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第3章〜転

今日は、1,000年目の満月。

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『この世をば 我(わ)が世とぞ思ふ 望月(もちづき)の 欠けたることも なしと思へば』

 有名な藤原道長が詠んだ和歌である。
『望月の歌』とも呼ばれ有名だが、望月とは満月のこと。

 道長がこの世が自分のものになった、満月のように欠けることもない。

と詠んだと簡単に解釈できるのだが、満月を見ながら詠んだにしては、本当に当時の歌人にしては含みもなければ素直すぎるような気がしていた。

 同じ年代の和泉式部の、

『あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな』

 私はまもなく死んでしまうでしょうが、あの世への思い出として、せめてもう一度貴方にお逢いしとうございます。

 ”あらざらむ”は、死んでしまうだろう。
 ”この世のほか”は、あの世。
 ”いまひとたびの”は、もう一度。
 ”あふこともがな”は、(貴方に)逢いたいものです。

 などもあるように、枕詞などを使う歌ではなく和泉式部も素直に恋人に贈ったものだろう。

 道長の歌は、当時の藤原実資(ふじわらのさねすけ)と言う、道長に批判的な貴族の残した日記の『小右記(しょうゆうき)』に残っていたが、他の貴族、当人の道長も日記に残していない。
 満月に宴を催したのは事実だが、この歌を詠んでいない可能性もある。

 それに、道長は当時の最も権力を握る……自分の娘を四人天皇に嫁がせ、子供が生まれ皇太后や中宮などに上り詰め、政敵を次々倒し、満月のように満ち足りた時期で他に怖いものはない状態だったかもしれない。
 しかし当時は寛仁二年10月16日(1018年11月26日)は、周囲には大らかに見せていたのだろうが、翌年3月病を得て出家した上に、長男の頼通は子供がおらず、この後、どうなるか不安もあったはずである。
 有能な政治家でもあった道長が、先を考えずに軽々しくこのような歌を周囲の前で歌ったと言うのも不思議で仕方がない。

 まぁ、それだけの権力を有していたものの、一族が今現在坂の上に待機しており、少し背を押すだけで坂を転がり落ちていく危険も見えてくるような気がする。

 まぁ、1000年前のこと……。
 今日の満月は本当に美しい。
 1,000年前に平安貴族の見ていた空と今の空は別だが、空が時空を超え、道長たち平安貴族の宴に思いをはせるのもいいかもしれないと思ったのだった。
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