カンナ

Gardenia

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第二章

2-26

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金曜日の午後になって田所からカンナに連絡があった。
メールで、『7時頃に仕事が終わる。からそれから出発しよう。軽く食べておいて』とメールが届いたのだ。
それまでに変更の連絡はなかったので、カンナは一応2~3泊は出来るように鞄に詰めてはいたが、
本当に行くんだと改めて驚いていた。

鞄に入れた化粧品と着替えをもう一度頭の中で確認し、夕方一度外出した。
カンナの仕事は終わっている。
近所の薬局で相談して船酔い止めの薬を購入し、更に数分歩いて時々利用するデリまで歩いて行った。
サンドウィッチを二種類とつやつやした苺を選んでレジに並んだ。
サンドウィッチはそれぞれ2つにカットしてあり、全部で4切れになる。
とりあえずはこれで足りるだろう。

それらを持って滞在しているホテルに戻ると、魔法瓶に熱いコーヒーを頼んだ。
コーヒーが届くまでに、苺を洗い軽く水気をとって使い捨ての容器に入れ、
ボトルウォーターと共に食べ物を全部紙袋に入れた。

ノートパソコンの準備をしようとして、カンナはふと手を止めた。
ヨット遊びにパソコンは不要じゃないかしらと思いなおして、持っていくのをやめることにした。
携帯電話の電源だけは着替えが入った鞄に入れると、持って行くものをテーブルの上に並べて確認する。
ハンドバッグ、着替えが入ったファスナー付きのトートバッグ、そしてサンドウィチが入った紙袋。

実はヨット遊びは初めてじゃない。
ヨーロッパでは何度か招かれて、大きなクルーザーなどには乗ったことがある。
昼間は水着でデッキに寝そべり、夜は肩の空いたドレスで豪華な食事のコース。
昼も夜もシャンパングラスを持ったままの週末だ。

でも田所のヨット遊びとは別物だろうとカンナは思っていた。
セーリングは言葉通り自分でセールを操作しながら競技をするものなのだろうと想像した。
フラットなデッキシューズ、コットンのTシャツや風止めのパーカーでよいはずだ。

それらの服を東京の自宅から運ばせていた。
「いつお戻りになりますか?」と言われて苦笑が出ただけだった。
そのうち帰ることができるのだろうが、今はいつとは言えない状態だ。
「もうすぐメドがつくはずなの」と返すのが精一杯だった。
「達哉の新しい奥さんの居場所がわからないので気をつけてるのよ」と言うと、
言い難そうに「以前、一度ご連絡がありましたが、それっきり連絡はございません」と留守番係りが答えた。

そのやり取りを反芻していると、電話が鳴った。田所からだ。
「今、ようやく仕事を終わったよ。これから迎えに行きます」と言うので、
「お車?地下の車寄せにしてくれる?そこで合流しましょう」とカンナは答えた。
電話を終えて時計を見ると、7時20分近くだった。
まだ仕事をしているスタッフに声を掛けて、カンナは部屋を出た。
ホテルのスタッフに荷物を運んでもらい、同じエレベーターで移動する。

地下の車寄せで数分待っただけで、田所がカンナの前に車を停めた。
大きなランドクルーザーだった。
荷物を後部座席に置き、カンナは手を貸してもらいながら助手席によじ登った。
途中で軽く食べるだろうからとサンドウィッチの入った袋は膝に抱えた。
運転席に座った田所はまだスーツ姿だった。




カンナは田所を見てクスクス笑いながら、「急がなくてもよかったのに」と言うと、
「なるべくはやく出発したかったんだよ」と田所が疲れた顔で言った。

「仕事残してきたの?」
「いや、とりあえず月曜までは大丈夫だ。休める」
「お腹空いてるんじゃない?何か食べたの?」
「いや」
「だと思ったわ」

そう軽い会話をしながら、カンナは水を一本取り出しキャップを開けた。
「とりあえずお水、飲んだら?」と差し出すと、田所は「サンキュー」と言って受け取り、
ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲んだ。

やがて高速に入り、安定した走行になるのを待って、カンナは紙袋から苺を入れた容器を出す。
指で一個を摘まんで田所の口に持って言った。
「苺よ、1つ食べてみて」と言うと、田所は素直に口を開ける。
苺を租借した後で田所は「冷たくて美味いな」と言った。

「サンドウィッチあるんだけど、食べる?」とカンナが聞くと頷くので、
田所の膝の上にハンカチを広げてふんわりと乗せ、ウエットティッシュで手をさっと拭いてからサンドウッチを手渡した。
「ハムとレタスのサンドよ」
「うん、有難い!」と言って食べている間に、魔法瓶からコーヒーを紙コップに注いでホルダーに置いた。
「ブラックでよかったよね?」とカンナが聞くと、田所はサンドウィッチを食べながら頷いた。

サンドウィッチを食べてしまったのを確認して、コーヒーカップを田所に渡す。
「君は?食べたのかい?」田所がそう聞くので、「後で食べるわ。同時に食べないで、順番のほうがいいと思う」とカンナは答えた。

ポテトサラダのサンドウィッチともう一度ハムとレタスを食べ終えて、田所が2杯目のコーヒーを飲んでいる間に、カンナはポテトサラダのサンドウィッチを一切れ食べた。
車内に香ばしいコーヒーの匂いが漂う。
カンナは運転している田所の手をもう一度拭いて、別のお絞りで自分の手も綺麗に拭き、コーヒーを飲む。
時々苺を田所の口に放りこみながら自分も食べ、あとは車のシートに背中を委ねた。

「眠ってていいよ」と田所が声を掛けてくれたが、運転を任せておいて助手席で眠るわけにもいかない。
「よくこんなやんちゃな車持ってたわね」とカンナは静かに聞いた。
「結構アウトドア派なんだよ、実は」そう言って田所が笑った。

「それは意外だなぁ。一日20時間労働で30時間分の仕事をこなすインドア派かと思った」
とカンナが茶化すと、「まぁそういう取り柄もある」と苦笑している。

「てっきりスポーツカーで来ると思った」
「ツーシーターのほうが良かったかい?家にあるけど?」
「やっぱり・・・」
「でもヨットのときはこの車だな。何でも積める」
「ヨットって故障多いの?部品とか」
「いや、故障は少ないなぁ。メンテナンスしてるから」
「手をかけておかないとダメなのね」
「まぁ、日ごろの手入れがよいほうがうまく動くってことかな」
「いつも面倒見る人が居るの?」
「あぁ、一応マリーナに管理とメンテを頼んでいるんだ」
「そうなのね」

「久しぶりなので明日は早朝から様子見てくるよ」
「うん」
「君はゆっくり寝てていいから。でも午前中には一度乗せたいな」
「わかったわ」
「お昼までには皆揃うから、それから本格的にやるつもりだ。
君は観戦してくれるだけでいいから」
「はいはい。お邪魔はしませんよ」
「いやぁ、邪魔じゃないけど荒いから・・・」
「やけに楽しそうじゃない」
「久しぶりだからな」
田所はそう言って目を細めた。

「夕方はワインを積み込んで君のためにセイリングするよ」
「あら・・・」
「皆で夕陽見ながらトワイライトクルーズだ」
「いいわね。楽しみにしておく」
「つまみをヨロシク!」
「あ~、それで私を連れてきたのね」
「そういうことなんだ」
「じゃ、午前中は昼食の準備で、午後は観戦しながら夕食の支度ね。
まかないオバサンじゃん」
田所はそれには答えず笑っていた。
カンナもつられて笑ってしまう。
車はとっくに高速を降りて、暗い一般道に入っていた。





高台の大きな門の前で車は一度止まった。
インターフォンを押すと電動ゲートが開き、田所は車を玄関前にぴったりとつけた。
中から年配の男性が出てきて、「坊ちゃま、お久しぶりです」と挨拶する。
「坊ちゃまはやめろよ」田所は挨拶を返さず、そう苦笑した。
助手席に回り、カンナが下りるのに手を貸した後、二人を紹介してからカンナの手を引いて家の中に入った。
カンナは「こんばんは」と言うのが精一杯だった。

とりあえずワインセラーでワインを一本選んで開封しているところに、玄関で会った田中という男性がダイニングに入ってきた。
「お連れ様のお荷物は奥の部屋でよろしいですか?」と田所に聞く。
「あぁ、僕の部屋の奥隣だよ」と田所が答えると、「かしこまりました」と田中はダイニングを出て行った。
カンナとは会釈しただけだった。

ワインをグラスに注いで味見をしているところに田中がダイニングに戻ってきた。
「さて、改めて紹介するよ」と田所がカンナに言って、
「こちらがこの家を昔から管理してくれてる田中だ。今日の食材も田中が用意した。足りないものがあったら何でも言うと良い」と説明する。

「さて、こちらは小野寺カンナさん。僕の友人だ。
今回の調理担当で、僕と同じだけここに滞在する」
簡単すぎやしないかとカンナはハラハラしながら、「小野寺です。料理は素人ですが、今回ヨット遊びに招かれたので、そのお礼に何か作ろうと思っています。よければカンナと呼んでください」と田中に挨拶した。

田中は表情のないまま、「私は別棟に妻と居ますので、お手伝いすることがありましたらいつでもお呼び下さい。この家の電話の内線でお気軽にどうぞ」と言って、カンナをキッチンに案内し食材や食器の保管場所を教えてくれた。
「何人くらいお見えになるかもわからないのですが、たぶん一人では無理なのでヨロシクお願いしますね」とカンナが言うと、ようやく緊張が解けたのか
「では、カンナ様と呼ばせていただきます。皆さんの滞在中は24時間で対応しておりますので遠慮なくお声かけてください」と言ってくれた。
そこに「お腹が空いたよ。何か食べよう?」と田所がキッチンに入ってきた。

田中は冷蔵庫を空けながら「ここに牛肉がありますが、ステーキなどは?」と言うので覗いてみると、すでにステーキ用に処理されたものが何枚か入っていた。
「じゃ、私が軽く焼きましょうか」とカンナは言ってみた。
「お願いしてよろしゅうございますか?」と田中は素直にカンナに言い、野菜はここ、お皿はここと教えてくれる。
田中は意地悪そうな人ではないのでカンナはほっとした。





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