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始まりは多分お別れという意味なのですわ。
一度目は許してやったが、二度目はないと理解させてやろう……セイ目線
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ノックの音が響く。
俺は宰相補佐セイファード。
一応、父が領地を持たぬグランディア大公セイシュウ・クリストファー。
父の妹が現国王の母后で、他国の王族だった俺の祖父が、一族を連れ亡命した。
祖父が本当は大公位に就くはずだったが、自分は別の仕事があると、いただいてすぐ父に任せてしまい、大公として儀式行事に参加するのは父で、異国の王侯に会う時だけ、半分隠居している地方から姿を見せる。
ちなみに大公という位は名前だけの爵位で、初代の祖父と現在の父の二代だけ大公と呼ばれ、次の当主の俺は公爵になる。
爵位により国から恩賞をもらうのだが、それはほとんど福祉関係の寄付や、亡命と共に持ってきた文化財の保全修理に注ぎ込んでしまうので、将来的に必要なのは手に職、仕事だろうと、ある程度勉強してから就職し、現在の状況にほぼ満足していた。
俺を弟のように可愛がり、仕事のノウハウを丁寧に教えてくれた上司のマガタ公爵スティファン卿は、オーバーワーク気味の仕事人間だった。
あまりにも忙しい人なので、慣れてきた今では補佐としてサポートだけでなく、俺でも采配できる書類は預かり、そのほか、スケジュール管理、食事、休憩と多岐にわたる仕事をさせてもらっている。
「入りまーす」
扉が開き、入ってきたのは珍しく険しい顔をした幼なじみたち……弟分とも言う。
ノックが必要ないのは、部下が出入りする廊下に面した扉ではなく、廊下を通らなくても移動できる別扉から現れたからである。
「どうしました? 王弟殿下にマルムスティーン侯爵閣下」
「お茶を淹れようか?」
おいおい、こらこら……宰相の兄さんが、にっこり笑ってする仕事じゃないだろ?
でも兄さんはサボり魔ではないけれど、世話好きで働きすぎだ、休憩はいいかもしれない。
「ストップです。俺が淹れます。待ってください」
「ねぇ、お茶淹れてる時間が惜しいから、話だけ聞いて欲しいんだけど」
王弟であり、俺の二つ下の従兄弟は、困ったような顔でチラッと隣の義弟を見た。
「何だ? 蒼記」
「えっと、僕……も言いたくないんだけど……幸矢がマジギレして、先に行っちゃったから、ここにきたんだよね……」
「で、俺に追いかけろと?」
「というか、行かなきゃ、珍しくちぃが荒れてるんだよね~」
「はぁ?」
俺の19歳下の弟のちぃ……千夜は結構我慢強い奴である。
まぁ、俺が生まれる前に二度、俺が生まれてからも母さんが何度か流産を繰り返して、生まれたのが三つ子の弟妹たち。
その中でもちぃは、男だからと俺は二人より厳しめに接した。
理不尽に怒ったりするんじゃなく、なんで勉強は必要かから、武器を持つ意味、マナーについてまで、こんこんと言い聞かせたのだ。
特におっとりだけど、優しくて刺繍や花壇の世話をするのが好きな母さんに似たふぅ……二葉と、おてんばだが怖がりのナナ……七聆を、歳の違う俺では何かあった時に助けられないかもしれなかったから、敵は倒さなくてもいいけれど、引かせる……もしくは隙をついて逃亡すると言った方法を叩き込んだ。
身を守る術を教えていくうち、俺の得意な棒術や拳術だけでは物足りなくなったのか、騎士になりたいと言い出した。
まぁ、父の跡を継ぐ俺とは違うし、ちぃは俺の可愛い弟だから、好きなことをすればいいと応援した。
そうして、今ではこの国でも優秀な幹部騎士になり、重要な任務に携わるようになっている。
住んでいるのは同じ邸宅で、職場も少し離れているが一緒だから会うことも多い。
でも、どちらも結婚し子供もいて、当然一回り以上も歳が違うんだから、俺の子供はちぃとあまり歳が変わらなかったし、ついに最近俺には孫まで生まれた。
……話を戻そう。
ちぃが荒れたり、あの幸矢がキレるってことは、なんかやばいことがあったってことか……。
俺は、こめかみをぐりぐりする蒼記ではなく、胃が痛いとお腹を押さえている彗を見た。
「彗……何があったのか?」
「……ごめんなさい……セイ兄、またうちのバカがやらかした!」
土下座をせんばかりの勢いで、床に座り込む幼なじみ。
「馬鹿? お前の愚息か?」
「そう……それにナナも……だけど」
「はぁ? ナナとアンディールが……毎日の日課が正式になったのか?」
日課……それは、女好きのアンディールが余所見をしたと、少々嫉妬深いナナがキレる夫婦喧嘩。
別れる別れないとなんだかんだ騒ぎ立てるが、アンディールはナナに惚れているから、問題ないと思うのだが……。
そう考える俺の前で、床に座り込み、両手をついた状態で項垂れる彗は、泣きそうな声で告げる。
「もう、夫婦喧嘩は犬も食わないんだから、あんなのポイして欲しい! なんならアイツら捨てたい! もう嫌だ! もう嫌だ~! あんな馬鹿息子いらない! アイツ、あんなに馬鹿なのに! 僕は一度だって、あんなことアイツの前で言ったことないのに! ルナに! ルナに余計なこと言ったんだ!」
「はぁ? ルナにか? 何を?」
ルナは、俺にとって一番と言っても良いほど、可愛い自慢の姪だ。
考え……いや頭脳は、飛び抜けていいんだろう。
一歳半の頃、知育玩具で色々しでかしたらしい……いい意味で。
2歳上の兄の飽きてしまった文字並べの積み木で、ちぃが読んでいたファッション雑誌の文字を間違いなく並べたり、祖父であるこの彗の術を見ていて、自分もとたどたどしいもののスペルを唱え、成功させたりと、規格外の才能を見せつけた。
好奇心が旺盛で、素直で真面目。
何でここまであの歳で……と思っていたが。
嘆き続ける彗を、うるさいなぁと言いたげにペイッと頭を叩いた蒼記は、
「彗が戻ってくる時間も待てないから簡単にいうけど、あのバカ夫婦が、一年半もの間、文句と簡単なおはようとかの挨拶以外、ルナと話もせず、顔も合わせず、朝食も一緒にとらず! 他の二人は連れて出かけるのにルナだけ放置。その上、日常的に可愛くないだの、これが俺の娘とは思えないだの暴言吐きまくり。誕生日プレゼントも渡してなかったらしくて、ルナは、『わたくしのことは何とも思ってないくせに、何をいうんです? お父さまもお母さまも何とも思っていません。もうお父さまに見て欲しいとも考えません。さようなら!』って言って、おおじいさまの『ガラクタ部屋』で泣いてたんだって」
「なんだって! なんてことを言うんだ! すぐに行かないと!」
愕然とする俺の横で激怒してくれたのは、上司。
一気に書類を片付け、ルナが誕生日プレゼントだと彼に贈ってくれたのだという、普段から大切にしているペンをペンケースに収め、一緒に金庫に入れた。
「……一応、今日、子供達とルナを連れて、外に遊びに行くつもりだったちぃが、呆然とするバカを見つけて何をしたんだ! って問い詰めて、ぶん殴って、後を追いかけて見つけんだよね?」
「うん、ちぃの前で号泣。そのあと高熱出して寝込んだって」
「あぁん? あのバカ亭主はともかく、ナナは? アイツはちゃんとしてるだろ?」
上司も俺も、ここに籠る仕事の時には胸元のボタンを外し、ラフな格好をする。
そして、朱肉で汚れないよう袖を捲り上げ……昔はインクも飛び散って悲惨だったが、ルナの開発したペンのおかげでそちらは無くなったと大喜びだったりする。
ちなみにそのペンは、俺たちが使い心地を試した後、商品化、異国の王侯貴族への贈り物として贈られるようになり、価値が跳ね上がっている。
今現在王宮の売店の他、この国でも四店舗でしか販売されておらず、超高級品だ。
こんな素晴らしいものを、三歳で考えて作るルナは天才だ!
……あぁ、姪自慢は後にしよう。
俺は足元の彗を見下ろす。
頭を抱えた彗が首を振る。
「駄目だったの~! ごめんよ~、セイ兄。ナナにもいったんだよ? 『サディやミリアとルナは兄妹なんだから、平等にちゃんと見てなさい。可愛がれるでしょ?』って。でも、ナナは『長男のサディのことや、まだ小さいミリアのことで手一杯』だって! 『そうじゃないでしょ』っていったんだよ? それに、『そんなふうに子供に差別するのはおかしい、ナナだって三つ子だったけど、そこまで差はなかったはずだよ? 逆にちぃにだけ、セイ兄やおじさんは厳しかったくらいじゃないか』って! なのに、『子供に接する教育の問題は、自分たち夫婦の問題です。口出ししないでください!』って! 最近じゃ僕のことを鬱陶しがって嫌そうな顔して、無視するんだ……」
半泣きどころか、鼻声で訴える幼なじみに、俺も蒼記も頷く。
あぁ、ちぃにはスパルタだったな……代わりにナナを甘やかしすぎたんじゃないかと今更だが反省して、俺はちぃに謝っているくらいだ。
今でも時々胸が痛む。
だが、ちぃは笑って、
「今の俺があるのは、父さんと母さんと兄貴のおかげだよ」
と言ってくれる。
いい子に育った!
そのかわり甘ったれナナは、9年前までちぃを文字通り束縛していた。
一卵性だから、自分の弟だからとちぃは自分のものと傲慢にも思っていたらしい。
ちぃの交友関係にも口を出したし、何かあると引っ張り回し、自分の部屋はあるというのにちぃの部屋に入り浸り、ちぃの机の中も荒らし、物を持ち出したこともあった。
ちぃの作ったイベント用のドレスを勝手に着ては、夜会に行ったりもしたし、そこまでするんじゃない! もうするな! と親父と二人で厳しく説教をしたが、反省してもその場限りで、また同じことを繰り返す。
最終的には仕事にも支障が出て、温厚な幸矢が、
「いい加減にしないとナナを追放するよ? こんなバカでワガママな娘いらないでしょ? ちぃをこの勘違いナナから解放させるために、どこか遠方に嫁に出しなよ!」
とブチ切れた。
怒り狂う……文字通り天候は荒れ狂った……幸矢を宥め、急いで見合い先を探したが、結婚適齢期をとうに過ぎた、しかもわがまま娘を迎える家などなく、その時に、彗の息子が結婚したいと言い出した。
しかし、こちらも彗が手を焼く問題児。
大丈夫か? と心配したが子供が3人も生まれて、もう手を離してもいいだろうと安心していたというのに……。
それに、もう一人のふぅは若い頃から別の意味で苦労させることになったし、遠く離れて暮らすことになって気を揉んだが、最近戻ってきて安心していたし、ちぃはちぃで束縛体質のナナからようやく解放されて、昔からあこがれていた日向夏と結婚して子供も生まれ、仕事は忙しいようだが、時々休みには家族とルナに服を作り、お揃いの服で手を繋いで公園などに出かけていた。
ルナは嬉しそうにちぃが贈ったワンピースを着て、スケッチブックを抱えて俺に会いに来て、
「これからちぃちゃんとひゅーかちゃんと、千夏ちゃんとフーカと遊びに行ってきますわ。セイちゃん。公園の花は摘めませんが、綺麗な葉っぱがあったら、拾ってきますわね! 絵も描いてきますの! 見てくださいね!」
なんて言って、満面の笑みで手を振って出かけたり……。
そんな健気で可愛いルナに何をした?
「……アンディールもナナも……死にたいらしいな! 今まで野放しにするんじゃなかった!」
もう我慢できない!
「ぶっ殺す! なんならナナと縁を切る! 俺には妹と弟は一人ずつ! ふぅとちぃだけだ!」
「僕も、跡取りはバカを飛び越えてサディ……とも思っていたけど、実はサディもルナを無視するようになっていたんだ。もう、8歳……親のすることを真似するようになってたみたい。良い子だと思っていたんだけどね……ミリアはあの歳でしょ? 意味はわからないまま、母親の無神経さそのままで、ルナに可哀想ですねとか、お母さまにいただいたのですが、いらないので差し上げますとか……」
「……始末しろ! それとも追放しろ!」
俺は彗の胸ぐらを掴むと、力任せに揺さぶった。
「ちょーっと待って! 彗は、これでも肉体労働向いてないから! セイと違って文武両道じゃないから!」
「黙れ! 俺たちもあんな風にナナを育ててしまったのは悪いが、アイツを馬鹿に育ててしまった彗も悪い!」
「わかってるよ! だから、もう、うちから追い出そうと思ってる! 後継者はルナにしようかって前々からみんなと話してたし……」
髪を撫でつけ、簡単に整え直した上司は、こちらを見る。
昔から抱えすぎだろう? というくらいの膨大な仕事を分単位でこなし、疲れて薄汚れた感じのおっさん……俺が補佐に着く前は、三日三晩一睡もせず、髭を剃る暇もなく髪もバサバサ伸び放題、服もシワだらけ、目の下にはくっきりクマ、家に帰れず、椅子に座ったまま数時間の仮眠だったらしい。
だが最近は毎日家に帰り、ある程度は見目も良くなったが、仕事はこちらも後継者の放浪癖で継がせることができず、孫の成長を待っている……が、キリッとした表情で、
「行こうか……うん、少し腕がなまっているんだ。大祭に向けて調整もしたいと思っていたし、ちょうど良いだろう……セイ、三日ほど休暇は可能か?」
「大丈夫でしょう。緊急の職務は全て終わらせていらっしゃいますし、今すすめていたのは一月くらいはずらせます。いえ、ずらして結構です。どうせ、俺も休みを取るつもりでしたから……」
「そうだよな……優先すべきもの、緊急事態だもんな……久々に本気出すか……アーサーもエドワードも文句はないよな?」
腕を回しながら肩慣らしを始める上司に、彗は土下座をする。
「はい! どうかバカたちが、自分がしでかしたことを理解して自覚して、もうしません! ごめんなさい! というくらいまで、叩きのめしてください! ついでに、あの性格と自尊心をとことん折って潰して、自分がどれだけ愚かだったか、骨の髄までわからせてやってください!」
「あぁ、大丈夫だ。と言いたいが、先に行ったのがアルだってのが、心配だ。殴る場所や体力残ってるか?」
「僕が、術で何度か回復させます! 三日三晩、眠らなくても良いようにしても結構です!」
「三日三晩じゃ足りないだろう? 6年の虐待を三日で反省できるとは思えないな?」
俺は口を挟む。
ビックーン……
こちらを見た蒼白の彗を尻目に、
「ねぇ、兄さん。確かファルト領やスティアナ公国に蔓延る犯罪者の掃討作戦に、人手足りませんよね? 兄さんの弟のレク……レクシア公主も、頭を悩ませていらっしゃるとか?」
「そうだなぁ……甥のマルセルがほとんどは壊滅させたらしいが、まだ小悪党が何かをしでかしそうだ。向こうに戻るって言っても難しいし、俺はもう苦労させることになったレクを戻したくない」
「じゃぁ、忙しいレクシア公主の代わりに、代行として、バカ二人を送ってはいかがでしょう? 安心してください。乗っ取りとかではなく、レクシア公主のお妃は俺の妹のふぅ……二葉です。その妹のナナですからね。ふぅができてナナができないことはありませんよ! ははは! ねぇ? 兄さん」
「そうだなぁ……うん、それも良いだろう。でも、子供たちは?」
「何をいうんですか。あの二人が手放すわけありませんよ! ほら、長女を放置して溺愛しているんですよ? 可愛い子供たちは、自分たちが面倒を見るでしょう?」
ははは……!
俺と兄さんの笑い声に、蒼記はため息をつく。
「彗を責めないように。悪いのはバカだから。その話は向こうでしてね?」
「そうだな、いこう」
「彗も終わった後、二、三日静養して。ルナの方が優先だから」
その声を聞きながら、俺は敬愛する上司であり、共犯者となるマガタ公爵と共に断罪に向かったのだった。
俺は宰相補佐セイファード。
一応、父が領地を持たぬグランディア大公セイシュウ・クリストファー。
父の妹が現国王の母后で、他国の王族だった俺の祖父が、一族を連れ亡命した。
祖父が本当は大公位に就くはずだったが、自分は別の仕事があると、いただいてすぐ父に任せてしまい、大公として儀式行事に参加するのは父で、異国の王侯に会う時だけ、半分隠居している地方から姿を見せる。
ちなみに大公という位は名前だけの爵位で、初代の祖父と現在の父の二代だけ大公と呼ばれ、次の当主の俺は公爵になる。
爵位により国から恩賞をもらうのだが、それはほとんど福祉関係の寄付や、亡命と共に持ってきた文化財の保全修理に注ぎ込んでしまうので、将来的に必要なのは手に職、仕事だろうと、ある程度勉強してから就職し、現在の状況にほぼ満足していた。
俺を弟のように可愛がり、仕事のノウハウを丁寧に教えてくれた上司のマガタ公爵スティファン卿は、オーバーワーク気味の仕事人間だった。
あまりにも忙しい人なので、慣れてきた今では補佐としてサポートだけでなく、俺でも采配できる書類は預かり、そのほか、スケジュール管理、食事、休憩と多岐にわたる仕事をさせてもらっている。
「入りまーす」
扉が開き、入ってきたのは珍しく険しい顔をした幼なじみたち……弟分とも言う。
ノックが必要ないのは、部下が出入りする廊下に面した扉ではなく、廊下を通らなくても移動できる別扉から現れたからである。
「どうしました? 王弟殿下にマルムスティーン侯爵閣下」
「お茶を淹れようか?」
おいおい、こらこら……宰相の兄さんが、にっこり笑ってする仕事じゃないだろ?
でも兄さんはサボり魔ではないけれど、世話好きで働きすぎだ、休憩はいいかもしれない。
「ストップです。俺が淹れます。待ってください」
「ねぇ、お茶淹れてる時間が惜しいから、話だけ聞いて欲しいんだけど」
王弟であり、俺の二つ下の従兄弟は、困ったような顔でチラッと隣の義弟を見た。
「何だ? 蒼記」
「えっと、僕……も言いたくないんだけど……幸矢がマジギレして、先に行っちゃったから、ここにきたんだよね……」
「で、俺に追いかけろと?」
「というか、行かなきゃ、珍しくちぃが荒れてるんだよね~」
「はぁ?」
俺の19歳下の弟のちぃ……千夜は結構我慢強い奴である。
まぁ、俺が生まれる前に二度、俺が生まれてからも母さんが何度か流産を繰り返して、生まれたのが三つ子の弟妹たち。
その中でもちぃは、男だからと俺は二人より厳しめに接した。
理不尽に怒ったりするんじゃなく、なんで勉強は必要かから、武器を持つ意味、マナーについてまで、こんこんと言い聞かせたのだ。
特におっとりだけど、優しくて刺繍や花壇の世話をするのが好きな母さんに似たふぅ……二葉と、おてんばだが怖がりのナナ……七聆を、歳の違う俺では何かあった時に助けられないかもしれなかったから、敵は倒さなくてもいいけれど、引かせる……もしくは隙をついて逃亡すると言った方法を叩き込んだ。
身を守る術を教えていくうち、俺の得意な棒術や拳術だけでは物足りなくなったのか、騎士になりたいと言い出した。
まぁ、父の跡を継ぐ俺とは違うし、ちぃは俺の可愛い弟だから、好きなことをすればいいと応援した。
そうして、今ではこの国でも優秀な幹部騎士になり、重要な任務に携わるようになっている。
住んでいるのは同じ邸宅で、職場も少し離れているが一緒だから会うことも多い。
でも、どちらも結婚し子供もいて、当然一回り以上も歳が違うんだから、俺の子供はちぃとあまり歳が変わらなかったし、ついに最近俺には孫まで生まれた。
……話を戻そう。
ちぃが荒れたり、あの幸矢がキレるってことは、なんかやばいことがあったってことか……。
俺は、こめかみをぐりぐりする蒼記ではなく、胃が痛いとお腹を押さえている彗を見た。
「彗……何があったのか?」
「……ごめんなさい……セイ兄、またうちのバカがやらかした!」
土下座をせんばかりの勢いで、床に座り込む幼なじみ。
「馬鹿? お前の愚息か?」
「そう……それにナナも……だけど」
「はぁ? ナナとアンディールが……毎日の日課が正式になったのか?」
日課……それは、女好きのアンディールが余所見をしたと、少々嫉妬深いナナがキレる夫婦喧嘩。
別れる別れないとなんだかんだ騒ぎ立てるが、アンディールはナナに惚れているから、問題ないと思うのだが……。
そう考える俺の前で、床に座り込み、両手をついた状態で項垂れる彗は、泣きそうな声で告げる。
「もう、夫婦喧嘩は犬も食わないんだから、あんなのポイして欲しい! なんならアイツら捨てたい! もう嫌だ! もう嫌だ~! あんな馬鹿息子いらない! アイツ、あんなに馬鹿なのに! 僕は一度だって、あんなことアイツの前で言ったことないのに! ルナに! ルナに余計なこと言ったんだ!」
「はぁ? ルナにか? 何を?」
ルナは、俺にとって一番と言っても良いほど、可愛い自慢の姪だ。
考え……いや頭脳は、飛び抜けていいんだろう。
一歳半の頃、知育玩具で色々しでかしたらしい……いい意味で。
2歳上の兄の飽きてしまった文字並べの積み木で、ちぃが読んでいたファッション雑誌の文字を間違いなく並べたり、祖父であるこの彗の術を見ていて、自分もとたどたどしいもののスペルを唱え、成功させたりと、規格外の才能を見せつけた。
好奇心が旺盛で、素直で真面目。
何でここまであの歳で……と思っていたが。
嘆き続ける彗を、うるさいなぁと言いたげにペイッと頭を叩いた蒼記は、
「彗が戻ってくる時間も待てないから簡単にいうけど、あのバカ夫婦が、一年半もの間、文句と簡単なおはようとかの挨拶以外、ルナと話もせず、顔も合わせず、朝食も一緒にとらず! 他の二人は連れて出かけるのにルナだけ放置。その上、日常的に可愛くないだの、これが俺の娘とは思えないだの暴言吐きまくり。誕生日プレゼントも渡してなかったらしくて、ルナは、『わたくしのことは何とも思ってないくせに、何をいうんです? お父さまもお母さまも何とも思っていません。もうお父さまに見て欲しいとも考えません。さようなら!』って言って、おおじいさまの『ガラクタ部屋』で泣いてたんだって」
「なんだって! なんてことを言うんだ! すぐに行かないと!」
愕然とする俺の横で激怒してくれたのは、上司。
一気に書類を片付け、ルナが誕生日プレゼントだと彼に贈ってくれたのだという、普段から大切にしているペンをペンケースに収め、一緒に金庫に入れた。
「……一応、今日、子供達とルナを連れて、外に遊びに行くつもりだったちぃが、呆然とするバカを見つけて何をしたんだ! って問い詰めて、ぶん殴って、後を追いかけて見つけんだよね?」
「うん、ちぃの前で号泣。そのあと高熱出して寝込んだって」
「あぁん? あのバカ亭主はともかく、ナナは? アイツはちゃんとしてるだろ?」
上司も俺も、ここに籠る仕事の時には胸元のボタンを外し、ラフな格好をする。
そして、朱肉で汚れないよう袖を捲り上げ……昔はインクも飛び散って悲惨だったが、ルナの開発したペンのおかげでそちらは無くなったと大喜びだったりする。
ちなみにそのペンは、俺たちが使い心地を試した後、商品化、異国の王侯貴族への贈り物として贈られるようになり、価値が跳ね上がっている。
今現在王宮の売店の他、この国でも四店舗でしか販売されておらず、超高級品だ。
こんな素晴らしいものを、三歳で考えて作るルナは天才だ!
……あぁ、姪自慢は後にしよう。
俺は足元の彗を見下ろす。
頭を抱えた彗が首を振る。
「駄目だったの~! ごめんよ~、セイ兄。ナナにもいったんだよ? 『サディやミリアとルナは兄妹なんだから、平等にちゃんと見てなさい。可愛がれるでしょ?』って。でも、ナナは『長男のサディのことや、まだ小さいミリアのことで手一杯』だって! 『そうじゃないでしょ』っていったんだよ? それに、『そんなふうに子供に差別するのはおかしい、ナナだって三つ子だったけど、そこまで差はなかったはずだよ? 逆にちぃにだけ、セイ兄やおじさんは厳しかったくらいじゃないか』って! なのに、『子供に接する教育の問題は、自分たち夫婦の問題です。口出ししないでください!』って! 最近じゃ僕のことを鬱陶しがって嫌そうな顔して、無視するんだ……」
半泣きどころか、鼻声で訴える幼なじみに、俺も蒼記も頷く。
あぁ、ちぃにはスパルタだったな……代わりにナナを甘やかしすぎたんじゃないかと今更だが反省して、俺はちぃに謝っているくらいだ。
今でも時々胸が痛む。
だが、ちぃは笑って、
「今の俺があるのは、父さんと母さんと兄貴のおかげだよ」
と言ってくれる。
いい子に育った!
そのかわり甘ったれナナは、9年前までちぃを文字通り束縛していた。
一卵性だから、自分の弟だからとちぃは自分のものと傲慢にも思っていたらしい。
ちぃの交友関係にも口を出したし、何かあると引っ張り回し、自分の部屋はあるというのにちぃの部屋に入り浸り、ちぃの机の中も荒らし、物を持ち出したこともあった。
ちぃの作ったイベント用のドレスを勝手に着ては、夜会に行ったりもしたし、そこまでするんじゃない! もうするな! と親父と二人で厳しく説教をしたが、反省してもその場限りで、また同じことを繰り返す。
最終的には仕事にも支障が出て、温厚な幸矢が、
「いい加減にしないとナナを追放するよ? こんなバカでワガママな娘いらないでしょ? ちぃをこの勘違いナナから解放させるために、どこか遠方に嫁に出しなよ!」
とブチ切れた。
怒り狂う……文字通り天候は荒れ狂った……幸矢を宥め、急いで見合い先を探したが、結婚適齢期をとうに過ぎた、しかもわがまま娘を迎える家などなく、その時に、彗の息子が結婚したいと言い出した。
しかし、こちらも彗が手を焼く問題児。
大丈夫か? と心配したが子供が3人も生まれて、もう手を離してもいいだろうと安心していたというのに……。
それに、もう一人のふぅは若い頃から別の意味で苦労させることになったし、遠く離れて暮らすことになって気を揉んだが、最近戻ってきて安心していたし、ちぃはちぃで束縛体質のナナからようやく解放されて、昔からあこがれていた日向夏と結婚して子供も生まれ、仕事は忙しいようだが、時々休みには家族とルナに服を作り、お揃いの服で手を繋いで公園などに出かけていた。
ルナは嬉しそうにちぃが贈ったワンピースを着て、スケッチブックを抱えて俺に会いに来て、
「これからちぃちゃんとひゅーかちゃんと、千夏ちゃんとフーカと遊びに行ってきますわ。セイちゃん。公園の花は摘めませんが、綺麗な葉っぱがあったら、拾ってきますわね! 絵も描いてきますの! 見てくださいね!」
なんて言って、満面の笑みで手を振って出かけたり……。
そんな健気で可愛いルナに何をした?
「……アンディールもナナも……死にたいらしいな! 今まで野放しにするんじゃなかった!」
もう我慢できない!
「ぶっ殺す! なんならナナと縁を切る! 俺には妹と弟は一人ずつ! ふぅとちぃだけだ!」
「僕も、跡取りはバカを飛び越えてサディ……とも思っていたけど、実はサディもルナを無視するようになっていたんだ。もう、8歳……親のすることを真似するようになってたみたい。良い子だと思っていたんだけどね……ミリアはあの歳でしょ? 意味はわからないまま、母親の無神経さそのままで、ルナに可哀想ですねとか、お母さまにいただいたのですが、いらないので差し上げますとか……」
「……始末しろ! それとも追放しろ!」
俺は彗の胸ぐらを掴むと、力任せに揺さぶった。
「ちょーっと待って! 彗は、これでも肉体労働向いてないから! セイと違って文武両道じゃないから!」
「黙れ! 俺たちもあんな風にナナを育ててしまったのは悪いが、アイツを馬鹿に育ててしまった彗も悪い!」
「わかってるよ! だから、もう、うちから追い出そうと思ってる! 後継者はルナにしようかって前々からみんなと話してたし……」
髪を撫でつけ、簡単に整え直した上司は、こちらを見る。
昔から抱えすぎだろう? というくらいの膨大な仕事を分単位でこなし、疲れて薄汚れた感じのおっさん……俺が補佐に着く前は、三日三晩一睡もせず、髭を剃る暇もなく髪もバサバサ伸び放題、服もシワだらけ、目の下にはくっきりクマ、家に帰れず、椅子に座ったまま数時間の仮眠だったらしい。
だが最近は毎日家に帰り、ある程度は見目も良くなったが、仕事はこちらも後継者の放浪癖で継がせることができず、孫の成長を待っている……が、キリッとした表情で、
「行こうか……うん、少し腕がなまっているんだ。大祭に向けて調整もしたいと思っていたし、ちょうど良いだろう……セイ、三日ほど休暇は可能か?」
「大丈夫でしょう。緊急の職務は全て終わらせていらっしゃいますし、今すすめていたのは一月くらいはずらせます。いえ、ずらして結構です。どうせ、俺も休みを取るつもりでしたから……」
「そうだよな……優先すべきもの、緊急事態だもんな……久々に本気出すか……アーサーもエドワードも文句はないよな?」
腕を回しながら肩慣らしを始める上司に、彗は土下座をする。
「はい! どうかバカたちが、自分がしでかしたことを理解して自覚して、もうしません! ごめんなさい! というくらいまで、叩きのめしてください! ついでに、あの性格と自尊心をとことん折って潰して、自分がどれだけ愚かだったか、骨の髄までわからせてやってください!」
「あぁ、大丈夫だ。と言いたいが、先に行ったのがアルだってのが、心配だ。殴る場所や体力残ってるか?」
「僕が、術で何度か回復させます! 三日三晩、眠らなくても良いようにしても結構です!」
「三日三晩じゃ足りないだろう? 6年の虐待を三日で反省できるとは思えないな?」
俺は口を挟む。
ビックーン……
こちらを見た蒼白の彗を尻目に、
「ねぇ、兄さん。確かファルト領やスティアナ公国に蔓延る犯罪者の掃討作戦に、人手足りませんよね? 兄さんの弟のレク……レクシア公主も、頭を悩ませていらっしゃるとか?」
「そうだなぁ……甥のマルセルがほとんどは壊滅させたらしいが、まだ小悪党が何かをしでかしそうだ。向こうに戻るって言っても難しいし、俺はもう苦労させることになったレクを戻したくない」
「じゃぁ、忙しいレクシア公主の代わりに、代行として、バカ二人を送ってはいかがでしょう? 安心してください。乗っ取りとかではなく、レクシア公主のお妃は俺の妹のふぅ……二葉です。その妹のナナですからね。ふぅができてナナができないことはありませんよ! ははは! ねぇ? 兄さん」
「そうだなぁ……うん、それも良いだろう。でも、子供たちは?」
「何をいうんですか。あの二人が手放すわけありませんよ! ほら、長女を放置して溺愛しているんですよ? 可愛い子供たちは、自分たちが面倒を見るでしょう?」
ははは……!
俺と兄さんの笑い声に、蒼記はため息をつく。
「彗を責めないように。悪いのはバカだから。その話は向こうでしてね?」
「そうだな、いこう」
「彗も終わった後、二、三日静養して。ルナの方が優先だから」
その声を聞きながら、俺は敬愛する上司であり、共犯者となるマガタ公爵と共に断罪に向かったのだった。
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