愛想が尽きました。婚約破棄?喜んで。

萩月

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光陰矢の如し。

ことわざの通り、時は金なり(Time is Money)の速度で過ぎ去っていった。

あれから、五年。

ヴァイサリウス辺境伯領は、かつてないほどの繁栄を極めていた。

私の「コスト削減」と「業務効率化」の改革は、領内の隅々まで浸透し、今やこの地は王国一の『黒字モデル地区』として、視察団がひっきりなしに訪れるまでになっていた。

「……ふむ。今期の税収、目標値を8%超過。農作物の収穫量も過去最高を更新。物流コストはさらに3%圧縮成功……」

私は執務室で、決算報告書を見ながら、ニヤリと口角を上げた。

「完璧ね。美しい数字の並びだわ」

「お母様」

その時、執務室のドアが控えめにノックされ、可愛らしい、しかし知的な声が響いた。

「入室許可をいただけますか?」

「どうぞ、レオン」

ドアが開くと、そこには五歳になる男の子が立っていた。

銀色の髪に、アイスブルーの瞳。

父親であるクラウス様をそのまま小さくしたような、天使のような美少年だ。

しかし、その手に持っているのは、熊のぬいぐるみではなく――自分専用の『ミニ電卓』と『家計簿』だった。

「どうしたの? おやつの時間でしょう?」

「はい。ですが、お母様に報告すべき『不整合(エラー)』を発見しました」

レオンはトコトコと私のデスクに歩み寄り、家計簿を広げた。

「今月のおやつ代の予算配分についてです。お父様が買ってきた『最高級キャラメル』の単価が高すぎます。これでは、月末までに予算がショートし、僕のクッキーの配給量が減少するリスクがあります」

「……」

私は眼鏡(心の目)をクイッと上げた。

「レオン。そのキャラメル、一個いくらだったの?」

「銀貨一枚です。市場価格の五倍です。お父様は『店員のお姉さんが困っていたから全部買った』と供述しています」

「……あの人は」

私はこめかみを押さえた。

「相変わらず、情に流されやすい(脇が甘い)わね。で、レオン。貴方はどう分析する?」

「はい。キャラメルの味は評価Aですが、コストパフォーマンスはDです。次回からは、街の駄菓子屋で『大袋入り・お徳用キャラメル』を購入し、浮いた予算で図鑑を買うべきだと具申します」

「素晴らしいわ、レオン!」

私は椅子から立ち上がり、愛息を抱きしめた。

「なんて賢い子! 五歳にして『費用対効果』と『代替案の提示』ができるなんて! 将来有望な経理マンになれるわ!」

「苦しいです、お母様。……でも、計算通り、お母様の機嫌が良くなったのでよしとします」

レオンが冷静に呟く。

見た目はクラウス様、中身は私。

まさに、ヴァイサリウス家の「ハイブリッド最高傑作」である。

そこへ、

「ただいまー! 私の愛する天使たち!」

窓ガラスがビリビリ震えるほどの大声と共に、本物のクラウス様が帰ってきた。

「お父様、おかえりなさいませ。声のボリュームが大きすぎます。騒音規制値を超えています」

レオンが即座に指摘する。

「うっ……。相変わらず手厳しいな、レオン」

クラウス様は苦笑しながら、レオンを高い高いと持ち上げた。

「いいじゃないか。一週間ぶりの帰宅だぞ? パパは寂しくて死にそうだったんだ」

「死因としては医学的に成立しません」

「くっ……! エマール! この子、また君に似てきたぞ!」

クラウス様が私に助けを求める。

五年経っても、この夫の美貌は衰えるどころか、大人の渋みが増して、もはや「歩くフェロモン兵器」と化している。

「あら、良いことではありませんか。将来、この領地を任せるには、これくらいの冷静さが必要です」

「可愛げがない! もっとこう、『パパ大好きー!』って抱きついてきてほしいんだよ私は!」

「抱きつくという行為に、生産性はありませんから」

レオンが真顔で切り捨てる。

「ガーン!」

クラウス様がショックで膝をついた。

「……でも」

レオンが、もじもじしながら、小さな声で付け加えた。

「……お父様が帰ってきて、……心拍数は少し上がりました。……嬉しい、の分類に入ると思います」

「レオン~ッ!!」

クラウス様が復活し、レオンに頬ずりをする。

「可愛い! やっぱり可愛い! パパが悪かった、キャラメルでもおもちゃでも、城ごと買ってやるぞ!」

「ダメです。予算オーバーです」

「ぐふっ」

私はその様子を微笑ましく眺めていた。

幸せだ。

かつて、孤独に数字と向き合っていた私が、こんなに賑やかで、非効率的で、愛おしい家族を持っている。

「……さて、閣下。感動の再会もそこそこに、こちらをご覧ください」

私は現実(仕事)を引き戻した。

「王都からの要請書です」

「ん? 兄上(国王)か? また金の無心か?」

「いいえ。今回は『助っ人依頼』です」

私は書類を読み上げた。

「『財務省の立て直しのため、エマール夫人の知恵を借りたい。また、近隣諸国との通商条約締結にあたり、クラウス辺境伯の武力による圧力(抑止力)も借りたい』とのことです」

「……やれやれ。人使いの荒い兄上だ」

クラウス様は肩をすくめた。

「どうする、エマール? 断るか?」

「条件次第ですね」

私は電卓を弾いた。

「コンサルティング料として、王都と当領地を結ぶ『高速街道』の建設費用を全額負担させる。さらに、レオンの王立学園への『無試験・特待生入学枠』を確約させる。……これなら、引き受けても損はありません」

「……恐ろしいな。国を相手にそこまで吹っ掛けるか」

「こちらの提示額(言い値)で通します。今の王国経済を握っているのは、実質的に私(当家)ですから」

私が不敵に笑うと、レオンもニヤリと笑った。

「お母様。その交渉、僕も同席して『子供の教育費の高騰』についてプレゼンしても?」

「ええ、いいわよ。相手を泣かせておやり」

「末恐ろしい親子だ……」

クラウス様は呆れつつも、誇らしげに私たちを見た。

「よし、行こうか! 久々の王都だ。……レイドやシルフィの様子も見に行ってみるか?」

その名前に、私は一瞬手を止めた。

「ああ、あの『長期更生プログラム』受講中の二人ですね」

風の噂では、レイド殿下は鉱山で現場監督に昇進し、「筋肉ダルマ」のような肉体を手に入れて、労働者たちのリーダーになっているらしい。

シルフィ様は、修道院で作った野菜が評判を呼び、「カリスマ農家」としてブランド野菜を立ち上げたとか。

「……彼らも、それなりに『黒字』の人生を歩んでいるようですね」

「会ってやるか?」

「いいえ。……完済するまで、会う必要はありません」

私はキッパリと言った。

「会えば、また『情』という不確定要素が入ります。彼らには、自分の力で最後までやり遂げてもらわないと」

「……厳しいな」

「愛ですよ。……スパルタ式の」

私はウィンクをした。



数日後、私たちは家族総出で王都へ向かう馬車の中にいた。

「見て、レオン。あれが王都よ」

窓の外に広がる巨大な都市。

「……ふむ。人口密度が高そうです。住宅環境の悪化と、ゴミ処理問題が懸念されます」

レオンの感想が辛辣(しんらつ)すぎる。

「ははは! 違いない」

クラウス様が笑い、私の肩を抱いた。

「エマール」

「はい」

「5年前、君をあの舞踏会から連れ出した時……こんな未来が来ると、計算できていたか?」

クラウス様が、優しい目で私を見つめる。

私は少し考えて、首を横に振った。

「いいえ。……私の計算機でも、ここまでの『大幅な上方修正(サプライズ)』は予測不能でした」

「そうか」

「私の人生設計では、独身のまま実家の経理をして、小金持ちの老婆になって死ぬ予定でしたから」

「それは寂しい計画だな」

「ええ。……だから」

私は、膝の上で眠り始めたレオンの頭を撫でながら、クラウス様に寄り添った。

「貴方が私を見つけてくれて、計算を狂わせてくれて……本当によかったです」

「……」

クラウス様は何も言わず、私の手に自分の手を重ねた。

左手の薬指には、あのアイス・サファイアが、5年前と変わらない輝きを放っている。

「愛しているよ、エマール。……これからも、私の計算を狂わせ続けてくれ」

「はい。……貴方の資産が尽きるまで、お付き合いします」

「尽きることはないさ。君がいる限りな」

馬車は王都の門をくぐる。

かつて「悪役令嬢」として追放されかけた街へ、今は「最強の辺境伯夫人」として凱旋する。

私の物語の第2章は、まだ始まったばかりだ。

(……さて。王都に着いたら、まずは国王陛下に『出張手当』の請求書を叩きつけないとね)

私はドレスのポケットに忍ばせた電卓を、愛おしく撫でた。

この先も、どんな困難があろうとも。
私の計算と、彼の剣と、そしてこの小さな後継者がいれば、恐れるものなど何もない。

私たちの未来は、いつだって「計算通り」――いや、「計算以上」に輝いているのだから。
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