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特別編
しおりを挟む休日の午後三時。
久我さんのマンションのリビングは、柔らかな陽光に包まれていた。
「……遅い」
ソファで洋書を読んでいた久我さんが、顔を上げずに呟く。
私はバスルームから出たばかりで、濡れた髪をタオルで拭いている最中だった。
「すみません、トリートメントしてたら長くなっちゃって」
「こっちへ」
本がサイドテーブルに置かれる。
その動作だけで、彼が何を求めているのか分かってしまう。
私は苦笑しながら、彼が座るソファへと歩み寄った。
近づいた途端、腕を引かれる。
抵抗する間もなく、私は彼の膝の上にすっぽりと収まっていた。
高いブランド物のルームウェア。彼の硬い太ももの感触。
背中に回された腕が、私を逃がさないようにホールドする。
「……いい匂いだ」
彼が私の首筋――まだ湿り気を帯びたうなじに顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
くすぐったくて身を捩ると、彼の腕に力がこもる。
「私のシャンプー、切らしちゃってたので……久我さんの借りました」
「ああ、分かる。サンダルウッドとベチバー。僕が愛用しているやつだ」
彼は鼻先を私の濡れた髪に滑らせ、まるで利き酒をするように香りを楽しんでいる。
「だが、僕が使うのとでは香りの立ち方が違う。……お前の体温と混ざると、どうしてこんなに柔らかくなるんだ」
「そうですか? 同じ匂いだと思いますけど」
「違う。トップノートの角が取れて、甘いミルクのような香りに変化している。……これは、危険だ」
彼はわざとらしく眉を顰め、私の鎖骨に唇を押し当てた。
ちゅ、と吸い付くような音が静かな部屋に響く。
「く、久我さん……っ」
「この匂いを嗅いでいると、理性が溶けそうになる。……開発中の新作のレシピも全部飛びそうだ」
天才調香師にあるまじき発言だ。
けれど、その声は甘く、蕩けるように優しい。
会社では「絶対零度の王」なんて呼ばれている彼が、家ではこんなに無防備に私に甘えてくるなんて、誰が想像できるだろう。
「仕事、しなくていいんですか?」
「休日は休むためにある。それに、今の僕にはもっと重要なタスクがある」
「重要なタスク?」
私が問い返すと、彼はゆっくりと顔を上げ、至近距離で私の瞳を覗き込んだ。
その瞳孔が、獲物を前にした獣のように少し開いている。
「恋人の全身に、僕の匂いを徹底的に染み込ませる作業だ」
「……っ、もうシャンプーで十分染み込んでますよ」
「外側だけじゃ足りない。……内側からも、僕で満たされないと」
彼の指が、私のパジャマのボタンに掛かる。
器用な指先が、一つ、また一つとボタンを外していくたび、リビングの空気の温度が上がっていく気がした。
「明日は月曜日だ。会社に行けば、また大勢の男がお前を見る」
ボタンが全て外され、肌が露わになる。
彼はそこに執拗にキスマークを刻みつけながら、嫉妬混じりの低い声で囁いた。
「誰が近づいても、お前から僕の匂いがするように。……たっぷりと、マーキングさせてくれ」
「遥さん……」
「返事は?」
「……はい、お願いします」
私が恥じらいながら頷くと、彼は満足げに微笑み、私をソファへと押し倒した。
昼下がりの陽射しの中、甘いサンダルウッドの香りと、彼自身の熱い匂いが私を包み込んでいく。
休日が終わるまで、この腕の中から解放されることはなさそうだ。
けれど、それでいい。
世界一幸せな拘束に身を委ね、私は彼の首に腕を回した。
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