白金の機巧人形師

枢氷みをか

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第一章 一部 高夜×ひなぎく

高夜とひなぎく・三編

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 ─────三日目。

「さあ…!楽しんでいらしてくださいな…!」

 千代の満面の笑顔に送り出されて向かった先は、桜の名所と名高い隅田公園だ。
 当初、馬車で向かう予定だった高夜は、街を一度も散策した事がない、と言ったひなぎくの言葉に後ろ髪を引かれて、結局歩いて向かう事になった。

 それほど遠い距離というわけではない。馬車に乗れば一瞬、だったら歩いて向かう方が風情があっていいだろう。
 そう思って高夜は、二人並んで公園に向かう事に決める。

 空は雲一つない晴天。暖かに包む春陽が心地良い。まさにお花見日和で意気揚々と足を進ませていたが、実は屋敷を出てすぐ高夜とひなぎくの間に小さな一悶着があった。

 それは『弁当をどちらが持つか』だ。

 最初、風呂敷に包まれた弁当という名のお重は、ひなぎくの腕の中にあった。だが屋敷を出てすぐ、高夜は有無を言わさず半ば奪うように、ひなぎくの手から弁当を取り上げる。

「重い物を持つのは男の仕事だ。私に貸しなさい」

 そう言った高夜に、ひなぎくは眉を八の字に寄せ、ひどく困惑した表情を覗かせた。

「あ、あの…!ですが、ご主人さまに持たせるわけには…!」
「昨日も言ったはずだ。お前は使用人ではないし、私はひなぎくの主人でもない。私を『ご主人さま』と呼ぶのはやめなさい」

 その高夜の口調に、叱責されたと思ったのだろう。ひなぎくは目に見えてうなだれ、肩を落とす。気落ちしたその様子に、高夜は再び自分の物言いが冷たかったのだと気づいて、慌てて弁解しようと開いた口は、だが言葉が見つからずそのまま悄然と閉ざされた。

(……また、傷つけてしまったか……)

 こういう時、何と言えば正解だったのだろうか。
 高夜はたまらず嘆息を落とす。

 気を遣ったつもりだった。非力な女性の腕で重い物を公園まで持たせるのは酷だろうし、従順すぎるほど従順な彼女の態度にも憐憫の情を抱いた。もっと自由に振舞えばいい、そう言いたかったはずが、自分が口にすると妙に突き放した言い方になる。なのに、何が悪いのかが判らない。

 特に、ひなぎくは人形とは思えないほど、感情の揺らぎが繊細だった。
 本当に些細な事で、彼女は一喜一憂する。なかでも気になったのは、罪悪感が特に強い事だろうか。何が彼女をそうさせるのかは判らないが、ひなぎくは何でも自分が悪いと思う。叱責されて当たり前、それが彼女の前提にあるのか、時折怯えたように見える事がある。
 だからこそ、冷たい物言いしかできない自分の言葉に、ひなぎくはこれほど顕著に反応するのだろう。

(…ひなぎくといると、まるで極悪人にでもなった気分だな)

 実際、冷たい物言いでひなぎくを二度も傷つけたのだから、間違いではないだろうか。

 心中でひとりごちながら、高夜はもう一度嘆息を漏らして隣を歩くひなぎくを、ちらりと一瞥する。
 弁当を奪い取ってしばらくは申し訳なさそうに、ちらちらと高夜の持つ風呂敷に視線を送っていたひなぎくは、街に出てから初めて見る物に目を奪われたようで、すっかり念頭から消えて恍惚とした瞳を街のあちらこちらに向けている。その様子に高夜は三度みたび、だが今度は安堵のため息を落とした。

「…何か欲しいものがあるなら遠慮なく言ってくれていい」

 高夜のその言葉に我を忘れて瞳を輝かせていたひなぎくは、はたと気づいて恐縮したようにかぶりを振る。

「い、いいえ…!滅相もございません…!…私は、こうやって街を歩いているだけで十分でございます」

 顔を綻ばせて殊勝にそう告げるひなぎくに、なぜだか胸が疼く。理由の判らぬ胸の痛みに小首を傾げながら、高夜はかぶりを振るひなぎくに、もう一度遠慮はするなと強く告げようとして、だが一瞬逡巡した後、言葉を呑み込んだ。
 そうして、わずかに思案してから遠慮がちに声をかける。

「…そうか。だが遠慮する必要はないから、それだけはよく覚えておきなさい」

 できるだけ穏やかな声音を心掛けて、高夜は了承した事を告げる。

 思慮深いひなぎくは、たとえそれが厚意から来るものであっても、強いられる事を重荷に感じて困惑するのだろう。彼女にとって気を遣われる事も、自由に振舞う事も、ことさら難しく慣れないものらしい。それでも控えめ過ぎるほど控えめなひなぎくに、少しでも気兼ねせずに過ごしてほしい、と高夜は言外に含ませる。

 その意を察したのかは定かではないが、ちらりと寄せた高夜の視線の先に、おもむろに顔を綻ばせたひなぎくの姿があって、高夜もまた満足げな表情を返した。



(…すぐに着いてはつまらないだろう)

 穏やかな春陽が降り注ぐ中、高夜は心中でそうひとりごちて、ひなぎくに内緒で少し回り道をする。言えば遠慮ばかりするひなぎくは、恐縮して思うように散策を楽しめないだろう。時折、会話を交わしながら、そして楽しそうに街並みを見つめるひなぎくを満足げに見つめながら、二人は隅田公園へと向かう。

 そうして街を散策する二人の視界に少しずつ薄桃色が顔を覗かせるようになったのは、屋敷を出てしばらく経った頃。最初は建物と建物の隙間から、近づくにつれ薄桃色は次第に視界を占める割合を増やして、角を曲がったところで一気に視界を薄桃色が奪った。その光景に、ひなぎくは感嘆の声を上げる。

「……わあー…っ!!すごい…!!まるで桃源郷に迷い込んだようです…っ!!」

 見渡す限り桜で覆い尽くされたその光景を、ひなぎくは理想郷と呼ばれる『桃源郷』という言葉で表現する。

 温かな春陽の中で凛々しく咲き誇る桜の花と、青く澄み渡った空の対比が目に心地良い。時折聞こえるせせらぎの音と、桜の隙間からわずかに覗くのは、近くを流れる隅田川だろう。そこを悠然と渡る屋形船が、高夜の視界に辛うじて入った。

「そうだな、確かに桃源郷のようだ。…まあ、桃源郷は桜ではなく桃林とうりん────桃だが」
「そうなのですか?」

 小首を傾げるひなぎくに、高夜は首肯を返す。

「…だが、視界を埋め尽くす薄桃色の世界は、桃源郷と言ってもいいだろう」

 言って、珍しく微笑みながら桜を見上げる高夜の姿に、ひなぎくは小さく微笑む。
 否定する事もなく、こうやって自分に寄り添ってくれる高夜の言葉が、何よりも嬉しい。不器用ではあったが、高夜がひなぎくに対して心を砕いてくれているのが判って、やはり胸の辺りがほんわかと温かい。ひなぎくは、このよく判らない胸の温かさがひどく心地が良かった。
 その温かい何かに触れるように、そっと胸に手を当てたところで、高夜が訝しげに声をかける。

「…ひなぎく?どうした…?昨日もそうしていたな……そこが痛むのか?」
「…!?い、いいえ…!そうではありません…!」
「痛いのなら、遠慮せずに必ず言え」

 慌ててかぶりを振るひなぎくに、高夜は食い下がる。他の事なら、ひなぎくの遠慮深い性格を優先させるが、さすがに体調に関する事は見過ごせない。そう思って問い詰めるように詰め寄った高夜は、だが「すぐ医者に」と言い差したところで、ぴたりと口を閉ざした。

「……………医者でいいのか?」

 果たして医者に、機巧人形の治療などできるのだろうか。
 いや、そもそも彼女に痛覚があるのかさえ疑わしい。機巧人形には当然、不要なものだ。むしろ痛覚を持たせる利点が存在するとは思えない。

 そんな高夜の心中を悟ってか、ひなぎくは微苦笑を浮かべながら答える。

「…不調がある時は医者ではなく、どうぞ機巧人形師さまをお尋ねください」
「……不調?……不調が出る事もあるのか?」
「体のどこかに不具合がある時などは、それが痛みや不調として現れる事も稀にございます。たとえ不具合がなくとも、人間と同じように風邪のような小さな病に罹患したり、不調が出て痛みが出る事もございますよ」
「…!……それは、痛覚がある、という事か…?そんなものを、なぜわざわざ…」

 不具合を知らせるために、不調や痛みが出るのは理解できる。だが、それとは全く無関係の所で痛みや苦しみを与える必要性があるようには思えない。人間に似せるために、無駄に痛みや苦しみを持たせるその傲慢さが、高夜には不快に映った。

 そんな、いかにも気に入らない、と言った風に眉根を寄せる高夜に、ひなぎくは思わずぎくりとする。

「……あ、ですが…罹患する事も不調が出る事も稀でございますので……」
「…!いや、違う…!ひなぎくが悪いわけではない…!その…!」

 まるで責められているように目線を落として、取り繕うように言葉を言い添えるひなぎくの姿が視界に入って、高夜は目を白黒させる。怒りをぶつけた相手は当然ひなぎくではなく、彼女を作った機巧人形師に向けたはずなのだが、ひなぎくには自分が高夜の不興を買ったのだと映ったらしい。慌てて否定する高夜だったが、何でも自分の所為だと思い込むひなぎくの性格を失念してしまった己に非がある事は明白だろうか。

 慌てて否定したものの、これ以上の言い訳が思いつかず、ただ小さく「すまない」と呟きを落とす高夜に、ひなぎくはなおさら罪悪感が募って、あたふたと慌てる。

「……あ、その……!も、申し訳ございません…!私が────」
「いや、だからひなぎくは悪くはない…!私が…!」
「いえ…!私が…!」
「………」
「………」

 そうして、どちらからともなく小さな笑みを落とす。

 過剰に罪悪感を抱くひなぎくと、そんなひなぎくに過剰に反応して勝手に罪悪感を募らせる高夜。どちらも悪くはないのに自分が悪いのだと互いに言い張る二人は、周囲から見れば滑稽に映っているだろうか。
 高夜は内心でそう思いながら、改めて「花見をしよう」とひなぎくを促した。


「酒は飲めるのか?ひなぎく」

 お猪口に入れた酒を一口、口の中に注ぎながら、高夜は問う。それには小さくかぶりを振った。

「いいえ、飲んだこともございません」

 まあ、そうだろう、と心中で思う。生まれてまだ三日のひなぎくが酒を飲んだ経験などあるはずもない。

「飲んでみるか?…いや、その前に機巧人形は酒を飲めるのか?」
「食事を摂る事ができますので、そちらは問題なく」

 その返答に満足そうに頷いて、高夜は手に持つお猪口を、くいっとひなぎくに差し出す。ひなぎくは躊躇いながらおずおずとそれを受け取り、やはり躊躇いがちに少しだけ口に酒を注ぎ入れた。

「…!美味しい……」
「…初めての酒だからな。飲み過ぎないように気を付けなさい」

 味覚もきちんと備わっているのだな、と内心で感嘆しながら、高夜は満開の桜を見上げる。

(…花見など、いつぶりだろうか?)

 記憶の最後にある花見は、付き合いで参加した政治家同士での花見だ。皆、心にもないおべっかばかりを口にし、貼り付けたような笑顔が取り囲む中で飲んだ酒は、とにかく不味かった。

 あの時に比べれば、今日は妙に気分がいい。

 桜の花の隙間から注ぎ落ちる春陽が頬を撫でる。周りの賑やかな喧噪に促されるように、高夜は何とはなしに周囲に視線を巡らせた。春の陽気が奇妙な高揚感を抱かせるのは、きっと自分ばかりではないのだろう。皆、桜の下で酒を飲み交わしながら、陽気な笑い声を上げている。

 「あ…」と小さく上げたひなぎくの声が耳に届いたのは、そんな時だった。顔を向けると、恍惚とした瞳を手に持つお猪口に向けている。そのお猪口の中には、酒に浮かぶ桜の花びらが一枚。

「…花見酒の醍醐味だな」
「風情があってよろしいですね」

 言って、二人はくすりと笑みを交わす。

 そんな穏やかな空気を邪魔するように、二人が持つ酒の水面に洋装の背広に身を包んだ数人の男たちの姿が映った。

「…おや?久遠寺閣下ではございませんか!このようなところで奇遇ですね。お花見ですか?」

 被った帽子を取って、うやうやしく頭を下げる男たち。その所作も言葉遣いも、一応の礼儀は整えてはいたが、あくまで表面的な礼儀である事を高夜は承知していた。

「……久しぶりだな」
「本当にお久しい…!ご隠居なされてお屋敷にずっと籠っておられるとお聞きしましたよ?」
「おや?人形はご一緒ではないのですか?」

 くすくすと忍び笑いが聞こえる。明らかに嘲笑だろう。
 人形は人形でも、機巧人形とは一緒だと心中で反論したが、ひなぎくを晒し物にはしたくなかったので、高夜はただ黙したまま男たちを見据えた。

「…時に、こちらのお美しい方はどちらのご令嬢で?」

 そう言って、彼らの内一人がわずかに頬を染めながら、好奇心とも興味とも取れる下世話な視線をひなぎくに向ける。その言葉を待っていたように、皆同じようにひなぎくに視線を向ける彼らの様子に、高夜はなぜ彼らがわざわざ声をかけてきたのかを悟った。

 彼らは、ひなぎくが目当てなのだ。

 政界から退しりぞいてからというもの、街で見かけても声をかけてくることなど一度もなかった。それは彼らに限った話ではない。誰も彼もが自分に対する興味を失って、街で見かけても存在しない者のように扱う。高夜にとっては煩わしい事に関わらなくて済むだけ有難かったが、こうやって気の向く時だけ手のひらを返したように話しかける彼らの虫の良さが、嫌に鼻についた。

 何より、ひなぎくに向けるあの視線が気に入らない。
 見ればひなぎくも困惑したような表情を取っている事に、高夜はなおさら不快さを前面に押し出して、彼らに返答する。

「…私の妻だ。そういう目を向けるのはやめてもらおう」

 めつけるような眼差しで怒気を含ませたその声音に、彼らは目を瞬きながら恐縮したように佇まいを正した。

「そ、それはそれは…!奥方を娶られたとは知らずご無礼を…!」
「いや、それにしてもお美しい奥方で羨ましい限りです…!」

 再び手のひらを返した彼らの態度に、高夜は内心でうんざりする。こういう心にもない事を口にする輩が、心底嫌いなのだ。

 呆れたようにため息を落として顔を逸らす高夜を尻目に、男たちは構わず話を続ける。

「…そう言えば閣下!お聞きになりました?鷺森さぎもり伯爵令嬢の嫁入りの話」
「ああ、あの私生児という噂のご令嬢!」

 心底どうでもいい話だと内心で愚痴をこぼしながら、高夜は何とはなしに隣に座るひなぎくに目線を向ける。その視界の中に飛び込んできたひなぎくの姿に、高夜は大きく目を見開いた。

 ひなぎくの様子が、どうもおかしい。

 お猪口を持つ手が小刻みに震えて、伏せた顔は血の気を失ったように蒼白としている。それは彼らが怖いのか、あるいは彼らの会話がひなぎくの琴線に触れたのか────どちらにせよ、いつも以上に怯えを窺わせるその要因は、間違いなく彼らにあるのだろう、となぜだか根拠のない確信が高夜の中にはあった。

「伯爵家でもずいぶんと疎んじられて、それはもう小汚い娘なのですが、どうやらどこぞの華族に娶られることになったのだとか…!伯爵は厄介払いできて、さぞご満悦なのだそうですが、押し付けられた方はお可哀想な話ですよね」
「それに比べて久遠寺閣下は、本当にお美しい奥方を娶られたようで羨ましい…!一体どこのご令嬢かお聞きしても────」
「貴方がたには奥方がいるのか?」

 言葉を遮って、高夜はたずねる。

「………え?」
「奥方はいるのかと訊いている」

 その質問の意を取りかねて、男たちは互いに目を合わせながら、しどろもどろと返答し始める。

「……あ、いえ…!まだ独り身なのですよ…!どなたか良い方がいればと────」
「ならば、貴方がたの奥方になられる方は可哀想なことだな。女性の良し悪しを外見の美醜だけで判断する男に、良き夫となる要素はないと相場が決まっているからな」
「…っ!失敬な…!いくら侯爵と言えど────」
「失敬?これと同じことを、その伯爵令嬢とやらに向けたのではないのか?」
「…っ!」

 諤諤がくがくたる高夜の言葉に、男たちは反論できず言葉に詰まって押し黙る。そんな男たちに、高夜はさらに寸鉄人すんてつひとを刺すように冷たく言い放った。

「…興が冷める。妻と一緒に花見を楽しんでいるところだ。用が済んだのなら酒が不味くなる前に去れ」
「…っ!………失礼する…っ!」

 切歯扼腕せっしやくわんするように去って行く男たちの背を忌々しそうに一瞥した後、高夜は先ほどひどく怯えた姿を見せたひなぎくに視線を向けた。瞬間、彼女と目が合って、意味もなく狼狽する。いつからかは判らないが、どうやら呆けたようにこちらに視線を送っていたらしい。

 高夜は居心地悪そうにその視線を受け流しながら、何にか言い訳するように言葉を落とした。

「……あ、すまない……。……『妻』と言った方が、余計な詮索をされずに済むと思ったが……気を悪くしたのなら────」
「いいえ…!……いいえ、滅相もございません。ありがとうございます、高夜さま」

 言って、わずかに頬を赤らめながら気恥ずかしそうに、ひなぎくは笑う。それでもまだ怯えが消えないのか、お猪口を持つ手が未だ震えているのを見止めて、高夜はおもむろに自身の羽織をひなぎくの背にかけた。

「…冷えてきたな。もう帰ろうか、ひなぎく」

 **

 ─────四日目。

 高夜は大いに後悔していた。
 そもそも花見になど誘わなければ、こんな事にはならなかったのだ。
 盛大なため息を一つ落として、高夜は高熱を出して寝込むひなぎくを視界に入れた。

 あの男たちと出会ってから、ひなぎくの顔色は目に見えて悪くなった。平静を装ってはいたが、顔面蒼白で体が小刻みに震えていたのは、何も夕方になって気温が下がった所為だけではないのだろう。さらに追い打ちをかけるように帰路に就いた途端、狐の嫁入りにまで遭遇して濡れネズミにもなった。幸い屋敷が近かったことですぐに風呂に入り冷えた体を温めたのだが、どうやらひなぎくには功を奏しなかったらしい。明け方頃、朝食を作るために台所に向かった矢先そのまま倒れた事を、千代に叩き起こされて聞いたのだ。

(……ずいぶんと熱い)

 高夜は、すっかりぬるくなった手拭いを手に取って、代わりに自身の手をひなぎくの額にあてがう。熱の為か、呼吸が荒い。顔は真っ赤に赤らんで、触れればその熱さが否応なく手に伝わった。

(……こんなに熱があって、大丈夫なものなのか……?)

 いや、そもそも機巧人形は本当に熱が出たりするものなのだろうか。今、目の前で寝込んでいる彼女の姿は、どう見ても人間が熱にうなされているようにしか見えない。

 そう思うと、高夜は途端に空恐ろしくなった。
 数日ひなぎくと共に過ごしたが、やはり彼女は人間のように思える。細やかな感情の揺らぎや、その表情。こうやって病に伏すところですら、人間のそれに違いないだろう。

 そして時折感じる違和感────彼女の持つ記憶は、おそらくたった数日、というわけではない。

 生まれて数日だという彼女は、だが時折今まで別の人生を歩んでいたかのような発言をする事がある。
 『私の料理を美味しいと言ってくださった方は、高夜さまが初めてです』────この言葉が、高夜にそう思うきっかけを与えた。もしこの推測が正しければ、ひなぎくは機巧人形である事を装った人間、という可能性が出てくる。

 もし彼女が人間なら、これほどの高熱を放置するのは命を脅かす事にならないだろうか────。

 医者を呼ぶべきか、ひなぎくの言葉を信じて機巧人形師を呼ぶべきか。
 高夜はその判断を下せずにいた。

(…だが、迷っている時間はない)

 ひなぎくが人間であれば、一刻を争う状況なのだ。そう思っても決断できない自分が愚かに思えて、高夜は手に持つ手拭いを無意識に強く握る。その高夜の耳に、弱々しい声が届いた。

「………高夜……さま…?」
「…!ひなぎく…!大丈夫か…!?」
「………はい、大丈夫でございます……。……少し体が冷えましたので、熱が出たのでしょう………」

 言って、やはり弱々しく笑うひなぎくに、胸が疼く。
 高夜はわずかに逡巡した後、意を決したように口を開いた。

「…ひなぎく、正直に話してくれ。お前は本当は人間なのか?」
「…!………なぜ、そのような………?」
「たとえお前が機巧人形を装って私の前に現れたのだとしても、咎めたりはしない。きっと何か事情があったのだろう。それを問いただしたりもしないと誓う。だから本当の事を教えてくれ。…私は、医者を呼べばいいのか?それとも、機巧人形師を訪ねればいいのか?…教えてくれ、ひなぎく…!」

 切実に、こいねがうように高夜は懇願する。眉根を寄せ、差し迫ったような高夜のその表情を、ひなぎくは目を白黒させて呆然自失と眺めた。そうしてわずかに沈黙が流れた後、ひなぎくは少し申し訳なさそうに、そしてひどく寂しそうに、笑う。

「……高夜さま……どうぞ、機巧人形師さまをお訪ねくださいませ……」
「…!ひなぎく…!こんな時にまで嘘をく必要はない…!」
「……嘘ではございません……」
「なら、なぜ彼らの話に過剰に反応したのだ…!お前は鷺森さぎもり伯爵家に縁のある者なのではないのか…!?」
「……それには……申し訳ございませんが、お答えでき兼ねます……」
「…!」
「………私たち機巧人形は……契約者さまの不利となる情報を、決して口外出来ないように作られているのです……」
「…!?……契約者……?……それは、叔父上のことか…?」

 無言のまま首肯して、ひなぎくはもう一度、言葉を重ねる。

「……高夜さま……どうぞ、機巧人形師さまをお訪ねくださいませ……」

 弱々しいひなぎくのその笑顔が、高夜にこれ以上の言及を許さなかった。
 高夜は拳を強く握りながら、ただ小さく「判った」と言葉を落とすしかなかった。


「…!若さま…!ひなぎくさんのご様子は…!?」

 部屋から出るなり、千代は狼狽しながら高夜に飛びつく。縋るように高夜の羽織を握る千代の手をそっと振りほどいて、高夜は静かな声で答えた。

「…行って来る。千代はひなぎくを頼む」
「…?行くって…どちらにです……?」

 高夜の思いつめたような様子に訝しげな声音で訊ねる千代の声を背に受けながら、やはり振り返ることなく静かに答えを返した。

「……人形師連盟だ」

**

 怒り心頭に発していた、と言ってもいいかもしれない。

 なぜ、ひなぎくがあれほど苦しまなければならないのだろうか。彼女が人間ならば、機巧人形だと偽らなければならない事情が憎かった。たとえ彼女が本当に機巧人形だったとしても、彼女をそう作った機巧人形師が腹の底から憎らしかった。

(……なぜ無駄に苦しめる?それほど人間らしさが重要か?)

 そもそも彼女の性格をあれほど従順にした事ですら高夜は許せなかった。機巧人形に自由は必要ない、とでも言いたいのだろうか。
 従順で物静かで、常に少し後ろに控え決して差し出た事はしない────なるほど、確かに人に従事するために作られた機巧人形には必要な要素なのだろう。だが、ひなぎくはあまりに度を越している。

 機巧人形は常に遠慮し、我慢しなければならないのだろうか。
 言いたいことの半分も言えず、怯えるほどの恐縮が必要なのだろうか。
 自由を与えられることなく、束縛を必要としなければならないのだろうか。

(…それではまるで、奴隷ではないか…!)

 極めつけは、必要のない病を無駄に発症させることだ。そこに、作った機巧人形師の傲慢さが窺える。執拗なまでの人間らしさへのこだわり、それが自らの自尊心を満たすためだけに作られたようで、ことさら高夜の不快感を刺激した。

 その怒りを込めるように、高夜は人形師連盟の扉を荒々しく開く。

雪消ゆきぎえ…!!今すぐひなぎくを作った機巧人形師の居場所を教えろ…っ!」
「…!?久遠寺様…!?一体どうなされたのです…!?」

 まるで殴り込みにでも行かんばかりの高夜の勢いに、雪消は目を白黒させる。周囲も驚いたような喧噪が沸き起こっていたが、高夜は構わず雪消の元まで勢いそのままに歩み寄った。

「ひなぎくが高熱を出した。機巧人形師を呼べと言われたからここにいる」
「ああ…!それで…!」
「本当にいいのだな?」
「……?……何が、でしょう……?」

 何やら怒りを露わに念を押す高夜に、雪消は訳も判らず聞き返す。

「本当に機巧人形師でいいのだな?」
「……??……それは…もちろんでございます」

 やはり何に対して念を押しているのかが判らず、雪消は小首を傾げながらも肯定する。その様子に、高夜は少し間を取ってから、落ち着きを取り戻すように一度大きくため息をいた。

「…ひなぎくを作ったという、その天才機巧人形師とやらに連絡を取ってくれ」
「承知いたしました。少々お待ちください」

 わずかに冷静さを取り戻したのか荒々しい声音が落ち着いたのを見て取って、雪消は安堵のため息交じりにそう告げると、小さく一礼してそのまま奥の部屋へと足早に去って行く。しばらくして部屋から出てきた雪消は、手に何やら紙片を一枚持って、その表情は困惑した風だった。

「…申し訳ございません。連絡をお取りいたしましたところ、くだんの機巧人形師さまは数日前からご体調が優れず寝込まれておられたそうで、今朝になってようやく体を起こせるまでに回復なさったのだと…」
「…!それではひなぎはどうするのだ…!?」
「続きがございますので、どうぞ落ち着かれてください…!」

 数日前に会った時とは違ってひどく感情的になる高夜に内心で驚嘆しつつ、雪消は興奮する高夜を何とかなだめる。

「…とにかくまずは、ひなぎくの容態をお聞きしたいという事で屋敷までご足労願えないか、とおっしゃっておられるのですが……どうなさいますか?」
「…行くしかないだろう。他にどんな選択肢がある?」

 やはり不機嫌を露わにする高夜に微苦笑を浮かべつつ、雪消は遠慮がちに手に持つ紙片を手渡した。

「…機巧人形師さまのご住所です。ここからそう遠くはございません」

 言われて、高夜はおもむろに紙片に視線を落とす。書かれた住所はここからほど近い。それとは別に、くだんの機巧人形師の名前らしきものも明記されていた。

 そこに書かれた『リオグラード=アルファシーニアス』という名前____。

「…!異国の人間か…!?」
「はい、ですが流暢な日本語をお話しなさいますので、意志疎通は問題なく」
「………………舌を噛みそうな名前だな」
「それはもう」

 どうして異国の人間と言うのは、こうややこしい名前を付けたがるのだろうか。
 雪消も内心で思うところがあるのか、否定せずに微苦笑を湛えながら同意を示す。

「お名前が長いので、皆さんは『リオグラード博士』とお呼びしております」

 博士、と口の中で反芻して、高夜は紙片に書かれた名を脳裏に焼き付けるように眺める。

 わざわざ周りに博士などと呼ばせている辺り、よほど自尊心が強いのだろう。
 自分が神にでもなった気になって、機巧人形の事など考えずただひたすら人間らしさだけを追求する、傲慢な人間。あるいは体が弱いという劣等感を、天才機巧人形師と呼ばれる事で優越感に転嫁しているのだろうか。

(…どちらでもいい。その天才機巧人形師とやらに一言言ってやらないと気が済まない)

 一言では済まないかもしれない。目の前にいれば、きっとせきを切ったように不満が吐露されるだろう。
 病弱だろうが、病み上がりだろうが、知った事ではない。
 ひなぎくをあのように作った事への謝罪と責任を取らせてやる。

 高夜は紙片を力の限り強く握ると、雪消に簡素な謝意だけを伝えてそのまま踵を返し、静かな怒りを胸に抱きながら人形師連盟を後にした。
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