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「……筋肉が。私の、全身の筋肉が、未知の言語で悲鳴を上げている……ッ!」
豪華な装飾が施された応接間のソファで、シリウス殿下が天を仰いで悶絶していました。
昨日の猛特訓、いえ「潜入捜査という名の草むしり」の結果です。
王族としての誇りを辛うじて保とうとしているのか、震える手で紅茶を啜ろうとしていますが、カップがカタカタと音を立てて絶望的なリズムを刻んでいます。
「殿下、それは筋肉痛という名の『成長の証』ですわ。昨日の貴方は、王子としてではなく一人の農夫として、大地と対話できていました。素晴らしい進歩ですわよ」
「対話などしていない! 一方的に大地に屈服させられただけだ! 見ろ、この手のひらのマメを! 王都の淑女たちがこれを見たら、ショックで寝込むぞ!」
「あら、私は好きですわよ。働き者の手というのは、宝石で飾られた手よりもずっと、トウガラシの苗に安心感を与えますもの」
「……っ。ま、またそうやって、さらりと不意打ちのようなことを言う……。貴様、私がそういう言葉に弱いと知っていて……」
殿下が急に顔を赤くして黙り込みました。
相変わらず顔色の変化が激しいお方です。血行が良いのは健康な証拠ですね。
私が新しいスコーン(今日はハバネロ入りの真っ赤なジャムを添えて)を差し出そうとしたその時、窓の外からけたたましい羽音が聞こえてきました。
「おや、伝書鳩ですわね。それも、王宮で使われている特別な品種の……」
窓を開けると、一羽の鳩が私の肩に止まりました。
脚に結ばれた筒の中から取り出したのは、ピンク色の香る便箋。
差出人は、例の「真実の愛」のヒロイン、リリア・ハサウェイ様でした。
「なっ、リリアからの手紙か!? 読ませろ! きっと、私がいない王宮で彼女がどれほど心細い思いをしているか、悲痛な叫びが綴られているはずだ!」
殿下が痛む体を引きずって身を乗り出してきました。
私は「はいはい」と適当に流しながら、手紙を開封します。
そこには、殿下の予想とは一八〇度異なる、躍動感あふれる文字が並んでいました。
『親愛なるロザリア様! 作戦成功、本当におめでとうございます!
殿下がそちらに追いかけていったと聞いて、思わずガッツポーズをしてしまいましたわ。
今、王宮は「王子失踪」の件で蜂の巣をつついたような大騒ぎですが、私は至って元気です。
あ、それから例の「悪役令嬢特製・魔王の涙(超激辛トウガラシ)」、あれ最高ですね!
昨晩、こっそり夜食のピザにかけて食べたら、あまりの辛さに脳が震えました。
殿下のことは適当に転がしておいてください。では、次回の納品を楽しみにしています!』
「…………」
「……おい、ロザリア。なぜ黙る? リリアは何と書いているんだ? 『殿下がいなくて寂しくて夜も眠れません』か? それとも『早く帰ってきて、私をこの冷たい王宮から救い出して』か?」
殿下の期待に満ちた眼差しが痛いです。
私はそっと手紙を畳み、穏やかな微笑みを浮かべました。
「ええ、まあ、そんな感じですわ。リリア様は『殿下がいなくて、王宮がとても静かです。トウガラシのおかげで、夜もぐっすり眠れています』とおっしゃっています」
「……ん? 何か、私の脳内翻訳とニュアンスが違う気がするのだが。トウガラシのおかげで眠れるとは、どういう意味だ?」
「それは……殿下の不在によるストレスを、激辛の刺激によるエンドルフィンの分泌で解消している、という高度な精神的ケアのことに決まっていますでしょう?」
「そ、そうなのか? リリアは、私のためにそこまで……。やはり、彼女を巻き込んでしまったのは間違いだったか。私が早く王都に戻らねば、彼女の胃袋が壊れてしまう……!」
殿下は勝手に感動して、なぜか拳を握りしめています。
勘違いというものは、時に残酷なほどポジティブに働くものですね。
リリア様、貴女の胃袋は壊れるどころか、ますます強化されているようですよ。
「ところで殿下、手紙には他にも重要なことが書いてありましたわ。王宮が『王子失踪』で大騒ぎだとか。これ、不敬罪どころか国家反逆罪に問われるのは、私の方ではありませんこと?」
「安心しろ。私は置手紙を置いてきた。『ロザリアの罪を暴くまで帰らん』とな。父上も、私の執念深さは知っている。今さら騒ぎ立てるような真似はせんはずだ」
「執念深い、という自覚はあったのですわね……。ですが殿下、いつまでもここに居座るわけにはいかないでしょう。王宮での公務はどうするのです?」
私が尋ねると、殿下はフッと口角を上げました。
その顔は、王都で見せていた「冷徹な王子」そのものでした。
「公務なら、第二王子の弟にすべて押し付けてきた。あいつは常々『兄上は真面目すぎる』と言っていたからな。たまには羽を伸ばさせてやるのも兄の慈悲というものだ」
「……弟君の悲鳴が、ここまで聞こえてきそうですわ」
「それよりもロザリア。リリアの手紙に『次回の納品』とあったが、あれは何のことだ? 貴様、リリアと裏で何かつながっているのか?」
おっと、鋭い。
さすがは第一王子、筋肉痛でも観察眼は衰えていないようです。
私は扇で口元を隠し、意味深な目で見つめ返しました。
「何のことかしら? リリア様とは、あくまで『断罪される側』と『される側』のビジネスライクな関係ですわよ。……そう、彼女は私の『辛味(からみ)』を理解してくれる、数少ない同志なのです」
「絡み……? やはり、リリアに何か良からぬ教育を施しているのだな! あの純真な彼女が、昨日からやたらと『刺激が欲しい』だの『もっと熱くなりたい』だのと言い出していたのは、すべて貴様の仕業か!」
「……まあ、あながち間違いではありませんわね」
リリア様が求めているのは、殿下の情熱ではなく、私の畑で採れる「ジョロキア・プロトタイプ」の刺激なのですが、殿下の脳内では、何やら艶っぽい恋愛ドラマに変換されているようです。
「許さんぞ、ロザリア! リリアをこれ以上、貴様の奇怪な趣味に染めさせるわけにはいかない。私は決めたぞ!」
「何を、ですの?」
「調査の期間を延長する! 貴様がリリアに送り込んでいる『毒(スパイス)』の正体を突き止めるまで、私は絶対にここを離れん!」
「……はあ。左様でございますか」
私は、もはやツッコむ気力も失い、冷めた紅茶を飲み干しました。
殿下が居座れば居座るほど、私の労働力は確保され、リリア様への秘密の輸出もバレにくくなる。
……実は、私にとっても悪い話ではないのです。
「わかりましたわ、殿下。そこまでおっしゃるなら、根比べといきましょう。ですが、今日は昨日よりもハードなメニューを用意しておりますのよ?」
「望むところだ! 私は負けん! 大地にも、トウガラシにも、そして貴様にもな!」
高らかに宣言する殿下でしたが、その直後、足がもつれてテーブルに膝をぶつけ、「ぎゃふん」という古風な悲鳴を上げて転倒しました。
王子の尊厳が、アルメリア領の床に激突した瞬間でした。
私の「自由な隠居生活」への道のりは、この愛すべき大馬鹿な王子様のおかげで、ますます遠のいていくのでした。
豪華な装飾が施された応接間のソファで、シリウス殿下が天を仰いで悶絶していました。
昨日の猛特訓、いえ「潜入捜査という名の草むしり」の結果です。
王族としての誇りを辛うじて保とうとしているのか、震える手で紅茶を啜ろうとしていますが、カップがカタカタと音を立てて絶望的なリズムを刻んでいます。
「殿下、それは筋肉痛という名の『成長の証』ですわ。昨日の貴方は、王子としてではなく一人の農夫として、大地と対話できていました。素晴らしい進歩ですわよ」
「対話などしていない! 一方的に大地に屈服させられただけだ! 見ろ、この手のひらのマメを! 王都の淑女たちがこれを見たら、ショックで寝込むぞ!」
「あら、私は好きですわよ。働き者の手というのは、宝石で飾られた手よりもずっと、トウガラシの苗に安心感を与えますもの」
「……っ。ま、またそうやって、さらりと不意打ちのようなことを言う……。貴様、私がそういう言葉に弱いと知っていて……」
殿下が急に顔を赤くして黙り込みました。
相変わらず顔色の変化が激しいお方です。血行が良いのは健康な証拠ですね。
私が新しいスコーン(今日はハバネロ入りの真っ赤なジャムを添えて)を差し出そうとしたその時、窓の外からけたたましい羽音が聞こえてきました。
「おや、伝書鳩ですわね。それも、王宮で使われている特別な品種の……」
窓を開けると、一羽の鳩が私の肩に止まりました。
脚に結ばれた筒の中から取り出したのは、ピンク色の香る便箋。
差出人は、例の「真実の愛」のヒロイン、リリア・ハサウェイ様でした。
「なっ、リリアからの手紙か!? 読ませろ! きっと、私がいない王宮で彼女がどれほど心細い思いをしているか、悲痛な叫びが綴られているはずだ!」
殿下が痛む体を引きずって身を乗り出してきました。
私は「はいはい」と適当に流しながら、手紙を開封します。
そこには、殿下の予想とは一八〇度異なる、躍動感あふれる文字が並んでいました。
『親愛なるロザリア様! 作戦成功、本当におめでとうございます!
殿下がそちらに追いかけていったと聞いて、思わずガッツポーズをしてしまいましたわ。
今、王宮は「王子失踪」の件で蜂の巣をつついたような大騒ぎですが、私は至って元気です。
あ、それから例の「悪役令嬢特製・魔王の涙(超激辛トウガラシ)」、あれ最高ですね!
昨晩、こっそり夜食のピザにかけて食べたら、あまりの辛さに脳が震えました。
殿下のことは適当に転がしておいてください。では、次回の納品を楽しみにしています!』
「…………」
「……おい、ロザリア。なぜ黙る? リリアは何と書いているんだ? 『殿下がいなくて寂しくて夜も眠れません』か? それとも『早く帰ってきて、私をこの冷たい王宮から救い出して』か?」
殿下の期待に満ちた眼差しが痛いです。
私はそっと手紙を畳み、穏やかな微笑みを浮かべました。
「ええ、まあ、そんな感じですわ。リリア様は『殿下がいなくて、王宮がとても静かです。トウガラシのおかげで、夜もぐっすり眠れています』とおっしゃっています」
「……ん? 何か、私の脳内翻訳とニュアンスが違う気がするのだが。トウガラシのおかげで眠れるとは、どういう意味だ?」
「それは……殿下の不在によるストレスを、激辛の刺激によるエンドルフィンの分泌で解消している、という高度な精神的ケアのことに決まっていますでしょう?」
「そ、そうなのか? リリアは、私のためにそこまで……。やはり、彼女を巻き込んでしまったのは間違いだったか。私が早く王都に戻らねば、彼女の胃袋が壊れてしまう……!」
殿下は勝手に感動して、なぜか拳を握りしめています。
勘違いというものは、時に残酷なほどポジティブに働くものですね。
リリア様、貴女の胃袋は壊れるどころか、ますます強化されているようですよ。
「ところで殿下、手紙には他にも重要なことが書いてありましたわ。王宮が『王子失踪』で大騒ぎだとか。これ、不敬罪どころか国家反逆罪に問われるのは、私の方ではありませんこと?」
「安心しろ。私は置手紙を置いてきた。『ロザリアの罪を暴くまで帰らん』とな。父上も、私の執念深さは知っている。今さら騒ぎ立てるような真似はせんはずだ」
「執念深い、という自覚はあったのですわね……。ですが殿下、いつまでもここに居座るわけにはいかないでしょう。王宮での公務はどうするのです?」
私が尋ねると、殿下はフッと口角を上げました。
その顔は、王都で見せていた「冷徹な王子」そのものでした。
「公務なら、第二王子の弟にすべて押し付けてきた。あいつは常々『兄上は真面目すぎる』と言っていたからな。たまには羽を伸ばさせてやるのも兄の慈悲というものだ」
「……弟君の悲鳴が、ここまで聞こえてきそうですわ」
「それよりもロザリア。リリアの手紙に『次回の納品』とあったが、あれは何のことだ? 貴様、リリアと裏で何かつながっているのか?」
おっと、鋭い。
さすがは第一王子、筋肉痛でも観察眼は衰えていないようです。
私は扇で口元を隠し、意味深な目で見つめ返しました。
「何のことかしら? リリア様とは、あくまで『断罪される側』と『される側』のビジネスライクな関係ですわよ。……そう、彼女は私の『辛味(からみ)』を理解してくれる、数少ない同志なのです」
「絡み……? やはり、リリアに何か良からぬ教育を施しているのだな! あの純真な彼女が、昨日からやたらと『刺激が欲しい』だの『もっと熱くなりたい』だのと言い出していたのは、すべて貴様の仕業か!」
「……まあ、あながち間違いではありませんわね」
リリア様が求めているのは、殿下の情熱ではなく、私の畑で採れる「ジョロキア・プロトタイプ」の刺激なのですが、殿下の脳内では、何やら艶っぽい恋愛ドラマに変換されているようです。
「許さんぞ、ロザリア! リリアをこれ以上、貴様の奇怪な趣味に染めさせるわけにはいかない。私は決めたぞ!」
「何を、ですの?」
「調査の期間を延長する! 貴様がリリアに送り込んでいる『毒(スパイス)』の正体を突き止めるまで、私は絶対にここを離れん!」
「……はあ。左様でございますか」
私は、もはやツッコむ気力も失い、冷めた紅茶を飲み干しました。
殿下が居座れば居座るほど、私の労働力は確保され、リリア様への秘密の輸出もバレにくくなる。
……実は、私にとっても悪い話ではないのです。
「わかりましたわ、殿下。そこまでおっしゃるなら、根比べといきましょう。ですが、今日は昨日よりもハードなメニューを用意しておりますのよ?」
「望むところだ! 私は負けん! 大地にも、トウガラシにも、そして貴様にもな!」
高らかに宣言する殿下でしたが、その直後、足がもつれてテーブルに膝をぶつけ、「ぎゃふん」という古風な悲鳴を上げて転倒しました。
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