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第一部 第四章 これが私の生きる道

48・スライム、スライム

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 アランに王都の魔法学院まで送ってもらった後――正確にはサーラの転移魔法で送ってもらった後――

 心身の疲労を理由に魔法の件は保留にしてもらって、コンビニへと戻ってきました。
 学院でインクを借りて、自分の転移魔法で帰ったのです。

 サーラの追跡魔法『マーキング』も解除してもらいました。
 ずっと覗かれていたら気持ち悪いですものね。

 アランが渋るかとも思いましたが、サーラが自分の判断で解除してくれたので助かりました。
 やはり同じ女性という事で、こちらの気持ちを汲んでくれたのでしょう。
 ストーカー駄目、ゼッタイ。

 学院で私が転移魔法を使う時も、アランは興味津々といった態で、私がノートに文字を書く様子を見つめていましたが、羽根ペンが魔法のアイテムだと気づいたでしょうか。

 もしかしたら、ノートの方に仕掛けがあるのだと勘違いしたかもしれませんね。

 だとしても――

 だとしても、誤魔化してノートを差し出しても無駄でしょう。
 魔法が使えないと分かったら、どうせまた追及してくるに決まっていますから。

 フォレスは体力の消耗が激しかったので、森でしばらく静養してもらう事にしました。
 先ほど森まで送ってきたばかりです。

 ラフィーは回復後一度目を覚ましたのですが、今はお店のカウンターの上で寝ています。

 私はコンビニのバックルームで、カーマイルと作戦会議をしているのです。

「どうしよう。……魔法を教えるって言っても羽根ペンがないと使えない魔法だし、これを渡すわけにもいかないし……」
「魔法を教えるという口実で隙を作って、魔王を討伐できたら楽なのですけどね」

 カーマイルの言う事が実行出来たとしても、私に同郷である日本人の子を殺せるとも思えません。
 なによりも、フォレスと合体して聖剣を持つ事が出来ても、あのアランにその剣は通用しない事も分かりました。

「でもカーマイル、なんで魔王は魔法を教えろなんて言ってきたと思う? まるで自分は魔法が使えないって言ってるみたいじゃない?」
「そうですね、案外使えないのかもしれませんよ? 魔法学院に通っているくらいですし……」

 そうでした。……あの魔王は何故か魔法学院に通っているのです。

 取り巻きの連中は恐ろしい程の魔法使いですけれども、アラン本人は魔法が一切使えないという事なのでしょうか。

「魔力が豊富にあるのに、魔法が使えない魔王……そして周りの人たちも魔法を教える事が出来ずに学院通い」
「そんな所ではないでしょうか」

 アランは元々日本人ですから、この世界の魔法の仕組みが分からずに、魔法が使えないのかもしれません。
 私だって、自分に魔力があったとしても、魔法が使えるという自信もありません。

 今は羽根ペンがあるから魔法を使える、というだけなのですから。

「でも、もし羽根ペンを寄越せって言ってきたらどうしよう」
「話の分かる人間ならいいのですが、あの魔王はどうでしょうね」

 それとあの魔王は、この世界の『一年ルール』を知りませんでした。
 
「ねえ、カーマイル。一年の内に魔王を討伐出来なかった時、世界が滅ぶのよね?」
「そうですね」

「その時に魔王はどうなるの?」
「魔王だけは世界が滅んだ後も生き残りますよ。だって魔王が世界を滅ぼすのですから」

 あれ? だとしたら――

「だとしたら、魔王に世界を滅ぼす意思が無かったら?」
「魔王の意思は関係ないのです。その時になれば魔王の力が暴走して勝手に世界は滅びます」

「勝手に?」
「はい。魔王のスキル『絶対防御』が膨れ上がって全世界に及ぶ、と言えば分かりやすいでしょうか。魔王を中心にこの世界が魔王以外のものすべてを受け入れなくなるのです」

 それじゃ……どうしようもないように思えてしまいます。

「神様はどうなるの?」
「神ジダルジータ様はあの洞窟カミノイワヤに居るかぎり、影響はありません」

 洞窟に避難すれば助かるのでしょうか。

「私たち人間も洞窟に居れば助かる?」
「私が生まれて数百年は滅んでいませんが、たぶん無理だと思います」

 天使は数百年も生きていたのですね。

「神以外は生き残れないと思いますよ。……天使さえも」
「天使も?」

「私が生まれたのはおそらく世界が滅んだ後なのです。それまで居た天使たちは滅び、新たに生まれたのが私たちなのだと思います」
「そうなんだ……」

 なんだか難しい話になってきました。
 とりあえず魔王を倒さないと、世界が滅ぶのは間違いはなさそうです。

 ならどうすればいいのでしょうか。
 私が頭を悩ませていると、ラフィーがバックルームに顔を出しました。

「お姉ちゃん、スライムきたよー」
「え!?」

 一瞬、あの洞窟のスライムの姿が頭を過りましたが、そんな事はありえません。
 それよりも久しぶりに『お姉ちゃん』と呼ばれた気がして、ちょっと嬉しく思ってしまいました。

 その嬉しさに半分だけ笑顔になりながら、ラフィーに確かめます。

「スライム?」
「うん、スライムー」

 私とカーマイルは目を合わせると、すぐにカウンターに出ました。

 見ればお店の入り口に、本当にスライムが居るではないですか。
 ただそのスライムには――

「エリオット!?」

 ――エリオットの顔が浮き上がっていました。

「よお、久しぶり。もう駄目だ、助けてくれ」

 完全にスライム状になってしまった姿のエリオットが、情けない顔で訴えていました。

「今までいったい何処に居たのですか?」

 ノートと羽根ペンを用意しながら訊きます。
 もう忘れる事のないように、小さなインク壺は紐で腰にぶら下げています。
 もちろん予備もショルダーバッグに入れてあります。
 
「いやあ、酷い目にあったよ。スライム退治に行ったら返り討ちにあっちまった」
「スライム退治!?」

 回復魔法発動。――すぐに緑色の光に包まれて、目の前のスライムが人の形を取りだしました。

「もしかして西の洞窟の、触手を出すスライムですか!?」
「よく知っているな。確かに西の洞窟だ。触手もあってる」

 元のエリオットの形に戻りました。
 いつものトラベラーズ・ハットとマント姿。――腰に『教授の鞭』も見えます。
 
 その鞭を見てから、あの洞窟のスライムがエリオットだったのかどうかは、発注画面を見れば確かめられたのだと今更ながらに気付きました。
 
 あのスライムがエリオットで死んだのだとしたら、『教授の鞭』が発注出来るようになっていたはずだからです。

「エリオットがスライム退治に行ったのですか?」
「まあね。スライムが守る洞窟のお宝がレアだって噂を聞いてね。俺の『第六感スキル』も本物だと判断したんだけどね」

 天使たちが無事では済まなかったのです。
 Sランクハンターでも難しい相手だったに違いありません。

 それにエリオットはSランクと言っても、アンデッド化してしまっていて魔力も以前より落ちてしまっているのです。

「アンデッド化で不死身とは言え、あの触手はやばかった。なにせ溶かされちまうんだからな」
「やっぱり……」

 でもエリオットが完全にスライム化するには、まだ時間的余裕もあったはずなのですが――
 
 その疑問はすぐにエリオットが答えてくれました。

「触手であちこち溶かされたら、この体が人の形を維持できなくなってしまってな。戦っている最中にスライムになっちまったんだよ」
「そう……だったのですか……でもよく生きて戻れましたね」
「最初から生きてはいませんけどね」

 すぐにカーマイルに突っ込まれましたが、それを言っては可愛そうです。

 それにあのスライムの触手から逃げ延びるのは、並大抵では出来ないと思います。

「それが俺がスライムになった途端、やつめ仲間だと認識したんじゃないかな。攻撃してこなくなったんだよ」
「それは……ラッキーだったのでしょうか」

 エリオットも苦笑いしています。

「まあこの体でここまで来るのに、一ヶ月くらい掛かっちまった。途中で冒険者に討伐されそうになったりして大変だったんだぜ」

 私たちがあの洞窟に向かうより一ヶ月も前に、エリオットはスライム討伐に行っていたようです。

「その冒険者さんたちはどうなったのですか?」
「俺が『やめろ、俺は人間だ』って言ったらびっくりして逃げていったよ……あはは」

 一度死んだり、生き返ったり、アンデッドになったり、スライム化したり――
 
 それでもこうやって笑っている、目の前のトレジャー・ハンターはとても逞しい人なのだと、再認識しました。

「とにかく、生きて戻れてなによりです」
「ああ、疲れたからしばらくここに居させてくれ。店番でもなんでもやるよ」

 そうですね。エリオットに魔王の事も相談してみようと思います。
 夜になればランドルフも来る事でしょう。
 洞窟のスライムの件の報告も、まだこれからなのです。

 私はエスプレッソマシンでホットコーヒーを抽出して、エリオットに差し出しました。

「はい、砂糖とミルク入りのコーヒーよ。お疲れ様」
「味は分からないけど、もらうよ。ありがとう」

 そういえばアンデッド化して味覚がおかしくなっているのでした。
 本当に色々と大変な目に遭っているのに……前向きに生きようとするその姿がとても眩しく、とても羨ましく――

 そんなエリオットに伝えたい言葉は、……この一言です。

「おかえりなさい、エリオット」

 コーヒーを口に含んだ彼は、ニヒルに微笑むのでした。

 
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