白金の機巧人形師

枢氷みをか

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第一章 一部 高夜×ひなぎく

高夜とひなぎく・二編

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______二日目。

「高夜さま、朝食です。お口に合えばよろしいのですが…」

 言って、ひなぎくは慎ましい仕草でお膳に載せた朝食を高夜の前に差し出す。
 割烹着かっぽうぎに三角巾を身に着けたひなぎくの姿に、高夜は目を瞬いた。

「………ひなぎくが、作ったのか?」
「はい、千代さんに無理を言って作らせていただきました」

 千代とは、ここ久遠寺邸の使用人を取り仕切っている老年の女だ。とは言え人間嫌いの高夜のおかげで、その使用人の数さえ、かなり少ない。侯爵邸という大きな屋敷をごく少人数の使用人だけで切り盛りできているのは、住まうのが高夜だけだという事以上に、千代の存在が大きかった。使用していない部屋は完全に閉じて月に数度の掃除だけに留め、ごく少数の使用人だけでもこの大きな屋敷を切り盛りできるように色々と采配したのが、千代だった。

 千代は、そういう絶妙な采配がとにかく上手い。長年、この久遠寺邸に仕えているという事もあって、誰よりもこの屋敷を熟知しているからだろう。だが人間嫌いの高夜が彼女を重宝する理由は、それ以上に何よりもその人柄が、穏やかで鷹揚おうようとしているからだった。使用人を寄せ付けたがらない高夜は、唯一千代にだけは自室の入室を許した。ゆえに、高夜の身の回りの世話はすべて千代が一手に担っている。

 その千代がいるのに、わざわざ自分から進んで食事を作ったと言うのだろうか。

(……食事を自ら作った女は初めてだな)

 思って、ひなぎくが作ったと言う食事を視界に入れる。みそ汁に野菜の煮物、だし巻き卵に焼き魚、そして艶やかに炊かれた白いご飯────取り立てて変わりのない、ごくごく普通の朝食だ。それでも千代以外が作った食事がこうやって自分の前に現れる事は、ただの一度もなかった。

 今まで家にやって来た婚約者候補たちは、千代が何から何まで甲斐甲斐しく世話をするのをいい事に、自ら進んで何かをしようという者は誰一人いなかった。ひどい者は千代が作った食事を、さも自分が作ったかのように配膳してきた者もいる。その時はさすがに呆れ返って苦言を呈し、その結果泣きながら屋敷を出て行ったのだが、それは自業自得だろう、と思う。それを思うと、高夜にとってひなぎくの行動は異例中の異例だった。

 ────とは言え、彼女は婚約者候補というわけではないのだが。

(…機巧人形というのはこんな事までできるのだな。雪消ゆきぎえの話では、病人や老人の介護をする機巧人形もいると言っていたから、特別な事ではないのだろうが………まさかとは思うが、彼女は私に仕えている、という認識なのか?)

 彼女の出で立ちは、見るからに家事を行う気満々だ。その態度も行動も、すべて自分に従事しているように見える。では彼女は、そのためにここにやって来たのだろうか。

(……私の人間嫌いを、少しでも緩和させるために────?)

 叔父がどういう目的をもって彼女を寄越したのか、その詳細はあの契約書には書かれていなかった。窺い知れないその目的を考察するように思案したまま動かない高夜を怪訝そうに見つめて、ひなぎくはもう一度声をかける。

「お食事が冷める前に、どうぞ召し上がってください」
「…!ああ…」

 我に返って箸を手に持ち、気づく。

「……ひなぎく、お前の食事はどうした?」

 彼女が配膳してきたのは、高夜の分だけ。座るひなぎくの前に何もない事を訝しげに思って、高夜は小首を傾げながら訊ねた。

「……いえ、私は構いません。食事を摂らなくても問題はございませんので」
「だが食べられるのだろう?」
「それは…そうですが」
「千代。…千代…っ!!」

 困ったように笑むひなぎくを尻目に、高夜は部屋の外にいる千代に呼びかける。ぱたぱたと慌てた足音が近づいてきて、少し息を弾ませた千代が障子を開いた。

「若さま…!どうなさったのです…!?」
「千代、ひなぎくの朝食の用意を頼む」
「…!………どちらにお運びすれば?」
「ここに決まっているだろう」

 即答した高夜の言葉に、千代は恍惚な瞳で嬉々とした声を上げる。

「…!あらあら…!まあまあ…っ!すぐにご用意いたしますので、お待ちくださいませ…!!」
「あ…千代さん…!私が自分で…!!」
「いいのですよ!ひなぎくさんは若さまのお相手でもして差し上げてくださいな」

 鼻歌でも歌って欣喜雀躍きんきじゃくやくとしそうな勢いで去って行く千代の後ろ姿を訝しげに見つめて、高夜は眉根を寄せる。

「……………何なんだ?一体……」

 千代が去った障子に向けて呟きを落とした高夜を、ひなぎくは立ち上がろうとして少し浮かした体を改めて正しながら振り返った。

 一度手にしたはずの箸はいつの間にか元の位置に戻って、彼はなぜだか食事を摂ろうとしない。配膳してから箸を手に取るまでも長かった。自分が作った朝食が気に入らなかったのだろうか、とわずかに目線を落としたひなぎくの前に、朝食を載せた膳がやって来たのは、幾ばくもかからぬ頃だった。

「お待ち遠様」
「あ…ありがとうございます、千代さん」
「早かったな、千代」
「ひなぎくさんが使用人の分もすべてご用意してくださったのですよ。私はただそれを盛りつけただけですので」

 笑顔を湛えてそれだけを告げると、千代はそそくさと部屋を辞去する。障子が完全に閉じ切ったことを確認して、高夜は向かい合わせに座るひなぎくに声をかけた。

「…これからは必ず、自分の分も用意するように。いいな?ひなぎく」

 首肯するひなぎくを見て取ってから、高夜はようやく再び箸を持つ。それを見つけて、ひなぎくは彼がなかなか食事を摂ろうとしなかった理由を悟った。

(……私を、待っていてくださった……?)

 本当にそうなのかは定かではない。だが、そう思うとなぜだか胸の辺りがほんわかと温かい。
 その胸に手を当てて自然と微笑みを浮かべるひなぎくを見止めて、高夜は汁椀を手に取り口に運ぼうとした動きをぴたりと止めた。

「…?どうした?ひなぎく。食べないのか?」
「…いえ、ご相伴に預かります」

 つい先程まで困惑したような表情を取っていたひなぎくは、何やら今は機嫌がいいのか笑顔のまま食事を摂り始める。その様子を小首を傾げて見つめながら、だがさらに不可思議な光景を見せられて、高夜の手はやはり止まったまま、ひなぎくの姿に釘付けになった。

(………本当に、食事を摂れるのか……)

 食事を摂れとは言ったものの、内心、半信半疑ではあった。
 そもそも、あの口に入った物は一体どこに消えていくのだろうか。彼女の体は機械仕掛けなのだ。あんな物が体内に入って、動作不良を起こしたりしないものだろうか。いや、人間で言うところの血管があるのだから、胃に替わる物も存在している可能性が高い。では、食べた物を排泄する事も────。

「高夜さま?…どうなさったのですか?」

 思案しながら、ひなぎくを凝視している高夜の視線に気が付いて、ひなぎくは声をかける。やはり驚いたように我に返って、高夜はバツが悪そうに慌てて視線を逸らした。

「…ああ、いや……何でもない」

 食事を摂る女性を凝視するなど、失礼極まりない行為だ。相手を不快にさせる事はもちろんの事、怒りを買っても仕方がない。
 ─────機巧人形である彼女が、そういう感情まで有しているかは疑わしいところだが。

(……とは言え、こうやって食事を摂る姿まで見ると、なおさら人形である事など信じられないな……)

 思いながら再び汁椀を手に持ち、みそ汁を口の中に注ぎ込む。

「…!……上手いな」

 千代が作る味付けとはまた違った、素朴な味わい。千代よりも若干薄味ではあるが、その分素材の旨味が強い。いつも作ってくれている千代には悪いが、どちらかと言うとこちらの味付けの方が、自分の好みに合うだろうか。

「ひなぎくは料理が上手いのだな」

 きっと、そう作られているのだろう。

 何気なく言って前に向けた高夜の視界に、食事を摂る手を止め呆然とこちらを見返してくるひなぎくの姿が入った。驚いている、と言っていいのか、あるいは不思議そうにしている、と言っていいのか判らない複雑そうな表情を浮かべて、こちらを見つめたまま動かないひなぎくに、高夜は怪訝そうに声をかける。

「…?…ひなぎく……?どうした?」
「…………いえ、私の料理を美味しいと言ってくださった方は、高夜さまが初めてですので……」
「…?それは…そうだろう?お前は二日前に生まれたばかりではないのか?」

 生まれた、という表現が的確なのかは判らないが、これ以上に相応しい言葉が見つからない。

「……ああ、はい。そうでございました」

 高夜の返答に、少し困惑したように眉を八の字に寄せ、だが鈴を鳴らしたような透き通った声でくすくすとひなぎくは笑う。その複雑で細やかな心の機微を表わす表情に内心感嘆と怪訝が入り混じったようなため息をいて、高夜は再び食事を摂りながら、ひなぎくにたずねた。

「…ひなぎく、まさかとは思うがお前はこの屋敷で働けと叔父に言われて、ここに来たのか?」
「…?……いえ、そのようには伺っておりませんが…?」
「では、その恰好は何だ?私には働きに来たように見えるが?」

 その咎めるような物言いに、ひなぎくは目に見えて肩と目線を落とす。それを悟って、高夜は慌てて言葉を言い添えた。

「待て…!別に咎めているわけではない…!ただ…ただここには使用人がいる。他に比べて少ないが、千代のおかげで少人数でも十分間に合っているのだ。お前が無理に働く必要はないし、彼らの仕事を奪うのもよくない」
「…ですが……これが私の務めではないのですか?」
「…?働きに来たのではないのだろう?」
「……はい、ですが高夜さまの身の回りのお世話をする事が私の務めだと……」
「私の世話?世話をしろと言われてここに来たのか?」

 その問いかけには、わずかに思案する仕草を見せてから小さくかぶりを振った。それでますます訳が分からなくなって、高夜は思わず頭を抱えるように額に手を当てる。

(…これではまた堂々巡りだ)

 彼女との会話は、一事が万事こんな感じだ。初対面の時もそうだったが、とにかく会話がかみ合わない。前回は認識の相違が原因だったが、今までの会話を聞く限り、どうやら今回もそれが原因だろうか。

 思って高夜は、疲れ果てたようなため息を一つ落として、湯呑に手を伸ばしながら端的に訊ねる。

「……ひなぎく、正確に何と言われてここに来たのだ?」

 小首を傾げていたひなぎくは、その問いかけにきっぱりと答えた。

「はい、高夜さまに嫁入りしろ、と」
「…!!!?」

 そのあまりにあけすけな物言いに、湯呑に口を当てていた高夜は思わず口に含んだ茶を勢いよく吹き出す。そのまま激しく咳き込む高夜に目を丸くして、ひなぎくは慌てて高夜の傍に駆け寄り、背をさすった。

「高夜さま…!?大丈夫でございますか…っ!?」
「……待て……っ!…ケホっ、ごほっ…!!その…っ!!それは…!誰に言われたのだ…!?」
「…?高夜さまの叔父上さまですが…?」
「…あの人は……っ!!!」

 よりにもよって機巧人形を嫁にしろ、と言いたいのだろうか。

(………あり得る)

 そんなに人形が好きなら人形と一生を添い遂げろ、と怒りを露わにした捨て台詞を吐いて帰って行ったのは、つい最近の事だ。だがまさか、それを本当に実行に移すとは。

「…私には学がございません。嫁入りとは正確に何をすればいいのかが判らず、私を作ってくださった機巧人形師さまにお伺いしたところ、嫁入りとは相手に仕える事だと教えていただいたのですが……違うのですか?」
「……いや、間違ってはいないが……」

 ひなぎくが言うと、少し意味合いが違って聞こえるのは気のせいだろうか。
 思いながら高夜は軽く咳払いして、未だに背をさするひなぎくに、もう大丈夫だと意を表すように軽く手を上げて制した。

「ではやはり、高夜さまの身の回りのお世話は私の務めなのでは…?」
「………いや、叔父は単純に私に嫌がらせをしたいだけだ。本当に嫁入りさせたいわけではないだろう」

 現にひなぎくの派遣期間は十日間だけの限定的なものだ。本当に嫁入りさせるつもりなら期限など設けたりはしないだろう。何より叔父が結婚にこだわっているのは、跡継ぎがいなくては困るからだ。由緒正しい久遠寺家の血を途絶えさせる事を何よりも毛嫌いしている叔父の事、まさか本気で機巧人形と一生を添い遂げろとは言うまい。

「…ひなぎく、私は誰かを嫁に取るつもりはない。お前もそのような事は忘れて、ここにいる間は好きな事をしなさい」
「……ですが……何をすればよいのか……」

 ひどく困惑して、まるで助けを求めるように呟くひなぎくに、高夜は告げる。

「何でも好きな事をすればいい。やりたい事があれば千代に言え。何でも便宜を図るように伝えておくから」

 そう告げてもやはり、ひなぎくの表情から憂いが晴れることはなかった。

**

(……あの豊か過ぎる表情が困りものだな)

 自室で書物を読みながら、そう独白を零したのは、もう夜のとばりが下りた頃合いだった。

 季節は桜の花が謳歌するように咲き誇る、春。昼間は暖かな陽気を提供してくれている春陽も、夜になるとその姿を隠すおかげで、まだまだ肌寒い。高夜は書物を閉じて羽織を一枚羽織ると、火鉢にある炭を火箸で動かして、少し火を強くする。そうしている間も、高夜の脳裏からは朝食の時に見せた、ひなぎくのひどく憂いた表情が離れずにいた。

(………私の言い方が冷たいのだろうな)

 自覚はある。だが、どうすれば治るのかが判らない。できるだけ温和に伝えているつもりなのだが、実際には温和とは程遠いのだろう。どういう言い方をしても、突き放しているように受け取られ相手を傷つける。

 最初はそれが嫌で人を遠ざけるようになった。だが、そんな自分を周囲の人間たちは、侯爵という地位に媚びへつらいながら陰で冷罵れいばするようになった。そんな彼らをさらに忌み嫌って遠ざけたが、人を傷つける物言いしかできない自分も結局彼らと同じ穴のむじななのだろう、と思う。

 ひどく鬱々とした気分になって幾度目かのため息を落としたところで、千代の声が背に届いた。

「…あらまあ…!若さま、こんなにお寒いのに窓を開けっ放しではお風邪を引かれてしまいますよ…!」

 言いながら窓を閉める千代の視界に、珍しく気落ちしたように背を丸める高夜の姿が入って、彼女は目を瞬いた。

「……あらやだ。若さま、どうなさったのです?ずいぶんとお寂しそう…」
「………何だ、それは」

 呆れたような声で答えて千代を振り返る高夜を、彼女はくすくすと笑う。なぜだか的を射られたような気になって、高夜はバツが悪そうに一度咳払いをしてから、少し言い淀むように歯切れ悪く口を開いた。

「………そんな事よりも……ひなぎくは今どうしている?」
「ひなぎくさんなら、今日一日、千代のお手伝いをたくさんしてくださってお疲れのご様子でしたので、先にお風呂にご案内いたしましたよ」
「…!……結局働かせたのか?」

 渋面を取って咎めるような物言いをするので、千代も負けじと眉根を寄せた。

「だって、お可哀想ではありませんか!ひなぎくさん、何をすればいいのか判らなくてお部屋で一人寂しそうに、ずっと座っていらしたのですよ?それも居住まいをきちんと正して、まるで反省をしろと座敷牢に閉じ込められた罪人みたいに。あんなにお可哀想な姿を見せられては、千代は放ってはおけません!」

 千代は鷹揚おうような割に、言うべきことはしっかりと伝える性格だ。いつも彼女の言葉に圧倒されて逃げ腰になるのだが、そんな彼女の苦言を嫌だと思わないのは、きっと彼女の言葉がいつも正鵠せいこくを得ているからだろう。

「…………私は別に、何もするなと言ったわけではない。好きにしろと言っただけだ」
「この屋敷に来たばかりのひなぎくさんに?勝手がまるで判らないのにですか?」
「……それは……そうだが……だから何かあれば千代に言えと伝えたはずだぞ、私は…」
「ひなぎくさんはとても慎み深い性格の方ですよ?ご自分からは何もおっしゃいませんよ」

 正論すぎて、ぐうの音も出ない。
 高夜は諦観ていかんのため息をつくと、決まりが悪そうにまるで拗ねた子供のようなふくれっ面を背けて、言い訳がましく言葉を落とす。

「………なら、何と言えばよかったのだ?彼女がこの屋敷に滞在するのはたったの十日だ。今日が終われば残り八日間。その間ずっとこの屋敷の掃除をさせておくのか?食事を作って掃除をして、また食事を作るような毎日を送らせて終わるのか?そちらの方が可哀想だろう」
「なら、そうお伝えすればよろしいではありませんか」

 またまた正論すぎて、高夜は押し黙るしかない。いつもいつも人をおもんばかった言葉がとっさに口をついて出てこないのだ。口から出るのは、説明を大幅に端折はしおった簡素な言葉だけ。そうして後々になって、ああ言えばよかった、こう言えばよかったと後悔ばかりが残る。だから人と会話をするのはひどく疲れて嫌気が差すのだ。

 そもそも自分は、人と会話をする、という事が苦手なのだろう。だから長々と説明をする事が億劫になって、簡単な言葉だけで終わらせようする。────自分の悪い癖だ。

 思って憮然とした表情でため息をひとつ落とす高夜に、千代は温かいお茶が入った湯呑を盆に乗せたまま畳の上に置いて、差し出した。

「では明日は、ひなぎくさんをどこかにお連れしてはいかがです?きっと、お喜びになりますよ」
「…!……そうか、そう…だな。……では明日、ひなぎくをどこかに連れて行ってくれないか?千代」
「…!…千代が、ですか?」
「…?同じ女同士、どこに連れて行けば喜ぶかよく判っているだろう?」

 目を丸くして復唱する千代を訝しく思いながら、千代が淹れてくれた湯呑を手に、さも当然だろうと言葉を返す。それにはさすがの千代も呆れ返って、大きくため息を落とした。

「いけませんよ、若さま。若さまとご一緒でなければ、意味はございません」
「…?なぜだ?」
「だってひなぎくさんは、若さまのお嫁さまではございませんか」
「…!!!!?」

 やはり口に運んだ茶を勢いよく吹き出して、高夜は本日二度目の激しい咳き込みを経験する。

「おやおや、まあまあ…!大丈夫ですか?若さま。…若さまがそこまで動揺なさるなんて、お珍しいこと」
「千代…!ごほっ、ゲホ…っ!!おま…!それ…っ!!誰から聞いた…!!?まさか盗み聞きしていたのか…っ!?」
「まあ…!人聞きが悪い…!あれだけ大きなお声で若さまが騒いでおられたら、嫌でもお耳に入りますよ…!」

 高夜の背をさすりながら、心外な言葉をかけられた千代は憤慨したように告げる。

「…お気に召されたのでしょう?ひなぎくさんの事。若さまが誰かとお食事を共にする事など、一度もございませんでしたものね」
「……千代、お前にはすべて話してあるだろう。彼女は機巧人形だ。気に入るも気に入らないもないし、そもそも人形は嫁になどなれない」

 何を馬鹿な事を、と言いたげな渋面を取りながら、高夜はやはり大丈夫だと示すように軽く手を上げ、背をさする千代を制する。

「あら?千代にはひなぎくさんが人間のようにしか見えませんよ?」
「……それは同感だが、彼女は機巧人形だ」
「若さまがひなぎくさんを人形扱いなさっているようにも、千代には見えません」
「……何が言いたい?」

 眉根を寄せて千代を見返す高夜に、彼女は温和な笑顔を見せる。

「若さまがひなぎくさんをお気に召されたのは、果たして彼女が人形だからでしょうか?それとも、彼女の慎ましやかな人間性を、お気に召されたからなのでしょうかね?」

 にこにこと実に微笑ましそうな笑顔を湛えながら、高夜の内心を悟ったように確信を突いてくる千代の言葉に、高夜は思わず渋面を取る。

「…………お前は温和に見えて、私には容赦がないな」
「まあ…!人聞きが悪い…!子を思う親心とおっしゃってください!」

 親子ではないが、高夜が幼少の頃から傍にいるので差し障りはないだろうか。
 これだから千代には頭が上がらない、と高夜は困惑したようにため息をくと、それこそ本当に困ったように目線を千代から火鉢に移して肩を落とした。

「……だが私は、どこに連れて行けば女性が喜ぶのか皆目見当がつかない」
「…若さまは色男な割に、女性とお付き合いなさった経験がございませんものねえ…」
「……大きなお世話だ」

 本当に容赦がない、と高夜は再び渋面を取る。

 千代が言うように、女性に言い寄られた事がないわけではない。むしろ多い方だとは思うが、人間嫌いが高じて女性と付き合う気にはなれなかった。

 ────いや、そもそも彼女たちは、『久遠寺高夜』という一人の人間を愛したわけではないのだろう。彼女たちは『侯爵』という地位に恋したのだ。彼女たちの瞳に自分が映った事はただの一度もない。侯爵という立場でなければ、これほど冷たい人間に言い寄る者などいないだろう。それが判ってなおさら、女性と付き合う気になどなれなかった。

 やはり千代に────そう言い差した高夜の言葉を遮るように、千代は声をかける。

「ひなぎくさんはきっと、若さまが連れて行ってくださる所ならどこでもお喜びになりますよ」

 きっとそうだろう、と高夜も思う。
 それでも気が乗らないのは、ひなぎくがやはり他の女たちと変わりがないと判って、期待を裏切られたと落胆したくないからだろうか。

 思って、はたと気づく。

(………私は、ひなぎくに期待しているのか……?)

 いや、まさか、とかぶりを振った高夜の目を庭にある夜桜が奪って、しばらく呆けたようにそれを見つめた後、ぽつりと呟いた。

「…………花見は、どうだろうか?」
「まあ…!それはとてもよいお考えですね…!ではさっそく千代は、明日のお弁当の準備をいたしますね!」

 まるで少女のように頬を赤らめながら恍惚とした瞳でそう告げて、千代は高夜の返事も待たずにそそくさと部屋を出ようとする。その千代の背に、高夜は声をかけた。障子が閉まり切る直前だった。

「……千代、ひなぎくに伝えておいてくれるか?」
「…!まあ…!若さま、甘えてはいけませんよ?こういうことは殿方がきちんとお誘いするものです」

 年甲斐もなく片目だけを一度瞬いて、千代はそのまま台所に向かって足音と共に去っていく。明らかに自分より浮かれている千代に呆れと苦笑を漏らして、高夜は再び鬱々とした気分に苛まれた。

(…………どう誘ったものか……)

 人生で女性を誘った経験など、ただの一度もない。そもそも誘おうと思った事すらないので、この手の事で悩んだ事もない。悩んだ事すらないから、なおさらどうすればいいのか見当もつかないのだ。

(……何でも一度は経験してみないと、判らないものだな……)

 自分はとにかく経験値が低すぎるのだ。特に人との付き合い方に関しては人間嫌いが災いして、積極的に関わろうとはしなかった。今こうやって悩みの種になっているのは、その報いだろうか。

 自嘲気味にひとりごちながら、やはりやめると言えば千代は怒るだろうな、と内心でため息をついたところで、ふと障子に人影が写った。千代だろうか、と思った高夜の耳に、鈴を鳴らしたような可憐な声が届く。

「高夜さま、ひなぎくです」
「…!?」
「千代さんのお言葉に甘えて、お風呂をお先に頂戴いたしました。………差し出たことをいたしまして、申し訳ございません」

 悩みの種となっている張本人が折よく現れて目を瞬く高夜だったが、その声音がやけに怯えたように聞こえて眉根を寄せる。障子越しで姿は見えないが、障子に映る彼女の姿は、まるで叱責される事を覚悟しているように背が丸い。あるいは震えているように感じるのは、風呂上がりに寒い廊下に立っている所為だろうか。

 その妙に痛々しげな様子の彼女の影に何故だか罪悪感が募って、高夜は思わずわずかに腰を浮かせて声をかけた。

「……なぜ謝る?風呂に先に入っただけだろう?何も悪い事などしていないのだから謝る必要はない」
「………ですが……ご主人さまより先にお風呂を頂くなど……」
「何が悪い?そもそもお前は使用人ではない。好きな時に風呂に入って構わないから謝るな」

 そう告げた後、しばらく静寂が訪れてから障子の向こうで小さく笑む声が聞こえて、高夜は安堵したように浮かした腰を元に戻した。

「……ここは冷える。風呂上りなのだから早く部屋に戻って、暖かくして寝なさい」
「…はい。失礼いたします」

 心なしか明るくなったひなぎくの声に安堵した高夜は、だが『風呂に入った』という事実に今さらながら目を丸くする。

「待て…!ひなぎく…!風呂に入っても大丈夫なのか…!?体が錆びたりなど────」

 慌てて障子を開けて、立ち去るひなぎくの腕を掴む。言葉が途中で詰まったのは、驚いて振り向いたひなぎくの顔に目を奪われたからだった。

 元々、綺麗な顔だとは思っていた。その顔が、風呂上りという事もあって頬が紅潮し、紅を塗ったように唇が赤い。加えて石鹸のいい香りまで鼻をくすぐる。たったそれだけの事で、目の前にいるひなぎくがいつもの彼女ではないように見えて、嫌に目を引いた。

 その硬直したように自分を注視したまま動かない高夜を訝しく思って、ひなぎくは声をかける。

「……高夜さま?」
「…!」

 我に返って面映ゆい気持ちに襲われ、高夜は慌ててひなぎくの腕を掴む手を離すと、紅潮した顔を隠すように手で口元を抑える。

「…あ……いや、すまない……」

 何に対する謝罪なのかは自分でも判らない。特に失態を演じたわけでもないのに彼女の顔を直視できないのは、きっと千代が言った余計な言葉で妙に意識してしまうからだろう。

(………いや、ひなぎくは機巧人形だ。意識する方がどうかしている……)

 自分に噛んで含ませるようにひとりごちて、小さくかぶりを振る高夜をなおさら怪訝そうに、ひなぎくは見つめる。その視線に気が付いて、高夜は取り繕うようにひとつ咳払いをした。

「……あ…その……失念していたが、機巧人形は風呂にも入れるものなのか?」
「はい、問題ございません」
「…錆びたりなどは…」
「ご安心ください。これくらいで錆びたりなどはいたしません」

 くすくすと、ひなぎくは笑い含みに答える。その笑顔がまた高夜の視線を妨害する。

「…暖かいとか寒いといった感覚もあるのか?」
「もちろんございます」
「…そうか、ならここにいては体が冷えるだろう。……引き留めてすまなかったな」
「いいえ、お気になさらず。…お休みなさいませ、高夜さま」

 深々とこうべを垂れて踵を返すひなぎくの姿を、高夜は自室の前で呆然と立ち尽くしたまま視界に留める。その背に声をかけようと開いた口は、一度逡巡して閉じた後、再び意を決したように開かれた。

「ひなぎく」
「…!…はい?」
「…明日、花見をしようと思う。ひなぎくも一緒にどうだ?」

 その誘いに、ひなぎくは目を大きく見開いて、恍惚とした瞳に戸惑いの感情を覗かせた。

「あ……私も、ご一緒してよろしいのですか…?」
「…よくないのなら、誘ったりはしない」

 突き放した言い方だろうか、と自覚はあるものの、これ以上、彼女を思いやる言葉を考える余裕がない。決まりが悪そうにひなぎくから逸らした視線は、だがなかなか返ってこない返答に業を煮やして、たまらずちらりと一瞥をくれる。その視界に、まるで花が咲きこぼれるようなひなぎくの笑顔が入って、高夜は再び目を見開いた。

「…では是非、ご一緒させてください…!」
「………あ、ああ……」
「では、失礼いたします。お休みなさい、高夜さま」

 二度目の就寝前の挨拶を耳に留めて、高夜は無言のまま自室に入る。後ろ手で障子を閉めて、おそらく耳まで真っ赤に染め上げられているであろう顔を誰からか隠すように、やはり口元に手を当てがった。

(………なぜ無駄に綺麗な顔を作ったんだ……)

 顔の美醜で人を判断したことはないが、やはり綺麗な異性に心が揺れ動くのは男のさがだろうか。おかげでこの短い会話を交わすだけでも、ひどく労力を使って仕方がない。

 高夜は未だに高鳴る鼓動を持て余しながら、心を落ち着かせるように大きく息を吐いて、ぽつりと呟く。

「…………だから、人と話すのは疲れるんだ……」
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白苑後宮の薬膳女官

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キャラ文芸
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