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第一章
間話 月夜のホットミルク
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リズンバーク、繁華街から少し外れた静かな街の一角に"BAR~月光~"はあった。
BAR~月光~はリズンバークの真っ白で明るいイメージとは逆に、黒と落ち着いた青を基調としたシックな内装を特徴としたお店だ。
そしてこのバーには疲れた大人や、静かになりたい大人、落ち着きたい大人、そして……日ごろのストレスをお酒で紛らわしたい大人が訪れるという。
「──はぁ」
静かな店内に色々な感情が詰まった深いため息が聞こえてきた。
カウンターのはじにひとりで座る、ほんの少しだけ着崩したスーツとメガネが印象的な30前後の女性のものだろう。
「……どうかされましたか?」
女性の聞いて欲しそうな目線を受けて、老齢の渋みがあるマスターが口を開く。
「田舎の親がそろそろ結婚とか恋人とか、せめて気になる人はいないのかって実家に帰るたびにしつこく聞いてくんの……」
女性は酔いが回っているのか、話しながらも少しうつろな目で、手もとにある空になったカップを見つめている。
「私だってそろそろ……って思ってるけどさ、最近は仕事が国のゴタゴタでいそがしくなってて出会いを探すヒマも無いのよ。
それに、自分で言うのもなんだけど、私ってキツく見えるじゃない?
だから、周りの人から怖がられちゃってさ…………唯一なついてくれた新人くんはすでに恋人いるって話だったし」
「……最期を迎える前に孫の姿を見たいという方もいるかもしれませんが、親心……なんですよね。寂しそうな子どもの表情を見てられなくて、心配で、どこか落ち着かない。本人以上に焦ってしまう。だからついつい口に出してしまうんです。
ただ……お客様の気持ちも分かります、僕も晩婚でしたから」
マスターは昔をなつかしみながら、布巾で洗ったカップを拭きあげていく。
「…………私だって、私だって幸せな報告したいよ」
女性は涙ぐむ顔を隠すように顔を腕にうずめる。
「──お客様」
「……ん?」
いくらか時間が経った頃。疲れか酔いか、はたまた肩に乗った重責を忘れるためか、手放していた意識をマスターの呼び声を聞いてふたたび手繰りよせる。
「あれ、まだ閉店じゃない……」
閉店だと思ってあわてて顔をあげ、涙に濡れたメガネをサッと拭きながら店内を見回したものの、まだお客さんはいくらか残っているし時間はまだ真夜中を指していない。
「……あちらの方からです」
カウンターの反対側に座っている、黒く長い詰め襟の服を着た10代後半の少年がこちらに気がつくと、自分が送ったものだと頷いて肯定の意思を示した。
「この店って、こういうの受け付けてたっけ?」
女性は10も歳の離れた男性からのアプローチに、複雑な気持ちはありつつも嬉しい気持ちを感じて目の前のマグカップを手に持った。
「……これって、ただのホットミルク?」
相手は成人していないので当たり前と言えば当たり前だが、穴の空いた心をお酒で満たしていたがゆえに、小さい頃に母親が用意してくれたホットミルクを思い出したがゆえに、胸が少しズキっとしてしまったのだ。
「今僕が用意したホットミルクですが、飲みたくなければ断っても構いませんよ。彼もそれは承知しています。ですが、涙を流す貴女を気遣う方がいる事は覚えておいてあげてください」
マスターが優しい目で語る。
「そう、なんだ……。飲もうかな?」
どうやら反対側の彼は、自分が泣き疲れて眠ったのに気付いてくれたようだ。
女性は少し悩んだがお礼を言いたかったのと、どんな人が自分に優しさをくれたのか知りたくて、ホットミルクを手に持って彼の隣まで移動する。
「…………ここのホットミルク、砂糖とか品種とか色々こだわってるみたいで美味いんだぜ」
そういう少年が飲むのも、もちろんホットミルクだった。
「私あんまり甘いもの飲まないんだけど、ありがとう…………少年、なんて。えへへ……」
彼は女性のことをジロジロ見ず、痛いところもつかず、ただチラッと微笑んで優しさだけくれた。そのことに心が動きそうになってしまい、女性はあわててごまかし笑いをする。
「あんたの笑顔、悪くねえな」
少年はフッと笑いカップに口をつける。
「そう、かな……」
褒められて嬉しさはあったが、『最後に心の底から笑ったのっていつだろうか』という虚無感があふれてきてしまい素直に喜べずにいた。
だがそんな女性の心情を知ってか知らずか、彼はじっと顔を見つめたあとこんなことをつぶやいた。
「悪くねえ……が、最高じゃない」
「なにそれ……! 私の何が悪いって──」
女性は責められたと思い、酔いのせいもあって声を荒らげそうになる。しかし、彼は静かに人差し指を立てて制止。
「あんたの笑顔にかかった雲」
「え?」
「晴らせたら最高なんだろうな」
「は……? ふふふっ」
そんな予想外の甘い言葉に女性が思わず吹いてしまった。
「おっと、こんなにいい笑顔がすぐに見られるなんてな」
「そんな甘い言葉、現実で初めて聞いたよ! 若いって良いね……でも、私には似合わないよ」
しかし、すぐに笑顔は曇り空。
嫌いとなったら嘘になる。でも、夢のような物語を信じられるほど人生に期待はできなかった。現実にアッと驚かされるような出来事なんて起きやしないと、自分を言い聞かせてきたのだから。
「似合うかどうかは俺が決める」
少年は少し不機嫌な顔を見せるが、ふーっと息を吐いて気持ちを切り替えて言葉を続けた。
「俺のハーレムに入らないか?」
「…………あっ、えっ?」
耳を疑ったが、少し離れた位置にいるマスターも驚きで目を見開いていることから、聞き間違いでないことを確信する。
「俺の未来にあんたの笑顔が欲しくなっちまったんだ」
「いや、でもハーレムって…………。色んな人にこんな事言ってるの? 大人をからかっちゃダメだよ、少年」
誰でもよかったのだろうか、傷心の自分なら付け入りやすいとおもったのだろうか。期待してしまった分、切ない気持ちにはなったが、酔いはさめて冷静になることはできた。
「からかっちゃいねえよ、俺は本気だ」
一応、嘘を言っている様子ではないようだ。
「……もし、もしだけど、私がそのハーレムに入ったとして、いっぱいいる子の内のひとりでしかないし、歳も10くらい離れてるし、いてもいなくても同じでしょ。
それに、いっぱい恋人が居たとして、キミはみんな同じくらい大切にできるの? 正直、難しいんじゃないかな……」
からかってるんじゃないならと、せめて大人として誠実に対応しようとつとめる。
「たしかに難しいかもな。いつ壊れるかも分からない関係……時に涙を流すかもしれねえ。実際、俺の友人はハーレムを作ろうとして失敗していたからな。
だが、その分人生を賭けるだけのキラメキってのがあるんじゃないかと思ったんだ」
少年はホットミルクを飲み干して、両手で丁寧に女性の手を取る。
「本音を言えばこの先どうなるか分からん。だからこそ、あんたみたいな大人の女性が必要なんだ。
俺なりのハーレムを見つけるために、キラメキという幸せのために、あんたとあんたの笑顔が欲しい……!!」
「………………っ!」
何も言えなかった。ただ、圧倒されて驚いて顔が熱くなって、彼の心の方程式がどうなってるのか気になった。
「じゃあ、考えといてくれ……」
そうこう考えている内に彼の手はすり抜け、なんて言葉をかけて良いか分からぬまま、その大きな後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「あ…………」
女性は表情を変えないよう努めつつも『名前を聞きそびれちゃった』という言葉が心で反芻し、どこか切ない気持ちがあふれてくる。
女性は少し冷めたカップを手に取り、そんな気持ちを紛らわせるように一気に飲み干してしまう。
「甘い。…………でも、ポカポカする」
BAR~月光~はリズンバークの真っ白で明るいイメージとは逆に、黒と落ち着いた青を基調としたシックな内装を特徴としたお店だ。
そしてこのバーには疲れた大人や、静かになりたい大人、落ち着きたい大人、そして……日ごろのストレスをお酒で紛らわしたい大人が訪れるという。
「──はぁ」
静かな店内に色々な感情が詰まった深いため息が聞こえてきた。
カウンターのはじにひとりで座る、ほんの少しだけ着崩したスーツとメガネが印象的な30前後の女性のものだろう。
「……どうかされましたか?」
女性の聞いて欲しそうな目線を受けて、老齢の渋みがあるマスターが口を開く。
「田舎の親がそろそろ結婚とか恋人とか、せめて気になる人はいないのかって実家に帰るたびにしつこく聞いてくんの……」
女性は酔いが回っているのか、話しながらも少しうつろな目で、手もとにある空になったカップを見つめている。
「私だってそろそろ……って思ってるけどさ、最近は仕事が国のゴタゴタでいそがしくなってて出会いを探すヒマも無いのよ。
それに、自分で言うのもなんだけど、私ってキツく見えるじゃない?
だから、周りの人から怖がられちゃってさ…………唯一なついてくれた新人くんはすでに恋人いるって話だったし」
「……最期を迎える前に孫の姿を見たいという方もいるかもしれませんが、親心……なんですよね。寂しそうな子どもの表情を見てられなくて、心配で、どこか落ち着かない。本人以上に焦ってしまう。だからついつい口に出してしまうんです。
ただ……お客様の気持ちも分かります、僕も晩婚でしたから」
マスターは昔をなつかしみながら、布巾で洗ったカップを拭きあげていく。
「…………私だって、私だって幸せな報告したいよ」
女性は涙ぐむ顔を隠すように顔を腕にうずめる。
「──お客様」
「……ん?」
いくらか時間が経った頃。疲れか酔いか、はたまた肩に乗った重責を忘れるためか、手放していた意識をマスターの呼び声を聞いてふたたび手繰りよせる。
「あれ、まだ閉店じゃない……」
閉店だと思ってあわてて顔をあげ、涙に濡れたメガネをサッと拭きながら店内を見回したものの、まだお客さんはいくらか残っているし時間はまだ真夜中を指していない。
「……あちらの方からです」
カウンターの反対側に座っている、黒く長い詰め襟の服を着た10代後半の少年がこちらに気がつくと、自分が送ったものだと頷いて肯定の意思を示した。
「この店って、こういうの受け付けてたっけ?」
女性は10も歳の離れた男性からのアプローチに、複雑な気持ちはありつつも嬉しい気持ちを感じて目の前のマグカップを手に持った。
「……これって、ただのホットミルク?」
相手は成人していないので当たり前と言えば当たり前だが、穴の空いた心をお酒で満たしていたがゆえに、小さい頃に母親が用意してくれたホットミルクを思い出したがゆえに、胸が少しズキっとしてしまったのだ。
「今僕が用意したホットミルクですが、飲みたくなければ断っても構いませんよ。彼もそれは承知しています。ですが、涙を流す貴女を気遣う方がいる事は覚えておいてあげてください」
マスターが優しい目で語る。
「そう、なんだ……。飲もうかな?」
どうやら反対側の彼は、自分が泣き疲れて眠ったのに気付いてくれたようだ。
女性は少し悩んだがお礼を言いたかったのと、どんな人が自分に優しさをくれたのか知りたくて、ホットミルクを手に持って彼の隣まで移動する。
「…………ここのホットミルク、砂糖とか品種とか色々こだわってるみたいで美味いんだぜ」
そういう少年が飲むのも、もちろんホットミルクだった。
「私あんまり甘いもの飲まないんだけど、ありがとう…………少年、なんて。えへへ……」
彼は女性のことをジロジロ見ず、痛いところもつかず、ただチラッと微笑んで優しさだけくれた。そのことに心が動きそうになってしまい、女性はあわててごまかし笑いをする。
「あんたの笑顔、悪くねえな」
少年はフッと笑いカップに口をつける。
「そう、かな……」
褒められて嬉しさはあったが、『最後に心の底から笑ったのっていつだろうか』という虚無感があふれてきてしまい素直に喜べずにいた。
だがそんな女性の心情を知ってか知らずか、彼はじっと顔を見つめたあとこんなことをつぶやいた。
「悪くねえ……が、最高じゃない」
「なにそれ……! 私の何が悪いって──」
女性は責められたと思い、酔いのせいもあって声を荒らげそうになる。しかし、彼は静かに人差し指を立てて制止。
「あんたの笑顔にかかった雲」
「え?」
「晴らせたら最高なんだろうな」
「は……? ふふふっ」
そんな予想外の甘い言葉に女性が思わず吹いてしまった。
「おっと、こんなにいい笑顔がすぐに見られるなんてな」
「そんな甘い言葉、現実で初めて聞いたよ! 若いって良いね……でも、私には似合わないよ」
しかし、すぐに笑顔は曇り空。
嫌いとなったら嘘になる。でも、夢のような物語を信じられるほど人生に期待はできなかった。現実にアッと驚かされるような出来事なんて起きやしないと、自分を言い聞かせてきたのだから。
「似合うかどうかは俺が決める」
少年は少し不機嫌な顔を見せるが、ふーっと息を吐いて気持ちを切り替えて言葉を続けた。
「俺のハーレムに入らないか?」
「…………あっ、えっ?」
耳を疑ったが、少し離れた位置にいるマスターも驚きで目を見開いていることから、聞き間違いでないことを確信する。
「俺の未来にあんたの笑顔が欲しくなっちまったんだ」
「いや、でもハーレムって…………。色んな人にこんな事言ってるの? 大人をからかっちゃダメだよ、少年」
誰でもよかったのだろうか、傷心の自分なら付け入りやすいとおもったのだろうか。期待してしまった分、切ない気持ちにはなったが、酔いはさめて冷静になることはできた。
「からかっちゃいねえよ、俺は本気だ」
一応、嘘を言っている様子ではないようだ。
「……もし、もしだけど、私がそのハーレムに入ったとして、いっぱいいる子の内のひとりでしかないし、歳も10くらい離れてるし、いてもいなくても同じでしょ。
それに、いっぱい恋人が居たとして、キミはみんな同じくらい大切にできるの? 正直、難しいんじゃないかな……」
からかってるんじゃないならと、せめて大人として誠実に対応しようとつとめる。
「たしかに難しいかもな。いつ壊れるかも分からない関係……時に涙を流すかもしれねえ。実際、俺の友人はハーレムを作ろうとして失敗していたからな。
だが、その分人生を賭けるだけのキラメキってのがあるんじゃないかと思ったんだ」
少年はホットミルクを飲み干して、両手で丁寧に女性の手を取る。
「本音を言えばこの先どうなるか分からん。だからこそ、あんたみたいな大人の女性が必要なんだ。
俺なりのハーレムを見つけるために、キラメキという幸せのために、あんたとあんたの笑顔が欲しい……!!」
「………………っ!」
何も言えなかった。ただ、圧倒されて驚いて顔が熱くなって、彼の心の方程式がどうなってるのか気になった。
「じゃあ、考えといてくれ……」
そうこう考えている内に彼の手はすり抜け、なんて言葉をかけて良いか分からぬまま、その大きな後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「あ…………」
女性は表情を変えないよう努めつつも『名前を聞きそびれちゃった』という言葉が心で反芻し、どこか切ない気持ちがあふれてくる。
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