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序章〘作中作〙
第6話【死に方】
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地獄の日々、道化として鞭を打たれて働かされたリシャールサーカス団での日々。
俺は、いつの間にかそこにいて当然のように客を満足させるために危険な芸を披露していた。
もっとも、俺は従順なピエロではなかったが、道化となった子どもたちは、屍人のように自我を持たずに生きていた。
その中には、俺を慕う子供がいた。
俺を兄のように慕ってくれたあの子は、どうなっただろうか。
今も、ときどき夢に見る。あの子の俺にだけ見せてくれる笑顔を……
生きているのなら、誰かの奴隷になれたかもしれない。俺は、彼女のその後を知らない。
アルウィンも知らなかった。
ボルドローをなぜ生け捕りにしたんだろう。あの場で殺していれば知らずに済んだ事実なのに。
俺を兄と呼び、俺も妹のように感じていた。地獄の日々の中で、唯一の星空をともに見上げた。
俺の心に触れたあの小さな手は、アルメ村のボルドロー子爵に買われていたことが分かったのだ。
そして、ボルドロー子爵を罠にはめるためだけのアルウィンたちによる焼き討ちの中。
彼女は、その地獄の日々から解放されたのだろうか。アルウィンには、住民のことは聞かなかった。
知ったところで、全ては過去のことだ。
だからこそ、俺に助けを求めて炎の渦に飲まれて灰になる彼女の姿を夢の中に見るのだった。
布団を跳ね上げ飛び起きる。呼吸が荒い。彼女は、どれほど苦しかったのだろう。
まもなく太陽が朝を告げ、異端者のように姿を隠す前の健気な月の煌めき。
俺は、飾らないあの子の笑顔をかさねた。
ボルドローは、アニュレ砦の地下に幽閉されたようだ。暗殺命令はどうなったのか。
アルウィンは、聞きたいことがあると部下を使って拷問を繰り返している。
ターブルロンド帝国は、正式にアルウィンをアニュレ砦の司令に任命した。
反対意見は、出なかった。旧ボルドロー派の騎士たちは、彼の死を聞くと簡単に手のひらを返した。
所詮は、ボルドローではなく肩書に忠節を誓っていたに過ぎなかったのだろう。
俺は、昔から思うのだ。本当の忠節なんてないんじゃないかと。
俺はベッドから起き上がり、飾り気もない簡素な自室を見回した。
何かを飾るのは嫌なのだ。アルウィンが、色んなものを簡素な部屋に置いていくが、全てアルウィンの自室前に返した。
机の上においてある木剣を掴むと、部屋を出る。鍛錬は怠らない。いつか、何かを掴めるときに確実に掴むために。
*
「おはよう。リシャール、早いね。素振り?」
アニュレ砦の中庭の訓練場。穴だらけで焦げた案山子が、黒く細い煙を上げて倒れていた。
鼻をつく臭いが周囲に充満している。煙を吐いている複数の案山子が、空を見上げている。
アルウィンからは、どこか俺の機嫌を伺うようなヨソヨソしさが感じられた。
炎の魔術、アルウィンの特技だ。どの案山子も消し炭になるまでは燃えていない。
荒れ狂う炎よりも、収束加速させる炎のほうが魔術的には高度なのだそうだ。
「……見て分かるだろ? 掃除してるように見えるか?」
俺は、木剣を振り上げて見せる。アルウィンは、小さく声をたてて笑う。
「ボルドローの言ってることを鵜呑みにしないほうがいいよ。サーカス団の奴隷のこと。証拠はなかったんだからね」
アルウィンの碧眼に、殺意をむきだした狼の姿が映った。やはり、俺はアルウィンを憎んでいるのだろうか。
「焼けちまったからな……」
俺は、そんな自分を誤魔化すように掛け声とともに素振りを再開した。
「僕にとって、あのサーカス団の中で君だけが人間に見えた。格好良く生まれて、格好良く生きているように見えた。だから、選んだ。守り神にね。僕にとっては、ただ弟ができたみたいで嬉しかったけどね」
アルウィンは、俺への思いが変わらないことを伝えたかったのだろうか。
罪悪感、なのか。誰に対して、俺に?
それとも、俺を兄と慕ってくれた彼女にか。そもそも、そんな感情はないというのが正解だと思う。
「あぁ、リシャール。ボルドローを処理するよ。聞きたいことも聞けたし、もう用済みだよ」
いつの間にやら、太陽が顔をのぞかせていた。アルウィンの銀の鎧が、鈍く光っている。
「詮索はせん。興味もない。処刑と言っても大々的にはやらんだろ?」
アルウィンは、頷く。大々的にやればボルドローの件で、嘘をついた意味がなくなる。
あの場で生かす意味も本来ならないはずだが、それはいい。
「貴族院はね、暗殺はリシャールにさせろって言ってきてたんだ。僕は、誰でもいいんだけどね」
アニュレ砦に掲揚されたターブルロンドの国旗が、風にはためいた。
龍の咆哮紋が、天に向かって叫んでいるような意匠が特長的だ。
「……不名誉な死のためか? 形にこだわる連中だな。いいだろう。そんなことでいいのなら」
生き方よりも死に方にこだわるのが帝国貴族だ。満たされたものは、今よりも未来を考える。
祖国を裏切ったボルドローには、俺のような男に殺されることが、最大の屈辱になるのだろう。
「逆に安心した。貴族院は、巨漢子爵を生かす気もなかったのなら、アルウィンの独断専行ではなかったのだな?」
ボルドローの暗殺には、祖国への裏切りの他になにか理由もありそうだ。
貴族院の犬になることは、ルグラン家のためにならない。利用され捨てられるだけだ。
今回の一件で、貴族院はアルウィンに──ルグラン家に利用価値を見出している。
暗殺を成し遂げたことで、貴族院からのある意味での信頼が増しただろう。
やはり、この戦争で大きな手柄を上げる必要がある。それも、なるべく早くだ。
「そうだね。前にも言ったよね。一歩ずつだって。貴族院からの任務も大事な一歩さ。リシャールは、気に入らないみたいだけど……」
木剣を握る手に力が入る。アルウィンの目は、どこか先を見据えているのだろう。
暗殺者の行き着く先よりも先を見ているのかもしれない。
俺は、どうだろうか。何を目指しているのか。アンベールを倒し、英雄になったその先は……
(生きるというのは、先を目指すことなのか。こいつら貴族のように死に方を考えながら生きることなのか。なら、俺はどんな死に方を目指せばいい)
「リシャール、今夜だ。ボルドローの暗殺は、今夜行う。殺し方は君に任せるよ」
アルウィンは、俺の肩に触れる。焼け焦げた案山子を抱えて訓練場を去っていった。
俺は、アルウィンを生きることに甘えた御曹司だと危惧していたが。今は、その背中は、遥か遠くに見える。
俺の死に方。サーカス団の道化として生まれ、その死に方を誰に見せればいいのか。
英雄になったその先は、どこにあるのだろう。
俺は、言いしれぬ不安と焦りに訓練用の案山子を何度も木剣で殴りつけた。
第6話【死に方】完。
俺は、いつの間にかそこにいて当然のように客を満足させるために危険な芸を披露していた。
もっとも、俺は従順なピエロではなかったが、道化となった子どもたちは、屍人のように自我を持たずに生きていた。
その中には、俺を慕う子供がいた。
俺を兄のように慕ってくれたあの子は、どうなっただろうか。
今も、ときどき夢に見る。あの子の俺にだけ見せてくれる笑顔を……
生きているのなら、誰かの奴隷になれたかもしれない。俺は、彼女のその後を知らない。
アルウィンも知らなかった。
ボルドローをなぜ生け捕りにしたんだろう。あの場で殺していれば知らずに済んだ事実なのに。
俺を兄と呼び、俺も妹のように感じていた。地獄の日々の中で、唯一の星空をともに見上げた。
俺の心に触れたあの小さな手は、アルメ村のボルドロー子爵に買われていたことが分かったのだ。
そして、ボルドロー子爵を罠にはめるためだけのアルウィンたちによる焼き討ちの中。
彼女は、その地獄の日々から解放されたのだろうか。アルウィンには、住民のことは聞かなかった。
知ったところで、全ては過去のことだ。
だからこそ、俺に助けを求めて炎の渦に飲まれて灰になる彼女の姿を夢の中に見るのだった。
布団を跳ね上げ飛び起きる。呼吸が荒い。彼女は、どれほど苦しかったのだろう。
まもなく太陽が朝を告げ、異端者のように姿を隠す前の健気な月の煌めき。
俺は、飾らないあの子の笑顔をかさねた。
ボルドローは、アニュレ砦の地下に幽閉されたようだ。暗殺命令はどうなったのか。
アルウィンは、聞きたいことがあると部下を使って拷問を繰り返している。
ターブルロンド帝国は、正式にアルウィンをアニュレ砦の司令に任命した。
反対意見は、出なかった。旧ボルドロー派の騎士たちは、彼の死を聞くと簡単に手のひらを返した。
所詮は、ボルドローではなく肩書に忠節を誓っていたに過ぎなかったのだろう。
俺は、昔から思うのだ。本当の忠節なんてないんじゃないかと。
俺はベッドから起き上がり、飾り気もない簡素な自室を見回した。
何かを飾るのは嫌なのだ。アルウィンが、色んなものを簡素な部屋に置いていくが、全てアルウィンの自室前に返した。
机の上においてある木剣を掴むと、部屋を出る。鍛錬は怠らない。いつか、何かを掴めるときに確実に掴むために。
*
「おはよう。リシャール、早いね。素振り?」
アニュレ砦の中庭の訓練場。穴だらけで焦げた案山子が、黒く細い煙を上げて倒れていた。
鼻をつく臭いが周囲に充満している。煙を吐いている複数の案山子が、空を見上げている。
アルウィンからは、どこか俺の機嫌を伺うようなヨソヨソしさが感じられた。
炎の魔術、アルウィンの特技だ。どの案山子も消し炭になるまでは燃えていない。
荒れ狂う炎よりも、収束加速させる炎のほうが魔術的には高度なのだそうだ。
「……見て分かるだろ? 掃除してるように見えるか?」
俺は、木剣を振り上げて見せる。アルウィンは、小さく声をたてて笑う。
「ボルドローの言ってることを鵜呑みにしないほうがいいよ。サーカス団の奴隷のこと。証拠はなかったんだからね」
アルウィンの碧眼に、殺意をむきだした狼の姿が映った。やはり、俺はアルウィンを憎んでいるのだろうか。
「焼けちまったからな……」
俺は、そんな自分を誤魔化すように掛け声とともに素振りを再開した。
「僕にとって、あのサーカス団の中で君だけが人間に見えた。格好良く生まれて、格好良く生きているように見えた。だから、選んだ。守り神にね。僕にとっては、ただ弟ができたみたいで嬉しかったけどね」
アルウィンは、俺への思いが変わらないことを伝えたかったのだろうか。
罪悪感、なのか。誰に対して、俺に?
それとも、俺を兄と慕ってくれた彼女にか。そもそも、そんな感情はないというのが正解だと思う。
「あぁ、リシャール。ボルドローを処理するよ。聞きたいことも聞けたし、もう用済みだよ」
いつの間にやら、太陽が顔をのぞかせていた。アルウィンの銀の鎧が、鈍く光っている。
「詮索はせん。興味もない。処刑と言っても大々的にはやらんだろ?」
アルウィンは、頷く。大々的にやればボルドローの件で、嘘をついた意味がなくなる。
あの場で生かす意味も本来ならないはずだが、それはいい。
「貴族院はね、暗殺はリシャールにさせろって言ってきてたんだ。僕は、誰でもいいんだけどね」
アニュレ砦に掲揚されたターブルロンドの国旗が、風にはためいた。
龍の咆哮紋が、天に向かって叫んでいるような意匠が特長的だ。
「……不名誉な死のためか? 形にこだわる連中だな。いいだろう。そんなことでいいのなら」
生き方よりも死に方にこだわるのが帝国貴族だ。満たされたものは、今よりも未来を考える。
祖国を裏切ったボルドローには、俺のような男に殺されることが、最大の屈辱になるのだろう。
「逆に安心した。貴族院は、巨漢子爵を生かす気もなかったのなら、アルウィンの独断専行ではなかったのだな?」
ボルドローの暗殺には、祖国への裏切りの他になにか理由もありそうだ。
貴族院の犬になることは、ルグラン家のためにならない。利用され捨てられるだけだ。
今回の一件で、貴族院はアルウィンに──ルグラン家に利用価値を見出している。
暗殺を成し遂げたことで、貴族院からのある意味での信頼が増しただろう。
やはり、この戦争で大きな手柄を上げる必要がある。それも、なるべく早くだ。
「そうだね。前にも言ったよね。一歩ずつだって。貴族院からの任務も大事な一歩さ。リシャールは、気に入らないみたいだけど……」
木剣を握る手に力が入る。アルウィンの目は、どこか先を見据えているのだろう。
暗殺者の行き着く先よりも先を見ているのかもしれない。
俺は、どうだろうか。何を目指しているのか。アンベールを倒し、英雄になったその先は……
(生きるというのは、先を目指すことなのか。こいつら貴族のように死に方を考えながら生きることなのか。なら、俺はどんな死に方を目指せばいい)
「リシャール、今夜だ。ボルドローの暗殺は、今夜行う。殺し方は君に任せるよ」
アルウィンは、俺の肩に触れる。焼け焦げた案山子を抱えて訓練場を去っていった。
俺は、アルウィンを生きることに甘えた御曹司だと危惧していたが。今は、その背中は、遥か遠くに見える。
俺の死に方。サーカス団の道化として生まれ、その死に方を誰に見せればいいのか。
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