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第三章 江戸騒乱編

第50話 見えない斬撃

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 慌てる事も無く、引き裂かれた自分の胸元を見つめるジン。

 かわしたと思われた斎藤の『左片手一本突き』が、ジンの胸部を斬り裂いていた。ジンの胸元からはおびただしい量の出血が見て取れる。しかし、ジンは一向に動揺せずに淡々と傷口に手を当てて、自分の傷の具合を確かめている。そして、顔色一つ変えずに冷静に呟いた。

「躱したと思ったんですけどね……」

 その様子を伺っていた斎藤はニヤリと笑い、再び腰を落として『左片手一本突き』の構えを見せた。その斎藤が不敵に告げる。

「魔神ってのも大した事ねえな──」

 そう言って再び、爆発的な勢いでジンに突っ込む。『左片手一本突き』だ。

 ──やはり速い!

 しかしジンは、やはり慌てる事も無く、今度は先程より距離を取って大きく左に躱す。ジンの前を斎藤の残像が横切った。一瞬で距離を取ったジンと一撃を放ち終えた斎藤が、再び離れた位置で対峙する。

「っ!」

 ジンの背中が刀で斬られた様に斜めに引き裂かれた。

 背中を斬られて少しよろめいたジンが、流石に意外そうな顔をしてチラリと後ろに目を向けた。しかし、斎藤は先程から微動だにしていない。相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、ジンを鋭い目つきで見つめている。

 どういう事だ……?

 確かにジンは躱した筈……しかし、斬られた。しかも後ろから。
 俺が理解に苦しんでいると、傍にいた半蔵が口を開いた。

異能スキル……でござる」

 異能スキル……。

 確かにそうとでも考えなければ説明がつかない。何か、特別な力が働いたとしか……躱した筈の斬撃に斬られる。果たして、そんな事が可能なんだろうか……

「そんな異能スキルがあるのか?」

 半蔵が知っているとも思えないが、素直な疑問が思わず俺の口をついた。

「分かりませぬ……拙者もてっきり斎藤の異能はあの突き技その物【左片手一本突き】だとばかり……」

 確かにそうだ。そもそも、あの『左片手一本突き』自体が常軌を逸している技なんだ。あんな動き、異能スキル無しで普通の人間に出来る訳が無い。そう考えれば半蔵の言う通り、考える方が自然だろう。ならば、この不思議な現象も異能スキルのうちに含まれているんだろうか……『左片手一本突き』は、という事か?

 俺がそんな考えを巡らせている間も、ジン達の戦いは続いていた。

 全身至る所を斬り刻まれたジンと、その前を何度も飛び交う斎藤の残像。相変わらず戦況は思わしくない様だ。ジンは斎藤のに、今も斬り傷を増やし続けている。しかし、ジンは自身の体が切り刻まれているにも関わらず、冷静に何かを考える様に斎藤の動きを観察している。

「ふむ……」

 連続して襲う斬撃が少し収まったのを見計らって、ジンは手を顎に当てて呟いた。

「どうした、魔神っ! もう終わりか? だったらそろそろ止めを刺してやる──」

 動きを止めて考え込むジンを見て、斎藤は諦めたと思ったのかも知れない。今までより大きな剣気を込めて、斎藤はゆっくり腰を落として構えた。本気で止めを刺しに掛かるつもりだ。斎藤の顔から薄ら笑いが消え、真剣な表情かおでジンを睨みつける。そして斎藤は、今までで一番低い構えから驚異的な速度スピードでジンに向かって飛び出した。

 ──これはやばい!

 斎藤の本気殺る気がここまで伝わって来る。この一撃はおそらく、今までとは段違いの威力だ。思わずジンの方に目をやると、相変わらず顎に手を当てたまま、構えもせずに考え込んでいる。傍で戦況を見守っていたコンが思わず声を上げた。

「ちょっとあんた、いい加減に──」

 しかしジンは、全く意に介する事無くあっさりと斎藤の攻撃一撃目を躱す。ジンも今までより速度を上げたみたいだ。余りの速度に考え込むジンの残像だけがその場に残り、少し離れた位置に同じ姿ポーズのジンが現れた。まるで瞬間移動の様な動きだ……俺も加速してない奴普通の人間から見れば、こんな動きに見えるのかも知れない。

 だが、問題はここからだ。

 今までのジンも初撃は全て躱している。この後が問題なんだ。俺がそう思いながら見ていると、ジンは更にその場で屈みこんだ。その直後、ジンの後ろの壁が何かに突かれた様に貫かれた。丁度ジンの首位の高さだ……躱さなければ、おそらくジンの首は吹き飛ばされていただろう。

「やはり思った通りみたいですね」

「テメエっ……!」

 何かに納得した様な清々しい表情かおのジンと、反対に怒の表情を浮かべる斎藤。どうやらジンは何かを掴んだみたいだ。

 斎藤は怒りに身を任せ、更に攻撃を繰り返す。全ての一撃が殺気を込められた、本気の突き『左片手一本突き』だ。しかしジンには当たらない。先程までの苦戦が嘘の様に、全ての攻撃を平然とした表情で躱していく。すると、ジンの周りの壁や床が次々に破壊されていった。そこで俺は、ようやく違和感の様な物に気が付いた。

「斬撃……真空刃か!」

 俺の【死神の刃デス・ブレード】と同じ原理だ。斎藤は『左片手一本突き』を放つと同時に、真空の刃の様なを放っていたんだ。しかし、それだけではまだ説明がつかない。ジンは後ろからも斬られていた。斎藤がいた位置とは正反対の方向からの斬撃もあった。あれは一体……

『──目です』

 完全に答えが出せないでいた俺に、何かに気付いた雪が話しかけて来た。

(目?)

 思わず俺は聞き返した。

『はい。目に能力ちからを込めて見てみて下さい。真人さんになら出来る筈です』

 そう言って雪は、見れば分かると言わんばかりに完結に説明した。

 目に能力ちからを込める……。

 どういう事だ? 

 よく分からないが、とりあえず俺は目をこらして斎藤の動きを追い続けた。すると、おぼろげに斎藤の刀から何かが見え始め、やがてはっきりと見て取れるまでに認識できる様になった。【過重力世界エクセス・グラビティ】で身体を強化する時と同じ要領だ。それは意識を目に集中するだけで簡単に出来る様になった。見えなかった斬撃真空の刃が、今でははっきり見える。すると、ようやく全ての謎が明らかになった。

「斬撃が……反射……?」

 俺は思わず呟いた。

 そう。斎藤から放たれた見えない斬撃が、壁や床の至る所で、あり得ない角度に反射していた。そしてその斬撃が、自らジンに襲い掛かる様に、道場内を所狭しと乱反射している。これが、あり得ない方向からジンを襲っていた斬撃の正体か……!

 見える事が分かってしまえば、俺やジンにとってはどうと言う事は無い能力ちからだ。確かに四方八方から襲ってくる斬撃は厄介だが、見えてしまえば躱す事は容易い。現にジンの奴も、既に斎藤の動きを完全に見切っている。先程から斎藤の攻撃はジンにかすりもしていない。

「ハァ……ハァ……この野郎、ちょこまかと……」

 肩で息をする様になった斎藤の表情かおには、既に余裕の笑みは消えている。反対に、興味を失った様な表情かおのジンはフゥっと溜息をつきながら答えた。

「まあ、人間にしてはよくやった方でしょう。最初の一撃目には少し驚かされましたよ?」

 そう言ってジンは、初撃で引き裂かれた執事服の胸元を摘まんで見せた。

「なっ!」

 斎藤が驚くのも無理はない。なにしろ自分が必死になって負わせた傷が、よく見たら全て完全に塞がっているのだから。引き裂かれているのはズタズタになった衣服だけで、ジンは実質、無傷ノーダメージだった。愕然として膝を折り、崩れ落ちる斎藤。どうやら、完全に戦意を喪失したみたいだ。

「どうやら身の程を弁えた様ですね。ただの人間風情が真人様に楯突こうと言うのが、そもそも間違いなのです」

 淡々と冷たく言い放つジン。

 斎藤はひざまずきながらも気力を振り絞り、ジンを睨みつけながら問いかけた。

「ぐっ……魔神、最後に教えろ。何故、俺の異能スキルが分かった?」

 確かに俺も知りたい。ジンは俺や雪よりもずっと早くから、この可能性に辿り着いていたみたいだからな。するとジンは、何だそんな事かとでも言いたげな顔で話し出した。

「簡単な事です。私は貴方の初撃は完全に見えていました……なのに斬られた。。そんな事が出来るのは、真人様を置いて他にはあり得ません。ですから私は、貴方が真人様の技を模倣していると考えたのです。後はこの人間の目が斬撃に慣れるのを待つだけでした」

 要するに、俺への盲目的な忠誠が見えない斬撃真空の刃に気付く切っ掛けだった訳か……全く、見上げた忠臣だな、この悪魔は。しかも、この目人間型の目が慣れるまでって……確かにジンは人間型の姿を崩してない。最後まで悪魔の能力は使わなかったという事は、一度も本気を出していないという事だ。さすが、魔神と言われるだけの事はあるという訳か。

「フッ……そんな馬鹿げた理由で見切られるとはな……俺の負けだ。さっさと殺せ」

 そう言って吹っ切れた様に笑みを浮かべる斎藤。

「残念ながら貴方を殺す事は、我が主の命により禁じられているのです。ですから殺しはしません。ですが、貴方の真人様に対する無礼な振る舞いの数々……黙って見過ごす訳にも行きません」

 淡々と説明していたジンは、話し終えるとそのままフッと姿を消した。そして、ほぼ同時に膝を着いている斎藤の前に現れる。そして……

「ぐはあっ!!」

 ジンに鳩尾みぞおちを蹴り上げられた斎藤はそのまま気を失った。

「これで見逃してやろうと言うのです。感謝しなさい」

 ジンは冷たい目で斎藤を見下ろしながら呟くと、そのまま踵を返して俺の傍へ歩いて来た。そして俺の前に跪き、静かに口を開く。



「──お見苦しい戦いをお見せしました。終わり片付けました」

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