元アイドルは現役アイドルに愛される

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25. 加速する関係


それからのリオのスキンシップは、以前の比ではなかった。


移動の車内では当然のように肩を抱き寄せ、休憩中も「お疲れ様です」と言いながら、耳元で囁いたり、指先を絡めたり。奏多がドギマギして固まるのを、リオは楽しんでいる節さえあった。


(だ、誰か……誰か助けて……!)


限界を感じた奏多は、リビングで穏やかに新聞を読んでいる「絶対的味方」の颯真に、視線で必死にSOSを送った。

今、リオは奏多の膝の上に頭を乗せて「奏多さん、膝枕してくれないと次の曲の歌詞が書けません」と、とんでもない言いがかりをつけて甘えている。

颯真なら、いつものように「コラ、リオくん! 奏多が困ってるだろ!」と割って入ってくれるはずだ。

「……颯真、あの、ね……」

奏多が縋るような目で彼を見つめると、颯真はゆっくりと顔を上げた。

そして、奏多の困惑しきった顔と、幸せそうに甘えるリオの姿を慈しむような目で見つめた後――。
あろうことか、颯真はとびきり爽やかな笑顔で、ぐっと拳を握った。


(……え?)

「(ファイト、奏多! リオくんと一緒に、幸せを掴むんだよ)」


声には出さない。けれど、その力強いファイトポーズと、すべてを悟りきったかのような微笑み。

海里の言った通りだ。

彼は今、奏多の「幸せ」という名のゴールに向かって、全力で旗を振るキューピットにジョブチェンジしてしまっていた。


「そ、颯真……っ、違うの、助けてって……!」

「あはは、奏多さん。颯真さんは僕たちのこと、応援してくれてますよ。……ね? 奏多さん、こっち見てください」


リオが奏多の手を引き寄せ、手のひらにチュッと音を立ててキスをした。


「……っ!!」


奏多は顔を真っ赤にして、天を仰いだ。



※※※※※※※※※



その日は、久しぶりに「KSR」ではなく、それぞれの本来の仕事が重なった日だった。

音楽番組の収録現場。

奏多は「K」としての提供楽曲の打ち合わせを終え、ふとモニターを見上げた。そこでは、ちょうど「ルミナス」が新曲を披露しているところだった。


「……えっ」


奏多の足が止まる。

画面に映っていたのは、家で見せる「甘えん坊なワンコ」の面影など微塵もない、一人の完成されたスターとしてのリオだった。


体のラインを強調するタイトな黒のスーツに、銀色のチェーン。前髪を大胆にかき上げ、冷徹なまでの眼差しでカメラを射抜くその姿は、あまりにも雄弁で、毒を含んだような色香を放っている。


「……かっこいい」


奏多の口から、無意識に溜息が漏れた。
自分を追いかけ、縋るように愛を囁いていたあの少年が、今、大勢の観衆を支配している。そのギャップに、奏多の心臓はドクリと大きく跳ねた。昨夜、リオに手のひらへキスをされた時の熱が、じわじわと全身に蘇ってくる。


(……一言、良かったよって伝えに行こうかな)


柄にもなく浮き足立った気持ちで、奏多はルミナスの楽屋付近へと向かった。
けれど、角を曲がったところで、奏多の歩みは凍りついた。


「リオくーん! 今日のステージ、本当に最高だった!」

「ねえ、今度一緒にご飯行こうよ。約束だよ?」


廊下でリオを囲んでいたのは、今をときめく人気女子アイドルのグループだった。

彼女たちはリオの腕に遠慮なく触れ、顔を近づけて楽しげに笑いかけている。

リオは困ったように笑いながらも、優しく対応しているように見えた。
その距離感は、奏多が「近い」と感じていたあの距離と、それほど変わらないように見えてしまった。


(……ああ、そうか)


心臓の奥が、ぎゅっと雑巾を絞られたように痛む。

奏多は反射的にその場から逃げ出した。


「……っ」


人目のない非常階段に駆け込み、奏多は荒い息をつきながら自分の胸を押さえた。

おかしい。リオくんが他の子と話しているなんて、仕事柄当たり前のことだ。自分だって、彼を突き放したはずなのに。

それなのに、喉の奥が熱くて、視界が滲む。
あのスーツ姿の彼を、誰にも見せたくないと思ってしまった。

あの熱い眼差しが、自分以外に向けられるのが耐えられない。


「……僕、何してるんだろ」


階段に座り込み、奏多は膝に顔を埋めた。
愛を返せる自信がないなんて、嘘だった。
自信がないのは、彼を失うのが怖かったからだ。
自分の中にある、ドロドロとした独占欲。
それが「嫉妬」という名前の感情だと、奏多はようやく認めざるを得なかった。

非常階段でしばらく心を落ち着かせた奏多だったが、楽屋に戻るとちょうど収録を終えたリオが、先ほどのスーツ姿のまま談笑していた。


「あ、奏多さん! 見ててくれました? 僕、今日は奏多さんにいいところ見せようと思って――」


駆け寄ってくるリオの眩しい笑顔。
普段ならその熱量に圧倒されるだけなのに、今の奏多の脳裏には、さっきの女子アイドルたちの楽しげな声がリフレインしていた。


「……見てたよ。お疲れ様。……人気者は大変だね」

「え?」

奏多はリオと目を合わせようともせず、冷たく言い放つと、自分の荷物をまとめ始めた。


「奏多さん……? あの、僕、何か悪いことしましたか?」

「別に。……ただ、リオくんは誰にでもあんなに距離が近いんだなって思っただけ。女子アイドルの子たちとも、すごく楽しそうに約束してたし。僕が心配することじゃなかったね」


言葉が、トゲを含んでこぼれ落ちる。

自分でも驚くほど可愛くない言い方だ。

奏多は、リオが困惑して立ち尽くすのを感じながら、足早に楽屋を出ようとした。


「……奏多さん、待ってください」


ガシッ、と腕を掴まれる。

振り返ると、そこには「ワンコ」の顔を消したリオが立っていた。昨夜、奏多を追い詰めた時のような、あるいはステージの上で見せたような、鋭い大人の男の顔だ。


「……今、嫉妬してくれました?」

「なっ……! してない! 離してよ」

「嘘だ。奏多さん、顔が怒ってるっていうより、泣きそうです。……さっきの見られてたんですね。あれ、僕が誘われただけで、断ったんですよ? 奏多さん以外の誰かとご飯なんて、行くわけないじゃないですか」


リオが掴んだ腕を引き寄せ、奏多を壁際へと追い込む。
スーツの生地が擦れる音と、リオが纏う少し強い香水の匂い。


「……嫉妬するくらい僕のこと好きなら、もう『自信がない』なんて言わせませんよ?」

「っ……、リオくん、離して……誰か来る……」


奏多が必死に抵抗するが、リオは逃がさない。
その時、絶妙なタイミングで楽屋のドアが開いた。


「二人とも収録お疲れ様。帰りに美味しいケーキでも買って――」


入ってきたのは、満面の笑みを浮かべた颯真だった。
壁際に追い詰められた奏多と、今にもキスをしそうな距離のリオ。その光景を見た瞬間、颯真は一秒だけフリーズし、次の瞬間――。


「……。(……ごめん、ファイト)」


音を立てずにドアを閉め、外側からノブをがっちり押さえてガードを固める気配が伝わってきた。


「ちょっと! 颯真!! 助けてってば!!」

「無駄ですよ、奏多さん。……さあ、続き、聞かせてください」


頼みの綱の颯真にも見捨てられ、奏多は至近距離で見つめてくるリオの瞳から、もう逃げ出すことができなかった。


「本当に嫌だったら、今、突き飛ばしてください」


リオの声は掠れていた。自分でも賭けだと分かっているような、震える響き。

奏多の背中に冷たい壁の感触が伝わる。逃げる隙間はいくらでもあった。けれど、リオの熱い視線と、彼が放つ強烈な引力に、奏多の身体は金縛りにあったように動かなかった。


じり、と距離が詰まる。


リオの顔がすぐ目の前まで迫り、長い睫毛が触れそうな距離で止まる。


(……あ、拒絶できない……)


そう悟った瞬間、奏多はそっと目を閉じた。
触れるだけの、けれど深い熱を孕んだ唇の感触。

それは一瞬のようでもあり、永遠のようでもあった。

……やがて唇が離れる。

リオは、本気で突き飛ばされるか、あるいは酷く拒絶される覚悟をしていたのだろう。数秒間、放心したように奏多を見つめた後、状況を理解した途端にその顔が耳まで真っ赤に染まった。


「っ、え……あ、今の、……え…」


あれほど強気だった肉食獣はどこへやら、リオは自分の口元を片手で覆い、まるで自分が不意打ちを食らったかのようにガタガタと震えながら固まっている。

奏多は、心臓の音がうるさすぎて耳が痛いほどだった。けれど、ここで逃げてはいけないと、必死に勇気を振り絞ってリオのスーツの裾を掴む。


「……リオくん」

「は、はいっ!」

「……さっき言ったこと、まだ自信はないよ。……リオくんが向けてくれるのと同じだけの、大きくて強い愛を返せるかは、分からない。……でも」


奏多は潤んだ瞳でリオを真っ直ぐに見上げた。


「……僕も、ちゃんと好きだよ。リオくんのこと」


その言葉が、リオの胸を撃ち抜いた。

「好き」と言われた。あの伝説のエースが、自分がずっと追いかけ続けた憧れの人が、自分の真っ直ぐな想いに応えてくれた。


「……かなた、さん……」


リオは耐えきれず、今度は優しく、宝物を壊さないような力加減で奏多を抱きしめた。その肩が微かに震えている。


「……もう、絶対に離しませんから。自信なんて、僕が一生かけて作ってあげます。……大好きです、奏多さん」




※※※※※※


その様子を、ドアの外で必死にガードしていた颯真は、扉越しに聞こえてきた「幸せな気配」に、静かに涙を流していた。 

「(……奏多……よかった……!)」

伝説のユニット「KSR」に、新しい「愛」という名のページが刻まれた瞬間だった。

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