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外伝 玲(不定期連載)
西相の曲
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これは、本人すら気づかなかった、二つの恋の物語である。
宮中との取引のために、都の商人には南区への出入りが許されていた。
南区は宮中でも最南の、朱雀門に隣接した区域であった。
門を抜けると整えられた土の広場が続いていた。区画が小さな杭で示され、振り売りや敷物、屋台が並ぶための十分な空間が確保されていた。
商人たちは、入口付近の管理官に前もって申請し、日ごとに入場許可を受けた。商品の種類、数量、値段など、事細かに伝え、そのたびにあれこれと荷物をのぞかれては軽口の相手をさせられていた。
官吏の機嫌を損ねれば、出入りを禁止されるばかりか、割り当ての市場の枠に差をつけられた。顔色を伺いつつ、懐をさぐりつつ、の攻防が、取り繕った笑顔の下で繰り広げられていた。
商人も言われるままでは済まさず、そこは持前の商魂たくましく、何かと理由をつけては三日に一度は財布の紐をほどかせた。
騙しあい、からかいあい、どこか殺伐としながらも、どちらも一歩も引かない活気ある景色が日々繰り返されるのが、この朱市の見ものだった。
検札所の様子を眺めては、その日の掘り出し物は何か、物色するのが東雨の楽しみの一つにもなっていた。
取引には、上質な絹布や染料、香料、陶磁器、玉、宝石、香木などが多かった。調味料や珍しい食材も交じり、取引には硬貨の代わりに宮中専用の帳簿や先払い制など、通常の市とは仕組みが違っていた。
朱市の客のほとんどは役人や使用人で、少しでも主人によい成果を渡そうと、あれこれ知恵をめぐらせた。予算をおさえて有能と褒められるのも、浮かせた代金を懐にいれるのも、それぞれの判断であった。
東雨が意図して視界に入れないように逃げているのが、警備兵の駐屯房だった。宮中をつかさどる禁軍のうち、南区に配置されるのは、副長の中でも格下の男だった。
東雨はこの男を軽んじていた。少年が評価を下げるにはそれだけの理由があった。朱市警護の任を任されるこの男は、なかなかに頭の働きがのんびりとしていた。人付き合いはよく、いつもにこにこと気立てもよいのだが、東雨から見てさえ安全の面で不安があった。
盗難防止のため、広場の端には常に禁軍兵が巡回していた。市場内での騒動、口論、違反行為に即座に対応するための備えなのだが、兵を統括する副隊長はのらりくらりと逃げていた。兵たちの士気も自然と落ち、市はとっくに、我が物顔で活力あふれる商人たちの天地だった。
馴染みの顔ぶれ同士が挨拶をかわし、あちこちで呼び込みの声が上がった。
東雨のもうひとつの楽しみは、いつもは権威を振りかざしている兵たちが、商人たちの豪気の前におとなしく下を向いている姿を眺めることだった。
とはいえ、治安の維持は必要だった。その役の一端は、あろうことか、まったく別の隊の肩に預けられた。
これは近衛の仕事ではない、と不満を漏らす蓮章を説き伏せ、涼景は右近衛隊の一部を、朱市の警備に回した。表向きは五亨庵周辺の警備だが、そのほとんどは、朱市でのもめごとの監視役である。
本来なら、管轄外の近衛の介入に抵抗を示してもおかしくない禁軍の兵たちは、むしろ、それを歓迎した。中には、自分たちの主人である禁軍副将より、暁将軍への信頼を厚くする者まで現れる始末であった。
涼景が目立つことを嫌う蓮章の心配をよそに、朱市には独特の秩序が生まれていた。
涼景の後ろ盾であり、朱市に関わる人々の誇りともいうべきものが、五亨庵であった。
賑わいから脇にそれ、少し奥まった所に、ほかに例を見ない美しい庵が、木々に守られて厳かに鎮座していた。
並木の向こうに輝く群青の美しい建物は、都と宮中を行き来する商人たちにとって、なじみ深い風景だった。
宮中の奥深くにひそむことの多い貴人たちの中で、犀星だけは人々の暮らしの片隅に、ひっそりと、しかし溶け込んでいた。
自然と、皆の関心も信頼も、この変わり者の親王へと寄せられた。
東雨は、それが誇らしかった。
まるで、朱市は五亨庵の門前町だ。
涼景が守り、商人が官吏を凌駕し、犀星を慕う。
この頃から、東雨は堂々と、名乗りをするようになった。
行く先々で、身分を尋ねられるたび『五亨庵の東雨です』と、胸を張って顔を上げた。
幼いながらに、犀星や慈圓といった名だたる為政者の傍らにいることが、嬉しくてたまらなかった。
東雨がそんな幸せの渦中にいる頃のことである。
ちょうど犀星が二十歳を迎えた。
その頃、朱市に東雨と同年代の少女がよく、行商にきていた。
周囲には明と呼ばれる、小柄で目立たない娘だった。都で饅頭屋を営んでいる家の長女で、背負い籠にいっぱいに饅頭や蒸餅、月餅などを詰めて、頻繁に宮中を売り歩いた。
彼女の客は、貴人たちではなかった。
店をならべる商人相手の商売である。
明の饅頭は評判が良く、大きな商談がまとまると、みな、祝儀だと言って買い求めてくれた。働き者で丁寧な明は、誰からも好かれた。
その彼女は、ときどき、五亨庵にも立ち寄ることがあった。商売のためではなく、避難してきたという方が正しかった。突然の雨風や、人々のもめごとで場が荒れたとき、収まるまでのあいだの避難所として、明は自然と五亨庵を頼った。
五亨庵には、食べ盛りの東雨と、舌の超えた緑権が詰めていたが、犀星の質素倹約の精神のため、余計な買い物はしないのが常であった。そのため、明が来ても、売上にはつながらなかった。それでも、彼女はよく、雨宿りを兼ねてここを訪れた。
本当なら、もっと売れ行きのいい邸宅がいくらでもあっただろうが、そういう所は長居をさせてくれなかった。売り買いが済めば、当然追い出される訳で、雨宿りの意味がないのだ。
五亨庵ならば、饅頭は売れなくとも、追い払われる心配はない。ただ、そっとしておかれるのが常だった。
犀星は人付き合いを好まず、黙々と仕事をしているだけだった。東雨もあれこれと忙しく働いていて、自分に構っている余裕はなかった。
緑権は自分も娘がいるせいか、明には親切で腹が膨れるほど、茶を出してくれた。
明も、商売どきには声を上げて元気な笑顔で売るのだが、本来はそのような性分ではないらしく、大人しく椅子に座って商品を確認したり、売上を記録したり、と黙って過ごしていた。それでも時間が余ると、慈圓が文字の手習いや、簡単な詩歌の竹簡を読ませてやることもあった。
五亨庵は都に近く、明は売りものを補充するため、籠を預けて店に戻ることさえあった。
特に美しい訳ではないが、愛嬌のあるいかにも町娘の風態の明が親王殿にいるさまは、傍目には不釣り合いだった。だが、五亨庵にそれを言う者はなく、商人たちも、歌仙様のすることだから、と、気に留めることをしなかった。
明は恩も感謝も抱く娘で、いくらかの余裕があるときは、お礼がわりに、と菓子を置いていったりした。
明の行動は周囲の者も知っていて、時には犀星宛てに献上品と称して料理が届けられることがしばしばあった。
犀星が、他の貴人たちとは違い、上等の布や宝飾品を受け取らないことを、彼らはちゃんと心得ていた。また、便宜を図ってもらおう、などの裏の意味はなく、単純に犀星の治世を評価し、感謝している証だった。
高価でも珍しくもない庶民の家庭料理を犀星は受け取り、代わりに貴重品の墨や筆、自らが書き写した書などを礼に返した。
毒味もせず、警戒心を抱くこともなく、粗末な包みの料理を口にする犀星に、東雨たちは驚かされた。初めはさんざん苦言を呈し、まずは自分が、と言い出した東雨だったが、どうやら、それが逆に犀星には気に入らなかったらしい。枇杷の薄切りに砂糖をまぶして油で揚げた菓子を、毒見と称した東雨にすべて食われて以来、五亨庵の毒見役は犀星、と定められた。
今ではすっかりそれが板につき、誰も、犀星の箸を止めることはなくなった。歌仙親王を毒殺することは、何よりも容易だった。皮肉にも、五亨庵でのこの慣習はあまりに常軌を逸しており、犀星を狙う者たちが信じることはなかった。
冬も近づき、ひんやりと陽光も熱を失する日が増えてきた頃、足繁く五亨庵を訪ねる者がもう一人あった。
こちらはあらゆる面で、明とは正反対の娘であった。権勢をほこる左相・趙教の息女、齢十六になる趙姫だった。
父の姓をとって、趙姫と呼ばれる、衆目を集める美しい娘である。父の趙教は左派の重鎮で、犀星が親王に即位した頃から、その頭角を現し、短期間に財をなした男だった。趙姫の他にもあまたの娘や息子がいたが、誰よりも父は彼女を愛護した。
趙教のやり方は気高く穏やかに慈愛に満ちた姫となるには、真逆の教育方針であった。
少女の頃の可憐さと、年を重ねるごとに増す妖艶な美しさ、奏でる上等の笛のような声色、長く艶やかな黒く豊かな髪、ほっそりとした手足と指。
生まれ持ったその肢体を、左相の娘という財力がこれ以上なく飾り立てた。
趙教は彼女を、宝順の後宮へと望んだが、権力の助長を快く思わない宝順は取り合わなかった。
次に趙教が目を付けたのは、夕泉親王であった。しかしこれもまた、失敗に終わった。人を遠ざけ、静寂を好む夕泉の性質に、無邪気で明るくわがままなこの姫は、どう考えても受け入れられるものではなかった。
そうやって次第と位を下げ、趙教は仕方がなく次の標的を定めた。それが、五亨庵で実力を示しつつあった、歌仙親王であった。
犀星の評判など、最初の頃は最悪で、田舎者の礼儀知らずの小汚い子どもがくる、というものだった。しかし、犀遠の教えを受けた犀星は、決して、都育ちの貴人たちに劣るところはなかった。劣るどころか、一目見れば誰もがその美しさの虜となった。
見慣れぬ紺碧の髪と、瑠璃のごとき瞳。少年らしい伸びやかな体と、母親譲りの端正な顔立ち。単に容姿が整った者ならば宮中にはあまたいるが、犀星はそれに加え、剣術にも学問にも秀でていた。
更に、決して周囲になびかず、軽々しい態度を見せなかったことも、魅力の一つであった。怯えることもなければ、遠慮することもない。また、媚びることも尊大ぶることもなかった。
始めは物静かな少年の雰囲気が強かった犀星だが、年を追うごとに更にその魅力に深みが増し、押しも押されもせぬ宮中一の才色兼備の逸材として、目を引く存在となっていた。
澄んだ氷のように冴えた眼差しと、どこか寂しげな表情とで、女を始め、男たちからの声かけも多かった。誰に言い寄られても、犀星が応じることは一切なく、その冷淡さが返って人々を夢中にさせた。
誰が歌仙親王を堕とすか、という話題で、宮中は常に持ちきりだった。
人々が集まると、決まって犀星の話題が出た。
だが、誰一人として、犀星に触れられた者はいない。また、犀星自身が誰かを気に入ったという話も聞かない。
孤独な麗人として、犀星の存在はいつしか語り継がれ、そばにいる東雨や親しい涼景にまで、探りが入ることも頻繁だった。東雨はその度に誇らしい気持ちになり、涼景は勘弁してくれ、と愚痴を言った。
噂の本人は人々の騒ぎには無関心で、都に来てから五年、態度が変わることはなかった。
風変わりで極端な倹約家であり、ほとんど誰とも口をきかない様子は、近寄りがたく真意が読めず、皆が腹を探るのに必死になる厄介者であることに変わりはなかった。
趙教としては落としに落とした条件だったが、当の趙姫にとっては、望みここに叶えり、という意気込みで、喜びに打ち震えた。
犀星が都に来てから五年。その間、多くの娘がその色香をふりまいて、犀星の目に止まろうと必死になった。
若い親王には、正室はおろか側室の候補は数知れなかった。妾ともなれば、後宮に劣らぬ御殿が必要になるのは誰の目にも明らかだった。
出世を狙う官吏の娘、姉妹、時には本人までが、犀星に近づき、その心に入り込もうとあらゆる手を尽くした。金品から色仕掛け、権力の座を約束する者も後を絶たなかった。そして、そのことごとくを、犀星は視界に入れることすらなく、門前払いで退けた。
五亨庵の近衛詰め所に配属された涼景の部下は、そのたびに理不尽な八つ当たりに苦しめられた。
犀星が誰の誘惑にも屈さないという話は、すぐに都中に広がった。
人々は面白がってその話に好き勝手な憶測を加えた。
犀星が実は男性として不能なのだ、暁将軍・燕涼景との間にすでに関係を築いている、兄である皇帝・宝順によって囲われている、遠くに純なる気持ちを寄せた叶わぬ相手がいて、その者への忠義を立てているのだ、という美談まで、あらゆる噂が飛び交った。
犀星は、そのどれも放置した。
民衆が自由に想像し好奇心を向ける、そのことが、犀星への関心を高め、これから行おうとする政策への注目につながると知っていた。
どんな状況をも利用するのが、犀星のやり方だった。
そんな犀星であったから、いかに趙姫が熱を上げたところで、結果は何一つ変わらず、五亨庵を訪れるたびに理由をつけて追い返された。
たいていは、それ以上犀星の心象を悪くしないよう、引き下がる者が多かったが、趙姫は違っていた。
皇帝の名のもと、月に二度召集される御前会議において、左相から五亨庵への風当りが強くなった。
資金的援助が望めず花街の治水工事の予算を捻出するためにあらゆる策を講じていた犀星たちに、趙教はさらなる難題を突きつけた。治水事業の完成を祝う式典を、ぜひ、五亨庵がとりしきるべきだ、というものだった。いかにもな理由をこじつけ、皇帝以下の高官たちを招待し、もてなしの費用のすべては五亨庵が担うのが正しい、とまくし立てた。
さらに、手本となるべき治水の成果を、隣国の調査団を招いて周知させることで、我が国の優れた技術を知らしめ、国益とする誉を担うがよろしかろう、と、経済的負担を重ねて提案した。
慈圓は終始苦虫を噛み潰し、犀星は凍り付いた表情のまま、機会があれば一考する、と退けた。
一方、趙姫は父とは真逆の方向に犀星を責め立てた。朝、犀星が五亨庵に出仕すると、絹、香、書画、名馬、薬材など心当たりのない荷物が、小径を塞いでいた。厄払いと称した派手な花飾りが、庵の入口に置かれることもあった。すべて、疑うべくもなく、趙姫の想いの形であった。東雨はすかさず、売って生活費の一部にしたい、と鼻息も荒く申し出た。犀星はただ静かに、持ち主のわからぬ遺失物として当局に届け出た。
次に、貴重な紙を用いた分厚い手紙が、申し訳なさそうな顔をした使用人によって届けられた。
それでも会えぬとなると、ついに、趙姫は小径の曲がり角に天幕を張った。犀星が通るまで待ち続ける暴走であった。
こうまでされると、犀星も無視を決め込むことは難しかった。
左派を束ねる趙教の機嫌を悪化させれば、この先どのような災いにつながらないともわからない。
五亨庵で、趙教と趙姫に対する緊急の会議が行われ、苦肉の策がいくつも提示された。
慈圓の案に、犀星は顔面をいつも以上に凍り付かせた。
「せめて、趙姫を庵の中に招くことには承諾を」
犀星は、一言も答えるものか、と唇を嚙み締めた。
それをさらに説き伏せようとしたのが、緑権だった。
「伯華様」
緑権は妻子ある者の立場から、
「適齢期の親王がいつまでもひとりでいらっしゃるから、ことはややこしくなるのです。あの姫の目的はただ一つ、婚姻です。一人選んでしまえば、あとは周りにうるさく言われずにすむ、むしろ、正妻への遠慮を理由に、ほかの誘いを断りやすくなります」
体験に基づいた緑権の言葉には、悲しい身の上を語る哀愁と、慈圓にはない説得力があった。
ふたりの押して引くような話に、犀星はついに折れた。
折れた、と言っても、それは趙姫を五亨庵の中に通す、という、可能な限りの妥協点までだった。そこから先は、想像するだけで身の毛がよだった。玲陽のことしか心にない犀星に、宮中の恋愛事情など、聞くにも値しない些末であった。
そんな犀星の気持ちなど、なりふりを構わぬ権力獲得の戦いの前には、風に舞う枯葉一枚の重みもなかった。
ついに、大仰な供の列を引き連れて、趙姫が五亨庵を訪ねてきた。
犀星は普段以上に表情を強張らせ、木簡の上に筆を構えて、忙しい素振りを演じた。慈圓は一歩引いて様子を窺い、東雨は間近に見る正真正銘の姫君を、厨房の壁の陰から覗いていた。
正面から喜んで迎え入れたのは、緑権だった。
「どうぞ、炉の近くへ。お寒うございましたでしょう」
ちらちらと雪の舞う宮中は、乾燥して肌が痛むほどに冷えていた。
「温かいお茶が飲みたいわ」
育ちもよく、物事もわきまえているように見えて、実は相当に視野の狭い趙姫は、東雨の想像を超えて遠慮がなかった。
「すぐにご用意いたします!」
東雨が慌てて準備に動いた。
「青茶がいいわ」
「え?」
東雨は焦った。茶筒に残っていたはずだが、旬がずれてとうにしけっていた。自分たちが飲む分には問題なくとも、左相の娘に出すにはあまりに不安だった。
「……ご、ご用意します」
悲しそうに顔を歪めて、東雨は机架の上に手を伸ばした。
その姿を、ちらり、と顔を上げて犀星が見た。
茶より、墨。
頼んでいた墨を後回しにされて、犀星は数瞬、そのままの姿勢で固まった。だが、ここで言っても、面倒なだけである。趙姫を五亨庵に入れる、という苦肉の条件は飲んだのだから、それ以上関わるつもりはなかった。
犀星はそちらの仕事をよけて、先に別の仕事に取り掛かった。彼が自ら書き込みをしている都の絵地図を広げ、別の木簡に書き付けておいた数字と見比べた。
この冬は雪は少ないが、寒さが厳しい。
昨年が豊作だったこともあり、都の民衆たちも例年ほど難儀はしていないはずであった。とはいえ、穏やかな冬ばかりとは限らない。凍えず、飢えず、厳しい季節を乗り越えるためにどれほどの準備が必要か、そのために用意する物資と調達経路の整備はどれほど遅れているのか。
犀星が興味を抱くのは、現実になるはずのない未来の妃の機嫌ではなく、目前の民の苦境だった。
宮中の者たちの頭の中には、皆、一族の繁栄のことしかなかった。金さえあれば、苦はなく、権力さえ握れば意志が通ると信じて疑わない。だが、いくら金が蔵一杯に積み上げられようとも、薪そのものがなければ炉に煙は立たないのだ。
犀星がこの仕事に就く前、貴人たちは大金を積んで都の民から薪を買い取った。時には、木造の家を丸ごと買い占め、それを壊して薪にした、という話も聞いた。家を失った者たちがどうなったのか、そんなことは、暖かな宮中で宴に興ずる彼らには無関係だった。
犀星は何よりも先に、民衆を重んじることを養父から叩き込まれて育っていた。だからこそ、自分もまた、民と同じ目線に立ち、同時に、民にはできぬ、自分の権力でしか成し得ないことを成そうとした。それが犀遠の教えであり、犀星の信念だった。
自分がそこにいても挨拶一つしない犀星に、趙姫は最初は首を傾げていた。機嫌を損ねてはならない、と、緑権が口を出した。
「歌仙様は、姫様の美しさに照れて、目も合わせられないのでしょう」
嬉しそうに趙姫は笑った。犀星は、ただ、じっと耐えた。
確かに、趙姫は美しかった。煌びやかな着物や装飾ももちろんのこと、化粧で際立つ目鼻立ちは艶やかで、緑権などはすっかりのぼせてしまっていた。わがままを言われても、わざわざ茶葉を軽く炒って湿気を飛ばすほど、東雨もまた、気を遣った。
枯れた慈圓はともかくとして、たいていのものならば目を奪われるのは当然の容姿、そして、左相という後ろ盾。趙姫はまさに、現在の宮中における女の頂点と言えた。
ところが、である。
その趙姫が狙う唯一の獲物、蒼氷の親王は、完全に無視を決め込んでいた。いかに人との付き合いを嫌うとはいえ、犀星がここまで趙姫を避けるのには、実は、それなりの理由があった。
それは、今からひと月ほど前、秋の夜に遡る。
ちょうど、犀星の二十歳の誕生祭が行われ、祭儀嫌いの犀星が東雨と共に、形だけ参加した帰り道でのことだった。大勢から口先だけの挨拶を浴びせられ、その都度堅苦しい決まり文句で礼を述べ、実にも得にもならない時間を強制された犀星は、明らかに普段よりもすり減っていた。
会場である瑞祺堂から都の邸宅へ戻る途中、夕方の風は犀星の深く落ち込んだ心のように、やけに冷たく吹き付けていた。
急ぎ足の犀星と東雨の後を、馬の足音が追ってきた。
東雨が振り返ると、馬に引かせた豪奢な帳車が、まさに二人を追い抜いて、少し先で止まった。
進路を邪魔され、犀星は黙ったまま遠回りに帳車の脇を抜けようと向きを変えた。すぐ後ろで、あわただしく馬のいななきが上がった。
東雨は歩きながら振り返った。暖かな長袍に身を包んだ趙姫が、帳車からゆっくりと姿を見せた。
その背後には、何台もの帳車と、他の姫君の姿もあった。誰もが目を輝かせて、犀星を見つめていた。誕生祭のために正装をまとった犀星は、普段以上に凛々しく美しかった。その姿に目がくらみ、何人かが涙ぐんでさえいた。
女たちが皆、隙あらば犀星のそばに、と、どこか切迫した気配でにじり寄った。
中でも趙姫は若く、活発だった。
誰よりも先に、犀星に歩み寄ると、優雅に着物をたくし上げて、頭を下げた。
「玲親王殿下」
趙姫は大声で呼びかけた。
そこで初めて、犀星は振り返った。そして、大勢の女が皆、自分を追っていたのだと、やっと気がついた。東雨は最初から、犀星が女性に興味がないことを知っていたため、敢えて助言しなかっただけだ。
さすがに往来で名を呼ばれては、無視もできなかった。
犀星は渋々、足を止めた。冷たい無表情は、なぜか女たちには人気があった。いつも笑みを浮かべて、腹の中で何を考えているかわからない男たちより、笑わない犀星の方が宮中の女には魅力的に映るらしかった。
東雨は、偏屈な主人が趙姫をどうあしらうか、と好奇心で見物に徹していた。趙姫の美しさは群を抜いている上、父親は権力の頂点にいる左相だ。犀星との年齢を考えても、絶好の組み合わせであった。
しかし、犀星には、歌仙に残してきた想い人がいることを、東雨は盗み読んでいる文で知っていた。自分がもみ消して、相手には届いていないが、文面と犀星の態度から、明らかに相思相愛の中であると確信できた。犀星が都にきて長くたつが、その熱が冷める様子はなかった。
「何か?」
犀星は白い息を吐いた。
趙姫は厚手の化粧で大きく見せた目を、さらに開いて上目遣いにこちらを見ていた。すっかり息が上がっていた。
自分の容姿に自信がある趙姫ですら、犀星の澄み渡る立ち姿を前にして、心臓が縮むような緊張感を感じた。
一部の隙もない、それでいて他者を圧するような威力も発しない、そのあまりに美しい瞳に見つめられ、さしもの趙姫もすぐには声が出なかった。
東雨は、そんな趙姫の戸惑いを間近で見て、顔には出さずにほくそ笑んだ。
若様は、簡単に近づいていいお方ではないぞ。
単純に、東雨は貴人が嫌いだった。
立場上、従わなくてはならない分、不満も溜まった。変わり者ではあるが、犀星は他の貴人に比べて、はるかにましだと東雨は思っていた。少なくとも、自分に対して罰を与えたり、理不尽な理由で文句を言ったりはしない。その上、人として対等に扱ってくれる。
東雨は無言のままの犀星を見た。
表情がない、というより、状況をどこまで理解しているのかわからない顔であった。
「若様。こちらは、左相様の御息女、趙姫様にございます」
仕方なく、東雨が紹介した。趙姫はにっこりと微笑んだ。
「お目にかかれて光栄ですわ。今宵はぜひ、直接お祝いをと思いまして……」
趙姫はどこかぎこちなく、それでも精一杯に勇気を出して拝礼した。それは孔雀が羽を広げる様にも似ていた。
「玲親王殿下、生誕の儀、おめでとうございます」
皆がため息を漏らす美女の姿に、犀星はわずかに口を開いた。
「私が生まれたのが、そんなにめでたいか?」
うわ!
東雨は思わずのけぞった。
いかに犀星といえども、初対面の、しかも祝いを伝えにきた身分のある女に、そのような物言いはしないだろうと油断していた。だが、やはり、東雨の主人は例を見ない偏屈だった。
「もちろんですわ」
うわ!
趙姫のきらきらとした喜びの声に、東雨は、再度、驚いた。
犀星が東雨の想像を超えていた以上に、趙姫もまた、鈍かった。
「この国で、最も麗しい親王殿下の慶事でございますもの」
嬉々とする趙姫の背後では、結果を見届けようと、他の女たちが聞き耳をたて、様子を伺っている。皆が、犀星を狙う敵なのだ。
趙姫の笑顔は、可憐というより香りのきついけばけばしい花弁のようだった。
「親王様のような素晴らしいお方が、この世にお生まれになられたこと、万物に感謝申し上げねば」
大抵の男はこの笑顔に陥落するのだが、犀星は別格だった。むしろ、更に機嫌を損ねたらしい。東雨は、犀星が喧嘩腰になるのを感じて、これは面白そうだ、と黙って二人を見比べた。
「私のどこが素晴らしいと?」
犀星は、意地の悪い質問をした。東雨は好奇心を隠さず、趙姫の反応を注視した。 趙姫は自信満々に、両手を広げた。
「何もかも、ですわ」
恋にふらつき、蝶よ花よと育てられてきた趙姫に、犀星の行っている政治の中身や功績がわかるはずもなかった。
「殿下の頬は、極上の絹か、磨き抜かれた白磁のよう。御髪は、夜の闇よりも深く、絹糸のように艶やかで、眩しいほどに輝いていらっしゃる。何より碧玉のように煌めく深い蒼色の瞳。物憂げな影を湛えていらっしゃるのが、また……」
結局のところ、彼女が誉めることができるのは、犀星の容姿だけだった。
「人間など、焼いてしまえば同じ骨だ」
止まらない趙姫を、犀星の一言が刺した。
「見かけになど意味はない。貴女は私を呼び止めたが、特に用件はないようだ」
そこまで言わなくても、と、東雨さえ、趙姫に同情した。
犀星は趙姫に形だけ礼を返すと、再び背を向け、歩き出した。
後ろから、女たちの慌てた声が聞こえた。
犀星は、ふと、足を止めた。しかしそれは、姫たちの喧騒のためではなかった。
夕闇の寒空の下、両手いっぱいに大きな蒸籠を抱えた明が、道の端に立っていた。
犀星は首をかしげた。
明は犀星より、その向こうにいる美しい趙姫を見つめていた。
南区とはいえ、宮中である。このような姫君にこそふさわしく、自分のような飯屋の行商には不釣り合いだ。
いたたまれなくなって、明は下を向いた。
「私、これ、届けにきただけなんです」
俯いたまま、明は大切に抱えていた蒸籠を、犀星に差し出した。
長いことそうしていたのだろう。籠はすっかり冷えてしまっていた。
「東雨さん、お願い。温め直して差し上げて」
「わかった」
東雨は犀星に代わって、蒸籠を受け取った。
「これを俺に?」
犀星は、自然と目を細めた。
「親王様、元気ないだろうな、と思って」
わずかに、犀星が息を飲む音が聞こえた。明は、凍えた手をこすり合わせながら、
「今日、親王様のお母様の命日だったでしょう。花の饅頭、作ってきたから、おそなえしてください。私たちのために、毎日、一生懸命お仕事してくれる親王様に、都のみんな、感謝してます」
深く一つ頭を下げて、明はそのまま逃げるように走り去った。
東雨は、そっと、犀星に並んだ。湯気の消えた蒸籠が、温かく思われた。
「あいつ、若様のこと……」
「……俺の心を察してくれた」
ふっと、犀星が寂しげな笑みを浮かべた。
「どういうことですの?」
様子を見ていた趙姫が、詰め寄った。
自分を邪険にしておきながら、下賤な民と親しくする犀星の態度に、さすがの趙姫も不満を感じたようだった。
犀星は表情を厳しくし、振り返った。
「貴女は、私が生まれたことが慶事とおっしゃったが、私には悲しみ以外の何ものでもない。私は、二十年前の今日、生まれることで、母を殺した」
趙姫ばかりか、後ろの女たちも言葉もなく立ちすくんだ。
犀星の母親が、出産で命を落としたことを、その場の全員が知っていた。知っていながら、祝いを理由に近づいてきた女たちの浅ましさが、犀星には許せなかった。
明だけが、犀星の心を案じていた。
犀星の気配が、夕方の風よりも鋭く凍った。
「私は人とは話をするが、人の心を持たないものと、縁を結ぶつもりはない」
犀星の声は凛と響いて、初冬の寒さよりも、女たちを震え上がらせた。
犀星はそれきり、二度と振り返らず、真っ直ぐ屋敷へと戻った。
その庭には、ささやかながら、母を思って建てた、小さな碑があった。
優しい娘と、自分の内側を受け止めてくれる民のため、一刻も早く、手を合わせたかった。
いつしか、空には重い雲が立ち込め、冷たい雨が降り始めた。
最後の曼珠沙華も、花を落とすことだろう。
その夜、犀星は深く優しい夢を見た。
暖かな雨が降り注ぐ中、赤や白の曼珠沙華の咲き乱れ、姿を知らぬ母が、優しく自分を抱きしめてくれる夢だった。
宮中には敵しかいない。
その中で、母はどんな思いで、自分を産んだのだろう。
決して会うことのできない、それでも、会いたくてたまらない母の面影は、夢の中で、優しく微笑んでいた。
風流逐雲行
追雲雨誘開
芳華霑潤色
哀泪湿吾腮
(伯華)
風流れ 雲を逐うて行き
雲を追う雨 花を誘い開く
芳華は潤色に霑い
哀泪は吾が腮を湿さん
決定的な断絶と思われたあの日の後、趙姫は、何事もなかったかのように、五亨庵を訪ねてきては、自分を売り込むのに熱心だった。
緑権が緩みきった顔で対応する様子を、東雨は、こうはなるまい、と思いながらも艶美な容姿にほだされ、いいように使われていた。慈圓はさっさと書庫に逃げ込み、露骨に距離を置くことが決まりだった。
ただ一人、意中の犀星だけは、無反応のままであった。
これまで、犀星が話し相手をしたことは一度もなかった。
それでも諦めずに通いつめる趙姫にも、それなりの事情があった。
趙姫は、今を盛りの美貌の姫である。しかも、父親は出世を極めた左相で、誰も彼女に逆らえる者はいなかった。
彼女も自分の美しさを自覚しており、全てを思うがままにして育ってきた。
どんな男も彼女の前に屈し、あらゆる手段で口説こうと躍起になった。
そのために、私財を投げうって破産する者、妻と離縁する者、恋に呆けて隙を作り官職を追われる者、と、人生が狂った人々のいかに多いことか知れなかった。
学問にも芸事にも不器用な趙姫だったが、自分に求愛する男たちを転がす天性の賢さだけは持ち合わせていて、今まで好き放題に振舞っていた。
宝順の正室である宇城が、帝からよく思われておらず、表舞台に出てこないのを好機と見て、まるで自分が皇后のように派手に着飾った。周囲をたぶらかしては、必死になる男たちを面白がり、恋人を奪われて嫉妬する女たちをからかい、気持ちの赴くままに、奔放に生きてきた。
そんな彼女であったから、宮中の誰もが憧れる犀星を自分に振り向かせることには自信があった。
だというのに、自分を目の前にして、犀星は微塵も関心を示さない。
出会ってすぐのうちは、照れているのだろう、と余裕を見せていた趙姫だが、半年も放っておかれれば、さすがに焦ってきた。
自分の言動がどれだけ宮中の視線を集めているか、彼女には自覚があった。名高い歌仙親王に相手にされなかったとなれば、一生を揺るがす屈辱であった。
今まで見下してきた者に嘲笑われる、そのような辱めに耐えられる趙姫ではなかった。
どんな手を使ってでも犀星を手に入れようと、その性格や趣向を探っていた。しかし、犀星とて、敵ばかりの宮中に召し上げられて以来、平穏無事に生きてきたわけではない。決して弱みを見せなかった。
この調子で、趙姫が来ると五亨庵の仕事は滞った。
犀星と趙姫の間をとり持ちたい緑権は、犀星の美点について、趙姫に事細かく話して聞かせた。
犀星が美しいだけのお飾り人形であったなら、ここまでの人気は出なかったこと。実力が加わって賢人たちも犀星を評価しはじめたこと。
そして、犀星の評価を高めた最大の功績が、花街の治水工事であることも、まるで自分の功績であるかのように熱を込めて語った。ただし、趙姫がどこまでそれを理解していたかは、東雨には疑問だった。
水資源豊かな歌仙で育った犀星は、水の利も不利も心得ており、そして何より、年若くとも実践経験が身についていた。
此度、犀星が三年前から構想していた大規模な工事に、ようやく許可が降りた。
今日は昼から現状視察に出かけるため、その準備に忙しくしていたところであった。そこに、仕事を止める趙姫がやってきたものだから、犀星の機嫌は一瞬で悪化した。しかし、それを表情に出さないのは、慈圓からの言いつけを犀星なりに守っている証拠でもあった。
東雨は緑権に趙姫の相手を任せて、犀星のそばを離れなかった。どんなに無表情でも、主人の機嫌が最低に悪いことくらい、長年共に暮らしている東雨には容易に察しがついた。
筆が乾く前に墨をすり、よこせと言われる前に地図を差し出し、頼まれてもいないのに茶を温めた。
元々、東雨は貴人が嫌いである。
特に趙姫は、特別用事もないのに、無駄話をして長居をする。こちらとしては気を遣う上、有益な情報が得られるわけでもない。そのくせ、見目はやたらと良いのだから、つい扱いが甘くなる。多感な心を押し殺して、東雨は犀星を真似た無表情を決め込んだ。
「玄草、このあたりで募ろうと思う」
犀星は視察先の地図を確認しながら、慈圓に話しかけた。書庫から早足で寄ってくると、他のことには目もくれず、慈圓は地図を覗き込んだ。
「よろしいですな……現場と近いですし、花街の情勢に詳しい者もおりましょう」
「花街!」
東雨が思わず復唱した。
趙姫が、ちらりとこちらを振り返った。東雨は慌てて声を低めた。
「直接、花街に行くんですか?」
「うむ」
慈圓が顔色一つ変えずに頷いた。
「検証の結果、ここが最も手をつけやすいのでな」
「うーん……でも、花街、ですよね」
何がそんなに気になるのか、東雨は斜め上あたりの壁をうろうろ見ながら、
「それって、その、そういう、ところ、ですよね」
「そういう?」
慈圓はあえて平然と問い返したが、東雨の言わんとしていることはちゃんと見通していた。
「そんなに、気になるか?」
「え?」
態度で肯定してから、東雨は唇を横に結んでぶんぶんと首を振った。
「別に、気になるってほどじゃ……」
上ずった声が、さらに動揺を垂れ流した。もっともらしく咳払いをして、
「でも、ですね……やはり、一国の親王が出入りするような場所ではないと……」
「伯華様には、考えがあってのことだ。安心しろ、おまえは留守番だ」
慈圓が楽しそうに東雨をからかった。十三になったばかりの東雨は、複雑な表情を浮かべた。
「それはいいですけど、でも……」
と、やはり犀星の輪郭を目でなぞって、
「心配です。玄草様はともかく、若様は周りが放っておかないというか……」
「ともかく、は余計だ」
「だって、ともかく、ですよ」
東雨はじっとりと目を細めた。
「若様がそういうことになっちゃったら、俺は立場がありませんし」
「おまえは何を心配しているんだ?」
「何って……」
東雨の顔がさらに複雑さを増した。
犀星は、そんな二人の戯言には興味を示さず、淡々と地図と計画の書きとめを確認しながら、
「玄草、一人の額はこの範囲だが、実際に交渉してから再考したい。余地を残しておいていいか?」
慈圓は東雨を放り出して、犀星の手元を覗いた。
「予算は無尽蔵では有りませんから、さすがに心得ていただきませんと、他の支払いが滞りますぞ」
「借金をする」
「待ってください!」
東雨が突然、青ざめた。
「ただでさえ、生活費二十八文でどうにか回してるんですよ。借金なんて……」
「いや、これは、杜撰なやり方で済ませられることではない。必要とあれば、前借りしてでも……」
「借りるって、誰に借りるんです?」
泣きそうに、東雨は首を傾げた。
「宮中の誰もが、若様の計画を一蹴したんですよ。貸してくれるわけがないです」
「歌仙様」
先ほどからずっと、様子を伺っていた趙姫が声をあげた。
聞こえないふりをする犀星に代わって、しぶしぶ、慈圓と東雨が振り返った。
「お金が必要でしたら、わたくし、用立てて差し上げますわよ」
東雨が明らかに迷惑そうな顔をした。幸い、趙姫は犀星しか見ていなかった。
犀星は一瞬だけ、趙姫を見て、すぐに手元に目を戻した。犀星としては、この一瞥で礼儀は尽くした、という心境であった。
「必要ありません」
あれこれと付け加える趙姫の発言は聞き流すに徹して、犀星は沈黙に切り替えた。
ここで、左相に借りを作ることに比べれば、他の手を講じた方が遥かに後ぐされがないとの判断だった。
慈圓は苦笑し、東雨はため息をついて首を振った。
犀星が手がけている大規模な治水工事には、とかく、金がかかった。
宮中の水路整備であれば協力者もいようが、実利のない花街では、誰も見向きもしなかった。
なおもよくわからない理屈を並べ立てている趙姫をそのままに、犀星は出かける支度を済ませ、慈圓と共に扉に向かった。
「伯華様、昼餉は?」
緑権が、趙姫の機嫌を伺いながら、呼び止めた。
「せっかくですから、お出かけは、趙姫様とご一緒されてからでも……」
犀星は振りかえらなかった。
「途中で済ませる。留守を頼む」
逃げた、と東雨は、目をそらした。
趙姫は黙って、後ろ姿を見送るしかなかった。
市場の賑わいの中に、犀星はごく自然と溶け込んだ。
歌仙親王が出歩く姿は宮中では注目の的となるが、市井ではあまりに慣れてにこやかに見守られる空気が出来上がっていた。
通り道の店で笹に包んだ肉餅を買い、気軽に齧りながら、犀星は慈圓一人をともなって花街へと向かった。
「懐かしいものですな」
慈圓は資料の包みを抱えて犀星に従いながら、十歳は若返ったように見えた。
「立ち食いなど、何年ぶりになるか」
「何十年ぶり、だろう?」
犀星はにこりともしないが、彼なりの軽口を叩いた。
「そうそう、伯華様がお生まれになる前かと」
いつになく、慈圓は上機嫌だった。
この老獪は、宮中で生まれ育ったわりに、その毒気に染まらない異端児だった。
若い頃から周囲に好んで敵を作り、その者たちを言い負かしては出世していくような、文人でありながら武人の気質を備えたところがあった。打ち負かされた者たちも、なぜかその後、慈圓を認めて味方につくという不思議な男だった。
五亨庵が完成した折り、帝から好きな者を官吏に選べ、と並べられた。犀星が真っ先に指名したのが、この慈圓であった。当時十六になったばかりの犀星が、三十以上も年上の、明らかに自分よりも影響力を持つ慈圓を選んだことは、周りを驚かせた。
親王として権力を振りかざしたければ、それなりに選ぶ年齢も身分も絞られてくる。世間知らずの人選、と周囲は一笑し、止めはしなかった。
なぜ自分を選んだのか。
当時、慈圓は犀星に直接問うたことがあった。
父上に似ていたから。
まだ、あどけなさの残る親王は、そう言って、慈圓の度肝を抜いた。そして、もう一人の人選を彼に任せた。慈圓は考え抜いた結果、当時、まだ才覚を表していなかった緑権を推挙した。理由も聞かず、犀星は勧めに従って、緑権を所望した。
選んだ理由をいつでも答えられるように、と、慈圓は用意していたが、犀星が尋ねることはなかった。逆に慈圓の方が辛抱できず、理由が気にならないのか、と尋ねると、犀星は首を横に振った。
「玄草に任せたことだ。おまえが決めたのだから、それでいい」
全幅の信頼。
それがあるからこそ、部下は主人に忠誠を誓える。この人のためならば、と身命を投げ打つことができる。
人を成長させられる人間こそ、真に人の上に立つ資格がある。
慈圓は、犀星の懐の深さに感服し、ようやく得られた理想の主人に満足した。
さすがは、侶香が天塩にかけて育て上げただけのことはある。
犀星の養父、犀遠をよく知る慈圓は、心底、この親子が共に政治と軍事の表舞台に立てないことを残念に思った。
「玄草?」
何やら、薄ら笑いを浮かべている慈圓を不審に思って、犀星は声をかけた。
「気味が悪いな。おまえがそういう顔をしている時は、大抵、ろくでもない策を練っている」
「確かに、天下を憂いて思うところがありますのでな」
「今は、花街の水事情を憂いてくれ」
犀星は、どこまで本気かは知れない調子で言った。慈圓はわずかに表情を沈めて、
「しかし、せめて梨花を連れて来ればよかったかと」
「涼景たちは、千義との関係保全で忙しい時期だという。無理に引き出しては申し訳ない」
「とはいえ、親王が近衛もなしに出歩けば、あとから何を言われるやら」
慈圓は、自分に似て頑固な涼景のしかめっ面を想像した。
師匠がついていながらどうしてそんな勝手を許したのか、と、恨み言が想像できた。
「ならば、今日は俺が、俺の近衛になろう」
犀星はさらりと言った。
「また、そういう無茶なことを」
苦笑しつつも、慈圓の声にはどこか、楽しげな気配があった。
出会って四年。
まるで違う境遇の二人の間には、言葉にならない信頼関係が築かれつつあった。
この親王は、使えるやもしれん。
慈圓は探る思いで犀星を見た。
犀星の目に、花街へと続く境界の門が映っていた。
花街は都の北西に位置し、自治組織が仕切る区画だった。慈圓は太い門の柱と、菫の彫刻がなされた花街の扁額を見上げた。
「都の辺境、宮中の連中には、触れる価値のない場所、ですな」
「彼らは、ここの実態を知らない。知ろうともしない」
犀星の呟きは乾いていた。
「ですが、伯華様は、ここから始めようとなさっている」
嬉しそうに、慈圓は言った。
犀星は門を行き来する人々を眺めた。
幽棲誰不顧
静中命猶存
誓願不曾棄
自茲今日生
(光理)
幽棲 誰か顧みざらん
静中命猶存す
誓願未《いま》だ曾て棄てず
茲より 今日を生きん
犀星の目は、現実を見つめながら、同時にその向こう側に理想を描いていた。
これは、治世においては小さな一歩かもしれない。だが、敵地に放り込まれた犀星が、自分の人生を切り開くための切り札でもあった。
おまえと共に、ここに立つために。
犀星の脳裏に、歌仙に残してきた、忘れられぬ人の姿が蘇った。
引き裂かれた瞬間から、二人の時間は凍りついた。動かない時間の檻で、あの人は、今、どうしているのかと思うと、ただただ、体が冷えた。
おまえの心と共に。そして必ず、渡そう。俺がこれから残す全てを。
覚悟を決め、犀星は目を開いた。
慈圓は眩しそうに、その横顔を見つめた。
若き親王の胸の内は、いかに慈圓とてはかりきれない。しかし、はからずとも良いのだ。今は見守るべき時期と心得ていた。
二人は呼吸を揃え、頷き合うと、門の中へと踏み行った。
風の匂いがするりと変わった。
やたらと作り込まれた、強烈な匂いが様々な色を纏ってあたりに吹いていた。人とすれ違うたび、それは移ろい、決して留まることはなかった。それでいて、根底にある奇妙な懐かしさは、地面から漂ってくるようにどこまでも広がっていた。
真昼の花街は、まだ、喧騒が浅く、白い太陽の光の下で、眠りの底に沈んでいた。昼に生きるわずかな者たちが、街の裏側を支え、夜までの時をつないでいた。
行き交うほとんどが男で、たまに華やかな色彩の着物があるかと思えば、女郎であった。連れ立って道の端を歩くのは、芸妓見習いの少女たちだった。幼い顔に艶やかな白と朱の化粧を施し、まだ扱いきれぬ楽器を布に包んで細い腕に抱えていた。その所作さえ心もとなく、容易に街並みの隙間で見失ってしまいそうな危うさがあった。
軒を連ねる遊郭は、皆、破風を垂らして屋号を謳うが、客見せの格子戸の奥にはまだ誰もいなかった。掃除の老妓が疲れた顔でゆっくり動き、素早いのがいるな、と思えば小間使の男が小走りする姿だった。
女郎に混じって、男娼の姿もちらほらと見かけられた。
俗人との区別は一目瞭然だった。皆、思い思いの美しい着物を纏っているが、同様に露出が多く、中にはあからさまな者もいた。
客は望みの花を買い、金で忘れる恋をする。
だが、娼はこの街の奴隷ではない。娼こそが、主であった。
彼らは堂々と、来訪する客たちを値踏みしていた。無賃で振りまく愛想など、持ち合わせていなかった。
犀星は、いつ訪れても変わらぬこの街の空気が好きだった。
ここには、陰湿で複雑な駆け引きはなかった。
好きか嫌いか、気にいるかどうか、それだけだった。
相手の腹を探り合う必要もなく、気を揉む心配もない。
慈圓は横目で犀星を見た。
ここに来るたび、犀星は表情が豊かになった。宮中では蒼氷の親王と評される犀星だが、実のところ、心は瑞々しく動いていた。
犀星が感情を表さないのは、人間関係の余計な摩擦を避けるためだった。愛想笑いを絶やさぬ者がいるように、犀星は隠すことで、敵味方を分け隔てなかった。
本当は、誰よりも感情の激しい方なのだろう。
慈圓は密かに、そう、踏んでいた。
今でこそ、ある程度犀星を知っている慈圓だが、当初はそう簡単ではなかった。
口数が少なく、表情が動かない多感な年頃の犀星は、実に扱いづらかった。その上、鋭利な思考を秘め、読み切れない方向に飛躍した。慈圓は幾度も驚き、呆れ、そして唸った。
ただの、傷ついた子どもではない。
雨上がりの土の下に、凍り始めた冬の気配がする道を歩きながら、慈圓は知らず知らずに微笑した。
「気をつけろ」
物思いに耽っていた慈圓は、犀星の警戒の声で現実に引き戻された。
犀星が目配せした先には、目つきの鋭い男たちが、こちらを見て小声で話していた。
「この界隈の、ごろつき連中ですな」
慈圓が眉を顰めた。
花街では、秩序を破る客に制裁を加える者たちが自警団を名乗り、いくつかの派閥を作っていた。名目は理にかなっていたが、やり方は力任せで扱いが難しかった。
犀星は、わずかに残っていた笑みを消した。
「俺たちは、ここの秩序を乱すことになるか」
「さぁ、如何なものか。彼らにとっては、そうかも知れませんな」
話がまとまったのか、四人の男が、こちらに向かって歩いてきた。
「どうなさいます、伯華様?」
犀星はそれには答えず、じっと男たちを見つめていた。
「避けては通れない」
犀星は無表情のまま、こちらからも近づいた。
慈圓は、やはりな、と腹を括った。
一悶着あるのは、覚悟の内であった。
怖がりな東雨を連れてこなかった本当の理由は、この事態を予測してのことだった。
数歩空けて、両者は立ち止まった。一足一刀の間合いだった。
相手の一人が、顎で脇の路地を示した。
先に行け、という合図だ。
犀星は黙って示された道に入った。慈圓は警戒しながらついて行ったが、路地に入った途端、背後から男に突き飛ばされ、地面に座り込んだ。
「玄草!」
振り返った犀星の顔を掴んで、別の男が壁に押し付けた。ささくれた木肌が着物越しにも肌を傷つけた。
「おまえたち、最近、よく見るな」
犀星を押さえ込んでいる男の向こうから、野太い声が飛んできた。男たちの中でも、とりわけ体格の良い人物だった。袖を落とした着物から、犀星の倍ほどもある太い腕が見えた。
「客でもねぇようだし、何を嗅ぎまわってやがる?」
「さぁな」
犀星は挑発するように男を見た。どうやら、この男が顔役らしい。
「答えろ!」
犀星を掴んでいる手が、乱暴に顔を押し上げた。首が捻れて、酷く痛んだ。それでも、犀星は黙って様子を見ていた。
何を答えたところで、まともに話を聞いてくれるようには思えなかった。
「こいつ……馬鹿にしてるのか!」
さらに力を込められて、犀星の美しい顔が、一瞬、苦痛に歪んだ。その様子に、その場の空気が熱っぽく変わった。
「いいだろう」
顔役の男が、口を斜めにして、
「そんなに言いたくなきゃ、調べるまでだ。剥いてやんな」
男の声で、傍観していた二人も、犀星の手足を鷲掴んだ。最初の男が、着物に手をかけ、力任せに引き下ろした。
犀星の白い肌が薄暗い路地の光の下で、艶かしく際立った。
「こりゃ、いい体じゃねぇか。身売り先なら紹介するぜ?」
誰かの言葉に、他の男たちが笑い声を上げた。
大人しくされるに任せていた犀星が、突然、笑みを浮かべた。凍りつくように冷たく、鋭く、同時に美しかった。
犀星の凄みに、思わず、三人は一歩離れた。
「何だ、おまえ……」
最初の男が、怯えた声を出した。
「おまえたちは、この辺りの派閥の者か?」
姿勢を正し、流れるような動きで襟を直すと、犀星は顔役の男に直接向いた。
「話がある」
犀星の気迫は、腕っぷしの強い荒事を生業とする男たちさえ、息を呑むほどだった。明らかに自分より若く、線の細い犀星を相手に気圧された。
「話だと?」
顔役の男が、先頭に出た。
「正体もわからねぇやつの話なんか、信用できるかよ」
派閥を牛耳るだけのことはあるようで、男もまた、腹が据わっていた。犀星は、普段の冴えた瞳で男を見据えた。どんな時、どんな相手でも、犀星が臆することはなかった。
慈圓は腰をさすりながら、立ち上がった。
「伯華様!」
「心配ない」
「ですが……」
慈圓は苦虫を噛み潰し、男たちを見た。じろりと、顔役の視線が犀星をねめ回した。
「伯華……?」
慈圓の呼んだ名を捉えて、繰り返した。
「どこかで……」
言いながら、男は犀星の髪と瞳をじっと見た。
「その色……あんた、歌仙か?」
呼び捨てられても、犀星は顔色一つ変えなかった。
「こりゃ驚いたな。親王様とは恐れ入ったぜ」
男は面白そうに犀星に一歩近づいた。
「噂ってやつは、とかく誇張されがちだが、あんたの評判に嘘はないようだな」
「どんな噂か知らないが、鵜呑みにするのは愚かだ」
犀星は堂々と男を見返し、視線で射抜いた。
「自分の目で見たことだけが真実だ」
「なるほど、それがあんたのやり方か」
「そうだ。だから、俺が直接、ここに来ている」
「何をする気だ?」
顔役は、いつしか犀星の調子に乗せられていることを薄々感じながら、それでも逃れきれなかった。
「おとなしく宮中に引っ込んでろ。ここにあんたの居場所はねぇ。世の中の底辺しかいねぇ。人間の欲望を食って生きる、汚ねぇ連中の吹き溜まりよ」
「そうは思わない」
犀星は本心から、そう答えた。
「ここで生きる者が汚いと言うなら、それを金で買いにくる奴らは、もっと最低だな」
「……なんなんだ、おまえ……?」
男は、犀星のおびえることを知らない態度に、いつしか興味をそそられたようだった。
「察しの通り、歌仙だ。田舎育ちの変人で通っている」
犀星の自己紹介に、思わず慈圓は納得してしまった。
「おまえ、名は?」
顔役の男は、一瞬迷ってから、
「……洲」
低く、だが、嘘ではない声で答えた。犀星は眉ひとつ動かさず、淡々と続けた。
「では、洲。尋ねるが、このあたりのことには詳しいのか?」
「詳しいのか、だと?」
洲は口元を歪めて笑った。
「生意気なことを聞くじゃないか。この一帯は俺たちの縄張りだ」
「この一帯というのは……」
犀星が慈圓を見た。慈圓は意図を察して、抱えていた包みから、花街の地形を描いた地図を取り出し、犀星へ差し出した。犀星はそれを広げて、
「具体的には?」
「はぁ?」
明らかに面食らって、洲は声を上げた。
「おい、俺たちは……」
「答えられないのは、はったりだからか?」
「てめぇ……」
洲は地図を奪うと、おおよそのあたりをつけて折りたたんだ。
「この範囲だ」
表になった地域を確認して、犀星は頷いた。
「いいだろう」
地図を手にしたまま、犀星は踵を返した。うろたえる男たちが弾かれたように一斉に道を開けた。
「おい! まだ見逃してなんかいねぇぞ!」
犀星は背後から飛んでくる洲の怒声など気にも止めず、表通りに出ると、地図と実際の街並みとを見比べた。
洲の部下たちは、あまりにも物怖じしない犀星の態度に困惑し、顔を見合わせた。慈圓が横目で見ながら首を振った。
「悪いことは言わん。伯華様の話を聞け」
「なんだ、偉そうに……」
若い男が突っかかっていくのを、洲が制した。
「どういうことだ」
慈圓は血気盛んというよりは、無知と無学で暴走する男たちに肩をすくめ、犀星の方を目で示した。
「伯華様はおまえたちにもわかるように話してくださる。とにかく、聞いて損はない」
男たちは互いに相手の出方を見て、膠着した。その中から、洲が真っ先に犀星のそばへ歩み寄った。乱暴な足取りだが、危害を加える様子はなかった。
犀星は隣に立った洲をちらりと見た。
「このあたりは、花街でも一番北寄りだな。主に遊郭より、居住区がある」
「ああ。それがどうした?」
「結論から言う。この街の治水工事を計画している。手を貸して欲しい」
「な、何だって?」
わけがわからない、という顔で、洲は上ずった笑いを交えて、
「治水工事? 手を貸せ、だと?」
「そうだ」
大真面目に、犀星は地図をたどりながら、
「この北の川から、直接、街の中へ水を引きたい」
「川から、水?」
「用水路を掘って、豊富な水を引き入れる」
「あんた、本気か?」
「冗談に見えるか?」
犀星は真顔のまま、
「ここで生きているなら知っているだろう。花街の水は最悪だ。地下水脈が都を先に通ってくるから、井戸水も出づらい。都から水を買ってどうにか凌いでいるだろう?」
「それは、そうだが……」
洲は的確な指摘にうろたえた。犀星は続けた。
「慢性的な水不足と、水代の負担。しかも、衛生面でも酷い環境だ」
犀星は地図を示して、
「この道に沿って、用水路を作る。水路の脇には柳を植えて地盤を固める」
引き込まれるように地図を見ながら、洲は目を丸くした。
「街の中心に川を通すってのか?」
「そうだ。その方が、街中での水の管理もしやすい上、今後、水路を拡張するにも便利だ。水路で区画を分ければ、火事の際の延焼防止にもなる。貯水池を整備すれば、そのまま消火にも生活用水にも使える」
「…………」
後ろから話を聞いていた男たちは、何のことか、と首をかしげながら、とにかく、水で困らなくなるらしい、ということだけは理解した。
「問題は、人手が必要だ、と言うことだ」
犀星はようやく地図から目を上げて、洲を見た。
「頼めるか?」
「え?」
犀星は改めて背を伸ばし、洲に体を向けた。じっと表情を見つめ、ゆっくりと、落ち着いた声で話した。
「今回の工事に、宮中の貴人も官吏も興味がない。もっと言えば、協力する気がない。それでいて、こちらの邪魔をするのに余念がない」
聞きながら、慈圓はやれやれという顔に成った。犀星が語る真実は、愚痴とも必要な情報とも思われた。犀星は、つけいる隙のない、まっすぐな目をしてた。
「だから、工事に関わる人員は現地調達する、という条件で、無理にこの計画を通した。もちろん、雇い賃は出す。金額は交渉に応じる。問題は金ではなく、それだけの人数を確保できるか、ってことだ。おまえ、顔がきくんだろう? どうなんだ?」
犀星の説明に圧倒されていた洲は、思わず、部下の男たちを振り返った。彼らも困った顔を突き合わせ、突然の話に言葉もない。犀星はさらに続けた。
「これがうまくいけば、花街全体の利益になる。工事に関わる人間にも金が入るし、その結果作られる水路も、この街のものだ。使用に応じて誰かに搾取される心配もない。それは、俺が保証する」
「あんたが……?」
洲は信じがたい、という表情を見せた。貴人や官吏などは、大した仕事はしないくせに、資金徴収と称して金を巻き上げ、生活を脅かすものだと思っていた。
犀星はたたみかけた。
「これでも親王だ。約束は守る。恩恵は街に暮らす全ての人々にもたらされる。もちろん、税など取らない。どうだ? おまえたちにとって、損なことは何もないと思うが?」
「つ、つまり……」
理解に手こずっていた若い男が、恐る恐る、
「金はあんたが全部出す。完成してからそれを返す必要もない。俺たちは一文も出さずに、仕事と水を手に入れられるってことか?」
「詐欺だろう」
他の誰かが言った。
「そんな美味い話があるわけがない」
「詭弁だ。どうせ、あとから理由をつけて、勝手なことを言い出すに決まっている」
「騙そうったってそうはいかないぞ」
すっかり、犀星を疑ってかかる部下たちを尻目に、洲は腕を組んで、犀星を見下ろした。
「なぁ、歌仙さんよ、訊いてもいいか?」
「無論」
「どうして、こんなことをしようとする? あんたには何の得もないだろ? それを信じろなんて、無理な話だ」
「これは犠牲的奉仕じゃない。俺にも、利益がある」
洲の問いかけに、犀星は静かに答えた。
「ここでの工事がうまくいけば、次の仕事を通しやすくなる。そしてそれは連鎖し、やがて、紅蘭の水は劇的に変わる。確かに、金は全く稼げない。だが、幸い、俺の目的は金じゃない。成果だ」
「成果……」
「そうだ」
犀星は頷いた。
「今の俺にとって、実績は金以上に価値がある」
洲はさらに深く唸った。
「何と言われても、簡単に信用なんかできねぇぞ」
「ならば、質草を出そう」
唐突に、犀星は言い出した。
「もし、俺が約束を違えたら、俺の身を、好きに売っていい。娼館でもなんでも、おまえに任せる」
「あんた、正気か?」
洲は愕然として、犀星を見た。
「無論」
顔色一つかえずに、犀星は頷いた。
慈圓は、ハッとした。
最初から、犀星はこの危ない賭けに出るつもりで、涼景たち近衛を遠ざけたのだ。
全く、怖いもの知らずと言おうか、ただの酔狂か。
洲以上に、慈圓の方が深いため息を漏らした。
値踏みするように犀星を見ていた洲が、やがて、諦めて首を振った。
「理屈はわかった。だが、どうしてその最初が、花街なんだ?」
「ここが、都にとって、大切な場所だからだ」
「は?」
これはまた、洲の想像から外れた返答だった。
「あんた、聞いてなかったのか? ここは都の中でも掃き溜めだ。真っ当に生きられない連中の巣窟だぞ。そんな所を整備しようなんざ、どうかしてるぜ? もっと、善人が真面目に暮らしてる辺りにしておけ」
「洲、おまえ、この街の人間なんだろう?」
犀星は、逆に問い返した。
「それなのに、ここの価値が全くわかっていないな」
「価値だと?」
「そうだ」
犀星はきっぱりと言った。
「おまえが言うように、ここは欲の街だろう。だが、それを恥じる必要はない。この街は人を癒やす。生まれも立場も関係なく。人の温もりは、生きるために欠くべからざるもの、まさに、水と同じだ。たとえ一夜の夢だろうと、一夜の命を繋ぐのだ」
「……そんな話、今まで誰もしなかった」
「しなかっただけで、皆が思わなかったわけではないはずだ。少なくとも俺は、友人から、この街の真価を諭された」
「友人?」
「梨花」
洲は黙った。花街で蓮章の名を知らぬ者はいなかった。とうとうと語る犀星の言葉に、男たちも完全に引き込まれていた。知ってか知らずか、犀星は声を優しくした。
「ここは命の水源なんだ。だから、この街から、俺は始める」
洲は明らかに、困惑していた。男たちも、どうして良いか分からず、立ち尽くしていた。
犀星の思いの吐露に、真っ先に微笑したのは、他でもない、慈圓だ。
現実的に考えて、花街は決して、犀星が言った通りの愛の溢れる理想郷ではない。そこには毒もあれば悪もある。犀星とて、そのことは百も承知だ。だが、それは宮中であろうと都であろうと、似たり寄ったりであった。
犀星が、この街を重要視する本当の理由は、洲に語らなかった別の場所にあった。
この地域は、北の川に一番近く、最も治水工事に着手しやすい環境にだった。
さらに、宮中の息がかかっておらず、勝手をしても、官吏たちに睨まれることもなかった。宮中に捨てられた場所だからこそ、犀星が拾っても文句を言う者はなかった。他で事を起こすより、まずは花街を先に行うのは、順序というものだった。
利点は他にもあった。花街は多くの都の民も出入りしていた。そこが整備され、環境の良さが伝われば、自然と都の民も自分達の住む地域に治水を望むようになる。都に犀星の事業を知らしめるための見本市でもあるのだ。
あらゆる可能性から、犀星はこの場所を選んでいた。
洲は、むぅ、と唸ったきり、地図を睨みつけていた。
「一つ、問題がある」
今までになく落ち着いた声で、洲が言った。
「街の性質上、ここは女の割合が高い。しかも、ほとんどが遊女だ。男も男娼は使えない。力仕事ができる奴らは、大抵、どこかの遊郭の用心棒で、人手が余っている訳ではない。都の知り合いや近隣の農村に手を回せば、それなりの数は集められるだろうが、外部から人を受け入れることになる。工事の間、そいつらを住まわせる土地は、ここにはない」
「それは、問題ない」
犀星は頷いた。
「ここは、何の街だ?」
「え?」
「宿泊できる店なら、いくらでもあるだろう?」
「確かに貸し宿はあるが、商売をしている訳で……」
「宿は宿だ。寝泊まりはできる」
「しかし、無償で労働者を泊めさせる宿なんて……」
「誰が無償だと言った?」
「……まさか!」
「そうだ。宿ごと、借り受ける。金を払ってな。それなら、不満はないだろう? それに、労働者には賃金を支払う。彼らが、他の店の客にもなる。金はこの街に落ちる。俺は損をするばかりで、懐に入る金はない」
「あんた……」
洲は息を殺し、恐ろしいものででもあるように犀星を見た。犀星の表情は変わらなかった。
「俺は、ここを変えたいだけだ。これで儲けるつもりはない」
洲は呆然としていた。そこには、先ほど突っかかってきた荒くれ者の気配はなかった。
「どうだ、力を貸してもらえるか、洲」
対等だ。
洲にはわかっていた。
犀星は決して、威圧的に進めるつもりはない。自分と目線を合わせ、話をしているだけだ。
治水工事の知識と技術、そして先行投資の金は犀星が出す。
自分達は、その計画に乗り、人手を集めて束ねていく。
悪い話ではない。むしろ、信じられないような好機であった。
洲は静かに声を低めた。
「歌仙さんよ。あんた、何を企んでいる?」
犀星は隠すつもりもないらしく、正直に答えた。
「俺が最終的にやりたいのは、この一帯の農地改革だ」
犀星は、にやりと笑って見せた。
「俺が育った歌仙は、そのほとんどが山林と農地だ。その全ては、水に支えられていた。俺の体には、河川の水が流れているんだ」
「……面白い!」
洲は、気に入った、と犀星の背中を叩いた。
「あんた、親王なんかやめちまえ。皇帝になりゃいい」
洲の大きな笑い声が、晴れて澄んだ花街の空に響いた。
犀星と慈圓が花街の門を出たのは、すっかり日が傾いた時分だった。
心地よい疲労と達成感で、二人は穏やかな表情を浮かべたまま、黙って街を後にした。
洲に案内され、花街の有力者の協力を取り付けることにも成功した。
犀星は大金を借りる保証として、成功のあかつきには、親王公認の名を店に出すことを提示した。一方、失敗した場合は、犀星自ら娼となることを約した。狂気の条件は、周りの誰をも絶句させた。
犀星には、十分な手応えと勝算があった。
早く五亨庵に戻って、留守を任せている東雨たちを安心させてやりたい。
二人の足取りは軽かった。
と、門を抜けた往来に、人だかりができていた。二人は顔を見合わせた。
高い女の怒鳴り声が、人山の中から聞こえてきた。
何か揉め事ならば、その場を素通りできないのが犀星の気性である。
慈圓は、事が大きくならないことを祈りながら、人だかりをかき分けていく犀星を追った。
「どうした?」
人の輪の中心に、都の辺境には似つかわしくない、華やかな装束の女が立っていた。その足元には、少女がきちんと足を折って座り、項垂れていた。
「歌仙様!」
振り返った女は、趙姫であった。
犀星の顔から感情が消えた。
一言も尋ねることすらせず、犀星は黙って辺りを見回した。
馬に引かせた帳車は艶やかな赤と橙の絹張で、細工を施した飾り紐が垂れ、その所々には佩玉や宝石が揺れていた。
堂々と地面に立つ趙姫は、五亨庵にいた時よりも、一層華やかで自信に満ち溢れ、民衆を視線を一身に集めていた。
黙り込んでいる趙姫に、犀星は顔を向けようともしなかった。
「何があったのです?」
仕方なく、慈圓が尋ねた。
趙姫は紅潮した顔で、まくし立てた。
「この娘がわたくしの帳車の前を横切りましたので、罰を与えているところですわ」
犀星は、砂利の上に砂埃にまみれて座っている娘を見た。腰をかがめて目を合わせると、それは明であった。
すでに趙姫の供の者たちに蹴られたらしく、明は髪や顔まで土で汚れ、額を擦りむいて赤く血が滲んでいた。趙姫の罰は公然と、容赦がなかった。
「仮にも公儀に名を連ねる者が、民に狼藉を働くなど何事ですかな」
慈圓が犀星の後ろから、趙姫をたしなめた。
犀星自身が叱責するより、慈圓に任せた方が、親王の名を汚さずに済むとの配慮だった。
「しかも、道は全ての民のもの。それを横切ったとて、その娘に咎はありませんぞ」
「邪魔をしただけではございませんわ」
趙姫は気丈に慈圓を睨みつけた。
慈圓が宮中の人脈に通じていること、父である左相の趙教と不仲であることは、趙姫も知っていた。
「おかげで、供が親王様への贈り物を取り落としてしまいました。これは、歌仙様への冒涜も同じことです」
「私への冒涜を働いているのは、あなたの方だ」
黙っているのも限界だったのだろう。犀星が、静かな、よく通る声で遮った。
成り行きを見守っていた都の老若男女たちは、両者の会話から、犀星の正体を知ってざわめいた。
明が、怯えた目で犀星を見上げた。泥で汚れたその顔に、幾筋も涙の跡があった。
犀星は早足で明によると、そのそばに片膝をついた。周囲からどよめきが上がった。
歌仙親王を知る者とて、親王自ら土に膝をつくなど、考えられないことであった。
明の唇の端に滲んでいた血を、犀星はそっと手を添え、自らの着物の袖で拭った。
「親王様……あたし……」
「もう、大丈夫だ」
犀星の囁きは明にしか聞こえなかった。彼女の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「まったく、とんだ災難ですわ」
趙姫が頭痛でもするかのように、額に手を当てた。
「こんないかがわしい所まで来たというのに……」
「いかがわしい、だと?」
犀星の眼差しに、ちらりと怒りが走った。そのまま、明を背にして立ち上がると、趙姫を見据えた。
趙姫は美しい眉を歪めた。
「歌仙様が、なにゆえ、このような場所に執着なさるのか。殿下のような方がお運びになる場所ではございません」
「あなたは、この街の価値を知らぬのに、どうしてそう、言い切れるのです?」
趙姫は口元を覆ったまま、
「花の街に、価値などございません」
明が、そばに立つ犀星の殺気を感じて、身を震わせた。
慈圓が素早く、犀星と趙姫の間に割って入った。
「貴姫様、ならば、なにゆえ、あなた様は価値なき場所にいらっしゃったのです?」
趙姫は妖艶に目を細めた。
「歌仙様がお出かけとお聞きし、労いの品をお届けに参りましたのですわ」
「ほう」
慈圓は、無言で犀星を押しとどめた。
「わしらの話を盗み聞きし、親王殿下の後をつけた上、殿下が目をおかけになった街に価値が無いとまでおっしゃる。挙句に、殿下の贔屓の女性に往来で恥をかかせるとは、どこが労いだとおっしゃられるのか、この老朴には、まこと、理解できぬことにござりまするな」
趙姫が明らかに不愉快を滲ませた目で、慈圓を見た。だが、彼女もこれ以上、五亨庵を敵に回す事が、犀星を手に入れるために得策ではないことを承知していた。
「わかりました。どうやら、わたくしにはやはり、下賤な方角は凶であったようです」
優雅に礼をすると、趙姫は裾を返して帳車に戻った。そのそばに、従者が一人、箱を捧げて近づいた。
「姫様、玲親王殿下への贈り物は、いかがなさいますか?」
その一言が、趙姫の逆鱗に触れた。彼女は乱暴に箱を払い落とした。土の上に朱塗りの箱が叩きつけられ、蓋が飛んで、美しい色の砂糖菓子が道に散らばった。
「土に堕としたものを、歌仙様に献上できるわけがないでしょう!」
一喝された従者が、その場に平伏する。
趙姫たちの行列が動き出すと、人々はざわめきながら道を開けた。
犀星の後ろに座り込んでいた明が、よろめいて立ち上がった。そのおぼつかない足元を支えるように、犀星はそっと手を貸した。
「明、おまえ、こんなに遠くまで、行商に来ているのか?」
「……うん」
明は俯いたまま、頷いた。
「花街はお得意さんなんです。みんな親切だし、私が作った花の飴、楽しみにしてくれるから」
「そうか」
犀星は明の体の土をほろってやりながら、
「おまえは、あの街が好きか?」
「はい」
パッと顔を上げて、明は思わず犀星に見とれた。
明が知る犀星は、いつも、五亨庵の奥で黙々と仕事をしていた。遠くから、景色の一部のように遠い存在。それを、こうして近くで見ると、その美しさに胸が高鳴った。
「綺麗……」
「うん?」
「……あ、あの……綺麗な、曲」
「曲?」
「はい……」
明は誤魔化すように犀星から目をそらして、地面に撒かれた菓子を見た。
「花街の人たち、綺麗な曲を聴かせてくれるんです。稽古中だからお代はいらないよ、って。それが、とても綺麗」
「そうか」
「だから、私、少しでもお礼をしたくて、花街でだけ、飴を売っているんです。花の形をした小さな甘いの。少ししか、作れないけれど」
犀星は、素朴な少女の姿を、目を細めて見守った。
誰識真価希
幽音出遠邦
願献清絶響
尽息在世時
(仙水)
誰か識らん 真価の希なるを
幽音 遠邦より出づ
願わくは献ぜん 清絶の響き
息尽き 世に在る時に
「いつか、親王様も、姐さんたちの琴、聞いてみてください。とても、優しい音がするから」
佇む犀星と民の周りに、淡い色に染められた花や葉、鳥を形取った菓子は、うっすらと砂にまみれて、小石のように散らばっていた。
「可愛そう……」
つぶやきながら、明は小さな命を拾い上げるように、手のひらに集め、土を払うと、箱の底にそっと並べていった。
慈圓がそれを手伝ってやりながら、首を傾げた。
「これを、どうする気だ?」
「お供えするよ」
「汚れた菓子を?」
「うん。大丈夫、うちの土地神様は怒らないよ。誰かが大切に作ってくれたものだもの」
犀星は、無意識に両手を握った。
もし、自分が恋をするなら、明のような娘なのだろう。
一瞬、彼の胸に吹き抜けた想いは甘く、そして、彼自身にも気付かぬ程に、儚かった。
宮中との取引のために、都の商人には南区への出入りが許されていた。
南区は宮中でも最南の、朱雀門に隣接した区域であった。
門を抜けると整えられた土の広場が続いていた。区画が小さな杭で示され、振り売りや敷物、屋台が並ぶための十分な空間が確保されていた。
商人たちは、入口付近の管理官に前もって申請し、日ごとに入場許可を受けた。商品の種類、数量、値段など、事細かに伝え、そのたびにあれこれと荷物をのぞかれては軽口の相手をさせられていた。
官吏の機嫌を損ねれば、出入りを禁止されるばかりか、割り当ての市場の枠に差をつけられた。顔色を伺いつつ、懐をさぐりつつ、の攻防が、取り繕った笑顔の下で繰り広げられていた。
商人も言われるままでは済まさず、そこは持前の商魂たくましく、何かと理由をつけては三日に一度は財布の紐をほどかせた。
騙しあい、からかいあい、どこか殺伐としながらも、どちらも一歩も引かない活気ある景色が日々繰り返されるのが、この朱市の見ものだった。
検札所の様子を眺めては、その日の掘り出し物は何か、物色するのが東雨の楽しみの一つにもなっていた。
取引には、上質な絹布や染料、香料、陶磁器、玉、宝石、香木などが多かった。調味料や珍しい食材も交じり、取引には硬貨の代わりに宮中専用の帳簿や先払い制など、通常の市とは仕組みが違っていた。
朱市の客のほとんどは役人や使用人で、少しでも主人によい成果を渡そうと、あれこれ知恵をめぐらせた。予算をおさえて有能と褒められるのも、浮かせた代金を懐にいれるのも、それぞれの判断であった。
東雨が意図して視界に入れないように逃げているのが、警備兵の駐屯房だった。宮中をつかさどる禁軍のうち、南区に配置されるのは、副長の中でも格下の男だった。
東雨はこの男を軽んじていた。少年が評価を下げるにはそれだけの理由があった。朱市警護の任を任されるこの男は、なかなかに頭の働きがのんびりとしていた。人付き合いはよく、いつもにこにこと気立てもよいのだが、東雨から見てさえ安全の面で不安があった。
盗難防止のため、広場の端には常に禁軍兵が巡回していた。市場内での騒動、口論、違反行為に即座に対応するための備えなのだが、兵を統括する副隊長はのらりくらりと逃げていた。兵たちの士気も自然と落ち、市はとっくに、我が物顔で活力あふれる商人たちの天地だった。
馴染みの顔ぶれ同士が挨拶をかわし、あちこちで呼び込みの声が上がった。
東雨のもうひとつの楽しみは、いつもは権威を振りかざしている兵たちが、商人たちの豪気の前におとなしく下を向いている姿を眺めることだった。
とはいえ、治安の維持は必要だった。その役の一端は、あろうことか、まったく別の隊の肩に預けられた。
これは近衛の仕事ではない、と不満を漏らす蓮章を説き伏せ、涼景は右近衛隊の一部を、朱市の警備に回した。表向きは五亨庵周辺の警備だが、そのほとんどは、朱市でのもめごとの監視役である。
本来なら、管轄外の近衛の介入に抵抗を示してもおかしくない禁軍の兵たちは、むしろ、それを歓迎した。中には、自分たちの主人である禁軍副将より、暁将軍への信頼を厚くする者まで現れる始末であった。
涼景が目立つことを嫌う蓮章の心配をよそに、朱市には独特の秩序が生まれていた。
涼景の後ろ盾であり、朱市に関わる人々の誇りともいうべきものが、五亨庵であった。
賑わいから脇にそれ、少し奥まった所に、ほかに例を見ない美しい庵が、木々に守られて厳かに鎮座していた。
並木の向こうに輝く群青の美しい建物は、都と宮中を行き来する商人たちにとって、なじみ深い風景だった。
宮中の奥深くにひそむことの多い貴人たちの中で、犀星だけは人々の暮らしの片隅に、ひっそりと、しかし溶け込んでいた。
自然と、皆の関心も信頼も、この変わり者の親王へと寄せられた。
東雨は、それが誇らしかった。
まるで、朱市は五亨庵の門前町だ。
涼景が守り、商人が官吏を凌駕し、犀星を慕う。
この頃から、東雨は堂々と、名乗りをするようになった。
行く先々で、身分を尋ねられるたび『五亨庵の東雨です』と、胸を張って顔を上げた。
幼いながらに、犀星や慈圓といった名だたる為政者の傍らにいることが、嬉しくてたまらなかった。
東雨がそんな幸せの渦中にいる頃のことである。
ちょうど犀星が二十歳を迎えた。
その頃、朱市に東雨と同年代の少女がよく、行商にきていた。
周囲には明と呼ばれる、小柄で目立たない娘だった。都で饅頭屋を営んでいる家の長女で、背負い籠にいっぱいに饅頭や蒸餅、月餅などを詰めて、頻繁に宮中を売り歩いた。
彼女の客は、貴人たちではなかった。
店をならべる商人相手の商売である。
明の饅頭は評判が良く、大きな商談がまとまると、みな、祝儀だと言って買い求めてくれた。働き者で丁寧な明は、誰からも好かれた。
その彼女は、ときどき、五亨庵にも立ち寄ることがあった。商売のためではなく、避難してきたという方が正しかった。突然の雨風や、人々のもめごとで場が荒れたとき、収まるまでのあいだの避難所として、明は自然と五亨庵を頼った。
五亨庵には、食べ盛りの東雨と、舌の超えた緑権が詰めていたが、犀星の質素倹約の精神のため、余計な買い物はしないのが常であった。そのため、明が来ても、売上にはつながらなかった。それでも、彼女はよく、雨宿りを兼ねてここを訪れた。
本当なら、もっと売れ行きのいい邸宅がいくらでもあっただろうが、そういう所は長居をさせてくれなかった。売り買いが済めば、当然追い出される訳で、雨宿りの意味がないのだ。
五亨庵ならば、饅頭は売れなくとも、追い払われる心配はない。ただ、そっとしておかれるのが常だった。
犀星は人付き合いを好まず、黙々と仕事をしているだけだった。東雨もあれこれと忙しく働いていて、自分に構っている余裕はなかった。
緑権は自分も娘がいるせいか、明には親切で腹が膨れるほど、茶を出してくれた。
明も、商売どきには声を上げて元気な笑顔で売るのだが、本来はそのような性分ではないらしく、大人しく椅子に座って商品を確認したり、売上を記録したり、と黙って過ごしていた。それでも時間が余ると、慈圓が文字の手習いや、簡単な詩歌の竹簡を読ませてやることもあった。
五亨庵は都に近く、明は売りものを補充するため、籠を預けて店に戻ることさえあった。
特に美しい訳ではないが、愛嬌のあるいかにも町娘の風態の明が親王殿にいるさまは、傍目には不釣り合いだった。だが、五亨庵にそれを言う者はなく、商人たちも、歌仙様のすることだから、と、気に留めることをしなかった。
明は恩も感謝も抱く娘で、いくらかの余裕があるときは、お礼がわりに、と菓子を置いていったりした。
明の行動は周囲の者も知っていて、時には犀星宛てに献上品と称して料理が届けられることがしばしばあった。
犀星が、他の貴人たちとは違い、上等の布や宝飾品を受け取らないことを、彼らはちゃんと心得ていた。また、便宜を図ってもらおう、などの裏の意味はなく、単純に犀星の治世を評価し、感謝している証だった。
高価でも珍しくもない庶民の家庭料理を犀星は受け取り、代わりに貴重品の墨や筆、自らが書き写した書などを礼に返した。
毒味もせず、警戒心を抱くこともなく、粗末な包みの料理を口にする犀星に、東雨たちは驚かされた。初めはさんざん苦言を呈し、まずは自分が、と言い出した東雨だったが、どうやら、それが逆に犀星には気に入らなかったらしい。枇杷の薄切りに砂糖をまぶして油で揚げた菓子を、毒見と称した東雨にすべて食われて以来、五亨庵の毒見役は犀星、と定められた。
今ではすっかりそれが板につき、誰も、犀星の箸を止めることはなくなった。歌仙親王を毒殺することは、何よりも容易だった。皮肉にも、五亨庵でのこの慣習はあまりに常軌を逸しており、犀星を狙う者たちが信じることはなかった。
冬も近づき、ひんやりと陽光も熱を失する日が増えてきた頃、足繁く五亨庵を訪ねる者がもう一人あった。
こちらはあらゆる面で、明とは正反対の娘であった。権勢をほこる左相・趙教の息女、齢十六になる趙姫だった。
父の姓をとって、趙姫と呼ばれる、衆目を集める美しい娘である。父の趙教は左派の重鎮で、犀星が親王に即位した頃から、その頭角を現し、短期間に財をなした男だった。趙姫の他にもあまたの娘や息子がいたが、誰よりも父は彼女を愛護した。
趙教のやり方は気高く穏やかに慈愛に満ちた姫となるには、真逆の教育方針であった。
少女の頃の可憐さと、年を重ねるごとに増す妖艶な美しさ、奏でる上等の笛のような声色、長く艶やかな黒く豊かな髪、ほっそりとした手足と指。
生まれ持ったその肢体を、左相の娘という財力がこれ以上なく飾り立てた。
趙教は彼女を、宝順の後宮へと望んだが、権力の助長を快く思わない宝順は取り合わなかった。
次に趙教が目を付けたのは、夕泉親王であった。しかしこれもまた、失敗に終わった。人を遠ざけ、静寂を好む夕泉の性質に、無邪気で明るくわがままなこの姫は、どう考えても受け入れられるものではなかった。
そうやって次第と位を下げ、趙教は仕方がなく次の標的を定めた。それが、五亨庵で実力を示しつつあった、歌仙親王であった。
犀星の評判など、最初の頃は最悪で、田舎者の礼儀知らずの小汚い子どもがくる、というものだった。しかし、犀遠の教えを受けた犀星は、決して、都育ちの貴人たちに劣るところはなかった。劣るどころか、一目見れば誰もがその美しさの虜となった。
見慣れぬ紺碧の髪と、瑠璃のごとき瞳。少年らしい伸びやかな体と、母親譲りの端正な顔立ち。単に容姿が整った者ならば宮中にはあまたいるが、犀星はそれに加え、剣術にも学問にも秀でていた。
更に、決して周囲になびかず、軽々しい態度を見せなかったことも、魅力の一つであった。怯えることもなければ、遠慮することもない。また、媚びることも尊大ぶることもなかった。
始めは物静かな少年の雰囲気が強かった犀星だが、年を追うごとに更にその魅力に深みが増し、押しも押されもせぬ宮中一の才色兼備の逸材として、目を引く存在となっていた。
澄んだ氷のように冴えた眼差しと、どこか寂しげな表情とで、女を始め、男たちからの声かけも多かった。誰に言い寄られても、犀星が応じることは一切なく、その冷淡さが返って人々を夢中にさせた。
誰が歌仙親王を堕とすか、という話題で、宮中は常に持ちきりだった。
人々が集まると、決まって犀星の話題が出た。
だが、誰一人として、犀星に触れられた者はいない。また、犀星自身が誰かを気に入ったという話も聞かない。
孤独な麗人として、犀星の存在はいつしか語り継がれ、そばにいる東雨や親しい涼景にまで、探りが入ることも頻繁だった。東雨はその度に誇らしい気持ちになり、涼景は勘弁してくれ、と愚痴を言った。
噂の本人は人々の騒ぎには無関心で、都に来てから五年、態度が変わることはなかった。
風変わりで極端な倹約家であり、ほとんど誰とも口をきかない様子は、近寄りがたく真意が読めず、皆が腹を探るのに必死になる厄介者であることに変わりはなかった。
趙教としては落としに落とした条件だったが、当の趙姫にとっては、望みここに叶えり、という意気込みで、喜びに打ち震えた。
犀星が都に来てから五年。その間、多くの娘がその色香をふりまいて、犀星の目に止まろうと必死になった。
若い親王には、正室はおろか側室の候補は数知れなかった。妾ともなれば、後宮に劣らぬ御殿が必要になるのは誰の目にも明らかだった。
出世を狙う官吏の娘、姉妹、時には本人までが、犀星に近づき、その心に入り込もうとあらゆる手を尽くした。金品から色仕掛け、権力の座を約束する者も後を絶たなかった。そして、そのことごとくを、犀星は視界に入れることすらなく、門前払いで退けた。
五亨庵の近衛詰め所に配属された涼景の部下は、そのたびに理不尽な八つ当たりに苦しめられた。
犀星が誰の誘惑にも屈さないという話は、すぐに都中に広がった。
人々は面白がってその話に好き勝手な憶測を加えた。
犀星が実は男性として不能なのだ、暁将軍・燕涼景との間にすでに関係を築いている、兄である皇帝・宝順によって囲われている、遠くに純なる気持ちを寄せた叶わぬ相手がいて、その者への忠義を立てているのだ、という美談まで、あらゆる噂が飛び交った。
犀星は、そのどれも放置した。
民衆が自由に想像し好奇心を向ける、そのことが、犀星への関心を高め、これから行おうとする政策への注目につながると知っていた。
どんな状況をも利用するのが、犀星のやり方だった。
そんな犀星であったから、いかに趙姫が熱を上げたところで、結果は何一つ変わらず、五亨庵を訪れるたびに理由をつけて追い返された。
たいていは、それ以上犀星の心象を悪くしないよう、引き下がる者が多かったが、趙姫は違っていた。
皇帝の名のもと、月に二度召集される御前会議において、左相から五亨庵への風当りが強くなった。
資金的援助が望めず花街の治水工事の予算を捻出するためにあらゆる策を講じていた犀星たちに、趙教はさらなる難題を突きつけた。治水事業の完成を祝う式典を、ぜひ、五亨庵がとりしきるべきだ、というものだった。いかにもな理由をこじつけ、皇帝以下の高官たちを招待し、もてなしの費用のすべては五亨庵が担うのが正しい、とまくし立てた。
さらに、手本となるべき治水の成果を、隣国の調査団を招いて周知させることで、我が国の優れた技術を知らしめ、国益とする誉を担うがよろしかろう、と、経済的負担を重ねて提案した。
慈圓は終始苦虫を噛み潰し、犀星は凍り付いた表情のまま、機会があれば一考する、と退けた。
一方、趙姫は父とは真逆の方向に犀星を責め立てた。朝、犀星が五亨庵に出仕すると、絹、香、書画、名馬、薬材など心当たりのない荷物が、小径を塞いでいた。厄払いと称した派手な花飾りが、庵の入口に置かれることもあった。すべて、疑うべくもなく、趙姫の想いの形であった。東雨はすかさず、売って生活費の一部にしたい、と鼻息も荒く申し出た。犀星はただ静かに、持ち主のわからぬ遺失物として当局に届け出た。
次に、貴重な紙を用いた分厚い手紙が、申し訳なさそうな顔をした使用人によって届けられた。
それでも会えぬとなると、ついに、趙姫は小径の曲がり角に天幕を張った。犀星が通るまで待ち続ける暴走であった。
こうまでされると、犀星も無視を決め込むことは難しかった。
左派を束ねる趙教の機嫌を悪化させれば、この先どのような災いにつながらないともわからない。
五亨庵で、趙教と趙姫に対する緊急の会議が行われ、苦肉の策がいくつも提示された。
慈圓の案に、犀星は顔面をいつも以上に凍り付かせた。
「せめて、趙姫を庵の中に招くことには承諾を」
犀星は、一言も答えるものか、と唇を嚙み締めた。
それをさらに説き伏せようとしたのが、緑権だった。
「伯華様」
緑権は妻子ある者の立場から、
「適齢期の親王がいつまでもひとりでいらっしゃるから、ことはややこしくなるのです。あの姫の目的はただ一つ、婚姻です。一人選んでしまえば、あとは周りにうるさく言われずにすむ、むしろ、正妻への遠慮を理由に、ほかの誘いを断りやすくなります」
体験に基づいた緑権の言葉には、悲しい身の上を語る哀愁と、慈圓にはない説得力があった。
ふたりの押して引くような話に、犀星はついに折れた。
折れた、と言っても、それは趙姫を五亨庵の中に通す、という、可能な限りの妥協点までだった。そこから先は、想像するだけで身の毛がよだった。玲陽のことしか心にない犀星に、宮中の恋愛事情など、聞くにも値しない些末であった。
そんな犀星の気持ちなど、なりふりを構わぬ権力獲得の戦いの前には、風に舞う枯葉一枚の重みもなかった。
ついに、大仰な供の列を引き連れて、趙姫が五亨庵を訪ねてきた。
犀星は普段以上に表情を強張らせ、木簡の上に筆を構えて、忙しい素振りを演じた。慈圓は一歩引いて様子を窺い、東雨は間近に見る正真正銘の姫君を、厨房の壁の陰から覗いていた。
正面から喜んで迎え入れたのは、緑権だった。
「どうぞ、炉の近くへ。お寒うございましたでしょう」
ちらちらと雪の舞う宮中は、乾燥して肌が痛むほどに冷えていた。
「温かいお茶が飲みたいわ」
育ちもよく、物事もわきまえているように見えて、実は相当に視野の狭い趙姫は、東雨の想像を超えて遠慮がなかった。
「すぐにご用意いたします!」
東雨が慌てて準備に動いた。
「青茶がいいわ」
「え?」
東雨は焦った。茶筒に残っていたはずだが、旬がずれてとうにしけっていた。自分たちが飲む分には問題なくとも、左相の娘に出すにはあまりに不安だった。
「……ご、ご用意します」
悲しそうに顔を歪めて、東雨は机架の上に手を伸ばした。
その姿を、ちらり、と顔を上げて犀星が見た。
茶より、墨。
頼んでいた墨を後回しにされて、犀星は数瞬、そのままの姿勢で固まった。だが、ここで言っても、面倒なだけである。趙姫を五亨庵に入れる、という苦肉の条件は飲んだのだから、それ以上関わるつもりはなかった。
犀星はそちらの仕事をよけて、先に別の仕事に取り掛かった。彼が自ら書き込みをしている都の絵地図を広げ、別の木簡に書き付けておいた数字と見比べた。
この冬は雪は少ないが、寒さが厳しい。
昨年が豊作だったこともあり、都の民衆たちも例年ほど難儀はしていないはずであった。とはいえ、穏やかな冬ばかりとは限らない。凍えず、飢えず、厳しい季節を乗り越えるためにどれほどの準備が必要か、そのために用意する物資と調達経路の整備はどれほど遅れているのか。
犀星が興味を抱くのは、現実になるはずのない未来の妃の機嫌ではなく、目前の民の苦境だった。
宮中の者たちの頭の中には、皆、一族の繁栄のことしかなかった。金さえあれば、苦はなく、権力さえ握れば意志が通ると信じて疑わない。だが、いくら金が蔵一杯に積み上げられようとも、薪そのものがなければ炉に煙は立たないのだ。
犀星がこの仕事に就く前、貴人たちは大金を積んで都の民から薪を買い取った。時には、木造の家を丸ごと買い占め、それを壊して薪にした、という話も聞いた。家を失った者たちがどうなったのか、そんなことは、暖かな宮中で宴に興ずる彼らには無関係だった。
犀星は何よりも先に、民衆を重んじることを養父から叩き込まれて育っていた。だからこそ、自分もまた、民と同じ目線に立ち、同時に、民にはできぬ、自分の権力でしか成し得ないことを成そうとした。それが犀遠の教えであり、犀星の信念だった。
自分がそこにいても挨拶一つしない犀星に、趙姫は最初は首を傾げていた。機嫌を損ねてはならない、と、緑権が口を出した。
「歌仙様は、姫様の美しさに照れて、目も合わせられないのでしょう」
嬉しそうに趙姫は笑った。犀星は、ただ、じっと耐えた。
確かに、趙姫は美しかった。煌びやかな着物や装飾ももちろんのこと、化粧で際立つ目鼻立ちは艶やかで、緑権などはすっかりのぼせてしまっていた。わがままを言われても、わざわざ茶葉を軽く炒って湿気を飛ばすほど、東雨もまた、気を遣った。
枯れた慈圓はともかくとして、たいていのものならば目を奪われるのは当然の容姿、そして、左相という後ろ盾。趙姫はまさに、現在の宮中における女の頂点と言えた。
ところが、である。
その趙姫が狙う唯一の獲物、蒼氷の親王は、完全に無視を決め込んでいた。いかに人との付き合いを嫌うとはいえ、犀星がここまで趙姫を避けるのには、実は、それなりの理由があった。
それは、今からひと月ほど前、秋の夜に遡る。
ちょうど、犀星の二十歳の誕生祭が行われ、祭儀嫌いの犀星が東雨と共に、形だけ参加した帰り道でのことだった。大勢から口先だけの挨拶を浴びせられ、その都度堅苦しい決まり文句で礼を述べ、実にも得にもならない時間を強制された犀星は、明らかに普段よりもすり減っていた。
会場である瑞祺堂から都の邸宅へ戻る途中、夕方の風は犀星の深く落ち込んだ心のように、やけに冷たく吹き付けていた。
急ぎ足の犀星と東雨の後を、馬の足音が追ってきた。
東雨が振り返ると、馬に引かせた豪奢な帳車が、まさに二人を追い抜いて、少し先で止まった。
進路を邪魔され、犀星は黙ったまま遠回りに帳車の脇を抜けようと向きを変えた。すぐ後ろで、あわただしく馬のいななきが上がった。
東雨は歩きながら振り返った。暖かな長袍に身を包んだ趙姫が、帳車からゆっくりと姿を見せた。
その背後には、何台もの帳車と、他の姫君の姿もあった。誰もが目を輝かせて、犀星を見つめていた。誕生祭のために正装をまとった犀星は、普段以上に凛々しく美しかった。その姿に目がくらみ、何人かが涙ぐんでさえいた。
女たちが皆、隙あらば犀星のそばに、と、どこか切迫した気配でにじり寄った。
中でも趙姫は若く、活発だった。
誰よりも先に、犀星に歩み寄ると、優雅に着物をたくし上げて、頭を下げた。
「玲親王殿下」
趙姫は大声で呼びかけた。
そこで初めて、犀星は振り返った。そして、大勢の女が皆、自分を追っていたのだと、やっと気がついた。東雨は最初から、犀星が女性に興味がないことを知っていたため、敢えて助言しなかっただけだ。
さすがに往来で名を呼ばれては、無視もできなかった。
犀星は渋々、足を止めた。冷たい無表情は、なぜか女たちには人気があった。いつも笑みを浮かべて、腹の中で何を考えているかわからない男たちより、笑わない犀星の方が宮中の女には魅力的に映るらしかった。
東雨は、偏屈な主人が趙姫をどうあしらうか、と好奇心で見物に徹していた。趙姫の美しさは群を抜いている上、父親は権力の頂点にいる左相だ。犀星との年齢を考えても、絶好の組み合わせであった。
しかし、犀星には、歌仙に残してきた想い人がいることを、東雨は盗み読んでいる文で知っていた。自分がもみ消して、相手には届いていないが、文面と犀星の態度から、明らかに相思相愛の中であると確信できた。犀星が都にきて長くたつが、その熱が冷める様子はなかった。
「何か?」
犀星は白い息を吐いた。
趙姫は厚手の化粧で大きく見せた目を、さらに開いて上目遣いにこちらを見ていた。すっかり息が上がっていた。
自分の容姿に自信がある趙姫ですら、犀星の澄み渡る立ち姿を前にして、心臓が縮むような緊張感を感じた。
一部の隙もない、それでいて他者を圧するような威力も発しない、そのあまりに美しい瞳に見つめられ、さしもの趙姫もすぐには声が出なかった。
東雨は、そんな趙姫の戸惑いを間近で見て、顔には出さずにほくそ笑んだ。
若様は、簡単に近づいていいお方ではないぞ。
単純に、東雨は貴人が嫌いだった。
立場上、従わなくてはならない分、不満も溜まった。変わり者ではあるが、犀星は他の貴人に比べて、はるかにましだと東雨は思っていた。少なくとも、自分に対して罰を与えたり、理不尽な理由で文句を言ったりはしない。その上、人として対等に扱ってくれる。
東雨は無言のままの犀星を見た。
表情がない、というより、状況をどこまで理解しているのかわからない顔であった。
「若様。こちらは、左相様の御息女、趙姫様にございます」
仕方なく、東雨が紹介した。趙姫はにっこりと微笑んだ。
「お目にかかれて光栄ですわ。今宵はぜひ、直接お祝いをと思いまして……」
趙姫はどこかぎこちなく、それでも精一杯に勇気を出して拝礼した。それは孔雀が羽を広げる様にも似ていた。
「玲親王殿下、生誕の儀、おめでとうございます」
皆がため息を漏らす美女の姿に、犀星はわずかに口を開いた。
「私が生まれたのが、そんなにめでたいか?」
うわ!
東雨は思わずのけぞった。
いかに犀星といえども、初対面の、しかも祝いを伝えにきた身分のある女に、そのような物言いはしないだろうと油断していた。だが、やはり、東雨の主人は例を見ない偏屈だった。
「もちろんですわ」
うわ!
趙姫のきらきらとした喜びの声に、東雨は、再度、驚いた。
犀星が東雨の想像を超えていた以上に、趙姫もまた、鈍かった。
「この国で、最も麗しい親王殿下の慶事でございますもの」
嬉々とする趙姫の背後では、結果を見届けようと、他の女たちが聞き耳をたて、様子を伺っている。皆が、犀星を狙う敵なのだ。
趙姫の笑顔は、可憐というより香りのきついけばけばしい花弁のようだった。
「親王様のような素晴らしいお方が、この世にお生まれになられたこと、万物に感謝申し上げねば」
大抵の男はこの笑顔に陥落するのだが、犀星は別格だった。むしろ、更に機嫌を損ねたらしい。東雨は、犀星が喧嘩腰になるのを感じて、これは面白そうだ、と黙って二人を見比べた。
「私のどこが素晴らしいと?」
犀星は、意地の悪い質問をした。東雨は好奇心を隠さず、趙姫の反応を注視した。 趙姫は自信満々に、両手を広げた。
「何もかも、ですわ」
恋にふらつき、蝶よ花よと育てられてきた趙姫に、犀星の行っている政治の中身や功績がわかるはずもなかった。
「殿下の頬は、極上の絹か、磨き抜かれた白磁のよう。御髪は、夜の闇よりも深く、絹糸のように艶やかで、眩しいほどに輝いていらっしゃる。何より碧玉のように煌めく深い蒼色の瞳。物憂げな影を湛えていらっしゃるのが、また……」
結局のところ、彼女が誉めることができるのは、犀星の容姿だけだった。
「人間など、焼いてしまえば同じ骨だ」
止まらない趙姫を、犀星の一言が刺した。
「見かけになど意味はない。貴女は私を呼び止めたが、特に用件はないようだ」
そこまで言わなくても、と、東雨さえ、趙姫に同情した。
犀星は趙姫に形だけ礼を返すと、再び背を向け、歩き出した。
後ろから、女たちの慌てた声が聞こえた。
犀星は、ふと、足を止めた。しかしそれは、姫たちの喧騒のためではなかった。
夕闇の寒空の下、両手いっぱいに大きな蒸籠を抱えた明が、道の端に立っていた。
犀星は首をかしげた。
明は犀星より、その向こうにいる美しい趙姫を見つめていた。
南区とはいえ、宮中である。このような姫君にこそふさわしく、自分のような飯屋の行商には不釣り合いだ。
いたたまれなくなって、明は下を向いた。
「私、これ、届けにきただけなんです」
俯いたまま、明は大切に抱えていた蒸籠を、犀星に差し出した。
長いことそうしていたのだろう。籠はすっかり冷えてしまっていた。
「東雨さん、お願い。温め直して差し上げて」
「わかった」
東雨は犀星に代わって、蒸籠を受け取った。
「これを俺に?」
犀星は、自然と目を細めた。
「親王様、元気ないだろうな、と思って」
わずかに、犀星が息を飲む音が聞こえた。明は、凍えた手をこすり合わせながら、
「今日、親王様のお母様の命日だったでしょう。花の饅頭、作ってきたから、おそなえしてください。私たちのために、毎日、一生懸命お仕事してくれる親王様に、都のみんな、感謝してます」
深く一つ頭を下げて、明はそのまま逃げるように走り去った。
東雨は、そっと、犀星に並んだ。湯気の消えた蒸籠が、温かく思われた。
「あいつ、若様のこと……」
「……俺の心を察してくれた」
ふっと、犀星が寂しげな笑みを浮かべた。
「どういうことですの?」
様子を見ていた趙姫が、詰め寄った。
自分を邪険にしておきながら、下賤な民と親しくする犀星の態度に、さすがの趙姫も不満を感じたようだった。
犀星は表情を厳しくし、振り返った。
「貴女は、私が生まれたことが慶事とおっしゃったが、私には悲しみ以外の何ものでもない。私は、二十年前の今日、生まれることで、母を殺した」
趙姫ばかりか、後ろの女たちも言葉もなく立ちすくんだ。
犀星の母親が、出産で命を落としたことを、その場の全員が知っていた。知っていながら、祝いを理由に近づいてきた女たちの浅ましさが、犀星には許せなかった。
明だけが、犀星の心を案じていた。
犀星の気配が、夕方の風よりも鋭く凍った。
「私は人とは話をするが、人の心を持たないものと、縁を結ぶつもりはない」
犀星の声は凛と響いて、初冬の寒さよりも、女たちを震え上がらせた。
犀星はそれきり、二度と振り返らず、真っ直ぐ屋敷へと戻った。
その庭には、ささやかながら、母を思って建てた、小さな碑があった。
優しい娘と、自分の内側を受け止めてくれる民のため、一刻も早く、手を合わせたかった。
いつしか、空には重い雲が立ち込め、冷たい雨が降り始めた。
最後の曼珠沙華も、花を落とすことだろう。
その夜、犀星は深く優しい夢を見た。
暖かな雨が降り注ぐ中、赤や白の曼珠沙華の咲き乱れ、姿を知らぬ母が、優しく自分を抱きしめてくれる夢だった。
宮中には敵しかいない。
その中で、母はどんな思いで、自分を産んだのだろう。
決して会うことのできない、それでも、会いたくてたまらない母の面影は、夢の中で、優しく微笑んでいた。
風流逐雲行
追雲雨誘開
芳華霑潤色
哀泪湿吾腮
(伯華)
風流れ 雲を逐うて行き
雲を追う雨 花を誘い開く
芳華は潤色に霑い
哀泪は吾が腮を湿さん
決定的な断絶と思われたあの日の後、趙姫は、何事もなかったかのように、五亨庵を訪ねてきては、自分を売り込むのに熱心だった。
緑権が緩みきった顔で対応する様子を、東雨は、こうはなるまい、と思いながらも艶美な容姿にほだされ、いいように使われていた。慈圓はさっさと書庫に逃げ込み、露骨に距離を置くことが決まりだった。
ただ一人、意中の犀星だけは、無反応のままであった。
これまで、犀星が話し相手をしたことは一度もなかった。
それでも諦めずに通いつめる趙姫にも、それなりの事情があった。
趙姫は、今を盛りの美貌の姫である。しかも、父親は出世を極めた左相で、誰も彼女に逆らえる者はいなかった。
彼女も自分の美しさを自覚しており、全てを思うがままにして育ってきた。
どんな男も彼女の前に屈し、あらゆる手段で口説こうと躍起になった。
そのために、私財を投げうって破産する者、妻と離縁する者、恋に呆けて隙を作り官職を追われる者、と、人生が狂った人々のいかに多いことか知れなかった。
学問にも芸事にも不器用な趙姫だったが、自分に求愛する男たちを転がす天性の賢さだけは持ち合わせていて、今まで好き放題に振舞っていた。
宝順の正室である宇城が、帝からよく思われておらず、表舞台に出てこないのを好機と見て、まるで自分が皇后のように派手に着飾った。周囲をたぶらかしては、必死になる男たちを面白がり、恋人を奪われて嫉妬する女たちをからかい、気持ちの赴くままに、奔放に生きてきた。
そんな彼女であったから、宮中の誰もが憧れる犀星を自分に振り向かせることには自信があった。
だというのに、自分を目の前にして、犀星は微塵も関心を示さない。
出会ってすぐのうちは、照れているのだろう、と余裕を見せていた趙姫だが、半年も放っておかれれば、さすがに焦ってきた。
自分の言動がどれだけ宮中の視線を集めているか、彼女には自覚があった。名高い歌仙親王に相手にされなかったとなれば、一生を揺るがす屈辱であった。
今まで見下してきた者に嘲笑われる、そのような辱めに耐えられる趙姫ではなかった。
どんな手を使ってでも犀星を手に入れようと、その性格や趣向を探っていた。しかし、犀星とて、敵ばかりの宮中に召し上げられて以来、平穏無事に生きてきたわけではない。決して弱みを見せなかった。
この調子で、趙姫が来ると五亨庵の仕事は滞った。
犀星と趙姫の間をとり持ちたい緑権は、犀星の美点について、趙姫に事細かく話して聞かせた。
犀星が美しいだけのお飾り人形であったなら、ここまでの人気は出なかったこと。実力が加わって賢人たちも犀星を評価しはじめたこと。
そして、犀星の評価を高めた最大の功績が、花街の治水工事であることも、まるで自分の功績であるかのように熱を込めて語った。ただし、趙姫がどこまでそれを理解していたかは、東雨には疑問だった。
水資源豊かな歌仙で育った犀星は、水の利も不利も心得ており、そして何より、年若くとも実践経験が身についていた。
此度、犀星が三年前から構想していた大規模な工事に、ようやく許可が降りた。
今日は昼から現状視察に出かけるため、その準備に忙しくしていたところであった。そこに、仕事を止める趙姫がやってきたものだから、犀星の機嫌は一瞬で悪化した。しかし、それを表情に出さないのは、慈圓からの言いつけを犀星なりに守っている証拠でもあった。
東雨は緑権に趙姫の相手を任せて、犀星のそばを離れなかった。どんなに無表情でも、主人の機嫌が最低に悪いことくらい、長年共に暮らしている東雨には容易に察しがついた。
筆が乾く前に墨をすり、よこせと言われる前に地図を差し出し、頼まれてもいないのに茶を温めた。
元々、東雨は貴人が嫌いである。
特に趙姫は、特別用事もないのに、無駄話をして長居をする。こちらとしては気を遣う上、有益な情報が得られるわけでもない。そのくせ、見目はやたらと良いのだから、つい扱いが甘くなる。多感な心を押し殺して、東雨は犀星を真似た無表情を決め込んだ。
「玄草、このあたりで募ろうと思う」
犀星は視察先の地図を確認しながら、慈圓に話しかけた。書庫から早足で寄ってくると、他のことには目もくれず、慈圓は地図を覗き込んだ。
「よろしいですな……現場と近いですし、花街の情勢に詳しい者もおりましょう」
「花街!」
東雨が思わず復唱した。
趙姫が、ちらりとこちらを振り返った。東雨は慌てて声を低めた。
「直接、花街に行くんですか?」
「うむ」
慈圓が顔色一つ変えずに頷いた。
「検証の結果、ここが最も手をつけやすいのでな」
「うーん……でも、花街、ですよね」
何がそんなに気になるのか、東雨は斜め上あたりの壁をうろうろ見ながら、
「それって、その、そういう、ところ、ですよね」
「そういう?」
慈圓はあえて平然と問い返したが、東雨の言わんとしていることはちゃんと見通していた。
「そんなに、気になるか?」
「え?」
態度で肯定してから、東雨は唇を横に結んでぶんぶんと首を振った。
「別に、気になるってほどじゃ……」
上ずった声が、さらに動揺を垂れ流した。もっともらしく咳払いをして、
「でも、ですね……やはり、一国の親王が出入りするような場所ではないと……」
「伯華様には、考えがあってのことだ。安心しろ、おまえは留守番だ」
慈圓が楽しそうに東雨をからかった。十三になったばかりの東雨は、複雑な表情を浮かべた。
「それはいいですけど、でも……」
と、やはり犀星の輪郭を目でなぞって、
「心配です。玄草様はともかく、若様は周りが放っておかないというか……」
「ともかく、は余計だ」
「だって、ともかく、ですよ」
東雨はじっとりと目を細めた。
「若様がそういうことになっちゃったら、俺は立場がありませんし」
「おまえは何を心配しているんだ?」
「何って……」
東雨の顔がさらに複雑さを増した。
犀星は、そんな二人の戯言には興味を示さず、淡々と地図と計画の書きとめを確認しながら、
「玄草、一人の額はこの範囲だが、実際に交渉してから再考したい。余地を残しておいていいか?」
慈圓は東雨を放り出して、犀星の手元を覗いた。
「予算は無尽蔵では有りませんから、さすがに心得ていただきませんと、他の支払いが滞りますぞ」
「借金をする」
「待ってください!」
東雨が突然、青ざめた。
「ただでさえ、生活費二十八文でどうにか回してるんですよ。借金なんて……」
「いや、これは、杜撰なやり方で済ませられることではない。必要とあれば、前借りしてでも……」
「借りるって、誰に借りるんです?」
泣きそうに、東雨は首を傾げた。
「宮中の誰もが、若様の計画を一蹴したんですよ。貸してくれるわけがないです」
「歌仙様」
先ほどからずっと、様子を伺っていた趙姫が声をあげた。
聞こえないふりをする犀星に代わって、しぶしぶ、慈圓と東雨が振り返った。
「お金が必要でしたら、わたくし、用立てて差し上げますわよ」
東雨が明らかに迷惑そうな顔をした。幸い、趙姫は犀星しか見ていなかった。
犀星は一瞬だけ、趙姫を見て、すぐに手元に目を戻した。犀星としては、この一瞥で礼儀は尽くした、という心境であった。
「必要ありません」
あれこれと付け加える趙姫の発言は聞き流すに徹して、犀星は沈黙に切り替えた。
ここで、左相に借りを作ることに比べれば、他の手を講じた方が遥かに後ぐされがないとの判断だった。
慈圓は苦笑し、東雨はため息をついて首を振った。
犀星が手がけている大規模な治水工事には、とかく、金がかかった。
宮中の水路整備であれば協力者もいようが、実利のない花街では、誰も見向きもしなかった。
なおもよくわからない理屈を並べ立てている趙姫をそのままに、犀星は出かける支度を済ませ、慈圓と共に扉に向かった。
「伯華様、昼餉は?」
緑権が、趙姫の機嫌を伺いながら、呼び止めた。
「せっかくですから、お出かけは、趙姫様とご一緒されてからでも……」
犀星は振りかえらなかった。
「途中で済ませる。留守を頼む」
逃げた、と東雨は、目をそらした。
趙姫は黙って、後ろ姿を見送るしかなかった。
市場の賑わいの中に、犀星はごく自然と溶け込んだ。
歌仙親王が出歩く姿は宮中では注目の的となるが、市井ではあまりに慣れてにこやかに見守られる空気が出来上がっていた。
通り道の店で笹に包んだ肉餅を買い、気軽に齧りながら、犀星は慈圓一人をともなって花街へと向かった。
「懐かしいものですな」
慈圓は資料の包みを抱えて犀星に従いながら、十歳は若返ったように見えた。
「立ち食いなど、何年ぶりになるか」
「何十年ぶり、だろう?」
犀星はにこりともしないが、彼なりの軽口を叩いた。
「そうそう、伯華様がお生まれになる前かと」
いつになく、慈圓は上機嫌だった。
この老獪は、宮中で生まれ育ったわりに、その毒気に染まらない異端児だった。
若い頃から周囲に好んで敵を作り、その者たちを言い負かしては出世していくような、文人でありながら武人の気質を備えたところがあった。打ち負かされた者たちも、なぜかその後、慈圓を認めて味方につくという不思議な男だった。
五亨庵が完成した折り、帝から好きな者を官吏に選べ、と並べられた。犀星が真っ先に指名したのが、この慈圓であった。当時十六になったばかりの犀星が、三十以上も年上の、明らかに自分よりも影響力を持つ慈圓を選んだことは、周りを驚かせた。
親王として権力を振りかざしたければ、それなりに選ぶ年齢も身分も絞られてくる。世間知らずの人選、と周囲は一笑し、止めはしなかった。
なぜ自分を選んだのか。
当時、慈圓は犀星に直接問うたことがあった。
父上に似ていたから。
まだ、あどけなさの残る親王は、そう言って、慈圓の度肝を抜いた。そして、もう一人の人選を彼に任せた。慈圓は考え抜いた結果、当時、まだ才覚を表していなかった緑権を推挙した。理由も聞かず、犀星は勧めに従って、緑権を所望した。
選んだ理由をいつでも答えられるように、と、慈圓は用意していたが、犀星が尋ねることはなかった。逆に慈圓の方が辛抱できず、理由が気にならないのか、と尋ねると、犀星は首を横に振った。
「玄草に任せたことだ。おまえが決めたのだから、それでいい」
全幅の信頼。
それがあるからこそ、部下は主人に忠誠を誓える。この人のためならば、と身命を投げ打つことができる。
人を成長させられる人間こそ、真に人の上に立つ資格がある。
慈圓は、犀星の懐の深さに感服し、ようやく得られた理想の主人に満足した。
さすがは、侶香が天塩にかけて育て上げただけのことはある。
犀星の養父、犀遠をよく知る慈圓は、心底、この親子が共に政治と軍事の表舞台に立てないことを残念に思った。
「玄草?」
何やら、薄ら笑いを浮かべている慈圓を不審に思って、犀星は声をかけた。
「気味が悪いな。おまえがそういう顔をしている時は、大抵、ろくでもない策を練っている」
「確かに、天下を憂いて思うところがありますのでな」
「今は、花街の水事情を憂いてくれ」
犀星は、どこまで本気かは知れない調子で言った。慈圓はわずかに表情を沈めて、
「しかし、せめて梨花を連れて来ればよかったかと」
「涼景たちは、千義との関係保全で忙しい時期だという。無理に引き出しては申し訳ない」
「とはいえ、親王が近衛もなしに出歩けば、あとから何を言われるやら」
慈圓は、自分に似て頑固な涼景のしかめっ面を想像した。
師匠がついていながらどうしてそんな勝手を許したのか、と、恨み言が想像できた。
「ならば、今日は俺が、俺の近衛になろう」
犀星はさらりと言った。
「また、そういう無茶なことを」
苦笑しつつも、慈圓の声にはどこか、楽しげな気配があった。
出会って四年。
まるで違う境遇の二人の間には、言葉にならない信頼関係が築かれつつあった。
この親王は、使えるやもしれん。
慈圓は探る思いで犀星を見た。
犀星の目に、花街へと続く境界の門が映っていた。
花街は都の北西に位置し、自治組織が仕切る区画だった。慈圓は太い門の柱と、菫の彫刻がなされた花街の扁額を見上げた。
「都の辺境、宮中の連中には、触れる価値のない場所、ですな」
「彼らは、ここの実態を知らない。知ろうともしない」
犀星の呟きは乾いていた。
「ですが、伯華様は、ここから始めようとなさっている」
嬉しそうに、慈圓は言った。
犀星は門を行き来する人々を眺めた。
幽棲誰不顧
静中命猶存
誓願不曾棄
自茲今日生
(光理)
幽棲 誰か顧みざらん
静中命猶存す
誓願未《いま》だ曾て棄てず
茲より 今日を生きん
犀星の目は、現実を見つめながら、同時にその向こう側に理想を描いていた。
これは、治世においては小さな一歩かもしれない。だが、敵地に放り込まれた犀星が、自分の人生を切り開くための切り札でもあった。
おまえと共に、ここに立つために。
犀星の脳裏に、歌仙に残してきた、忘れられぬ人の姿が蘇った。
引き裂かれた瞬間から、二人の時間は凍りついた。動かない時間の檻で、あの人は、今、どうしているのかと思うと、ただただ、体が冷えた。
おまえの心と共に。そして必ず、渡そう。俺がこれから残す全てを。
覚悟を決め、犀星は目を開いた。
慈圓は眩しそうに、その横顔を見つめた。
若き親王の胸の内は、いかに慈圓とてはかりきれない。しかし、はからずとも良いのだ。今は見守るべき時期と心得ていた。
二人は呼吸を揃え、頷き合うと、門の中へと踏み行った。
風の匂いがするりと変わった。
やたらと作り込まれた、強烈な匂いが様々な色を纏ってあたりに吹いていた。人とすれ違うたび、それは移ろい、決して留まることはなかった。それでいて、根底にある奇妙な懐かしさは、地面から漂ってくるようにどこまでも広がっていた。
真昼の花街は、まだ、喧騒が浅く、白い太陽の光の下で、眠りの底に沈んでいた。昼に生きるわずかな者たちが、街の裏側を支え、夜までの時をつないでいた。
行き交うほとんどが男で、たまに華やかな色彩の着物があるかと思えば、女郎であった。連れ立って道の端を歩くのは、芸妓見習いの少女たちだった。幼い顔に艶やかな白と朱の化粧を施し、まだ扱いきれぬ楽器を布に包んで細い腕に抱えていた。その所作さえ心もとなく、容易に街並みの隙間で見失ってしまいそうな危うさがあった。
軒を連ねる遊郭は、皆、破風を垂らして屋号を謳うが、客見せの格子戸の奥にはまだ誰もいなかった。掃除の老妓が疲れた顔でゆっくり動き、素早いのがいるな、と思えば小間使の男が小走りする姿だった。
女郎に混じって、男娼の姿もちらほらと見かけられた。
俗人との区別は一目瞭然だった。皆、思い思いの美しい着物を纏っているが、同様に露出が多く、中にはあからさまな者もいた。
客は望みの花を買い、金で忘れる恋をする。
だが、娼はこの街の奴隷ではない。娼こそが、主であった。
彼らは堂々と、来訪する客たちを値踏みしていた。無賃で振りまく愛想など、持ち合わせていなかった。
犀星は、いつ訪れても変わらぬこの街の空気が好きだった。
ここには、陰湿で複雑な駆け引きはなかった。
好きか嫌いか、気にいるかどうか、それだけだった。
相手の腹を探り合う必要もなく、気を揉む心配もない。
慈圓は横目で犀星を見た。
ここに来るたび、犀星は表情が豊かになった。宮中では蒼氷の親王と評される犀星だが、実のところ、心は瑞々しく動いていた。
犀星が感情を表さないのは、人間関係の余計な摩擦を避けるためだった。愛想笑いを絶やさぬ者がいるように、犀星は隠すことで、敵味方を分け隔てなかった。
本当は、誰よりも感情の激しい方なのだろう。
慈圓は密かに、そう、踏んでいた。
今でこそ、ある程度犀星を知っている慈圓だが、当初はそう簡単ではなかった。
口数が少なく、表情が動かない多感な年頃の犀星は、実に扱いづらかった。その上、鋭利な思考を秘め、読み切れない方向に飛躍した。慈圓は幾度も驚き、呆れ、そして唸った。
ただの、傷ついた子どもではない。
雨上がりの土の下に、凍り始めた冬の気配がする道を歩きながら、慈圓は知らず知らずに微笑した。
「気をつけろ」
物思いに耽っていた慈圓は、犀星の警戒の声で現実に引き戻された。
犀星が目配せした先には、目つきの鋭い男たちが、こちらを見て小声で話していた。
「この界隈の、ごろつき連中ですな」
慈圓が眉を顰めた。
花街では、秩序を破る客に制裁を加える者たちが自警団を名乗り、いくつかの派閥を作っていた。名目は理にかなっていたが、やり方は力任せで扱いが難しかった。
犀星は、わずかに残っていた笑みを消した。
「俺たちは、ここの秩序を乱すことになるか」
「さぁ、如何なものか。彼らにとっては、そうかも知れませんな」
話がまとまったのか、四人の男が、こちらに向かって歩いてきた。
「どうなさいます、伯華様?」
犀星はそれには答えず、じっと男たちを見つめていた。
「避けては通れない」
犀星は無表情のまま、こちらからも近づいた。
慈圓は、やはりな、と腹を括った。
一悶着あるのは、覚悟の内であった。
怖がりな東雨を連れてこなかった本当の理由は、この事態を予測してのことだった。
数歩空けて、両者は立ち止まった。一足一刀の間合いだった。
相手の一人が、顎で脇の路地を示した。
先に行け、という合図だ。
犀星は黙って示された道に入った。慈圓は警戒しながらついて行ったが、路地に入った途端、背後から男に突き飛ばされ、地面に座り込んだ。
「玄草!」
振り返った犀星の顔を掴んで、別の男が壁に押し付けた。ささくれた木肌が着物越しにも肌を傷つけた。
「おまえたち、最近、よく見るな」
犀星を押さえ込んでいる男の向こうから、野太い声が飛んできた。男たちの中でも、とりわけ体格の良い人物だった。袖を落とした着物から、犀星の倍ほどもある太い腕が見えた。
「客でもねぇようだし、何を嗅ぎまわってやがる?」
「さぁな」
犀星は挑発するように男を見た。どうやら、この男が顔役らしい。
「答えろ!」
犀星を掴んでいる手が、乱暴に顔を押し上げた。首が捻れて、酷く痛んだ。それでも、犀星は黙って様子を見ていた。
何を答えたところで、まともに話を聞いてくれるようには思えなかった。
「こいつ……馬鹿にしてるのか!」
さらに力を込められて、犀星の美しい顔が、一瞬、苦痛に歪んだ。その様子に、その場の空気が熱っぽく変わった。
「いいだろう」
顔役の男が、口を斜めにして、
「そんなに言いたくなきゃ、調べるまでだ。剥いてやんな」
男の声で、傍観していた二人も、犀星の手足を鷲掴んだ。最初の男が、着物に手をかけ、力任せに引き下ろした。
犀星の白い肌が薄暗い路地の光の下で、艶かしく際立った。
「こりゃ、いい体じゃねぇか。身売り先なら紹介するぜ?」
誰かの言葉に、他の男たちが笑い声を上げた。
大人しくされるに任せていた犀星が、突然、笑みを浮かべた。凍りつくように冷たく、鋭く、同時に美しかった。
犀星の凄みに、思わず、三人は一歩離れた。
「何だ、おまえ……」
最初の男が、怯えた声を出した。
「おまえたちは、この辺りの派閥の者か?」
姿勢を正し、流れるような動きで襟を直すと、犀星は顔役の男に直接向いた。
「話がある」
犀星の気迫は、腕っぷしの強い荒事を生業とする男たちさえ、息を呑むほどだった。明らかに自分より若く、線の細い犀星を相手に気圧された。
「話だと?」
顔役の男が、先頭に出た。
「正体もわからねぇやつの話なんか、信用できるかよ」
派閥を牛耳るだけのことはあるようで、男もまた、腹が据わっていた。犀星は、普段の冴えた瞳で男を見据えた。どんな時、どんな相手でも、犀星が臆することはなかった。
慈圓は腰をさすりながら、立ち上がった。
「伯華様!」
「心配ない」
「ですが……」
慈圓は苦虫を噛み潰し、男たちを見た。じろりと、顔役の視線が犀星をねめ回した。
「伯華……?」
慈圓の呼んだ名を捉えて、繰り返した。
「どこかで……」
言いながら、男は犀星の髪と瞳をじっと見た。
「その色……あんた、歌仙か?」
呼び捨てられても、犀星は顔色一つ変えなかった。
「こりゃ驚いたな。親王様とは恐れ入ったぜ」
男は面白そうに犀星に一歩近づいた。
「噂ってやつは、とかく誇張されがちだが、あんたの評判に嘘はないようだな」
「どんな噂か知らないが、鵜呑みにするのは愚かだ」
犀星は堂々と男を見返し、視線で射抜いた。
「自分の目で見たことだけが真実だ」
「なるほど、それがあんたのやり方か」
「そうだ。だから、俺が直接、ここに来ている」
「何をする気だ?」
顔役は、いつしか犀星の調子に乗せられていることを薄々感じながら、それでも逃れきれなかった。
「おとなしく宮中に引っ込んでろ。ここにあんたの居場所はねぇ。世の中の底辺しかいねぇ。人間の欲望を食って生きる、汚ねぇ連中の吹き溜まりよ」
「そうは思わない」
犀星は本心から、そう答えた。
「ここで生きる者が汚いと言うなら、それを金で買いにくる奴らは、もっと最低だな」
「……なんなんだ、おまえ……?」
男は、犀星のおびえることを知らない態度に、いつしか興味をそそられたようだった。
「察しの通り、歌仙だ。田舎育ちの変人で通っている」
犀星の自己紹介に、思わず慈圓は納得してしまった。
「おまえ、名は?」
顔役の男は、一瞬迷ってから、
「……洲」
低く、だが、嘘ではない声で答えた。犀星は眉ひとつ動かさず、淡々と続けた。
「では、洲。尋ねるが、このあたりのことには詳しいのか?」
「詳しいのか、だと?」
洲は口元を歪めて笑った。
「生意気なことを聞くじゃないか。この一帯は俺たちの縄張りだ」
「この一帯というのは……」
犀星が慈圓を見た。慈圓は意図を察して、抱えていた包みから、花街の地形を描いた地図を取り出し、犀星へ差し出した。犀星はそれを広げて、
「具体的には?」
「はぁ?」
明らかに面食らって、洲は声を上げた。
「おい、俺たちは……」
「答えられないのは、はったりだからか?」
「てめぇ……」
洲は地図を奪うと、おおよそのあたりをつけて折りたたんだ。
「この範囲だ」
表になった地域を確認して、犀星は頷いた。
「いいだろう」
地図を手にしたまま、犀星は踵を返した。うろたえる男たちが弾かれたように一斉に道を開けた。
「おい! まだ見逃してなんかいねぇぞ!」
犀星は背後から飛んでくる洲の怒声など気にも止めず、表通りに出ると、地図と実際の街並みとを見比べた。
洲の部下たちは、あまりにも物怖じしない犀星の態度に困惑し、顔を見合わせた。慈圓が横目で見ながら首を振った。
「悪いことは言わん。伯華様の話を聞け」
「なんだ、偉そうに……」
若い男が突っかかっていくのを、洲が制した。
「どういうことだ」
慈圓は血気盛んというよりは、無知と無学で暴走する男たちに肩をすくめ、犀星の方を目で示した。
「伯華様はおまえたちにもわかるように話してくださる。とにかく、聞いて損はない」
男たちは互いに相手の出方を見て、膠着した。その中から、洲が真っ先に犀星のそばへ歩み寄った。乱暴な足取りだが、危害を加える様子はなかった。
犀星は隣に立った洲をちらりと見た。
「このあたりは、花街でも一番北寄りだな。主に遊郭より、居住区がある」
「ああ。それがどうした?」
「結論から言う。この街の治水工事を計画している。手を貸して欲しい」
「な、何だって?」
わけがわからない、という顔で、洲は上ずった笑いを交えて、
「治水工事? 手を貸せ、だと?」
「そうだ」
大真面目に、犀星は地図をたどりながら、
「この北の川から、直接、街の中へ水を引きたい」
「川から、水?」
「用水路を掘って、豊富な水を引き入れる」
「あんた、本気か?」
「冗談に見えるか?」
犀星は真顔のまま、
「ここで生きているなら知っているだろう。花街の水は最悪だ。地下水脈が都を先に通ってくるから、井戸水も出づらい。都から水を買ってどうにか凌いでいるだろう?」
「それは、そうだが……」
洲は的確な指摘にうろたえた。犀星は続けた。
「慢性的な水不足と、水代の負担。しかも、衛生面でも酷い環境だ」
犀星は地図を示して、
「この道に沿って、用水路を作る。水路の脇には柳を植えて地盤を固める」
引き込まれるように地図を見ながら、洲は目を丸くした。
「街の中心に川を通すってのか?」
「そうだ。その方が、街中での水の管理もしやすい上、今後、水路を拡張するにも便利だ。水路で区画を分ければ、火事の際の延焼防止にもなる。貯水池を整備すれば、そのまま消火にも生活用水にも使える」
「…………」
後ろから話を聞いていた男たちは、何のことか、と首をかしげながら、とにかく、水で困らなくなるらしい、ということだけは理解した。
「問題は、人手が必要だ、と言うことだ」
犀星はようやく地図から目を上げて、洲を見た。
「頼めるか?」
「え?」
犀星は改めて背を伸ばし、洲に体を向けた。じっと表情を見つめ、ゆっくりと、落ち着いた声で話した。
「今回の工事に、宮中の貴人も官吏も興味がない。もっと言えば、協力する気がない。それでいて、こちらの邪魔をするのに余念がない」
聞きながら、慈圓はやれやれという顔に成った。犀星が語る真実は、愚痴とも必要な情報とも思われた。犀星は、つけいる隙のない、まっすぐな目をしてた。
「だから、工事に関わる人員は現地調達する、という条件で、無理にこの計画を通した。もちろん、雇い賃は出す。金額は交渉に応じる。問題は金ではなく、それだけの人数を確保できるか、ってことだ。おまえ、顔がきくんだろう? どうなんだ?」
犀星の説明に圧倒されていた洲は、思わず、部下の男たちを振り返った。彼らも困った顔を突き合わせ、突然の話に言葉もない。犀星はさらに続けた。
「これがうまくいけば、花街全体の利益になる。工事に関わる人間にも金が入るし、その結果作られる水路も、この街のものだ。使用に応じて誰かに搾取される心配もない。それは、俺が保証する」
「あんたが……?」
洲は信じがたい、という表情を見せた。貴人や官吏などは、大した仕事はしないくせに、資金徴収と称して金を巻き上げ、生活を脅かすものだと思っていた。
犀星はたたみかけた。
「これでも親王だ。約束は守る。恩恵は街に暮らす全ての人々にもたらされる。もちろん、税など取らない。どうだ? おまえたちにとって、損なことは何もないと思うが?」
「つ、つまり……」
理解に手こずっていた若い男が、恐る恐る、
「金はあんたが全部出す。完成してからそれを返す必要もない。俺たちは一文も出さずに、仕事と水を手に入れられるってことか?」
「詐欺だろう」
他の誰かが言った。
「そんな美味い話があるわけがない」
「詭弁だ。どうせ、あとから理由をつけて、勝手なことを言い出すに決まっている」
「騙そうったってそうはいかないぞ」
すっかり、犀星を疑ってかかる部下たちを尻目に、洲は腕を組んで、犀星を見下ろした。
「なぁ、歌仙さんよ、訊いてもいいか?」
「無論」
「どうして、こんなことをしようとする? あんたには何の得もないだろ? それを信じろなんて、無理な話だ」
「これは犠牲的奉仕じゃない。俺にも、利益がある」
洲の問いかけに、犀星は静かに答えた。
「ここでの工事がうまくいけば、次の仕事を通しやすくなる。そしてそれは連鎖し、やがて、紅蘭の水は劇的に変わる。確かに、金は全く稼げない。だが、幸い、俺の目的は金じゃない。成果だ」
「成果……」
「そうだ」
犀星は頷いた。
「今の俺にとって、実績は金以上に価値がある」
洲はさらに深く唸った。
「何と言われても、簡単に信用なんかできねぇぞ」
「ならば、質草を出そう」
唐突に、犀星は言い出した。
「もし、俺が約束を違えたら、俺の身を、好きに売っていい。娼館でもなんでも、おまえに任せる」
「あんた、正気か?」
洲は愕然として、犀星を見た。
「無論」
顔色一つかえずに、犀星は頷いた。
慈圓は、ハッとした。
最初から、犀星はこの危ない賭けに出るつもりで、涼景たち近衛を遠ざけたのだ。
全く、怖いもの知らずと言おうか、ただの酔狂か。
洲以上に、慈圓の方が深いため息を漏らした。
値踏みするように犀星を見ていた洲が、やがて、諦めて首を振った。
「理屈はわかった。だが、どうしてその最初が、花街なんだ?」
「ここが、都にとって、大切な場所だからだ」
「は?」
これはまた、洲の想像から外れた返答だった。
「あんた、聞いてなかったのか? ここは都の中でも掃き溜めだ。真っ当に生きられない連中の巣窟だぞ。そんな所を整備しようなんざ、どうかしてるぜ? もっと、善人が真面目に暮らしてる辺りにしておけ」
「洲、おまえ、この街の人間なんだろう?」
犀星は、逆に問い返した。
「それなのに、ここの価値が全くわかっていないな」
「価値だと?」
「そうだ」
犀星はきっぱりと言った。
「おまえが言うように、ここは欲の街だろう。だが、それを恥じる必要はない。この街は人を癒やす。生まれも立場も関係なく。人の温もりは、生きるために欠くべからざるもの、まさに、水と同じだ。たとえ一夜の夢だろうと、一夜の命を繋ぐのだ」
「……そんな話、今まで誰もしなかった」
「しなかっただけで、皆が思わなかったわけではないはずだ。少なくとも俺は、友人から、この街の真価を諭された」
「友人?」
「梨花」
洲は黙った。花街で蓮章の名を知らぬ者はいなかった。とうとうと語る犀星の言葉に、男たちも完全に引き込まれていた。知ってか知らずか、犀星は声を優しくした。
「ここは命の水源なんだ。だから、この街から、俺は始める」
洲は明らかに、困惑していた。男たちも、どうして良いか分からず、立ち尽くしていた。
犀星の思いの吐露に、真っ先に微笑したのは、他でもない、慈圓だ。
現実的に考えて、花街は決して、犀星が言った通りの愛の溢れる理想郷ではない。そこには毒もあれば悪もある。犀星とて、そのことは百も承知だ。だが、それは宮中であろうと都であろうと、似たり寄ったりであった。
犀星が、この街を重要視する本当の理由は、洲に語らなかった別の場所にあった。
この地域は、北の川に一番近く、最も治水工事に着手しやすい環境にだった。
さらに、宮中の息がかかっておらず、勝手をしても、官吏たちに睨まれることもなかった。宮中に捨てられた場所だからこそ、犀星が拾っても文句を言う者はなかった。他で事を起こすより、まずは花街を先に行うのは、順序というものだった。
利点は他にもあった。花街は多くの都の民も出入りしていた。そこが整備され、環境の良さが伝われば、自然と都の民も自分達の住む地域に治水を望むようになる。都に犀星の事業を知らしめるための見本市でもあるのだ。
あらゆる可能性から、犀星はこの場所を選んでいた。
洲は、むぅ、と唸ったきり、地図を睨みつけていた。
「一つ、問題がある」
今までになく落ち着いた声で、洲が言った。
「街の性質上、ここは女の割合が高い。しかも、ほとんどが遊女だ。男も男娼は使えない。力仕事ができる奴らは、大抵、どこかの遊郭の用心棒で、人手が余っている訳ではない。都の知り合いや近隣の農村に手を回せば、それなりの数は集められるだろうが、外部から人を受け入れることになる。工事の間、そいつらを住まわせる土地は、ここにはない」
「それは、問題ない」
犀星は頷いた。
「ここは、何の街だ?」
「え?」
「宿泊できる店なら、いくらでもあるだろう?」
「確かに貸し宿はあるが、商売をしている訳で……」
「宿は宿だ。寝泊まりはできる」
「しかし、無償で労働者を泊めさせる宿なんて……」
「誰が無償だと言った?」
「……まさか!」
「そうだ。宿ごと、借り受ける。金を払ってな。それなら、不満はないだろう? それに、労働者には賃金を支払う。彼らが、他の店の客にもなる。金はこの街に落ちる。俺は損をするばかりで、懐に入る金はない」
「あんた……」
洲は息を殺し、恐ろしいものででもあるように犀星を見た。犀星の表情は変わらなかった。
「俺は、ここを変えたいだけだ。これで儲けるつもりはない」
洲は呆然としていた。そこには、先ほど突っかかってきた荒くれ者の気配はなかった。
「どうだ、力を貸してもらえるか、洲」
対等だ。
洲にはわかっていた。
犀星は決して、威圧的に進めるつもりはない。自分と目線を合わせ、話をしているだけだ。
治水工事の知識と技術、そして先行投資の金は犀星が出す。
自分達は、その計画に乗り、人手を集めて束ねていく。
悪い話ではない。むしろ、信じられないような好機であった。
洲は静かに声を低めた。
「歌仙さんよ。あんた、何を企んでいる?」
犀星は隠すつもりもないらしく、正直に答えた。
「俺が最終的にやりたいのは、この一帯の農地改革だ」
犀星は、にやりと笑って見せた。
「俺が育った歌仙は、そのほとんどが山林と農地だ。その全ては、水に支えられていた。俺の体には、河川の水が流れているんだ」
「……面白い!」
洲は、気に入った、と犀星の背中を叩いた。
「あんた、親王なんかやめちまえ。皇帝になりゃいい」
洲の大きな笑い声が、晴れて澄んだ花街の空に響いた。
犀星と慈圓が花街の門を出たのは、すっかり日が傾いた時分だった。
心地よい疲労と達成感で、二人は穏やかな表情を浮かべたまま、黙って街を後にした。
洲に案内され、花街の有力者の協力を取り付けることにも成功した。
犀星は大金を借りる保証として、成功のあかつきには、親王公認の名を店に出すことを提示した。一方、失敗した場合は、犀星自ら娼となることを約した。狂気の条件は、周りの誰をも絶句させた。
犀星には、十分な手応えと勝算があった。
早く五亨庵に戻って、留守を任せている東雨たちを安心させてやりたい。
二人の足取りは軽かった。
と、門を抜けた往来に、人だかりができていた。二人は顔を見合わせた。
高い女の怒鳴り声が、人山の中から聞こえてきた。
何か揉め事ならば、その場を素通りできないのが犀星の気性である。
慈圓は、事が大きくならないことを祈りながら、人だかりをかき分けていく犀星を追った。
「どうした?」
人の輪の中心に、都の辺境には似つかわしくない、華やかな装束の女が立っていた。その足元には、少女がきちんと足を折って座り、項垂れていた。
「歌仙様!」
振り返った女は、趙姫であった。
犀星の顔から感情が消えた。
一言も尋ねることすらせず、犀星は黙って辺りを見回した。
馬に引かせた帳車は艶やかな赤と橙の絹張で、細工を施した飾り紐が垂れ、その所々には佩玉や宝石が揺れていた。
堂々と地面に立つ趙姫は、五亨庵にいた時よりも、一層華やかで自信に満ち溢れ、民衆を視線を一身に集めていた。
黙り込んでいる趙姫に、犀星は顔を向けようともしなかった。
「何があったのです?」
仕方なく、慈圓が尋ねた。
趙姫は紅潮した顔で、まくし立てた。
「この娘がわたくしの帳車の前を横切りましたので、罰を与えているところですわ」
犀星は、砂利の上に砂埃にまみれて座っている娘を見た。腰をかがめて目を合わせると、それは明であった。
すでに趙姫の供の者たちに蹴られたらしく、明は髪や顔まで土で汚れ、額を擦りむいて赤く血が滲んでいた。趙姫の罰は公然と、容赦がなかった。
「仮にも公儀に名を連ねる者が、民に狼藉を働くなど何事ですかな」
慈圓が犀星の後ろから、趙姫をたしなめた。
犀星自身が叱責するより、慈圓に任せた方が、親王の名を汚さずに済むとの配慮だった。
「しかも、道は全ての民のもの。それを横切ったとて、その娘に咎はありませんぞ」
「邪魔をしただけではございませんわ」
趙姫は気丈に慈圓を睨みつけた。
慈圓が宮中の人脈に通じていること、父である左相の趙教と不仲であることは、趙姫も知っていた。
「おかげで、供が親王様への贈り物を取り落としてしまいました。これは、歌仙様への冒涜も同じことです」
「私への冒涜を働いているのは、あなたの方だ」
黙っているのも限界だったのだろう。犀星が、静かな、よく通る声で遮った。
成り行きを見守っていた都の老若男女たちは、両者の会話から、犀星の正体を知ってざわめいた。
明が、怯えた目で犀星を見上げた。泥で汚れたその顔に、幾筋も涙の跡があった。
犀星は早足で明によると、そのそばに片膝をついた。周囲からどよめきが上がった。
歌仙親王を知る者とて、親王自ら土に膝をつくなど、考えられないことであった。
明の唇の端に滲んでいた血を、犀星はそっと手を添え、自らの着物の袖で拭った。
「親王様……あたし……」
「もう、大丈夫だ」
犀星の囁きは明にしか聞こえなかった。彼女の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「まったく、とんだ災難ですわ」
趙姫が頭痛でもするかのように、額に手を当てた。
「こんないかがわしい所まで来たというのに……」
「いかがわしい、だと?」
犀星の眼差しに、ちらりと怒りが走った。そのまま、明を背にして立ち上がると、趙姫を見据えた。
趙姫は美しい眉を歪めた。
「歌仙様が、なにゆえ、このような場所に執着なさるのか。殿下のような方がお運びになる場所ではございません」
「あなたは、この街の価値を知らぬのに、どうしてそう、言い切れるのです?」
趙姫は口元を覆ったまま、
「花の街に、価値などございません」
明が、そばに立つ犀星の殺気を感じて、身を震わせた。
慈圓が素早く、犀星と趙姫の間に割って入った。
「貴姫様、ならば、なにゆえ、あなた様は価値なき場所にいらっしゃったのです?」
趙姫は妖艶に目を細めた。
「歌仙様がお出かけとお聞きし、労いの品をお届けに参りましたのですわ」
「ほう」
慈圓は、無言で犀星を押しとどめた。
「わしらの話を盗み聞きし、親王殿下の後をつけた上、殿下が目をおかけになった街に価値が無いとまでおっしゃる。挙句に、殿下の贔屓の女性に往来で恥をかかせるとは、どこが労いだとおっしゃられるのか、この老朴には、まこと、理解できぬことにござりまするな」
趙姫が明らかに不愉快を滲ませた目で、慈圓を見た。だが、彼女もこれ以上、五亨庵を敵に回す事が、犀星を手に入れるために得策ではないことを承知していた。
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優雅に礼をすると、趙姫は裾を返して帳車に戻った。そのそばに、従者が一人、箱を捧げて近づいた。
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一喝された従者が、その場に平伏する。
趙姫たちの行列が動き出すと、人々はざわめきながら道を開けた。
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「明、おまえ、こんなに遠くまで、行商に来ているのか?」
「……うん」
明は俯いたまま、頷いた。
「花街はお得意さんなんです。みんな親切だし、私が作った花の飴、楽しみにしてくれるから」
「そうか」
犀星は明の体の土をほろってやりながら、
「おまえは、あの街が好きか?」
「はい」
パッと顔を上げて、明は思わず犀星に見とれた。
明が知る犀星は、いつも、五亨庵の奥で黙々と仕事をしていた。遠くから、景色の一部のように遠い存在。それを、こうして近くで見ると、その美しさに胸が高鳴った。
「綺麗……」
「うん?」
「……あ、あの……綺麗な、曲」
「曲?」
「はい……」
明は誤魔化すように犀星から目をそらして、地面に撒かれた菓子を見た。
「花街の人たち、綺麗な曲を聴かせてくれるんです。稽古中だからお代はいらないよ、って。それが、とても綺麗」
「そうか」
「だから、私、少しでもお礼をしたくて、花街でだけ、飴を売っているんです。花の形をした小さな甘いの。少ししか、作れないけれど」
犀星は、素朴な少女の姿を、目を細めて見守った。
誰識真価希
幽音出遠邦
願献清絶響
尽息在世時
(仙水)
誰か識らん 真価の希なるを
幽音 遠邦より出づ
願わくは献ぜん 清絶の響き
息尽き 世に在る時に
「いつか、親王様も、姐さんたちの琴、聞いてみてください。とても、優しい音がするから」
佇む犀星と民の周りに、淡い色に染められた花や葉、鳥を形取った菓子は、うっすらと砂にまみれて、小石のように散らばっていた。
「可愛そう……」
つぶやきながら、明は小さな命を拾い上げるように、手のひらに集め、土を払うと、箱の底にそっと並べていった。
慈圓がそれを手伝ってやりながら、首を傾げた。
「これを、どうする気だ?」
「お供えするよ」
「汚れた菓子を?」
「うん。大丈夫、うちの土地神様は怒らないよ。誰かが大切に作ってくれたものだもの」
犀星は、無意識に両手を握った。
もし、自分が恋をするなら、明のような娘なのだろう。
一瞬、彼の胸に吹き抜けた想いは甘く、そして、彼自身にも気付かぬ程に、儚かった。
0
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