カンナ

Gardenia

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第一章

1-6

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カンナが家に入ると、もうすでに定年退職して家に居る父親がリビングに居た。
「帰ってきたのか。早かったな」と言ってカンナを迎える。
どうせ車の音を聞きつけてそわそわしていたに違いない。

「うん。空港で同級生にばったり会って、帰りに乗せてもらったから」
「そうか。誰だ?」

カンナは父親が昔から変わってないので笑いそうになった。
友達と遊びに行くときも、友達が遊びにくるときも、誰なのかいちいち知りたがった。
塾や稽古事の時も時間が許す限り送り迎えしてくれた。

今もカンナにお茶を淹れようとしながらいろいろ質問する気だ。
「秋吉組の次男よ」
「同級だったか?」
「うん。中学のとき同じクラスだった」
「秋吉組は確か、兄貴が居たはずだよな?次男が土木のほうを継いで長男は・・・」
「一級建築士なんだって」
「あぁ、役所の近くの秋吉設計か」

カンナの父親は市役所勤めの公務員だった。
定年になるまで真面目に勤め、今は年金生活者である。
若い頃はもっと田舎の出張所に勤めていた。
カンナが中学生になるときに、役場から市役所に移動になって引っ越してきたのだ。
元々こちらが地元なので、昔からこの近辺に住んでいる家族のことはよく知っていた。

「あそこは、両親はまだ健在だったよな、確か。
親父さんが結構元気な人で、それに比べて奥さんは・・・家に居るのか全然出てこなくて、大人しい控え目な人だわ」
「パパと同年代なの?」
「う~ん。あっちのほうがちょっと上のはずだ」
父親は何かを思い出したのかニヤニヤしながら、「役所に来るとすぐわかるんだよ。声が大きいから」と言った。
「もう如何にもそれっぽい人なの?父親って」
「あぁ、あれはかなり柄が悪いで」
「私の同級生もやっぱり土木屋さんって雰囲気はあるよ。まぁ、品はそんなに悪くないけどね」
「時代が違うからなぁ、親の世代とは」
思わぬところで秋吉の情報を得て、カンナは得した気分になった。

「あの親父さん、外にも子供が居たのと違ったかな・・・忘れたけど」
「へえ~。モテたのね」
「まぁ、あんな人だから愛人の一人や二人居ても不思議じゃないだろ」と父親はひとりごちている。

「今度、秋吉設計にお世話になるかもしれない」とカンナが父親に言うと、
「家、建てるのか?」と驚いた顔で聞いてきた。
「うん。まだ考えてるところだけど、インターのところの土地も気になるし、時間もあるし」
「ここに居ればいいじゃないか」
「まだ決めてないし、秋吉設計が引き受けるかどうかもわかんないしね。
それにすぐに建てるってわけでもないから、まだ2~3年はここに居るわよ」とカンナが言うと、
父親はとたんに嬉しそうな顔にになって、
「ま、ゆっくりやりなさい」と言った。

「木曜日に秋吉設計に行くことになってるの」
「そうか」
「その前にね、ここにちょっと私の事務スペース作って良い?」
「いいけど、どこに?」
「2階の私の部屋の向かいが物置になってるじゃない?あそこをちょっと片付けてさ・・・」
父親は「好きにしなさい」と言ってくれた。

「それから、パパのファックスマシンを買い換えたいんだけど、いいかな?」
「なんでだ?あれでダメなのか?」
「あのね、普通紙に印刷できるのが良いのよ。今のは感熱式じゃない?たくさんの書類が届いたらちょっと無理があるから」
「でも、数日前にファックスの用紙が特価だったので買い込んでしまったんだよ」
「そうなんだ。じゃ、私は私でなんとかするかな」
「ロール紙が無くなったら買い換えるか?」
「うん、そうしてくれると助かる」
「じゃ、俺はちょっと物置見てくるか」と言って立ち上がったので、カンナも「私も荷物置きに行くわ」と父親の後をついて二階に上がった。




カンナが中学生になるときに父がローンで建てた家だ。
もうかなり時代遅れの家だが、育ってきた家でもある。
二階の6畳ほどの洋間が昔からカンナの部屋だった。

ベッドの上にバッグを置いて、父親が覗き込んでいる向かいの三畳間を覗いてみる。
「へぇ、意外に片付いてるじゃないの」とカンナが感心したように言うと、
「お前たちが小さい頃は、母さんのミシン部屋だったんだぞ」と父親が懐かしそうに話した。
「あぁ、そうだね。いろいろ作ってくれてた記憶があるわよ」
「今は婆さんの世話で、長く使ってないからな」

カンナの母は、自分の母親の病気の世話で去年から実家に行っている。
長患いの上に、看病していた母の妹も看病疲れで倒れてしまい、
二人の病人を抱えて目が離せないらしい。
2~3週間に一度帰宅するらしいが、ほとんど家に居なかった。

「ママに電話しなくちゃね」
「あぁ、そうだな。あとで俺が電話するときに話しておくよ」
「そうしてくれると助かる。ママって電話が長くなるから」とカンナが言うと、
「明るい性格だから病人には良いかもしれないなぁ」と父が笑った。

片付けるのにそれほど時間はかからないと思って、カンナが家具の配置を考えていると家の電話が鳴った。
「きっと母さんだよ」と父が言うので、「私もそう思う。パパ、お願いね」とカンナが言うと、「任せておけ!」と言っていそいそと電話のほうに向かって行った。

その間にカンナは電話線の配置を確かめた。
固定電話は一階のリビングにメインがあって、2個の子機を両親の部屋と玄関においてある。
じゃ、二階の廊下の電話は・・・?と見ると、父が今使っている二階の電話には電話線がつながっていた。
しめた!とカンナは内心ほくそ笑んだ。

父は母との電話を終わると、「明日、母さんが帰ってくるらしい」
「あ、ちょうど良かったね」
「迎えに行ってくるよ」
「うん。じゃ、私はママにご飯でも作るわ」
「あぁ、そうしてやってくれ。婆さん、肺炎を起こして入院したんだって」
「あらま、良くないの?」
「念のためらしいけど、入院すると完全看護だから、母さんもすこし骨休めできるさ」
「なるほどね。でも心配だよね」
「そうだな。でもこれが年老いるということだからな」
「お祖母さんはまだ良いよ。伯父さんも叔母さんも居るんだから」
「それに婆さん、最近ちょっと痴呆がでてきたらしいよ」
「え~~!それはまた・・・・」
「婆さんが嫁を嫌がって寄せつけないので、母さんとその妹が行ってるんだよ」
「なるほどね」
「明日は久しぶりに賑やかになるなぁ」とそれでも嬉しそうに父は階段をおりて行った。
すっかり物置のことは忘れたようだった。

「パパ、ミシン部屋のこと、ママはなんて言ってた?」
カンナは慌てて父親の後を追って階段を下りた。





母はカンナに部屋を使うことを許してくれたが、結局あと一日くらいは待てるだろうと父が言うので、母の帰りを待ってから机を運ぶことにした。
父と二人で夕食を食べると、父はTVを見ながら転寝している。
晩酌のあとは決まってそうだった。

田舎の夜は長い。
カンナはすることが無いので、自室でメールチェックをすることにした。
メールアドレスは仕事用や個人用でいくつか持っていた。
たくさんのメールが届くので、カンナ自身でチェックするのは2つだけと決めて、
他のアドレスのものはスタッフに管理を任せている。
仕分けをしたうえで、必要なものだけ知らせてくるようにしていた。
ひとつは財産管理用と思って以前から使っているアドレスで、もうひとつは離婚後に取得したアドレスで弁護士と会計士とのホットラインになっていた。

弁護士からと会計士からメールが届いていた。
昨日面談したばかりなのに、もう何かあったのかと眉をひそめた。
案の定、どちらのメールも元旦那から連絡があったという報告だった。
弁護士のほうはそれに加えて、元旦那とその新しい妻が東京でカンナの悪口を言いふらしているようだと書いてあった。
仕方の無い人たちである。
おバカなカップルを思い出して、少し気が滅入った。

そもそも子供の出来ないカンナに、恋人に子供が出来たので君とは別れると言われたのだ。
IT長者で派手な暮らしぶりの旦那に女が居るのは知ってはいたが、子供が出来たのでは仕方がないかと離婚話に応じたのは、そろそろ潮時かなと思っていたからだった。

体裁を気にする旦那は修羅場になって週刊誌を喜ばすことを避けて、二人で話し合って離婚の条件を決めた。
夫の不義による離婚なのでカンナにかなり有利な条件だった。
それでも間に誰かを入れて書類で取り交わしたほうが良いと説得して、弁護士に協議書を作ってもらい、それに基づいて財産を分けたのだ。
カンナ側の弁護士はカンナが貪欲になれば夫からもっと取れるんですよとアドバイスしてくれたが、長年一緒に暮らしたのだからとりあえずは夫も今のままの生活が出来るようにと手加減したのだった。

ところが、カンナと離婚後あまり業績の芳しくない元旦那は、こんなはずじゃなかったと息巻いている新妻にそそのかされてか、カンナに取られすぎたと言いがかりをつけてきている。
旦那側の弁護士でさえ「もう終わったことですから」と助言しているにも関わらず、しつこく言いがかりをつけてきていた。
元旦那の性格上ある程度は予想していたので、携帯電話もメールアドレスも新しいものを取得し、田舎の実家に引っ込んでいるのだ。

もうひとつのメールを開けると、その元旦那からメールが届いていた。
内容を読んでうんざりしたカンナは携帯電話を取り上げた。
かけた先は弁護士のところだ。

「カンナです。今よろしいですか?」
「ちょうど今事務所の戸締りをしていたところです」
「タイミングよかったのかしら?」
「はい。メール読んでいただけましたか?」
「ええ。それとは別に元旦那からも直接メールが届いたんだけど」
「向こうの弁護士もかなり諌めてはいるらしいのですが・・・」と言葉を濁した。
「そのメールを明日そちらに転送しておきます」
「では、あとはこちらで引き受けますよ」
「すみません、いつも」
「いえいえ、それが私の仕事なので」
「それで、もうそろそろウザくなってきてるんだけど」とカンナは静かに言った。




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