カンナ

Gardenia

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第二章

2-29

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葉山から東京に戻って10日が経っていた。
相変わらずホテル住まいで仕事中心の日々を過ごし、会食とエステと少しばかりのジム通い。
元夫の会社買収は着実に進展している。

カンナは東京の自宅に戻る時期を考えていた。
まだすぐには帰ることはないだろう。達也のスキャンダルが完全に鎮まったわけではないし、彼の妻の行方がわからない。彼らのことは時々所在と現状を確認させていたが正式に離婚が成立したかどうかもわからない。届けが受理されたという報告がないのでまだだろう。
彼女のことは何故かほんの少し気にかかる。
うっかりすると忘れてしまいそうなくらいの小さな棘のようなもの。
勘に頼る性格ではなかったが、嫌な予感や気になることを無視しないでおこうと自分で決めていた。

田所からは、葉山から戻った直後に「仕事が山積みなんだ、一段落したらまた食事に誘いたい」と言われているのだが、その後個人的な連絡はなかった。


その日は昼食会の予定があり、部屋を出たところで同行の秘書の携帯電話が鳴った。
「先に降りるね。ロビーで待ってる」と電話に出る秘書に声を掛けてからエレベーターに乗る。一階ロビー脇のケーキショップで新作スイーツフェアーが開催されているのを思い出し、ショーケースを見ながら待っていればいいかと考えた。雑誌等に取り上げられるほどの人気ショップで話題にあがることも多い。最近、以前ほどケーキを買わなくなったが見るだけでも楽しいものだ。

エレベーターがロビー階に到着し、カンナは最後に降りてショップのほうに早足で向った。
ショップアーケードの入り口には左右に大きな観葉植物が置かれている。
それを目指してロビーを横切ろうとした時だった。
すらりとした女性が近づいてきた。カンナはぶつからないように避けようとしたが、その女性はカンナの動くきを阻むように立ち止まった。
つられてカンナも立ち止まるしかなかった。

知り合いかと思って顔を見ると、シミひとつない白い顔と綺麗にウエーブがかかった茶色の髪、カンナよりも少し背が高い今風のスレンダー美人が立っていた。立っていただけではない。カンナを睨みつけてもいるのは元夫達也の妻だった。

流石セレブ・グルービーだけのことはある。スタイルは良いし美人だ。
自分を美しく見せることに長け、磨くことを怠らない意思の強さも持っている。
ただの偶然ではないであろう、この女は私を待っていた。
そうカンナは思ったがもう一度念のために、ぶつかるのを避けた風を装ってやり過ごしてみようと軽く頭を下げて迂回しようと横にずれた。
女性もカンナと同じ側に動き通せんぼするように動く。

「待ちなさいよ」と女性が言った。
カンナは仕方なく歩みを止め、「何かご用でしょうか?」と言ってみた。

「あんたのせいよっ!あんたのせいで・・・」
「何のことでしょうか?」
「とぼけないでよ。あんたが仕組んだんでしょうが」
美人は怒ると怖いと言うが、きれいな顔のなかに翳りのような暗さが見られる。思いつめた表情がそこにあった。

これはマズイなとカンナは思った。ホテルスタッフか、後から来る秘書が早く気が付いてくれればいいが。

「子供のことといい、検察のことといい、全部仕組んだでしょっ。おかげで私は追い出されたのよ。実家にも居られない」
ここでこの人を無視するわけにはいかないようだ。とっさに手を出されても、踏み込んでこなければ届く距離ではないことを確認してカンナは両足を軽く踏ん張ってお臍に力を入れて立つ。負けるわけにはいかないと思った。

「酷い人ね!!! 離婚された腹いせの復習?週刊誌にもテレビにも流したでしょ!」
二人の周りに人が近づいてきたのがわかった。ロビーを利用する人の邪魔にはなっていないだろうが、ホテルスタッフには不穏な空気が流れているのがわかって心配してきてくれたのだろう。
カンナは慎重に言葉を選んで対応しなければならないことを心に言い聞かせて口を開いた。

「何を流したというのです?」
「子供のことよ」
「お子さんは達也の子じゃなかったそうね」
「それがどうしたのよっ。あんたが仕掛けなければ何事もなかったのに。」
「私が何をしたというのです?お子さんのことについて喋ったのはあなたのご友人じゃなかったですか?」
相手が一瞬言葉に詰まったのをカンナは見逃さなかった。

「お客様、どうかされましたか?」と言いながらホテルスタッフが近づいてきた。
それを目で制しておいてカンナは続けた。
ちょうど秘書も追いついてきた。

「騒ぎが始まった後になって私のところにもメディアから問い合わせがありましたが、私はどこにも何も言っていませんよ。あなたのご結婚前の友人が、1人2人ではなく多くの方が語っていたようですが?」

「あんたが慰謝料をたっぷり持って行ったせいで達也にはお金がそれほど残されてなかった。私に復讐してほくそ笑んでるんでしょっ!
あんたのせいで何もかも目茶苦茶だわっ」

そうは言っても夫婦が納得して分けたのだからいいじゃないかと心のうちでカンナは思う。
今更部外者に言われることでもない。

「お言葉ですが私達は話し合って納得のいく形で協議離婚いたしました。夫側の不貞によるものですから財産分与が多少私の有利になったのは仕方の無いことです。双方が納得してのことです。元夫に分けたものはそう少なくないかなりのものですよ?もう使っちゃったんですか?」

相手の顔がさらに赤くなって目が釣りあがる。
「あんたと弁護士が達也を言いくるめて強欲に不動産も会社も良いものばかり持って行ったんじゃないかっ。」

それについては二度と同じことを答えるつもりはカンナにはなかった。
合意して名義も書き換え済みだし、そのまえに夫婦の財産について第三者が口に出すべきものでもない。
おそらく、再婚したとはいえ、達也は新しい妻であるこの女性にお金を管理させてなっかったのであろう。
そして子供が達也の子じゃないとわかった時点で、彼女が達也のお金を使えるはずは無い。

「滅茶苦茶にされたのは私のほうですよ?
ある日突然夫から『浮気相手に子供ができた、別れてくれ』と言われ、家族を失い、週刊誌には追いかけられ実家も巻き込んでしまって両親には辛い思いをさせています。
復讐なんてする暇ないですよ、生活を根本から変えないといけないうえに会社の建て直しに忙しいのですから」
そこまで言って一息つき、相手の反応をうかがった。

その一瞬の間を察して、「お客様、お話に適した場所をご用意させていただきますからあちらに・・・」とホテルスタッフが手振りで誘導しようとした時だった。
「うるさいわねっ!」と言った相手が大きめのトートバッグからナイフを取り出した。

周りから息を飲む声が聞こえた。
ホテルスタッフと先ほど追いついてきた秘書だろう。

足が震えてきたが相手から目をそらすわけにはいかない。
目の端でナイフとの距離を測り、そのナイフが果物ナイフでも包丁でないことを確認した。
アクション映画で見るような立派なサバイバルナイフだ。
現実にこのようなことが起きるのが信じられない。
カンナは掌に汗がでてきたのがわかった。

「あんたのことは許せないわ!
私の生活を無茶苦茶にして、あんただけのうのうと生きてる。
あんただけ実に優雅に暮らしている。
そんなの許せないわっ!
私を嵌めたくせにっ!」
相手の歯軋りが聞こえるようだ。

そうは言っても、二股か三股しながら最終的には元夫である達也をターゲットにした彼女が計画したことだ。
カンナと達也の離婚についてはこの女性が原因となったが、カンナたちの離婚手続きに彼女は関係できるわけもない。
その後、子供のために達也はこの子と結婚したと思うが、彼女に踊らされただけというのが発覚した。
それもマスコミに騒がれて大事になってしまったのだが、そこは有名人である故にある程度は仕方のないことだ。

いろんなことが一度に頭に浮んできたカンナは少しぼんやりして見えたかもしれない。
ホテルスタッフが相手の女性を制止しようと一歩踏み出すと同時に、カンナの後ろから
「よさないかっ」と大きな声が聞こえた。
田所の声だとわかっていても振り向くことができない。

相手が咄嗟にびくっとしてカンナの後ろに目線を動かしながら、「来ないでっ!!」と叫んだ。
そして彼女はそのまま一歩カンナに踏み込んでナイフを突き出した。

カンナはナイフの動きをスローモーションのように見ながら、何故この女性にこんな理不尽なことを言われなければならないのだろうと思っていた。





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