺れたら人工呼吸をしてやる」

「……それが目的ですか?」

「バレたか」

クラウス様は悪戯っぽく笑い、私を波打ち際へと連れ出した。



「……あの、閣下」

「ん?」

「視線が……痛いのですが」

私はバスタオルを肩から羽織り、モジモジとしていた。

先日のドレス選びの際、マダム・ルージュが「新婚旅行用よ!」と強引にねじ込んできた水着。

それは、白を基調としたビキニタイプで、フリルがふんだんにあしらわれた、非常に……露出度の高いものだった。

「布面積が少なすぎます。紫外線(UV)の遮断率が低いですし、防御力が皆無です」

「防御力などいらん。……可愛いぞ、エマール」

クラウス様が、私のタオルをそっと剥ぎ取る。

「隠すな。君のその白い肌は、太陽の下でこそ映える」

「ひゃうっ!?」

露わになった肌に、海風が当たる。

周囲の男性客の視線が一斉にこちらに向くのを、クラウス様が鋭い眼光(威嚇)で牽制する。

「見るな。減るぞ」

「(……資産じゃないんですから、減りはしませんが)」

心の中でツッコミを入れつつ、私は海に入った。

冷たい水が心地よい。

「きゃっ!」

波が足元をさらう。

よろめいた私を、クラウス様がガシッと抱き止める。

濡れたシャツ越しに伝わる、彼の逞しい筋肉の感触。

「……大丈夫か?」

「は、はい。……ですが、水流の抵抗係数が予想以上で……」

「理屈はいい。……捕まってろ」

クラウス様は私を抱き寄せたまま、少し深いところまで進む。

青い海の中で、二人きり。

波の音だけが響く。

「エマール」

「はい」

「私は今、幸せだ」

クラウス様が、私の濡れた髪をかき上げる。

「こうして、仕事も、領地のことも忘れて。ただ君と二人で波に揺られている。……こんな時間は、生まれて初めてだ」

「……私もです」

私は彼の首に腕を回した。

「今まで、海といえば『物流ルート』か『塩の産地』としか見ていませんでした。……こんなに単なる『水』が綺麗だなんて、知りませんでした」

「単なる水か。君らしい表現だ」

クラウス様が笑い、私の唇に口づけを落とす。

しょっぱい、海の味がした。

「……味覚センサーに塩分を検知しました」

「ムードのない感想だな。……もう一回だ」

二度目のキスは、甘くて、長かった。

波に揺られながら、私たちは時を忘れて口づけを交わした。

リゾート価格のジュースのことも、焼きトウモロコシの原価のことも、この瞬間だけは私の頭から消え去っていた。



夕方。

私たちは海辺のメインストリートを散策していた。

夕日が街をオレンジ色に染め、ランタンに明かりが灯り始める。

ロマンチックな雰囲気だ。

「おや、エマール。あれを見ろ」

クラウス様が指差したのは、人だかりができている一軒の露店だった。

看板には『名物・カップル用ペアアクセサリー』とある。

「貝殻で作ったネックレスか。……記念に買うか?」

「待ってください」

私は眼鏡(心の目)を光らせ、露店に近づいた。

商品を手に取り、検分する。

「……この貝殻、着色料で色を付けていますね。天然色ではありません。しかも、紐の結び目が甘い。三ヶ月で切れる構造です」

「……相変わらず厳しいな」

「さらに、この価格設定。銀貨五枚? 現地の子供たちに拾わせた貝殻(原価ゼロ)を使っているなら、加工費を入れても銅貨五十枚が適正価格です」

私は店主に聞こえるような声で分析を始めた。

すると、店主のおじさんがギョッとしてこちらを見た。

「お、お客さん……詳しいね。同業者かい?」

「いいえ。ただの通りすがりの『主婦』です」

私はニッコリと笑った。

「おじさん。観光地価格(ボッタクリ)も商売のうちですが、あまり品質を落とすと、口コミ(評判)が悪化してリピーターがつかなくなりますよ? 長期的な視点で見れば、紐の強度を上げるか、価格を下げるべきです」

「うっ……痛いところを……」

「お詫びに、これを半額にするなら、目をつぶりましょう」

私は青い貝殻のネックレスを二つ選び、指を二本立てた。

店主は冷や汗を拭いながら、苦笑した。

「へいへい、負けたよ。……あんた、可愛い顔して商売人だねえ」

「お褒めにあずかり光栄です」

私は銀貨五枚(二つ分)を支払い、戦利品を手に入れた。

「はい、閣下。お揃いです」

私は青いネックレスをクラウス様に渡した。

「半額で買えました。賢い消費活動です」

クラウス様はネックレスを受け取り、複雑そうな、でも愛おしそうな顔でそれを見つめた。

「……ロマンチックな買い物を、値切り倒すとはな」

「無駄金は使いません。その分、別の楽しみに回せますから」

「まあいい。君が選んでくれた(勝ち取った)ものだ。大事にするよ」

クラウス様はその安っぽい、でも私が選んだネックレスを、大切そうに首にかけた。

「似合いますか?」

「ええ。……素材のチープさを、貴方の顔面偏差値がカバーしています」

「素直に『かっこいい』と言え」

クラウス様は私の頭をグリグリと撫でた。



その夜。

私たちは、私がリサーチした「路地裏の地元食堂」で夕食をとった。

「おお! これは美味い!」

クラウス様が、大皿に盛られた『漁師風パエリア』を食べて目を見開く。

「魚介の出汁が米に染み込んでいる。エビもプリプリだ。……これで、あのホテルのレストランの半額以下か?」

「ええ。ここは漁師直営ですから、中間マージンが発生しません。さらに、内装にお金をかけていない分、食材原価にお金をかけています」

私はドヤ顔でワインを傾けた。

「最高の投資(チョイス)だろう?」

「ああ。君の舌と計算能力は、世界一だ」

クラウス様は満足げにグラスを掲げた。

「エマール。……この旅行が終われば、また忙しい日常が戻ってくる」

「そうですね。来期の予算編成に、冬支度のための備蓄計画……やることは山積みです」

「だが、悪くない」

クラウス様は私の目を見つめた。

「君と一緒なら、どんな退屈な日常も、刺激的な『冒険』になりそうだ」

「冒険、ですか? 私は安全第一(セーフティ・ファースト)が好きですが」

「ふっ。……君という存在自体が、私にとっては最大の『予測不能な冒険』だよ」

クラウス様はテーブル越しに私の手を取り、指輪にキスをした。

食堂の賑やかな喧騒の中で、私たちだけの静かな時間が流れる。

「……帰りたくないな」

彼がポツリと漏らす。

「仕事、放り出してこのまま逃避行でもするか?」

「だめです。領主としての責任放棄は、契約違反です」

私は即答した。

「それに……」

「それに?」

「早く帰って、この旅行で使った経費の精算処理をしないと、気持ちが悪いです」

「……ははは!」

クラウス様が大笑いした。

「やっぱり君は、ブレないな!」

「当然です。私はエマールですから」

新婚旅行の夜は、美味しい料理と、心地よい会話、そして少しの計算と共に更けていった。

この旅で得たものは、お土産のネックレスと、日焼けの跡。
そして何より、「二人でいることの心地よさ」という、確かな実績データだった。

(……今回の旅行、満足度評価は星5つ。費用対効果、測定不能。……大成功ね)

私は心の中で帳簿を閉じ、幸せな眠りについた。
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