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タイムトラベルの悪夢 編

人妻の苦労と独り身の煩悩

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「でどう思う?」
[どう思うと聞かれてもなぁ…]

  会議が終わって二時間。自室代わり部屋に着くと、すぐにダブルサイズのふかふかなベッドに横たえて通話をしていた。
  通話の相手はノーズマンと呼ばれたヘルズキッチンの何でも屋だ。元々バイオコープの傭兵だったが足を洗って、今はアメリカに住んでいる。
スピーカーの向こうからため息が聞こえてきたのが腹立たしい。

「なに?そんなに私みたいな美人妻と通話するのが背徳的?」
[君から電話が来ることが悩ましいと思うのは、相談内容が理解できないからだ。]
「相談というよりは、愚痴だから頷くだけでいいのよ。」

  モノから言われた作戦もその内容も覚えてはいる。だが理解しているとは言い難い。魂だのなんだのと、知られざるファンタジー設定を聞かされても、すぐに分かる事なんてできない。
その上"タイムスリップ"という前人未到の救出作戦なのだから、愚痴くらい漏らしたいものだ。だから丁度良い距離感のノーズマンに白羽の矢を立てた。

ああ言えばこう言う性格の私を知っているノーズマンは少しの間を置いて、話を切り替えた。

[………なぁ、まだあの喋れるゴリラキングのこと、許せないのか?]
「ならあなたなら許せた?」
[許しはしないけどさ…]
「でしょー!」
[でも、ダイスケを助ける為なら、分かってやらないと。]
「…」

そんなことは百も承知だ。

「…生意気。」
[それはよかった。俺の最大のチャームポイントでね。]
「それでそっちはどうなの?忙しい?」
[まぁまぁかな。そういえば………ああ聞きたい事があったんだよ。]
「なに?夫とは月に4回は夜のベットで…」
[夫婦円満の秘訣を聞きたいんじゃない。最近うちとそっちの貿易が減ってるようなんだけど、噂があってさ。戦争するってあれはどうなんだ…]

  この島はバイオコープによる隠蔽工作で、その所在と何がいるのか、どんなものがあるのかが世間に出回ることはなかった。阿久津光太郎亡き後、バイオコープは吸収合併され、内部告発者によって世間に実態を知られてしまった。

国内外に顧客を持っていたバイオコープの主力商品は、ダーティーワークをこなす"サイボーグ兵士"の密輸だった。
  無人島ユートピアで研究し、バイオコープが生産し、国々が黙って買い付ける。それはつまり、秘密裏な戦争準備ということだ。今世までつづく核の傘と呼ばれる相互不干渉の姿勢は、この戦力増強という幻想が呼び起こす疑心暗鬼に揺らされている。

「半分正解ね。バイオコープが手広く商売をしていたおかげで、警戒体勢を強めた国は多い。兵糧攻めを始めている国もあると聞くし、多分そっちでしょうね。」
[そうか。やっぱり近いうちに…]
「そんなことにならないように、日本には"情報機関"っていう情報機関があるのよ。」
[名前変えろよいい加減。]

  日本に根強く残った忍びの家系。今はスパイと名前を変えて、情報機関として活動している。それが私達だ。

[とりあえず寝なさい。明日からだろ。]
「本当はね…眠れないのよ。」
[………それが普通だよな。タイムスリップなんてワケわからない事をするんだから。]
「……」
[いいさ。今日くらい。寝付くまで話を聞いてやる。]

ノーズマンはその言葉通り、私が寝るまで話を聞いてくれた。

















  朝になると事態は変わった。ウンデカは目立ちすぎると言うことで、私一人でタイムスリップすることになった。

  傷が沢山ついた金属のドアを前にして、ブレスレットを腕にはめた。平たい銀色のそれは、機械の筈なのに起動している素振りはまったくない。
  耳にはめたワイヤレスイヤホンを叩いて回線を繋げた。

「ねぇモノ。これちゃんと動いているの?」
[勿論だ。モニターには君のバイタルと時刻をこちらに送りつづけている。見た目に反映されないのは現地人に無用の警戒を与えない配慮だ。]
「ふーん。」

腕を回してブレスレットを見やると、確かに作りが安っぽそうで安物のアクセサリーって感じだ。これが私の安全と帰ってくる為の鍵という事だと想像できない。

[消して無くすなよ。君の現在と未来を紐付ける大切な装置だ。脱出機能もあるが、基本的には私達の判断で此方へと引き戻す。]
「脱出機能ってどこにあるの?」
[君のバイタルが危険域に達すると赤いボタンが現れる。押せばこちらに戻れる。]
「了解。でもこの服装って…」

過去なら情報を集める事も容易だ。だが三千年後の服装なんて私達には予想ができなかったため、今は下着にマントを羽織っている。

[仕方ないだろう。現在の服を着るより、それの方が言い訳を作りやすいんだから。]
「そうだけどさぁ…」

  四十近い年齢にもなってまさか下着とマントという、痴女みたいな服装をするとは…人生わからないものだ。

  ある意味でのセカンドバージンを失って、少し落ち込んでいたら、扉の上には"次元研究室"と書かれていた。

[その部屋は次元観測機のオーバーヒートによって次元の壁が安定していない。ある程度の場所と時間を操作はできるが、多少の誤差は許してほしい。]
「わかった。始めて。」
[では扉を開く。ロケーション/ユートピア、時刻は5020年7/22。擬体を掘り起こし、起動させれば思念体として漂う佐藤大輔を確保しそのまま脱出とする。サルベージ作戦を開始する。]

  モノの言葉が終わると、重々しい扉がゆっくりと開いていく。中に見える暗黒が風を吸い込んでいて、髪が扉の向こうへと浮かんでいた。

[向こうへ歩くんだ。]
「これって大丈夫なの?!めっちゃ怖いんだけど」
[中にあるのはブラックホールだが、恐れることはない。身体的な問題はないと実証済みだ。]
「ブラッ……ええい!ままよ!」

  おぞましくも、どよめき渦巻く暗闇はまるで全てを飲み込むように動いている。扉が開くにつれて吸い込みが激しくなっていき、なんだか体も引き込まれるようだ。
  なんだか怖くなって足がすくんだ。だかま大輔の顔が頭にちらつくと、不思議と勇気と力が沸いてでる。私は意を決して飛び込もうとした。その時だ。私より先に影が通りすぎた。

「なに?!今何か---」

良い終える間もなく、暗闇に体が吸い込まれた。
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