かいしゅうやさんのしごと

佐藤さん

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回収屋ログ

久しぶりってほどでもない。

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「あ…ぁあやっちまったよ…。」

 昨日の仕事を終えた男は身体を起こした。スマートウォッチを見ると、後の祭り。
 額から垂れ落ちる冷や汗は布団に吸い込まれていく。心臓の跳ねは寝起きだからではない。
 何故なら、男には約束があったからだ。

「13時…。」

 男が約束していたのは10時。
 これは死活問題だ。男は眉間を摘んで、涙を流した。

「約束した以上は行かなきゃだけど………こりゃ殺されたな。」

 天井を見ながらため息を吐いた。男は齢35歳。遅刻で殺されかねない経験は幾歳でも経験したくはないものだ、と男は自分の事を他人のように考えていた。







 淀川の「壁」から数キロ南。かつて町工場がひしめき合い、日本の高度経済成長を支えた東大阪の片隅にその場所はある。
 男は検問所で手当を受けた左腕のズキズキとした拍動を無視しながら、一台のボロボロのスーパーカブに跨っていた。

 放置区域から持ち出したジャンクパーツを対価に、闇の運び屋から借り受けた代物だ。

(棚からぼた餅っていうか、業務上の横領というか。叱られるの確定してるから座りが悪い…。)

 目的地は錆びたトタン板に囲まれた看板すらない廃工場。
 男はバイクを止めると、重いシャッターを独特のリズムで叩いた。

 トントン、トン、トトトン。

 かつて彼が後方支援として山岳救助隊を支えていた頃、暗号として使っていたモールス信号の変形だ。

​「……生きてたか、3908。」

 不機嫌そうなダミ声とともに、シャッターがわずかに持ち上がった。
 そして中から現れたのは、油の匂いと安煙草の煙を纏った小柄な老人だった。

「親父さん…。またそんなタバコ吸って…。」
「テメェの心配はテメェでする。てかそんなにも世話焼きだったなんて知らなかったぜ。」

 かつて大手重工業メーカーで特殊車両の設計をしていたという「親父さん」は、コフィンのようなガジェットをメンテナンスできる。
 技術者とユーザー。言わば男との共同経営者だ。

「ていうかてめぇ…」

 目の上の存在であり、俺にとっては良き父のような存在だ。だから次の展開は想像できる。

「あーまってくれ色々と込み入った事情が…。」
「うるせぇええええええ!!社会人なら時間くらい守れ!!!」

 顔を真っ赤に血管を浮かせる親父さんの説教は、1時間程続いた。

 







 オイル臭い作業場の机には、多機能ゴーグル「キャッツアイ」、長期保存型背嚢「コフィン」、それから梅田で大活躍した登山用杖に擬態した多機能ストックである「スカイフック」が寝ている。
 それらを親父さんは眺めながら、最初に手に取ったのは杖だった。

「それでおめぇ、外に出れなくなったのか。」
「往生したよ…寒いったらないね。」
「おい個人事業主。お前は一人親方、いわば社長だろうがい。時間管理くらいしっかりしろよ。」
「俺が社長ねぇ…。」

 回収屋と呼ばれるも、社会的に認められた名前は「登山家」だ。そんなものが社長だとは大袈裟なんじゃないかと男は思った。
 そんな事をぼーっと天井見ながら考えていると、殺気が視覚化されたので男は視線を落とす。そこにはバカでかいスパナを握り、茹でダコのように赤くなる親父さんがいた。

「なんだ?頭のネジが緩んでるなら締め直してやるぞ?ちょうどいいのが手元にある。」
「でかいでかい。割れるよそんなんで殴られたら。」
「たくよぉ…。回収屋の自覚がねぇぜ。」

 文句をいいながらでも親父さんの手さばきは変わらない。

「手荒に使いやがって。先端の電磁誘導チップがイカれてる。」
「それはワニの舌に突っ込んだからだな。」
「コフィンの真空ポンプもガタが来てる。」
「俺の整備不慮だ__あーーーわかってるわかってる!!ここ最近忙しすぎて対応できなかったんだよ!いつもならちゃんとしてるって!」

 親父さんの襲撃を予感して先手を打ち、身振り手振りで表現した。それはあったっていて、親父さんの手には固くてでかいナットが握られていた。

「全く。こいつらの原型はてめぇだろ。テメェの物をぞんざいに扱う登山家は墓まで滑落するぞ。」
「言い方が上手いね。」
「茶化すな本気で言ってんだよ。」

 死への山登りという意味では、回収屋も登山家と同じのようだ。男はそんな事を考えていると、改めて回収屋の事を思い出した。
 それは何故、回収屋が「登山家」として政府に認定されているのか。
 それには理由がある。隔離地域という山に登り、死ぬも利益を得るも登山家の自己責任という体裁を政府が取った為だ。
 パンデミックにより人間は消え、野生に帰った動物が跋扈し、場所によっては治療薬のないウィルスに感染する。現時点で自衛隊や猟友会、警察、医者では対応できない以上、代替の呼び名としてつけられているのだ。
 つまりあの隔離地域も、それに関わる回収屋も、行政から見放されているのだ。

「昨日は何を回収してきた? 核のボタンか?」

 親父さんは手元を忙しく働かせながら、暇そうにしている男に話しかけた。なに変哲のない様子で男は返す。

「ただの写真だよ。」
「へぇー。訳ありって感じだな。」
「…。」

 するどい、と男は感心した。

「なに驚いてる。お前とはこの業界に入る前からの付き合いだぞ。隠してることくらいわかるさ。」
「………おじいさんと孫が写ってる写真だった。」
「いいじゃねぇか。美しき思い出を掬い上げたんだろ。」
「ところがどっこい依頼主は女。話を聞くと、実は訴訟中の浮気相手は家族はいないと言い逃げてたらしくて、動かぬ証拠を取ってきてほしいんだってさ。それがこの写真の真実。」

 親父さんは一瞬だけ動きを止めて、また変わりなく整備を進めた。

「もちろん報酬はもらった。だから俺の仕事には善も悪もない。けれど、血を吐き捨て生き延びて、外にでると考える。俺の仕事にモラルなんて…なんだかやりきれないよ。」

 男にはある一定のモラルがあった。それは日本で育っている以上、育まれるべくもつ勧善懲悪の概念だ。
 平然と生きていれば意識にも登らない天秤は、生と死を往来する男にとって、死への意味を見出そうとするのは仕方のないことである。だからなおさら仕事への意味を見出そうとするのだ。
 モラルというジレンマに挫けそうになっている男に、親父さんは花を添えた。

「お前さんはまだ自覚が足りねぇな。」
「仕事の教示ってやつ?」
「違う。俺が言ってんのは、お前さんという存在の話だ。」

 男は親父さんの言いたいことがわからなかったので、言葉を待ってみる。

「外でなんて呼ばれてるか知ってるか?」
「そんなの気にしたことないよ。」
「送り人。不死の回収屋。あだ名は腐る程あるのはなんでかわかるか?」
「……。」
「求められてるからだ。お前はあの隔離地域っていう地獄に潜り込んで、必ず生きて這い出てくるプロなんだよ。生存率10%を下回るあの地獄でだ。」

 回収屋という仕事の求職率は低い。需要が一定数存在し、稼ぎもそれなりにある上で選ばれないのは生存率に問題があるから。
 地球上ではあり得ない独自の生態系を営む。予測できないというだけで、生存率をこそぎ落としてしまうのだ。

「一週間前、家を訪ねてきた奴はまだ帰ってこねぇ。先月も一昨日もだ。俺みたいに外で働く奴は無力なもんだ。」
「俺だって」
「それは謙遜じゃなくて自虐だぜ。お前は俺達から見れば希望の星だ。地獄から必ず希望を取り返す。そういう存在になってんだよ。お前はな。」
「……。」

 あの隔離地域を行き来出来る存在の貴重さ、それはわかってはいたつもりだ。男はそこで強く念じた。そんな物、自分には関係がない。これは単に仕事なのだと。
 
「まぁ、たかが紙切れ一枚のために俺が心血注いだ道具をボロ雑巾にされるのは癪だがな。」
「申し訳ない…。」
「お前にしか扱えないようなピーキーなしろのものだが、俺なりに愛情はあるんだよ。死ぬなよ【送り人】」

​ 親父さんは毒づきながらも、手際よくスカイフックを分解し始める。取り出した拡大鏡越しに見つめるその目は、精密機械に向き合う職人のそれだった。
 男はその傍らで、親父さんが無言で差し出した冷えた缶コーヒーを啜った。砂糖を三つ入れたはずだが、口の中に残る地下街の錆びた味が甘みを容赦なく塗り潰していた。
 思い出した端から吐き出したくなる気持ちを、男は抑えられなかった。

「親父さん。最近、梅田の様子がおかしいんだ」

 男はコーヒーを飲み込みながら切り出した。

「ワニが出た。それもただのワニじゃない。結構グロテスクな見た目になっててさ。餌付けしてたやつもいたんだけど、それだけじゃ説明がつかないくらい統率が取れていた。」

 親父さんの手がわずかに止まる。

「……『壁』の内側で、新しいゲームが始まってるのかもな。行政が捨てた街を、別の誰かが拾おうとしている。なんてな。」

​ 分解されたスカイフックの内部から、黒く変色したセンサーが取り出される。

「おいお前これ。」
「聞きたくない聞きたくない」
「この損傷はただの衝撃じゃないな。………サージしたのか。」

 男は口を開いて驚いていた。

「電気ショックの使いすぎ?」
「そうは言い切れないが…焦げ跡がなぁ。まぁいいか。とりあえず治すわ。」

​ 旋盤が回る音、火花が散る匂い。親父さんの工房で流れる時間は、壁の内側の狂気とは対照的に、どこまでも規則正しくて静かだった。

「なんにしたって今日は無理だ。明後日まで待ってろ。」
「ええ…そんな時間食うの?」

 男の発言で親父さんの火がついた。その事に気がついた時には、怒りの火山が噴火した後だった。

「お前が使ってんのは最新機器の詰め合わせだ!!コフィンの冷媒だってNASAの知り合いに外注しないといけねぇ__ぁああもういいから、外で飯食ってこいってんだ!!」

 親父さんは男の尻を蹴って追い出した。

「一昨日きやがれ!」
「それを言うなら明後日_____わかったいくいく!」

 親父さんの愛情が爆発するいつもの光景。それだけが、男を「人間」の世界に繋ぎ止めていた。






















​ 指定された境界線近くの寂れたバー『レムナント』へと向かった。
 店内は昼間だというのに薄暗く、カウンターには人生を諦めたような表情の登山家崩れが数人、安酒を煽っている。
 男は彼等に見向きもせず、一番奥のボックス席に向かった。そこにかつての男の「世界」を知る人物が座っている。

「やっぱりアンタか。」
​「……久しぶりだな。『送り人』。」
「それ皮肉ですよ。」

 手を振り、声をかけたのは坊主頭の佐藤だった。
 大学時代に所属していた登山サークルの二学年上の先輩。卒業後は男を後方支援グループに誘い、山のイロハとロジスティクスの重要性を叩き込んだ男だ。
 男は佐藤の向かいに座り、獲物を見つけたみたいにすり寄ってきた店員に酒を頼んだ。

「いや~アプリって便利なんだな。電話せずに呼び出せるなんて。」
「それで要件はなんです?」
「まぁまぁそんなツンケンしなさんな。」

​ 佐藤の顔は、七年前よりもずっと険しく、どこかやつれ果てていた。高級そうなスーツを着ているが、その袖口はわずかに綻び、瞳の奥には焦燥の色が滲んでいる。

​「急に偽名で連絡してきて、何用ですか?アプリで連絡あるまで死んでると思ってましたから。」
「よく気づ_____」

 ハニカミながら答える佐藤に、男は苛立ちを覚えてしまった。溢れ出そうになる罵詈雑言に蓋をしてみるが、身体と口は正直だ。

「あのねぇ!俺の元カノの名前を使う趣味の悪そうな人、アンタくらいしか知らないんだよ!!」

 怒りの表現が嫌いな男だったが、思いがけず机を叩いてしまった。それに驚いた店員は、ちょうど持っていた酒を落とす。
 床にぶつかって破裂するグラスは、耳障りの悪い音で喚く。その音が男の古い記憶を呼び覚ました。


















 2019年、秋。
 パンデミックにより、突如として引き起こされた大阪の隔離。この時期では、政府は未だ大阪の処遇を決めかねていた。
 国家的血管梗塞と呼ばれる現象はすでにはじまっていた。交通、物流、経済の順に機能不全を引き起こしており、余力はなかった。
 よって「救う」というよりも「閉じ込める」という悪手以外、日本は選ぶ事ができなかった。 


 そんな中でも関西人は大阪を諦めなかった。


 希望を拾い集めるため、民間人による私財回収隊を形成したのだ。日本政府も調査という名目でそれを容認、必要なのは登山経験のあるもののみだった。









「はぁ……はぁ………」

 男はまだ若かった。若さ故に、アウトドアグッズで購入した物で、隔離地域のゲートをくぐったのだ。

「クソッ!絶対恨んでやるからな!!」

 目の前の光景は登山とは程遠い物だった。
 ゴーストタウンとかした難波は常に平坦であり、和歌山側から侵入した男は徒歩であった。
 高速道路は寸断され、道路と呼ばれるものは放置された車両によりグリッドロック状態だったからだ。通れない道は避けているため迂回をし、寝ずの16時間歩き、足の裏は限界を超えていた。

「先輩ッ…あのお人好しめ!!!」
「大丈夫ですか?」

 随伴していた自衛隊員は小銃を背中に回し、男に駆け寄って肩を貸そうとした。それは足を気にしていたからだ。

「え、ええ…登山経験はあるので。」

 この時の任務は、佐藤率いる私財回収隊の救難活動だった。
 男は当時、佐藤が設立した山岳救助支援会社で働き、隔離地域に置いての安全なルート策定員として働いていた。登山家としての才能を自覚しながらも、両親の強い反対もあり、彼は「現場」に出ることを禁じられていた故の選択だった。
 だが事態はそれを許さなかった。佐藤隊の遭難により、日本政府の猛抗議の末に救援隊を組織する事になったのだから。

「それでもですよ。訓練でも行軍はしますが、アスファルトみたいな硬い道路を歩くなんて____しかも安物のトレッキングシューズでなんて。いいから休みましょう。」
「いえ!早く行かないと先輩たちを見つけないと!」
「………。」

 男は焦っていた。遭難時間のタイムリミットは3日とされているが、もう遭難してから一週間以上たってしまっているからだ。

「時間無くて急造品を買ったんです。これくらいの痛みは覚悟の上ですよ。行きましょう。」
「そうですね…。」
 
 そうして、自衛官と男は歩き始めた。
 なぜそうまでして、はるばる地上を歩いたのか。それは走行可能な地上ルートが割り出せなかったがゆえにだ。ルート検索を生業としている男は、混雑した情報の中から査定する事は難しいためだった。

 硬いアスファルトを踏みしめ、痛みに歯を立てる。意識が滑落しそうになる。男は自我は虚ろになっていく中で、想いを唱える事にした。





 モニター越しに高度を確認し、仲間に「そこは崩落の危険がある、右へ回れ」と指示を出す日々。彼は自分の役割に満足していた。いや、満足していると思い込もうとしていた。

​ しかし、パンデミックがすべてを変えた。

 サークルのリーダーであり、男の憧れだった登山家の先輩たちが、隔離地域に取り残されたおじいちゃんの遺品である家族写真を忘れて泣きじゃくる少女のために、独断で「サルベージ」を敢行したのだ。
【三九〇八、ルートをくれ。俺たちが必ず、その『思い出』を持ち帰ってやる】
 無線から聞こえた先輩の自信に満ちた声。男は震える手で、最も安全なルートを提示した。
​ だが、その通信が最後だった。
 三日後、無線は砂嵐に変わり、GPSの信号は難波の地下深くで途絶えた。
 周囲の大人たちは口々に諦めろと言い、捜索を打ち切ろうとした。壁で囲った檻の中に投げ込んで、忘れようとしてるみたいに。
 納得がいかなかったのは、男だけだった。







「間違いはなかった。彼らが死ぬはずがない」
「ん?何か言いました?」
「い、いえ!!なんでも…。」

 男は呪文を聞かれて恥ずかしくなった。

「何を恥ずかしそうに……おや?そろそろ目的地ですよ。」

 自衛官は自前のスマホを取り出し、地図を確認していた。
 周囲を見回すと、家電量販店が入り込む摩天楼。それ挟まれている大きな道路の真ん中には、安そうなミニバンが1台だけ不自然に残っていた。男はその光景に確信を得た。

「あれです。最後の通信で聞いていたミニバンは…」

 少し離れたこの場所からでもわかる。運転席に寝転がっている坊主頭。生きててほしい人は居たのに、男の注目はそこにない。
 ミニバンのルーフには塗装スプレーで書き上げられた文字があった。塗料の問題だろうが、止めはねなどなく、まるで血みたいに赤い文字。男はそれを呟いた。  

「聖……域………?」




 









 佐藤が自嘲気味に笑い、グラスに残った琥珀色の液体を飲み干した。

「そんな事もあったなぁ。」

 男は佐藤の対応がまるっきり気に入らなかった。

「あんた昔話みたいに言ってるが、そのせいでどれだけ迷惑したか。」
「回収屋のオリジンだぞ?。初めて生還者を隔離地域から回収したんだからな。」

 酔っているのかと思う程に口が軽い佐藤を見て、男はさらに嫌悪感が湧いてくる。

「怖い顔をするな。お前のお陰で回収屋ってあらたな市場ができたんだからな。」
「死人も増えたけどな。」
「そんなふうにかんがえ___無謀な奴が入っていくより、お前に憧れ、準備をして、ダイブしていく方が生存率は上がるんだよ。物事のいい面を見ろ。」

 ダイブという単語は業界用語。任務など持たず、単身で隔離地域へ探索に入る事を指している。
 ここで男は思った。佐藤には腹の中に寝かせた何かがあると。だから男は先手を打つ。

「まあいいっすよ…。」
「おっ。昔みたいな話し方。」 
「うっせぇなぁ!!!いちいちせっつかんでよろしい!!!」
「あっはっはっ!」

 先手を打たれた、と男は心で悔しく思う。

「んで後輩よ。仕事の話をしたいんだが…。」
「くっそまじか!結局先輩のペース_____まぁいいですよ。」

 心の機微すらコントロールされ、諦めの境地へと男は至った。男は先輩に勝ったこと幾度もあるが、最終的には先輩のやりたい事に収束してしまうのは、大学の頃から同じだった。
 佐藤は震える手で、一枚の古い地図をテーブルに広げた。

「俺の結婚指輪を、回収してほしいんだ」
  
​ 男は眉をひそめた。過去を語った末の依頼が、指輪一つの回収というのはあまりにも不自然だった。そんな気がしたのだ。

「指輪……ですか」
「ああ。あの日、俺が運転していたトラックの中に置いてきちゃたんだよね。」

 記憶の中を漁る。確か大阪に侵入した際の車両はミニバンなどではなく、小型トラックだと言うのを思い出した。

「ルートはおぼえてますか」」
「堺の臨海部に乗り捨てた、配送用のトラックだ。中には俺の妻との絆が残っている。取りに行ってくれないか?」 
「そら仕事なんで受けるんですが…」

​ 佐藤の瞳を覗き込む。いつも見てきた瞳には違いないが、男にとって何故か違和感を覚えるものだった。

「どうした?」
「あ…いえ、なんか変な感じがして。」
「風邪か?風邪のときは呑むに限る。」

 いやいや薬じゃないんかい、男は心のなかでツッコミを入れた。その瞬間に気づいた。

「……目的は指輪じゃないな。」

 臨海部には、当時パンデミックの初期調査を行っていた政府系製薬会社のラボがあった。佐藤が指している手に入れたいのは指輪じゃない、恐らくだがトラックの積荷だ。
 察しのついた顔を見て、佐藤は両手を上げて驚いた。

「いや、ほんとよく…頭が回る。」
「何が積まれているんですか。公共的紛失物なら、届け出を送れば巡察要員の自衛官が探してくれるのに。」
「結婚指輪は嘘じゃないんだ。だから信用できない相手に触らせたくはない。それと同じくらい【積荷】も大事だ。」

 佐藤は指で机を叩いてる。何度も、何度も叩いた。男は知っている。佐藤が頭の中で思案して、相手の腹の中を探っている時の行動だ。

「中身については聞かないだろ?警察並みの秘匿特権を行使できるのは隔離地域任用登山家だけだ。回収屋の唯一良いところと言って良い。」
「そうですね。まぁ…いいですけど。」
「だが_____そうだな。良いことを教えてやる。」

 少しため息を吐いたあと、佐藤はグラスを空にして、店員にアイコンタクトを送った。その後ゆっくりと男の目を見て話を始める。

「日本政府が大阪を…取り戻したいと考えてると思うか?」
「間違いなく思ってるだろう。デッドスポットを除いた車両の撤去は終えてるし、【壁】付近の整備も終わって、今は自衛隊の駐留施設だって出来てる。」
「そうだな。だがどれも定住には程遠い。問題はウィルスだ。罹患すれば即死、それを防ぐワクチンはできても治療薬がない。燃やしても凍らせても死なないウィルスを、解析しないといけない。」

 佐藤の口ぶりは、まるでそれができると言っているかのようだった。つまりはウィルスさえ克服できれば大阪を取り戻せると。
 だが男は聞き耳をここで閉じた。

「………これ以上は聞かないようにするよ。」
「なんで?!気にならないのか!」
「気にしない。仕事はちゃんとこなすから、それ以上は巻き込まないでくれ。」

 男はいきなり現れ、久しぶりと体よく言ってくるような胡散臭い相手の頼むを聞くほど、情に熱くはない。
 すべからく頼みというの、金を払ってるから、昔馴染みだからと相手への尊敬無く頼み込む輩というのは、腹の中に何が入っているのかわかったものでないと男は考えていた。
 だから男は今までの言葉を精算するように、営業トークに戻る。

​「……引き受けましょう。指輪を、必ず『送り』ます。」

 けれども男は依頼を承諾して立ち上がった。

「そうか。そうか…ありがとな。」

 何が佐藤をここまで駆りたてるのかわからない。だが自分をこの道へ誘った張本人である以上、この歪んだ依頼を完遂することこそが、過去への決別になると感じたからだ。

​ 特に握手もせず、男はバーを出て、夜の境界線を眺めた。
 不意に気になって振り返ると、バー『レムナント』と書かれたネオンの看板が光っていた。
 


「残り物ねぇ……。」

 男はレムナントの意味を噛み締めて、その場を去っていった。















 親父さんは作業台の上にオーバーホールを終え、真新しい誘導チップと強化された真空ポンプが組み込まれたスカイフックが、青白い光を放っていた。

「よしよし…ったく。商売道具くらいそれなりに整備しろってんだ。」

 コフィンの内部も、防弾繊維と耐腐食コーティングが施され、完璧な状態に戻っている。整備作業を終えたのだ。
​ 親父さんは使い古した工具をゆっくりと片付けながら、冷えた缶コーヒーを啜った。男が残していった紙パックの空き容器が、ゴミ箱の隅に転がっている。
 彼が去った後の工房は、旋盤の振動も、火花の匂いもなく、ただ静寂だけが支配していた。

​ 「まったく、あのバカは……」

 親父さんは独り言を呟いた。彼にとって、3908は単なる依頼人ではない。パンデミックで家族を失い、孤独に生きる老技師にとって、唯一「生」を感じさせる、厄介な息子のような存在だった。
​ その時、工房の重いシャッターが、再び叩かれた。
 今度は、男のリズムとは全く異なる、無遠慮で、しかし規則正しい三つのノックだった。

(厄介なのが着てそうだな。居留守かますか?)

 すると居ることがわかっていると示すみたいにノックを繰り返した。親父さんの眉間に深い皺が刻まれる。
​ 親父さんは作業台の奥にある工具箱から、錆びたレンチを一本、さりげなく取り出した。そして、それを掌に隠しながら、シャッターの鍵を開けた。

​「ご苦労様です、親方」

 シャッターが持ち上がると、そこに立っていたのは、ビジネススーツを纏った笑顔の佐藤だった。
 背後には黒塗りのワンボックスカーが停まり、車内からは、二人の大柄な男の影が窺える。彼らは、佐藤のボディガードというよりも、監視役のようだった。

​「佐藤…何連れてきた。こんな礼儀もねぇ時間帯に相手をする義理はねぇぞ」

 親父さんは警戒を露わにして言った。それでも佐藤の表情を変えず、営業マンのように胡散臭い程丁寧に話す。

「そうおっしゃらずに。3908のメンテナンス、ありがとうございます。例の『部品』は、滞りなく届いたようですね。」 

​ 佐藤の言葉に、親父さんの顔色が変わる。

「何を言っている。」
「とぼけないでください。今朝、親方のもとに届いたものですよ。」
「…吉田の兄ちゃんはどうした。」
「彼は解雇されました。業務上の横領だそうです。」

 歯切れよくもあとを残すような放つ言葉は、静けさを引きずり込んだ。親父さんはその事実に言葉を失ってしまう。
 その隙をつくように、佐藤は続けた。

「で・す・か・ら!僕が後任にあたる事になりましたので、そのご挨拶に着たんですよ。親父さんも昔馴染みの方がよいかとと言う会社の配慮ですよ。」
「ま、待ってくれ。俺はお前さんらの所から耐熱カーボンしか注文してねぇだろ、太客って訳でもねぇのに、会社に配慮される言われはねぇぞ。」

 佐藤の表情は笑顔から未だに変わらない。その顔を割くような口角を作ったまま、親父さんの耳元に顔を寄せる。

「いい加減こっちも黙ってられない。そういう話をしにきてるんです。わかってくださいよ。」
  
 親父さんの額から冷たい汗が服に落ちる。見えない蛇が身体を巻きつけ、首を締めていると錯覚するほどに、緊張が身体を操っていた。
 それから佐藤は顔を離して、大袈裟な身振りを交える。

「それにスカイフックの電磁コンデンサ、コフィンの真空ポンプと冷媒。あれは、通常の回収屋が使うような代物じゃありません。あれだけの精密部品を、この閉鎖された日本で調達できる人間は、限られていますから」

​ 佐藤は、親父さんの隠し持っていたレンチを指摘するように、フッと笑いながらレンチを見ていた。親父さんの手が、わずかに震える。

​「……てめえは、いつからそんな風になった?」

 親父さんが絞り出すように言った。
 佐藤は、一歩、工房の中へと足を踏み入れる。親父さんは手を出さない。もう招き入れる以外に手段がなくなったからだ。
 佐藤の目は、作業台に置かれたスカイフックとコフィンを、値踏みするように見つめている。

​「いつから、ですか。……多分パンデミックから、ですね。」

 諦めとジレンマ、そして覚悟。佐藤の声にはいい難い強い意志が混じっていた。
 親父さんがその声に憂いを感じていると、佐藤はじっと瞳を見た。それから外の人間に聞こえない程度の小さな声で話す。

「二人で話せますか?」
「……いいだろう。」
 
 親父さんはその言葉に従って、シャッターに手をかけた。その折に黒色の車に目を向ければ、大柄な男達はこちらを見ている。だが出てくる様子もない。焦る様子を見せずにシャッターを締め切る。
 振り返って佐藤を見ると、彼はネクタイの上と襟元に指をなぞった。マイクがあると言うサインだと、親父さんは理解した。

「親方。俺は、もうあの頃の登山グループの佐藤ではありません。あの壁の向こう側で、多くの人間が命を落とした。俺は、その『犠牲』を無駄にはしない、と誓ったんです。」
「……お前らがこの世界に回収屋って仕事を創ったんだ。その意図を、俺は理解しているつもりだ。」

​ 佐藤は親父さんから目を離し、工房の隅に積まれた、錆びたジャンクパーツの山を見つめた。

「そうですね。ですが今の彼は危険を顧みず突っ込んでいく。僕はただ、外の世界で情報を集めることしかできない。あの時と立場が今じゃ逆転してますよ。」
「そういう事もある。ありのままなんてものはこの世に存在しねぇよ。」
「確かに。」
「なんだテメェ、ホントは何をしに着たんだ。昔からお前の腹の中は見えねぇが、今日は特にわからねぇ。今の所、3908を利用しようとしてる事以外見えねぇぞ。」 
「その通り。僕の正義はあの中では行えない。」    

 佐藤の冷たい言葉は引き金になった。

​「それが、今のお前の『正義』だとでも言うつもりか? 仲間を犠牲にして利用しようとしているてめえが、偉そうに語れることか?」

 親父さんの声に、怒りが滲む。抑え込む必要がないのか、佐藤はなだめるどころか話を続けた。
​ 
「そうするしか…今の僕には手立てがないんです。」
「馬鹿めが。なにがしてぇ!一人で大阪を救う気つもりなのか?!」

 茹でダコ状態になった親父さんは、言葉を切らずにまくしたてる。佐藤に降りかかる言葉に耐えながら、自身の襟元に指を入れて、言葉を放った。

「パンデミックはただの災害ではなかった。」      

 突然の事実に、親父さんは急停止する。

「…今の所、それしか話す事ができない。」

 瞳の中に潜む黒色の闇。佐藤の心に根ざすものは深く、それらに抗おうとする熱い希望も持ち合わせている。
​ 親父さんは、佐藤の言葉と瞳に潜む、冷たい狂気に気づいた。

​「お前が、『見えない力』に動かされている、とでも言いたいのか?」

 親父さんが問い詰める。

「俺は、選択肢を与えられました。あの壁の内側に全てを捨てて死ぬか、あるいは、この世界を変えるための『駒』となるか。……俺は、後者を選んだだけです。」

 肩を落とす佐藤の瞳の奥に、一瞬だけ、深い絶望の色がよぎった。それは、彼の言葉の裏に、自身の意志では覆せない「見えない力」の存在を示唆していた。

「うちの会社は事業として、親父さんへの支援を決めました。」
「………なんだと?」
「3908が考案し、親父さんが肉付けした隔離地域にコミットした装備。名前が無いのでウチでは【長塚式マルチ対応型アルピニストギア】と呼んでいます。その技術提供をお願いしたい。」
「嫌だ。」

 親父さんは即断した。

「ただでさえ生存率が低い仕事だ。最近じゃあ新規の人間もめったに見ねぇから、死人も少なくなった。新規ユーザーを引き入れる手助けをするつもりはねぇよ。」
「親父さん…。」
「今やってる奴らは実入りが少なくなってる。次第にこの仕事も3908と自衛官だけになってくだろ。そうなったら協力してやるよ。」

 彼の想いは死人を増やさない事だった。あらたな市場の起爆剤を作るつもりは毛頭ないのだ。

​「親方。改めてお願いします。」

 佐藤は、態度を一変させ、恭しく頭を下げた。
 
「3908のギアへの支援は無償で行います。会社の意向はそのように決まりました、そして今後使用する全てのガジェットにトレースしたいという想定も仰る通り。その上で、彼には内密に、常に我々が傍受できるバックドアを仕込んでおいて頂きたい。」
​「ほらなそう着た。」

 7年と言う月日で、天文学的な変化を遂げている大阪。思い出というエモーショナルな価値が眠るだけではない。いまや全ての存在が、色んな企業が欲しがるサンプルとなっている。
 監視も行き届かない場所に深く潜り込み、生きて帰る。そういう人間は貴重だが、それ故に利用価値も高いという話だ。
 だからなおさら親父さんはそれを受け入れるつもりがないのだ。

「お断りだ。俺は、あのバカ息子の命を、てめえらの都合のいいように弄ぶ気はない」

 親父さんは即座に拒否した。すると佐藤はため息をついた後、親父さんの目を見て言い切った。

「そうおっしゃると思いました。しかし、親方には、拒否する選択肢はありません」

 佐藤は、静かに、そしてゆっくりと、携帯しているタブレット端末を取り出した。
​ 画面に表示されたのは、親父さんの工房の裏手に作られた小さい小屋の映像だった。
 小屋の中には無数の精密機器が並べられ、特殊な培養液で満たされたカプセルが幾つも置かれている。
 そして、そのカプセルの一つには、親父さんが何年も研究を続けてきた、ある「病気」の治療薬の試作品が、ゆっくりと揺れていた。

​ 親父さんは、息を呑んだ。
 それは彼がパンデミック以前から研究を続けてきた難病の治療薬。そして、その病に冒されているのは彼の孫だった。
 佐藤は、親父さんの唯一の弱みを握っていたのだ。

「知ってますよ親方。治療薬に必要な素材を、たまに3908にお願いしていることに。」
「なっ!テメェ!!」
​「難病で苦しむお孫さんですよね。あのパンデミックでご家族を亡くされたお孫さんの治療法を探すために、この閉鎖された工房で研究を続けていた。我々は、その治療薬の開発を、全力で支援させていただきます。」

 佐藤の声は、まるで慈悲深い神のようだった。しかし、その裏には、冷酷な支配者の影が潜んでいる。

「もちろん、開発が成功した暁には、お孫さんは我々の最新医療施設で、最高の治療を受けられるでしょう。」

​ 親父さんの握りしめたレンチから、ミシリと嫌な音がした。
 これは間違いなく、差し出される甘い汁だ。一度味わえば離れられない。食らいつきたいという衝動が、親父さんの信念を捻じ曲げようと絡みつく。それに耐えるために、レンチを強く握りしめた。

「……てめえら、どこまで知っている。」
「全てですよ。我々は親方の研究データも、お孫さんの病状も全て把握しています。……ファイヤウォールが薄すぎますね。」
「ハッキングか。一流企業が民間人の家にハッキングたぁいい度胸だなぁ!!!!」
「医療従事者でもないのに、貴方のお陰でお孫さんは生きながらえていると言っていい。通報すると、無能な警察と、形骸化した法律に抑圧されて全部終わりですかね。そうなるとお孫さんも…。」
「テメェ………」

 歯噛みし、佐藤の言葉に耳を傾ける。

「親方。3908は、このプロジェクトにおいて、非常に重要な『駒』なんです。彼の生存能力、観察眼、そして何よりも『思い出を回収する』という、その異常なまでの執着は、我々の研究にとって、かけがえのないものなのです。」

​ 佐藤は、タブレット端末をテーブルに置いた。そこには、治療薬のデータと、彼の孫の笑顔の写真が、並んで表示されている。

​「我々は、何も強制するつもりはありません。ただ、親方にお願いしているだけです。お孫さんの未来のために」

 佐藤の言葉は、親父さんの心臓を直接抉るかのように響いた。
​ そして親父さんは、ゆっくりと、掌のレンチを作業台に置いた。チャリン、と乾いた音が工房の静寂に虚しく響く。

​「……分かった」

 親父さんは、震える声で言った。

「引き受けよう。……その代わり、約束を違えるな。もし孫に何かあったら、てめえらをこの手でバラしてやる」

 その目には、怒り、悲しみ、そして深い絶望が混じり合っていた。 

​「ありがとうございます、親方。いやぁ良かった~理解していただけて。」

 佐藤は、満足げに微笑んだ。

「今後、部品の調達とデータ連携は、こちらの担当者が行います。もちろん、親方の研究に必要な物資も、滞りなくお届けしますので、ご安心ください。それでは。」

​ 佐藤は、親父さんを横切り、工房を後にした。
 シャッターが閉まる音と共に、工房の中には再び、静寂が訪れる。
 親父さんは、作業台に突っ伏し、その場で崩れ落ちた。

「すまねぇ…すまねぇ…。」

 手に残る、レンチの冷たい感触。
 彼が守りたかったのは、3908の命だった。しかし、守るべき者の命を、新たな鎖で縛り付けてしまった。
​ 男のコフィンとスカイフックは、親父さんの手によって、彼自身も知らぬ間に、佐藤の「見えない力」に深く組み込まれてしまうのだ。












2日後




 男はいつもどおりの装備を持って、隔離地域の土を踏んでいる。そして数時間の行軍の末、男は佐藤が指定した座標に到達した。
 手首に巻いたスマートウォッチを口元に寄せて、子供に話しかけるみたいに優しく話す。

「ログ記録。回収業務サルベージ、担当者3908。時刻コードは202601041735。当該座標に到達、ここは……【南の境界線】だ」

 堺の臨海部へと続く「南の境界線」と呼ばれる場所だ。
 梅田が「静止した都市の墓場」であるならば、臨海部は「錆びゆく鋼鉄の残骸」だった。かつての巨大コンビナートは赤錆に覆われ、巨大なキリンのようなクレーン群が、沈みゆく夕日を背景に骨組みだけを晒している。

​「キャッツアイ、起動」

 ゴーグルが起動し、視界にARのレイヤーが重なる。かつては不夜城のように輝いていた工業地帯の幻影が、現実の廃墟の上に重なる。

「昔は俺もここで働いたことが………なんだ?」

 構成されたARレイヤーは突然ノイズで激しく揺れている。周辺に視線を流していくと、手近には生きているアンテナが存在していないことに気がついた。

「そうか…アンテナが少ない。ARデータを中継するには遠すぎるか。前回は出来てたから油断した。」

 キャッツアイの基本構造はネット回線によって支えられている。スマホのようなキャリア回線を使用する事は出来ず、アンテナを中継とした衛星通信によるものだ。
 つまりはキャッツアイ単体での運用は限られてしまうという事だ。

「それに長い事整備されてないと…ここらの物も腐っていくわな。」

 恐らく海水の塩分と湿気が遺された中継アンテナを腐食させ、データの同期を妨げているのだ。

「まぁいい。多少は土地勘あるし、後は指輪だけだしな。」

​ 男はスカイフックを杖にして、ぬかるんだ土手を降りた。
 そこは半分海に沈みかけた巨大な倉庫の前だった。横転した数台の車両の中に、一台だけ、フジツボに覆われながらも原型を留めている中型トラックがあった。

「あった…。懐かしいな。まだ大学上がり立てで金がなかったから、安上がりの中古トラック。」

 エモーショナルさに心を打ちひしがれながら、男はキャッツアイを使って、慎重に周囲をスキャンした。

「熱源なし。自前の機能は使えるか……だが」
 
 キャッツアイの感度を上げると、トラックの周囲の地面に、不自然な「引きずった跡」が無数に残っている。
 前回のサルベージを思い出す。凶暴化し社会性のために、自身の習性を変えたワニのコミュニティ。ここらは海辺であるものの山林も近い。
登山家を志していたが故に、男は地面を沈める肉球を想像してしまう。

「熊なんてやめてくれよ…。」

 独自の生態系を構築しているこの場所で、あり得ない事と思えることが平気で起きる。男は周囲を見渡しながら、トラックに向かって歩き始めた。
 それから男はトラックに辿り着き、運転席側から後ろに回る。そこには施錠をしていないキャビンのドアが待ち受けていた。
 施錠していないとはいえ、観音開きの扉は錆びついて動きが悪そうだった。加えていたるところにフジツボが付いてあり、その侵食はドアとドアの隙間すら埋めている。

「……。」

 佐藤が匂わせていた積荷。男は言いなりになるのは釈然としないが、中身が気にならない訳ではない。
 そして労力による体力消耗より、興味が勝った。

「確認だけは、しないとな。」

 普通にノブを回した所で開くはずもない。フジツボを粗方とりのぞく。開かない。力いっぱいにノブを引くが、開かない。
 最終的には車載工具にあったバールを使い、無理やりキャビンのドアをこじ開けた。

 ギィィ……。
 
 開かれた隙間から、カビの匂いが吹き抜ける。

「………ふん。」

 薄暗い空間が男に前に現れる。だが期待していたものはなかった。というか何もなかったのだ。がらんどうなんて言葉が存在しているが、それを示す通りの状態だ。

「いっぱい食わされたか…先客が来たか。うん?」

 外の白くて強固な素材とは違って内側は少し硬めの木材になっている。



 床を見ると、独特の木目が何か重い物が引き摺られていた痕跡がある。
 それを辿っていけば外に繋がっていた。つまり手近にある「何かが引き摺られた痕跡」は、トラックの中から繋がるものだと男は予想する。
 よく見れば施錠していたであろう壊れた南城鍵が、タイヤ付近にまで転がっていた。

「先客…。フジツボもあったし、時間は経過しているだろうな。」

​ 荷台から飛び出してきたのは、人間でも獣でも、ましてや形ある証拠などではなかった。【何者かに奪取された】と言う証拠のみ。
 男は眉間を摘んで、目を閉じる。これは男が深く考える時に行うルーティンだ。

「追いかけるのは…ダメだ。相手が何人なのか俺にはわからない。」

 奪取したのがグループなのか、単身なのかが予想が使いない。加えて武装と呼べるものは、電気ショックができるスカイフックのみ。
 仮に奪取できたとしても利益にならなければ、男にとって損するのみだ。

「それに近い離脱ポイントの往復分を考えると、持ってきたものじゃ帰れないか。」

 生存するための備蓄は最低限の2日分。そもそも盗られた物の大きさもわからない以上、食いつないだ所で運搬する時間が読めない。
 手詰まりだと、男は帰還を決めた。

「情報だけ渡せば理解もされるだろう。帰ろ帰ろ。」

 開いたままの荷台を置いて、運転席まで戻り、運転席のダッシュボードを見る。埃とカビにまみれたその場所に、佐藤が言っていた「結婚指輪」が確かに置かれていた。
 だが、その指輪は不自然なほど輝いていた。七年間放置されていたはずなのに、表面には指紋一つない。

「……罠。」

 男がそう直感した瞬間、背後の気配に反応した。
 機敏に反応して踵を返す。だがそこには何もいなく、降りてきた土手があるのみだった。だが男はそれだけで安心をしない。情報を得ようと動く。

「キャッツアイ、サーマル起動。」

 一気に視界は青色の下地へと変わる。気配の方向は土手の上だが、そこには誰もいなかった。
 続け様に男はスカイフックのグリップにあるボタンを押したまま、石突きを地面に当てる。

「ソナーポケット。」

 キャッツアイのディスプレイが切り替わる。青いは元のカラフルな光景になり、視界の右端にグリッド線が書き込まれた円形の地図が表示された。
地図の中心にある赤い点から波紋が2度、円形の縁までゆっくりと流れていく。それでも反応は変わらず、気配の正体を見つけられなかった。

「親父さんが新しく作った音波探索機能…10メートル以内は精度が高い…だっけか。使い勝手はいいな。反応はないけど。」

 男は身体の強張りを解いて、運転席の扉を開き、結婚指輪を手に取って胸ポケットにしまった。

(佐藤さん…あんた何んために俺を呼んだんだ。頼むぜ。変なことには巻き込まないでくれ。)

 仕事を終えると、恐怖に急き立てられて、足早にその場から逃げる。
 こんな人の手が入らない、寧ろ敬遠される場所に興味を持っている人間というのは誰しも業が深い。男もその一人であるように。

 


   






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