カンナ

Gardenia

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第二章

2-30

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カンナは彼女の突き出したナイフだけを見ていた。
周りも動いているのは解っているが、それに気を配る余裕はない。
いきなり強い力で腕と肩をつかまれそのまま後ろに引かれ、それを合図にしたかのようにナイフが誰かの上着で絡めとるように包まれ、宙を舞った。

カンナは後ろに引っ張られた反動で足がもつれて倒れこみ、そのカンナのちょうど足元に丸まった上着が落ちてほどけると大きなナイフの刃が光った。
「ひっ・・・」
喉が震えて引き攣れたような空気が漏れた。
後ろからカンナのお腹に回された温かい腕がなければ泣き出していたかもしれない。
「大丈夫だ。もう大丈夫」
田所の声がようやく聞こえた。

「ありがとう」そう言うのが精一杯だった。
「立てるか?」
「...たぶん」
「じゃ、立たせるから、そこの椅子に座ろう」
ゆっくりとカンナを立たせ、先ほどまでカンナ達が対峙していた場所に背を向けてソファーまでは寄り添うようにしてくれた田所が、「ここで待ってて。ちょっとあっちの様子を見てくるから」と言うのでようやく彼女がどうなったのか見る余裕がでてきた。

ホテルスタッフと警備員が数人がかりで彼女を取り押さえたらしい。
取り乱して錯乱しているようで暴言を吐く美人の取り扱いに困ってるようだ。

「ご無事で・・・。お怪我はないですか?」
いつの間にか今外出に同行する女性秘書が隣で膝をつきカンナを覗き込んでいた。
「あ、うん。大丈夫。私は大丈夫」

「それよりも、あなたはどう?怪我とかしてない?」
「私は大丈夫でございます」
「貴女も震えているじゃない・・・」
「会長だって・・・」こみ上げてくる恐怖があるのだろう、あるいは安堵かもしれない。それ以上は言葉が続かずに目を潤ませてカンナを見ている。
「会長なんて呼ばないでよ」
「ここは外でございますし・・」
「あなたもここに座りなさい」
カンナはソファーの隣をポンポンと叩いて秘書を促した。

2人で並んで座り問題の女性を目で追うと、警備員に周りを取り囲まれ連行されている。
利用客達の目に触れない場所に移動しているはずだ。これから事情を聞いたりして長い一日になることだろうとカンナは予想した。

「他の人たちは呼んだ?」
「はい、呼びました。三名来ます」
それだけでわかる優秀な部下だ。
「このことは絶対に彼女に責任とってもらうから。負けないから私」と秘書の顔を見ずに独り言のように言うと、
「格好よかったです、カンナさん。私どうしていいかわからなくて震えてましたけど、カンナさんはすごく落ちつかれていて見事でした」
「さっき転んだ時、腰が抜けたことはヒミツにしておいてね」
「え~~?腰が?」思わずカンナのほうに膝を向けて座りなおす。
「うん。たぶんあれが腰が抜けた状態というのだと思う。力が入らなかったから」
秘書は絶句していた。
一呼吸置いてから、「他にはどこも?痛んだりしませんか?」と聞いて来た。
「大丈夫だと思うけど、そういえば足首がちょっと痛いかもしれない」
「お医者様に診てもらわないと...」
「ええ、でもまだ感覚が戻ってきてなくて。後でいいわ」

田所がホテル支配人と一緒にカンナのところに戻ってきた。
「警備ガ行き届かずたいへんご迷惑をおかけいたしました」と丁寧に腰を折る支配人の言葉を、「いえ、私の個人的なことでホテルにご迷惑をおかけしました。お詫びはこちらのほうが・・・」とカンナは遮った。

そこにカンナの秘書が三名到着したので手短にスケジュール変更の支持を出して、それぞれに仕事を割りふった。

会議室に移動を勧められたがカンナの足が痛むことを秘書が伝えるとカンナの使っている部屋に医者を呼んでそのままそこで打ち合わせをしようということになった。
もうすぐ警察がかけつけてくるが、何がおこったかはカメラを見せればいいはずだから部屋に移動していても問題なさそうだ。

「そもそも、警察呼んでいいのかい?」と田所が聞いてくる。
「ええ、お願いします。それと警察もあの女性も、すべての対応をお願いしていい?」
「はい。わかりました。お任せ下さい」

それからカンナは支配人に向き直って、「ホテル側には警察が来るなどご迷惑をおかけします」と詫びた。
支配人はもう一度警備の不備を謝罪してから、「小野寺様には今回のことは公になってもよろしいのですか?」と訊ねた。
「はい。今回のことは彼女にきちんと責任をとってもらいたいです。
今日ここで起こったことはあとで警察の方が来らた時に皆さんにも一緒にお話しますので、同席してください。
それからホテルにご迷惑をおかけすることになりますので、その分の負担はきちんとさせていただきます」というカンナに支配人は、もちろん事情説明への同席はするがそのほかの気遣いは無用だと神妙な顔で答えた。




その日の予定をすべて取りやめたものの、部屋に戻ったカンナはのんびりとはしていられなかった。
足は軽い捻挫で通院の必要もないほどであったが、医者は全治二週間の診断書を作ってくれた。
警察の事情徴収には録画されていた映像を見ながら答え、それが他の目撃者の証言と一致しているので警察側も一通りのことを聞いただけで短時間でカンナを開放した。
その場に居た秘書がとっさにボイスレコーダーを作動させていたので、カンナと彼女の会話はほぼ録音されていたのも多いに役立った。
あとは田所の仕事である。
マスコミ対策も打ち合わせなければならない。田所をはじめ、カンナのスタッフが次々と集まってきた。
ホテル側からは支配人が参加した。

「私は今日のことまたこれに係る一連のことについて、彼女にはきちんと責任をとってもらいたいと思っています。
ああいう独りよがりな性格の人が興奮しているときは私が何を言っても聞く耳は持たないでしょう」
そこでカンナは一呼吸し、みんなの顔を見渡した。

「公の場で彼女がわかるまで言い聞かせてもらえれば彼女も気が付くかもしれない。
ですから世間や法律機関に彼女のことを任せたいと思います」

わかりましたというように頷くのを見て、カンナはさらに続けた。
「メディアはホテル側に説明を求めるでしょうし、それとは別に私にも接触してくるでしょう。
ホテルには多大なご迷惑をおかけすることになるので私は他に移動しようと思います」
それを聞いた支配人は、「とんでもございません。小野寺様に当ホテルをご利用いただいていることを私達は誇りに思っています。それにマスコミにはきちんと対応すればそれほど困難でもありません。ある意味ホテルにはつきものですから。
もし小野寺さまさえよろしければこのままこちらにご滞在くださいませんか?」と逆にカンナに聞いてくる。

ホテルが長期滞在の上顧客に出て行かれたくないだろうことはわかっているが、言質をとることは大事だ。
一時的にではあるが押し寄せるメディアにこちら側のチームワークを強めておく必要がある。

「わかりました。有難うございます。強い味方と思ってよろしいのですね?」
「はい」
「ではこのまま、何も変えないでここでお世話になります。
ホテルスタッフの皆様には今日私を守ってくださったお礼をお伝えくださいね。それからしばらくこの騒動について煩わせることを謝っていたとお伝えください」

ミーティングは更に続いた。

「それと、この件に関してはある程度こちらも情報を出していきましょう。必要に応じてあくまでも火の粉を振り払う程度に。
マスコミがどこまで盛り上がるかわかりませんが、それはあの女性の仕事でしょう。
コレに関して私のお金を使う気にはなりませんから。
全ての負担は彼女が負うべきでしょう?田所先生」

「もちろんですよ」と頷く田所を見て、他の人にも顔を向けると
「実は皆さんもわかっているとは思うけど、離婚の際に私は相手の女性に対して慰謝料を求めませんでした。
私に有利な財産分与でしたし、お子さんの将来を考えて短期間で終わらせたかったこともあります。
しかし、今回のことで私は方針を変えようと思います」

「田所先生。離婚に係るものも含めて期限の有効なものは全て出してください。
それに伴った私負担の費用をお知らせしますから適合するものを抽出してください。
今日のことだけだったらたぶん書類送検になるくらいが関の山でしょう。
それだけだというならそれでもいいですが、これが最終だとおもって今までのものをもう一度見直してくださいませんか」

「わかりました」と短く言う田所に、「今日の午後、そちらの先生方と打ち合わせできますか?」とカンナは聞いた。
「時間と場所は・・・うちの事務所かここにするかもまた後で連絡しますよ」と田所が答える。

次にカンナは秘書達をみて、「離婚に関してかかった経費と今日のことでこれから必要だろうという見積もりを、数字で出してくださいな。
もうひとつは今回の事件のメディア向けマニュアルを作って。社員用と私用のをね。
お腹が空いただろうから今日はルームサービスで何でも食べてちょうだい。
では、一時解散しょましょう。2時間後にまた戻って来てくれる?」

はいと頷きそれぞれの場所に戻っていく彼らの中で、秘書二人だけを呼び止めて「あなた達か申し訳ないけど食事が終わったらすぐに戻ってくれる?1時間後くらいで」
「いえ、私達は交代でここに居ますよ」というので、「じゃ、ここでランチミーティングにしますか」と食べながら今度の対策を考えることした。

残した二人の秘書達はカンナの私設秘書で個人的なこともやらせている。離婚の時もかなり忙しい思いをさせ嫌なこともあっただろうが、今も辞めずに働いてくれている。
あまりお腹が空いてないんだけどというカンナに、こういう時は甘いものを食べなくちゃだめですよとパンケーキとフルーツを手配し、本人達は敵に勝たないといけないのでカツ丼頼もうかと笑っていたが、結局手で食べやすいのがいいかとカツサンドを注文していた。
届くまでに熱い紅茶を用意し、チョコレートはどうですか、キャンディもありますと何かとカンナを甘やかそうとする。
友達が少ないカンナには不慣れな気遣いではあったが、なにやら嬉しくもあった。






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