白金の機巧人形師

枢氷みをか

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第一章 一部 高夜×ひなぎく

高夜とひなぎく・七編

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 ─────八日目。

 高夜は暖かな春陽と雀の鳴き声に目覚めを促されて、ゆっくりと瞼を開いた。その視界に入った、見慣れない天井に眉根を寄せる。

(……?……どこだ…?ここは……)

 周囲を見渡そうと軽く動かした頭部に激痛が走って、高夜はたまらず顔をしかめる。気付けば脈打つ鼓動と同調して、絶え間なく鈍痛が頭の中を練り歩いているようだった。

(……そうか……あの時木刀で頭を─────)

 思い出したと同時に、高夜の念頭にひなぎくの姿が浮かぶ。

「ひなぎく…っ!!!」

 一瞬痛みを忘れてひなぎくの無事を確かめようと体を起こしかけた高夜は、だが次に背中を這いずり回る激痛に見事に撃沈して、たまらず再び布団の上に突っ伏し背を丸めた。

「~~~~~~~っっっっ!!!!!」

 これは背骨か肋骨が、折れるかヒビが入るかしているのだろうか。背を丸めるほどに背筋はいきんが骨を圧迫して痛みが増すのだが、あまりの激痛に動く事ができず体勢を変える事すらできない。結局背を丸めた状態で痛みに悶えながら堪えるように着物を強く握る高夜の耳に、静かな声が届いた。

「…久遠寺さん、目が覚めたのか?」
「………シャオ……リー……?」

 動く事ができない高夜は、目線だけを声がする方へと流す。相変わらず無表情の顔に、おそらく彼なりに心配を多分に含んだ目を高夜に向ける小李シャオリーの姿が視界に入って、なおさら高夜は心中で小首を傾げた。

 小李がここにいるという事は、おそらくここはリオグラードの屋敷だろうか。襲われて意識が朦朧としたところまでは何となく覚えているが、それがなぜ彼の屋敷でこうやって眠る経緯に至ったのかが、まったく想像できない。

 怪訝そうに眉根を寄せる高夜の心中を察した小李は、身動きが取れず途方に暮れている高夜の体にそっと触れて楽な体勢に変えながら、高夜の疑問を払拭するように言葉を続けた。

「…まだ動かない方がいい。昨日、ひいな雪待ゆきまちが意識のない久遠寺さんを連れて帰って来たんだ。頭の怪我もひどいし肋骨も二本折れて三か所ヒビも入っている。当分はここで養生した方がいい」
「……ひいなと……雪……待……?」

 聞き違いだろうか。雪消ゆきぎえとわずかに違う名。痛みに耐えている最中さなかでの事なので、聞き間違えても仕方がないだろうか。

 思って、ふと思い出す。
 あの暴漢と自分の間に、誰かが割って入ってこなかっただろうか────?
 それも雪消のように見えて、どこか雪消のようではない、別の誰か────。

 回顧するように思いを巡らせる高夜の様子に、小李は得心したように一つ頷く。

「…ああ、久遠寺さんは雪待に会うのは初めてなのか。雪待は雪消の双子の弟だ。外見は同じでも雪消と違って粗野だからすぐに違いが判る」

 粗野、と口の中で小さく反芻して、高夜もまた得心する。
 確かに彼の外見は雪消と瓜二つだが、その言動や表情の作り方、そして立ち居振る舞いも、あの洗練された慇懃いんぎんな雪消のそれとはまるで違っていた。どこか挑戦的で攻撃的な言動は、執事というよりもむしろ戦いを生業にしている者のそれだろうか。

(……紛らわしい。兄弟設定にするのは勝手にすればいいが、せめて顔を変えるとか名前に違いを持たせるとか、色々やりようがあるだろうに……)

 思えば、里生りおの外見もリオグラード本人によく似た容姿だった。彼は外見を誰かに似せるのが好きなのだろうか。

 思った高夜の思考を読んで、すかさず小李が言葉を添える。

「リオグラードは容姿を考えるのが苦手なんだ」

 ああ、なるほど、と内心で得心しつつ、これには苦笑を返す。容姿を考えるのが苦手ならば、双子設定は渡りに船だろうか。

(……ん?……双子……?)

 痛みを堪えて額に脂汗を浮かべながら、高夜はこの言葉が妙に胸につかえる違和感を覚えた。
 つい最近にも、双子という言葉を口にしなかっただろうか。

 思った高夜の耳に、鈴の音を鳴らしたような愛しい声が障子越しに届いた。

「…少し高夜さまのご様子を見てきますね」
「ひなぎく、お前も少し休め。昨日からずっと久遠寺 高夜に付きっきりだろう。彼の事は小李に任せればいい」
「いえ。私は機巧人形ですから、休まなくても疲れる事はございませんので」
「機巧人形だって心は疲弊する」
「………ですが私の心は、高夜さまのお傍にいないほうが疲弊してしまうのです」

 申し訳なさそうに眉を八の字に寄せて告げるひなぎくに、ひいなは諦観と呆れをふんだんに含んだため息を落とす。そうして行ってこいと言わんばかりに手を払うひいなに、ひなぎくは謝意を伝えて小さく会釈を返し、障子をゆっくりと開いた。その視界に、痛みで辛そうにしながらもたたえた微笑みをひなぎくに向ける高夜の姿が入ってきて、ひなぎくは驚きと共に涙が出る一歩手前の表情に嬉しさを盛大に含ませた笑顔を見せた。

「高夜さま……っ!!」
「……ひなぎく……怪我は…ないか……?」
「……はい……っ!!…はい…っ!!」

 かすれた声で痛みを堪えながらたずねる高夜の言葉に、慌てて駆け寄ったひなぎくは何度も頷きを返す。頭には割れんばかりの鈍痛が暴れ回り、体にも絶え間なく痛みが走って身動きが取れないものの、ひなぎくが無事だと判ればこの痛みはむしろ名誉の負傷と誇ってもいいだろう。

 ひどく満足げな眼差しをひなぎくに向ける高夜の視界に、開いた障子の隙間から顔を覗かせる雛の姿が入って、高夜はすぐさま笑顔を隠して眉をぴくりと動かし軽い渋面を作った。

「何だ、目が覚めたのか。久遠寺 高夜」
「………何だとは何だ…?」
「いちいち言葉尻を捕らえるな。…雪待、リオグラードを呼んできてくれ」
「はい」
「……?……なぜ博士を……?」

 自分が目覚めた事とリオグラードがここに呼ばれる事の関連が判らず、小首を傾げる高夜に雛はさもありなんと返す。

「何を言ってる。お前の治療をしたのはリオグラードだぞ?」
「…!」
「これだけ人間の体の構造に似せた機巧人形を作ったんだぞ?当然医学的知識が必要だとは思わなかったのか?」

 言われてみれば、さも当然の事だろうか。むしろ医学的知識がない方がおかしい。

「………愚問だとは思うが、念のため訊ねておく……。……医師免許は─────」
「当然持ってる」
「………だろうな…」

 一体彼の肩書はいくつ存在するのだろうか。凡人の自分とは違って才能あふれる彼だからこそ、様々な肩書があるのだろう。そう思うとなおさら考える事が馬鹿らしくなって、一つため息を落としたところで雪待に呼ばれたリオグラードが頃合いよく現れた。

 嫉妬に似た感情に自嘲気味な笑みで蓋をする高夜の様子に小首を傾げつつ、リオグラードは高夜が横になる布団の傍らに腰を下ろす。

「気分はどうだい?ずいぶんと無茶をしたね」
「………どうという事はない……」

 死にそうなほどの激痛が体中を行進中だが、つい強がってしまうのは今しがた彼の才能に対して嫉妬したからだろうか。

「頭部の打撲創の傷は思いのほか深かったからね。脳震盪を起こしている可能性が高い。問診をするけど、出来れば正直に話してほしい」

 そう前置きしたのは、おそらく強がっている事が判ったからだろう。それが判って、高夜はバツが悪そうに目線を逸らしながら、不承不承と首肯を返す。

「頭痛は当然あるだろうね?」
「…………ああ」
「眩暈や吐き気はあるかい?」
「……吐き気はないが、眩暈はある……」
「物が二重に見えたり、ぼやけたりする事は?」
「………ない」
「光や音にいつも以上に過敏に反応している感じはあるかな?」
「………ある」

 ひとしきり問診した後、リオグラードは軽く思案するように顎に手を当てる。

「…軽度の脳震盪を起こしているね。頭部の傷は油断できないから、できれば当分の間は安静にしてほしい。…体は意外と鍛えているんだね?あれほどの打撲を負いながら、肋骨二本の骨折で済んだのは正直感服した。頑丈な肉体だ」
「………加えて三か所もヒビが入っているんだぞ…?……どこが頑丈だ」
「頑丈だよ。僕ではそうはいかない」

 言われて高夜はリオグラードの体を一瞥する。体格はいい方なのに、見える腕や首は細い。普通にあるはずの筋肉さえあまりないような脆弱さすら窺える。むしろ荒事とは完全無縁な体だろうか。

 思ってつい、揶揄が口を突いた。

「…………医者の不養生か……?」
「養生すれば治るのなら、いくらでも養生するんだけどね亅

 にこりと笑って高夜の揶揄を受け流すリオグラードに、高夜は軽く渋面を返す。

(……感情の読めない御仁だな)

 政治家には感情を隠してあからさまに上っ面だけを整える人間が腐るほどいたが、リオグラードのように本心がまったく見えない人間は珍しい。こうなると触れていいものといけないものの境が判らず、ほとほと困り果てるのだ。

 思わず彼の弱い体を揶揄してしまったが、見える感情として不機嫌さは窺えないものの、その内情は判らない。

(……どれほど体が弱いのかは知らないが、あまり触れてはいけないのだろうな……)

 何となく後ろめたい気分になって小さく目線を逸らした高夜を尻目に、ひなぎくは縋りつくような目線をリオグラードに向けた。

「…機巧人形師さま、高夜さまの額の傷跡は残ってしまわれるのですか…?」
「…そうだね、丁寧に縫合はしたが打撲創だからね。綺麗な切り傷とは違って傷の縁が不規則で、わずかだが皮膚の欠損も見られた。…どうしても傷跡は残るだろうね」
「そんな…っ!」

 悲痛にも似た声を上げるひなぎくに、高夜は穏やかな、だが少し気怠そうな声で話かける。

「………気に病まなくていい…ひなぎく……」
「ですが…!」
「……私は男だからな……顔に傷跡が残ろうが別段困る事はないし、そもそも髪である程度は隠れる……」
「それでも……傷跡が残ってしまわれるなんて……」
「……お前が無事なら……どれほど傷が残っても構わない……」
「………高夜さま…」

 脂汗をかいた顔に、高夜はできるだけ穏やかな笑みを浮かべる。
 彼がどれほどの痛みを我慢しているのか、それはその額に浮かぶ脂汗を見れば一目瞭然だろう。それでもひなぎくを不安にさせまいと殊勝なほどに笑顔を絶やそうとしない高夜の姿に、ひなぎくは罪悪感が刺激されて仕方がなかった。

 彼が負った傷は、本来であれば負わなくてもいいはずの傷だ。
 そう、あの時身を挺して守らなければならない立場にいたのは、機巧人形である自分なのだ────。

 罪悪感に押しつぶされそうな苦渋の表情を取るひなぎくをちらりと一瞥して、雛はやれやれと諦観のため息をく。そのまま高夜の枕元に無遠慮に座り込んで、まるでひなぎくを悲しませた意趣返しだと言わんばかりに、やはり無遠慮に高夜の視界ににやりと笑った顔をひょっこりと覗かせた。

「…ずいぶんと男前な発言だな。ただし、本当にひなぎくを守る必要があればの話だが」
「……?……何の事だ……?」

 不快気に眉根を寄せて小首を傾げる高夜に、申し訳なさそうな表情で言葉を言い添えたのはリオグラードだった。

「…貴方には教えておくべきだったね。────機巧人形は決して、主を置いて逃げたりはしない」
「……?」
「それは逃げる必要がないからだし、たとえ戦闘用に作られた子でなくとも、機巧人形なら主を守るように作られているからだ」
「……?……それが……何だ……?」

 リオグラードが言わんとしている事を心底理解できない、と言った風に眉根を寄せる高夜に、今度は雛が呆れたようなため息をいた。

「お前は本当に機巧人形と人間を混同しているんだな。それともそれは、ひなぎくへの恋慕の情がそうさせているのか?」

 そうして、端的に補足する。

「つまり、お前がわざわざ身を挺してひなぎくを守らなくても、ひなぎくは自衛は当然の事、お前を守る事すらできる強さが備わっている、という事だ」
「……!………はい……!?」
「考えてもみろ。この体は鋼でできているんだぞ?生半可な事で傷つけられると思うか?」

 その雛の言葉に高夜は言葉を失って、唖然としたまま思わず目が点になった。

 そうして思い出す。あの時ひなぎくは高夜を置いて逃げる事を頑ななまでに拒否し、執拗なまでに逃げろと言わなかっただろうか。自分は大丈夫だから逃げろ、と─────。

(…どう見てもか弱い女性にしか見えないこの体にそれほどの強さが隠れているなど、一体誰が予想できるというのだ……!)

 内心でそう愚痴をこぼしながらも、やはり彼女は人間ではないのだ、と改めて思う。その体は人間の脆弱な体とは違って、鋼で構成されたものだ。機械仕掛けで動くのだからその動きは彼女の運動神経の良し悪しに関係なく、きっと人間離れした動きが可能なのだろう。

 それはつまり─────。

「つまりだ、お前がした事はただの骨折り損という事だな」

 くつくつと笑いながらあまりに身も蓋もない雛の言葉に、高夜の思考は停止する。そうして途端に自分の無意味な行動に羞恥心と居苦しさが込み上げてきて、たまらず両手で顔を覆った。本当なら穴があれば入りたい気分────いや、この場からすぐにでも逃げ出したい気分なのだが、残念な事に身動き一つ取れないのがまた憎らしい。

 居心地悪そうに、そしてそれ以上にバツが悪そうにする高夜に、その場にいた誰もが苦笑を漏らし、ひなぎくだけが申し訳なさそうに肩身を狭くしている。そんな空気に助け舟を出したのは、雛の言葉に小首を傾げていた小李だった。

「…?骨折り損じゃないだろう?助ける必要がなかったのは確かだけど、助けた事実がなくなるわけじゃない」

 その言葉に、皆一様に目を丸くする。言い得て妙だと誰からともなく笑みを零したのは、このすぐ後の事。

「…小李の言う通りだね。助けた事実がなくなるわけじゃない」
「少なくとも無駄ではないな。ひなぎくにとっては何よりも大切な事だ亅
「…!はい…!」

 今度は何やら嫌に気を遣われているような気になって、高夜は居た堪れないほどの面映ゆい気持ちに襲われた。

(……そのまま罵倒でもしてくれる方が、まだ居心地がいいな……)

 思って、目のやり場に困りつつ戸惑いながら何となく彷徨わせたその視線に、微笑ましそうにその光景を見つめている雪待の姿が目に留まった。

「………雪待……だったか……?……まだ礼を言っていなかったな………本当に助かった………感謝している…」
「…!ああ、いえ!これが俺の仕事ですのでお構いなく。それよりももっと早く助けに行ければよかったんですけど……申し訳ありません…」

 頭を小さく掻きながら、バツが悪そうに顔を落とすその姿は、やはり雪消のようで雪消とはまるで違う。言葉遣いはもちろんの事、その所作でさえまったくの別人を見ているようで、妙な気分になった。

(…まあ、まったくの別人なんだが……)

 それでも人の良さそうなところは、さすが雪消の弟といったところだろうか。

「……ちなみに……お前の仕事とは何だ……?……雪待……」
「俺の仕事は人形師連盟専属の護衛ですよ。顧客はもちろんの事、貸し出した機巧人形も護衛対象です。彼らでは手に負えない状況になると、信号が送られてくるんですよ」

 言って、雪待は自身のこめかみ辺りを指差しながら、とんとんっと軽くその指で叩く。その言葉に、高夜は小さく小首を傾げた。

「……?……待て……機巧人形は自衛ができるほど強いんだろう……?」

 なのにわざわざ貸し出した機巧人形すら護衛対象と言うのが解せない。
 その疑問を得心したように「ああ…!」と声を漏らしてから、雪待は釈義しゃくぎを始めた。

「機巧人形には三原則というのが大前提として備わっているんですよ」
「……三原則……?」
「第一に『人間に危害を加えてはならない事』。第二に『第一に反しない限り、人間の命令に従う事』。第三に『第一、第二に反しない限り、自己の防衛に努める事』」

 指折り説明する雪待の言葉に、高夜はやはり眉根を寄せる。

「……何だ、それは……?……結局どうあっても人間に危害を加えることが出来ないのに…一体どうやって自己を守ると言うんだ……?」

 これではこの三原則の中で最も優先されるのは第一項だ。機械でできた体である以上、人間に危害を加えないという原則は必要不可欠な事だと重々承知しているつもりだが、それでも第一項を優先しつつ自己を防衛するなど矛盾が生じているような気がしてならない。おまけに自己の防衛よりも人間の命令に従う事の方が優先されることがなおさら納得がいかなかった。

 これでは、人間の命令如何によっては自分を傷つけてもいいとさえ解釈できる。

 その不機嫌さを盛大に表すように眉間にいくつものしわを寄せる高夜に、雪待は微苦笑を落としつつ首肯を返す。

「だから俺が必要なんです」
「……雪待には…三原則が備わっていないのか……?」
「いいえ、備わっていますよ。ただ他の機巧人形とは違って注釈ちゅうしゃくがついてはいますが」
「……注釈……?」
「─────『ただし、相手に対して危害を加える事を止めるように呼び掛けた上で、反撃する事を事前に伝えた場合はその限りではない』」
「…!」
「要は制止と報復を宣言されても止めない馬鹿には天罰が下る、って事だな」

 またもや身も蓋もない言い方をする雛に、高夜は呆れたようなため息を落とす。

「……あんたは生まれてくる性別を間違えたのではないか……?」
「言ってくれるな?久遠寺 高夜」
「そりゃあ戦闘用の機巧人形の中でも特に戦闘特化で作られた方ですもん。おまけに三原則が施行される前に生まれていますから、一切の制限がない。怒らせると怖いですよ、雛さんは」

 ケラケラと笑いながらあっけらかんと告げる雪待に無言のままじとりとした視線を寄せて、雛は彼の額に強く弾いた指を当てる。雛からの制裁という名の反撃に小さく悲鳴を漏らして痛む額をしきりに撫でるその姿は、いつぞや見た雪消と瓜二つだろうか。

 そんな二人に高夜は再び呆れ顔にため息を落とす。だからいちいち言う事が癪に障るのか、と得心したように内心で独白を落とした後、雪待の言葉にやはり思考が停止した。

「……………機巧人形…………?」

 目を白黒させて雛を見る高夜に、雛はやはり勝ち誇ったようににやりと笑みを落とした。

「お前は本当に機巧人形と人間の区別がつかないんだな。それとも故意に区別をしないようにしているのか?」

 いや、そもそも機巧人形を機巧人形と思っていない節がある、と雛は思う。彼にとって機巧人形かどうかなど大した問題ではないのだろう。
 「さすがは人形狂いの久遠寺だ」と笑い含みに落としたところで、リオグラードが口を挟んだ。

「さあ、そろそろ歓談は終わりにしようか。彼を休ませてあげないとね」
「そうだな、まだ目覚めたばかりだ。これ以上は体に障る。ひなぎくも─────」

 言ったところで、まるで今にも噛みつかんばかりの表情でこちらを見据える高夜が視界に入る。ひなぎくは置いて行け、と声にならない声が聞こえたような気がして、雛は降参を示すように小さく諸手を上げた後、呆れをふんだんに含んだ顔にため息を落とした。

「…邪魔者はさっさと退散しようか。馬に蹴られたくはないからな」

 くつくつと笑い含みに告げて、それぞれ重い腰を上げて部屋を出ていく。最後まで残っていた雛は、敷居をまたぐ直前でぴたりと動きを止めて、高夜を振り返った。

「…後でひなぎくを守ってくれた礼を返そう。これでまた、お前の取った行動が無駄ではなかった事の証左が一つ増えたな、久遠寺 高夜」

 雛の性格を鑑みるに、その礼とやらもそれほど期待しない方がいいだろうか。

 思いながら、にやりと笑ってそのまま出ていく雛の背を障子が閉まるまで見ていた高夜は、ようやくひなぎくと二人きりになれた余韻に浸るように、彼女を視界に留めた。

「………ひなぎく……本当に怪我はないのだな……?」
「はい、私は平気です。…それよりも高夜さまのお怪我の方が心配でございます……。頭の傷と言うのは決して楽観視してはならないと機巧人形師さまは仰っておりました。特に高夜さまは脳震盪を発症しておりますので、少しでもご気分が優れない折には遠慮なさらずに必ず仰ってください」

 心配と不安を顕著なまでに表した表情で念を押すように告げるひなぎくに首肯を返した後、高夜はぽつりと呟く。

「……千代は今頃心配しているだろうな……」
「千代さんには、しばらくこちらにお世話になる旨をお伝えしております」
「……そうか……」

 言って、視線をひなぎくに移す。

「………私は…いつ動けるようになる……?」
「…機巧人形師さまが仰るには、早くても一、二週間…できればひと月は安静にして様子を見た方がいい、と……」
「…!……ひと月も……」

 その返答に、高夜は愕然とする。
 ひなぎくに残された日は今日を含めてたったの三日。明後日にはもう、『ひなぎく』という存在は跡形もなく消え失せてしまうのだ。その貴重な時間を、こんな事に費やしてしまうとは─────。

「………すまない……あの時ひなぎくが言うように逃げていれば……」

 残された日々を、ひなぎくは無為に過ごさなければならなくなる。罪悪感を抱く高夜のその言葉に、ひなぎくは穏やかな笑みを返して小さくかぶりを振った。

「…いいえ、雪待さまが仰るように私たち機巧人形に出来る事は限られております。人に危害を加える事を許されていない私に出来る事は、高夜さまを連れて逃げる事だけ…さほどお力にはなれなかったでしょう。それに……」
「…?」
「…こう申しては、きっとお気を悪くしてしまわれるかと存じますが……」
「……いい……言ってくれ……」

 急に言い淀んでバツが悪そうに目線を逸らすひなぎくに、高夜は先を促す。ひなぎくの言葉なら、たとえどんな言葉でも気を悪くすることなどないだろう。

 促されたひなぎくは少し逡巡した後、面映ゆそうに言葉を落とした。

「………高夜さまの看病を、したいと思っていたのです……」
「………え?」
「あ、あの…!決して高夜さまがお倒れになってほしいと言う事ではございません…!ただ…!」
「……いいから……続けてくれ……」
「……以前、私が倒れた時、高夜さまはずっと私に付きっきりで看病をしてくださいました。私もそのお返しを、して差し上げたかったのです」

 そう言って、やはり面映ゆそうに微笑むひなぎくが一層愛おしく映る。そう思うと、なおさら彼女と離れがたいという願望が、渇望へと変わっていくのを自覚した。

 いつか遠い未来で笑うひなぎくの隣に自分の姿があれば、これほど幸せなことはない─────。

 そう思うのに、それが叶う事は決してないのだ。
 明後日を最後に、未来永劫ひなぎくを失う事になる。

 その現実を拒むように、高夜はひなぎくから顔を逸らした。
 機巧人形の事を知れば知るほど、ひなぎくが人間ではない事を痛感して、胸に痛い。
 自分は人間で、彼女は機巧人形なのだ。その事実は変えられないし、彼女と共に歩む事すら許されることはない。

(……こんな事なら、ひなぎくを受け入れるのではなかった…)

 初日に彼女を人形師連盟に返していれば、これほど苦しまずに済んだのだろうか。あるいは一生この気持ちを抱くことなく生を終えていれば─────。

(……いや、なかった事になどしたくはない……)

 知らなければ確かに楽だっただろう。
 それでも、彼女と共にいると胸から溢れるように湧き出す、この幸福感を一生知らないままの方が辛い。
 ひなぎくの笑顔や声を、愛おしいと思えない方が苦しい。

 失う辛さよりも、出会えた幸福の方がはるかに大きいのだ。

「……高夜さま……?」

 鈴を鳴らしたような声にわずかな不安を込めて、ひなぎくは顔を背けた高夜の様子を窺うように顔を覗かせる。そのひなぎくの顔を、高夜は視界にしっかりと留めた。

(……これが、私の答えなのだろう……)

 己の内心を彷徨って、出会った答え。
 きっとこれが、気持ちに整理をつけるという事なのだろうか─────?

 思って高夜は一度小さく瞳を閉じた後、ゆっくりと開いて小首を傾げるひなぎくを視界に入れる。

「……約束を覚えているか…?……ひなぎく……亅
「…!……お食事を召し上がりますか?」

 にこりと微笑んで、ひなぎくは答える。

 食事だけは作ってほしいと願った。ひなぎくが作る料理の味を覚えておきたいからと─────。それに肯定を示したひなぎくの本意は判らない。

 人間の命令に決して逆らえない、機巧人形。
 そして自分の言う事に決して否定することなく、受け入れ肯定する、ひなぎく。

 彼女にとって自分の言葉は、決して逆らってはいけない言葉なのだろう。それに一抹の寂しさを覚えながら、それでも浅ましいほどに求めてしまうのだ。

 ひなぎくの姿を、目に焼き付けておきたい。
 ひなぎくの笑顔を、声を、言葉の一つ一つを覚えておきたい。
 そして、彼女の作る温かい料理の味を、覚えておきたい─────。

 きっと一生忘れずに覚えておくことは難しいだろう。記憶は時間と共に薄れていく。それでもこうやって忘れまいと心に留め置いていれば、何かの折にふと思い出さないだろうか。

 そんなささやかな願いを込めて、返答を待つひなぎくに笑顔を送る。

「………ああ……ひなぎくが作る料理が、食べたい……」
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