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マリィナの正体
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シリーも含めて三人でお茶を飲んだ後マリィナは、プラトを中央にあるらせん階段までなんとか見送った。しかしそのあとどうやって帰ってきたのかも記憶になかった。気がついたときにはベッドに倒れこんでいた。
「あたし……人間だったんだ……」
育ての母であるゴブリンのルドとケリドウェンから、血は繋がっていないとは幼いころに聞いていた。しかし人間であるとは一言も言っていなかったのだ。
「なんで人間だって言ってくれなかったんだろう……。ルド母さんやケリドウェン母さんはわかっていたのに。……なんであたしを連れてきたんだろう。……あたしの母さんって、家族ってどんな人たちなんだろう」
会ったことのない家族の顔ははっきりとイメージすることはできず、どうやってもルドかケリドウェンの顔が混じってしまった。
そのとき遠慮がちに扉をノックする音がした。
『あの食事の用意ができましたけどマリィナ、どうしたんですか?帰ってきてからずっと顔色がよくありませんが……』
「ごめんシリー。ご飯、いらないや……」
マリィナは起き上がることもせず答えた。
『風邪でも引いたんですか?それでしたらパン粥でも……』
「ごめん、そっとしといて」
マリィナの返事を聞いたシリーはそれ以上なにも言わずその場を去った。マリィナが枕に顔を埋めていると再び足音が聞こえ、部屋の前で止まった。カチャカチャとなにかが小さくぶつかる音がした。どうやらシリーがマリィナの部屋の前で食事をしているらしい。
『マリィナ』
食事の手を止めてシリーはマリィナに声をかけた。
『きっとあなたの中でなにかあったんでしょうね。きっと話しにくいことなんでしょう。だから、今はあえてなにがあったかは聞きません。話したいと思ったときに、話してください。私はあなたの力になりたいんです。大したことはできないかもしれませんが……』
マリィナはゆっくり起き上がった。再び食事を始めたシリーのナイフとフォークを動かす音が聞こえた。マリィナはふらふらと扉の前まで歩を進めた。そして聞こえるか聞こえないかくらいの声で扉の向こうにいる妖精の名を呼んだ。シリーの耳にちゃんと入ったようで返事があった。
「……シリー」
『はい』
マリィナは扉に背中を預けうつむいたまま言った。
「あたし、人間だったんだね。今日プラトに言われて……初めて知った」
『えっ。ご存知じゃなかったんですか?』
シリーも少々驚いたのか声を上げた。マリィナは無言で頷いた。
「シリーも知ってたんだね」
『ええ。というより、ここに住んでいる者ならみんな知っていますよ。あなたが初めて来た日、ほとんどの者が見に行きましたから。……かわいらしくて美しい金髪の赤ちゃんでした』
「……シリーも来たの?」
『もちろん。プラトもですよ。だから我々にとってあなたは妹や娘のように思っているんですよ』
シリーは赤ん坊のころのマリィナを思い出して小さく笑った。
『みんな、あなたのことが大好きなんですよ』
シリーのその言葉はまるで薬のようにマリィナの心に染みこんだ。
「じゃあ……なんで誰も教えてくれなかったの?」
『私も、きっとプラトもでしょうけれど、もうご存知だと思っていたんです。ルドかケリドウェンが話しているものだとばかり……』
マリィナは心が少しずつ温度を取り戻していくのを感じた。シリーに問う口調も落ち着いてきた。
「なんで母さんたちは教えてくれなかったんだろう……」
『それは……私にもわかりません。けれどあなたを傷つけるつもりはないことだけはわかります。あの二人はあなたを育てた、母親なのですから』
そう言われてマリィナは自然と二人の母親の笑顔を思い浮かべていた。寝るときによく物語を語ってくれたルド、厳しく接しながらも優しさを隠しきれていないケリドウェン。二人は間違いなくマリィナにとって母親だった。
「……シリー。あたし、明日母さんたちのところに行ってみようと思う。母さんがなにを考えていたのか、なんであたしが人間だって言わなかったのか聞いてみたい」
マリィナはゆっくり立ち上がり扉を開けて出てきた。シリーは足を横にして座っていて、床には食べかけの食事が床に並べられていた。
「まずは腹ごしらえをしなくっちゃね」
そう言うマリィナの笑顔からはぎこちなさが少し消えていた。
翌日マリィナは朝からケリドウェンとルドのもとを訪ねることにした。まずは同じ地区に住んでいるケリドウェンの家に向かった。
東へ進んでいくと木々が長いトンネルのように頭上を茂った葉で覆っていた。すき間からは太陽の光が差し込み、空気は寒くない程度にひんやりとしていた。この森の中にケリドウェンの家はある。
「ケリドウェン母さん、元気にしてるかな」
時々すれ違うユニコーンや牛、鳥などの動物たちに挨拶をしながら進んでいると見慣れたログハウスが見えてきた。マリィナは扉の金のノッカーを叩いた。
『誰だい、こんな朝っぱらから』
苛立った声とともにケリドウェンが出てきた。ケリドウェンはマリィナを見ると目を大きく開き一瞬嬉しそうに笑った。しかしすぐに平静を装いしゃんと背筋を伸ばした。
『なんだい、マリィナかい。まったく、こんな時間からなんだって言うんだい』
「おはようケリドウェン母さん。母さんに会いたくて来たの」
ケリドウェンはマリィナを見下ろして、『さっさとお入り』と招き入れた。その背中がなんとなく嬉しそうに見えたマリィナは小さく笑った。
『朝ごはんは食べたのかい?』
「ううん。母さんと食べたかったから抜いてきた」
『まったく、ちゃんと食事をしないといけないって言っただろう。少しお待ち』
そう言ってケリドウェンはキノコとモグラのひげのソテーとミルクを二人分持ってきた。モグラのひげはささがきにされていて長さや固さが食べやすくなっていた。
食事を終えてケリドウェンが淹れたスミレ茶を飲みながら、マリィナは機会を窺っていた。するとケリドウェンはスミレ茶を飲みながら見透かしたように言った。
『それで、一体なんの用だい。さっきからチラチラと』
マリィナは驚きながらも深呼吸をした。心臓の音がいつもよりうるさいような気がした。
「ね、ねえケリドウェン母さん。……なんであたしが人間だって教えてくれなかったの?」
ケリドウェンは金縁のカップを置いて答えた。
『あんたの母親は私だけじゃないからだよ。もとはゴブリンたちが連れて来た。それに私が無理やり乗っかったんだ。だから……大事なことはあちらが行なうのが筋ってもんだよ。それにしてもなんだい、今更。まさか最近知ったのかい?』
ケリドウェンは適当に言った。そのためマリィナが頷くと思っていなかった。ケリドウェンは目を大きくした後に大きく溜息を吐き、天井を仰ぎ手で顔を覆った。
『まったくあのゴブリンたちは……あれほど言ったのに』
ケリドウェンはもう一度溜息を吐いた。そんなケリドウェンにマリィナは尋ねた。
「なんであたしを育ててくれたの?」
しんと静かになった。マリィナのまっすぐな目にケリドウェンは仕方なく答えた。
『……最初はゴブリンたちだけで育てて根性の曲がった子になったら嫌だと思ったのさ。ゴブリンは悪い奴も多いからね。容姿がよくっても内面が醜かったら美しさは半減、いやそれ以上に残念だ。内面の醜さは治すのが大変だ。魔法すら効かないときもある。そんなのもったいないと思ってね。美しく育ってほしかったのさ。
でもそのうち愛着が湧いちまってね……。そのまま住まわせてしまおうとしたんだが、さすがにゴブリンたちに怒られちまってね。でも一年の半分なら一緒に住んでもいいってことになってね』
「だからあたし、六歳くらいからルド母さんとケリドウェン母さんの家をよく行き来してたのね」
『ああ』
一拍間が空いた。マリィナはカップのスミレ茶に写った自分を見た。
「あたし、ずっと思ってたの。なんでみんなと違うんだろうって……」
『マリィナ……』
「いじめてくる人はいなかったけれど、それでも自分は普通じゃないんだって……おかしいんだって思ってた」
『おかしくなんてないさ』
「うん、そうだよね。……もともと種族が違うんだから」
マリィナの目から涙が一筋流れた。
「だってあたし、みんなのこと大好きなのに、みんなと同じじゃないんだって思ったら、なんか……苦しくって」
言葉を紡ぐごとに涙が流れた。マリィナはもう自分でもなにを言っているのかわからなくなっていた。
「ねえケリドウェン母さん、あたしって『誰』なの?あたしって『何』なの?あたしは、ここにいていいの?どう生きていけばいいの?」
ケリドウェンは呪文を呟くと立ち上がった。自分の体に風の膜を張ったのだ。そしてマリィナを抱きしめた。しかしそこにほかの妖精やマリィナのようなぬくもりはなく、柔らかい感触があるだけだった。マリィナは幼いころケリドウェンに抱きついて、低温やけどを起こしかけたことを思い出した。
『あんたはあんたさ。それ以外の何者でもないよ。どうやって生きていくかを決めるのもあんた自身だ。だから、まずはあんたが自分の心と……自分自身と向き合わないといけない。……そのためのヒントくらいやろうかね』
足から順番に魔法が解けていくのを感じたケリドウェンはマリィナの体を離した。
『この妖精界の村は渦巻き状に点在している。ここから内側に十七個目に、ノース・イースト・エアという村がある。そこにもチェンジリングがいるという噂を聞いたことがある。……ここから先どうするかはあんた次第だよ』
マリィナは顔を上げて鼻をすすりながら涙を拭いた。それでもこぼれてくる涙をケリドウェンが指先で拭った。残った水分がうっすらと凍った。
『慌てることはないよ。しっかり考えな』
マリィナは頷いた。ケリドウェンはマリィナにはちみつ入りのホットミルクを作った。ホットミルクはケリドウェンの心のように温かかった。
ケリドウェンの家を後にして、マリィナはゴブリンのルドのもとを訪ねた。ルドの家はイ地区にある。イ地区はリィ地区に次いで賑やかでそれぞれの道の両側には森が広がっているため、昆虫や植物の妖精が多く住んでいる。ルドの家はその中でもラー地区寄りにある。
ルドの家は屋根が茅葺、土壁でできているシンプルなものだ。マリィナは扉をノックした。中から『はあい』としわがれた声がした。
『おやまあ!マリィナじゃないかい。元気かい?』
ルドは嬉しそうにマリィナに抱きついた。ルドは『ささ、早くお入り』とマリィナの手を引いた。ルドの夫でありマリィナにとって育ての父であるゴブリンのゴブルが、食糧庫からチーズを持ってきたところだった。ゴブルもマリィナの訪問を喜んだ。
少し早めの昼ご飯を三人で食べて一息ついているときに、マリィナは勇気を振り絞って聞いた。
「ねえルド母さん。あたし、人間なの?」
ルドだけでなくゴブルも固まった。ルドは俯いてしまった。
「なんで……ここに連れてきたの?」
『ご……ごめんねマリィナ』
ルドはぽろぽろと泣きながら理由を話した。
『アタシらにも子どもはいたんだ。けど木の上から落ちて死んでしまったんだ。もっとあの子と一緒に暮らしたかった。ずっとなにも、大好きなフォイゾンすら口にせず、部屋の隅っこで丸まっていた』
『それを見かねてオレが仲間に協力してもらって、お前さんを連れて来たんだよ』
ゴブルはルドの肩を抱いた。マリィナの質問にゴブルが答えた。
「なんであたしだったの?」
『オレたち妖精は金髪の人間がとくに好きだ。だからせっかくなら美しい髪の子がよかった。それに……すやすや眠るお前さんはとてもかわいらしかった』
「……なんで、なんで人間だって教えてくれなかったの?」
『だって、もし人間だってわかったら……自分の本当の両親のことが気になって、ここを出て行ってしまうかもしれない。そう思ったら怖くて……。知らない内にフォイゾンを食べて、妖精になればきっとバレないと思っていたのさ』
そう答えたのはルドだった。マリィナはルドの言葉が気になった。
「ねえフォイゾンを食べたらって、どういうこと?」
すると二人は顔を見合わせて『知らなかったのかい?』という言葉のあとに教えてくれた。
『人間がフォイゾンを食べると妖精になるんだ。人間であったことを忘れて』
『なんで食べなかったの?』
今度はマリィナが目線を下げた。
「わからない。ただ……とても怖かった。フォイゾンや、それをおいしそうに食べるみんなの姿が」
妖精たちと同じ存在になりたいと思いながらも、フォイゾンを拒否していたのだ。マリィナはますます自分のことがわからなくなっていった。
『そういえば昔ミルクに混ぜて食べさせてみようとしたことがあったけれど、ものすごく泣き喚いて嫌がっていたねえ』
マリィナは「そうなんだ……」と自分の丸い耳を撫でた。ルドは不安そうにマリィナに尋ねた。
『マリィナ。ここを去ってしまったりしない、よねえ?』
マリィナは答えることができなかった。
一日かけて両親の話を聞いたマリィナは、ベッドに寝転んで頭の中で整理していた。
「あたしは人間、みんなと違う。同じになりたいと思っているのに、フォイゾンが怖かった。フォイゾンを食べなくちゃみんなと同じになれない。……なんでフォイゾンが怖いの?あたし……本当はどうしたいの?」
その答えを知っているのはマリィナだけだ。マリィナはふと、昼間のケリドウェンの言葉を思い出した。
「ノース・イースト・エア、か」
マリィナ以外のチェンジリングがいる村。そのチェンジリングは一体どんな選択をしたのか。
「会ってみたい、その人に」
今のマリィナがしたいことは、それだった。
「あたし……人間だったんだ……」
育ての母であるゴブリンのルドとケリドウェンから、血は繋がっていないとは幼いころに聞いていた。しかし人間であるとは一言も言っていなかったのだ。
「なんで人間だって言ってくれなかったんだろう……。ルド母さんやケリドウェン母さんはわかっていたのに。……なんであたしを連れてきたんだろう。……あたしの母さんって、家族ってどんな人たちなんだろう」
会ったことのない家族の顔ははっきりとイメージすることはできず、どうやってもルドかケリドウェンの顔が混じってしまった。
そのとき遠慮がちに扉をノックする音がした。
『あの食事の用意ができましたけどマリィナ、どうしたんですか?帰ってきてからずっと顔色がよくありませんが……』
「ごめんシリー。ご飯、いらないや……」
マリィナは起き上がることもせず答えた。
『風邪でも引いたんですか?それでしたらパン粥でも……』
「ごめん、そっとしといて」
マリィナの返事を聞いたシリーはそれ以上なにも言わずその場を去った。マリィナが枕に顔を埋めていると再び足音が聞こえ、部屋の前で止まった。カチャカチャとなにかが小さくぶつかる音がした。どうやらシリーがマリィナの部屋の前で食事をしているらしい。
『マリィナ』
食事の手を止めてシリーはマリィナに声をかけた。
『きっとあなたの中でなにかあったんでしょうね。きっと話しにくいことなんでしょう。だから、今はあえてなにがあったかは聞きません。話したいと思ったときに、話してください。私はあなたの力になりたいんです。大したことはできないかもしれませんが……』
マリィナはゆっくり起き上がった。再び食事を始めたシリーのナイフとフォークを動かす音が聞こえた。マリィナはふらふらと扉の前まで歩を進めた。そして聞こえるか聞こえないかくらいの声で扉の向こうにいる妖精の名を呼んだ。シリーの耳にちゃんと入ったようで返事があった。
「……シリー」
『はい』
マリィナは扉に背中を預けうつむいたまま言った。
「あたし、人間だったんだね。今日プラトに言われて……初めて知った」
『えっ。ご存知じゃなかったんですか?』
シリーも少々驚いたのか声を上げた。マリィナは無言で頷いた。
「シリーも知ってたんだね」
『ええ。というより、ここに住んでいる者ならみんな知っていますよ。あなたが初めて来た日、ほとんどの者が見に行きましたから。……かわいらしくて美しい金髪の赤ちゃんでした』
「……シリーも来たの?」
『もちろん。プラトもですよ。だから我々にとってあなたは妹や娘のように思っているんですよ』
シリーは赤ん坊のころのマリィナを思い出して小さく笑った。
『みんな、あなたのことが大好きなんですよ』
シリーのその言葉はまるで薬のようにマリィナの心に染みこんだ。
「じゃあ……なんで誰も教えてくれなかったの?」
『私も、きっとプラトもでしょうけれど、もうご存知だと思っていたんです。ルドかケリドウェンが話しているものだとばかり……』
マリィナは心が少しずつ温度を取り戻していくのを感じた。シリーに問う口調も落ち着いてきた。
「なんで母さんたちは教えてくれなかったんだろう……」
『それは……私にもわかりません。けれどあなたを傷つけるつもりはないことだけはわかります。あの二人はあなたを育てた、母親なのですから』
そう言われてマリィナは自然と二人の母親の笑顔を思い浮かべていた。寝るときによく物語を語ってくれたルド、厳しく接しながらも優しさを隠しきれていないケリドウェン。二人は間違いなくマリィナにとって母親だった。
「……シリー。あたし、明日母さんたちのところに行ってみようと思う。母さんがなにを考えていたのか、なんであたしが人間だって言わなかったのか聞いてみたい」
マリィナはゆっくり立ち上がり扉を開けて出てきた。シリーは足を横にして座っていて、床には食べかけの食事が床に並べられていた。
「まずは腹ごしらえをしなくっちゃね」
そう言うマリィナの笑顔からはぎこちなさが少し消えていた。
翌日マリィナは朝からケリドウェンとルドのもとを訪ねることにした。まずは同じ地区に住んでいるケリドウェンの家に向かった。
東へ進んでいくと木々が長いトンネルのように頭上を茂った葉で覆っていた。すき間からは太陽の光が差し込み、空気は寒くない程度にひんやりとしていた。この森の中にケリドウェンの家はある。
「ケリドウェン母さん、元気にしてるかな」
時々すれ違うユニコーンや牛、鳥などの動物たちに挨拶をしながら進んでいると見慣れたログハウスが見えてきた。マリィナは扉の金のノッカーを叩いた。
『誰だい、こんな朝っぱらから』
苛立った声とともにケリドウェンが出てきた。ケリドウェンはマリィナを見ると目を大きく開き一瞬嬉しそうに笑った。しかしすぐに平静を装いしゃんと背筋を伸ばした。
『なんだい、マリィナかい。まったく、こんな時間からなんだって言うんだい』
「おはようケリドウェン母さん。母さんに会いたくて来たの」
ケリドウェンはマリィナを見下ろして、『さっさとお入り』と招き入れた。その背中がなんとなく嬉しそうに見えたマリィナは小さく笑った。
『朝ごはんは食べたのかい?』
「ううん。母さんと食べたかったから抜いてきた」
『まったく、ちゃんと食事をしないといけないって言っただろう。少しお待ち』
そう言ってケリドウェンはキノコとモグラのひげのソテーとミルクを二人分持ってきた。モグラのひげはささがきにされていて長さや固さが食べやすくなっていた。
食事を終えてケリドウェンが淹れたスミレ茶を飲みながら、マリィナは機会を窺っていた。するとケリドウェンはスミレ茶を飲みながら見透かしたように言った。
『それで、一体なんの用だい。さっきからチラチラと』
マリィナは驚きながらも深呼吸をした。心臓の音がいつもよりうるさいような気がした。
「ね、ねえケリドウェン母さん。……なんであたしが人間だって教えてくれなかったの?」
ケリドウェンは金縁のカップを置いて答えた。
『あんたの母親は私だけじゃないからだよ。もとはゴブリンたちが連れて来た。それに私が無理やり乗っかったんだ。だから……大事なことはあちらが行なうのが筋ってもんだよ。それにしてもなんだい、今更。まさか最近知ったのかい?』
ケリドウェンは適当に言った。そのためマリィナが頷くと思っていなかった。ケリドウェンは目を大きくした後に大きく溜息を吐き、天井を仰ぎ手で顔を覆った。
『まったくあのゴブリンたちは……あれほど言ったのに』
ケリドウェンはもう一度溜息を吐いた。そんなケリドウェンにマリィナは尋ねた。
「なんであたしを育ててくれたの?」
しんと静かになった。マリィナのまっすぐな目にケリドウェンは仕方なく答えた。
『……最初はゴブリンたちだけで育てて根性の曲がった子になったら嫌だと思ったのさ。ゴブリンは悪い奴も多いからね。容姿がよくっても内面が醜かったら美しさは半減、いやそれ以上に残念だ。内面の醜さは治すのが大変だ。魔法すら効かないときもある。そんなのもったいないと思ってね。美しく育ってほしかったのさ。
でもそのうち愛着が湧いちまってね……。そのまま住まわせてしまおうとしたんだが、さすがにゴブリンたちに怒られちまってね。でも一年の半分なら一緒に住んでもいいってことになってね』
「だからあたし、六歳くらいからルド母さんとケリドウェン母さんの家をよく行き来してたのね」
『ああ』
一拍間が空いた。マリィナはカップのスミレ茶に写った自分を見た。
「あたし、ずっと思ってたの。なんでみんなと違うんだろうって……」
『マリィナ……』
「いじめてくる人はいなかったけれど、それでも自分は普通じゃないんだって……おかしいんだって思ってた」
『おかしくなんてないさ』
「うん、そうだよね。……もともと種族が違うんだから」
マリィナの目から涙が一筋流れた。
「だってあたし、みんなのこと大好きなのに、みんなと同じじゃないんだって思ったら、なんか……苦しくって」
言葉を紡ぐごとに涙が流れた。マリィナはもう自分でもなにを言っているのかわからなくなっていた。
「ねえケリドウェン母さん、あたしって『誰』なの?あたしって『何』なの?あたしは、ここにいていいの?どう生きていけばいいの?」
ケリドウェンは呪文を呟くと立ち上がった。自分の体に風の膜を張ったのだ。そしてマリィナを抱きしめた。しかしそこにほかの妖精やマリィナのようなぬくもりはなく、柔らかい感触があるだけだった。マリィナは幼いころケリドウェンに抱きついて、低温やけどを起こしかけたことを思い出した。
『あんたはあんたさ。それ以外の何者でもないよ。どうやって生きていくかを決めるのもあんた自身だ。だから、まずはあんたが自分の心と……自分自身と向き合わないといけない。……そのためのヒントくらいやろうかね』
足から順番に魔法が解けていくのを感じたケリドウェンはマリィナの体を離した。
『この妖精界の村は渦巻き状に点在している。ここから内側に十七個目に、ノース・イースト・エアという村がある。そこにもチェンジリングがいるという噂を聞いたことがある。……ここから先どうするかはあんた次第だよ』
マリィナは顔を上げて鼻をすすりながら涙を拭いた。それでもこぼれてくる涙をケリドウェンが指先で拭った。残った水分がうっすらと凍った。
『慌てることはないよ。しっかり考えな』
マリィナは頷いた。ケリドウェンはマリィナにはちみつ入りのホットミルクを作った。ホットミルクはケリドウェンの心のように温かかった。
ケリドウェンの家を後にして、マリィナはゴブリンのルドのもとを訪ねた。ルドの家はイ地区にある。イ地区はリィ地区に次いで賑やかでそれぞれの道の両側には森が広がっているため、昆虫や植物の妖精が多く住んでいる。ルドの家はその中でもラー地区寄りにある。
ルドの家は屋根が茅葺、土壁でできているシンプルなものだ。マリィナは扉をノックした。中から『はあい』としわがれた声がした。
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ルドは嬉しそうにマリィナに抱きついた。ルドは『ささ、早くお入り』とマリィナの手を引いた。ルドの夫でありマリィナにとって育ての父であるゴブリンのゴブルが、食糧庫からチーズを持ってきたところだった。ゴブルもマリィナの訪問を喜んだ。
少し早めの昼ご飯を三人で食べて一息ついているときに、マリィナは勇気を振り絞って聞いた。
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ルドだけでなくゴブルも固まった。ルドは俯いてしまった。
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ゴブルはルドの肩を抱いた。マリィナの質問にゴブルが答えた。
「なんであたしだったの?」
『オレたち妖精は金髪の人間がとくに好きだ。だからせっかくなら美しい髪の子がよかった。それに……すやすや眠るお前さんはとてもかわいらしかった』
「……なんで、なんで人間だって教えてくれなかったの?」
『だって、もし人間だってわかったら……自分の本当の両親のことが気になって、ここを出て行ってしまうかもしれない。そう思ったら怖くて……。知らない内にフォイゾンを食べて、妖精になればきっとバレないと思っていたのさ』
そう答えたのはルドだった。マリィナはルドの言葉が気になった。
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すると二人は顔を見合わせて『知らなかったのかい?』という言葉のあとに教えてくれた。
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今度はマリィナが目線を下げた。
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妖精たちと同じ存在になりたいと思いながらも、フォイゾンを拒否していたのだ。マリィナはますます自分のことがわからなくなっていった。
『そういえば昔ミルクに混ぜて食べさせてみようとしたことがあったけれど、ものすごく泣き喚いて嫌がっていたねえ』
マリィナは「そうなんだ……」と自分の丸い耳を撫でた。ルドは不安そうにマリィナに尋ねた。
『マリィナ。ここを去ってしまったりしない、よねえ?』
マリィナは答えることができなかった。
一日かけて両親の話を聞いたマリィナは、ベッドに寝転んで頭の中で整理していた。
「あたしは人間、みんなと違う。同じになりたいと思っているのに、フォイゾンが怖かった。フォイゾンを食べなくちゃみんなと同じになれない。……なんでフォイゾンが怖いの?あたし……本当はどうしたいの?」
その答えを知っているのはマリィナだけだ。マリィナはふと、昼間のケリドウェンの言葉を思い出した。
「ノース・イースト・エア、か」
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「会ってみたい、その人に」
今のマリィナがしたいことは、それだった。
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