「魔力ゼロのゴミ」と処刑された聖女は、触れるもの全てを殺す死神皇帝の唯一の解毒剤でした。「君がいないと狂う」と毎晩離してくれません

葉山 乃愛

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第2話 冷たい指先、焦がれる体温


轟音と共に、視界が真っ白に染まった。
いいえ、それは雲だ。
私たちは今、王都の上空を――遥か高い空の上を飛んでいた。

「寒くはないか」

耳元で、低い声が鼓膜を震わせる。
私は恐る恐る目を開けた。
眼下には、豆粒のように小さくなった王都と、雪に覆われた山脈が広がっている。
私が乗っているのは、巨大な黒竜の背中だった。
鋼鉄のような黒い鱗。山を切り裂くごとき巨大な翼。
伝説にしか聞かない「魔竜」が、風を切り裂いて飛翔しているのだ。

普通なら、凍死してもおかしくない高度と寒気。
けれど、私は寒さを感じていなかった。
私の体を包み込む、漆黒のマント。
そして何より、背後から私を抱きすくめる、ディルク皇帝の体温があったからだ。

「……あ、あの、皇帝陛下」
「ディルクだ」

彼は私の首筋に顔を埋めたまま、くぐもった声で遮った。

「名前で呼べ。俺もお前をリリアナと呼ぶ」
「は、はい……ディルク、様」

私が名前を呼んだ瞬間、彼の腕に力がこもった。
骨がきしむほど強く、けれど私を壊さないように慎重に。
まるで、少しでも力を抜けば、私が幻となって消えてしまうと恐れているかのように。

「……いい声だ」

彼は吐息をもらすように呟いた。

「お前の声を聞いていると、頭の中の雑音が消える。……静かだ」

雑音?
私は彼の横顔を盗み見た。
整いすぎた美貌。けれどその顔色は、病人のように青白い。
目の下には濃い隈があり、長い間、まともな睡眠をとっていないことが見て取れた。

「俺の呪いは、ただ触れるものを殺すだけじゃない」

私の視線に気づいたのか、彼は独り言のように語り始めた。

「世界の『死』の声が聞こえるんだ。花が枯れる音、虫が死ぬ音、土が腐る音……それらが四六時中、俺の脳内に流れ込んでくる。20年間、一秒も止むことはなかった」

想像を絶する告白だった。
死の音が、常に聞こえ続ける世界。
それは発狂してもおかしくない地獄だ。

「だが、お前に触れている時だけは……それが止む」

彼は手袋を外した左手を、私の目の前にかざした。
白く、冷たい指先。
その指が、私の頬に触れる。

「っ……」

私は反射的に身を強張らせた。
無理もない。彼の指先ひとつで、屈強な騎士たちが廃人になったのを目の当たりにしたばかりだ。
けれど、彼の指は私の頬を優しく撫で、耳たぶを甘く捏ねるだけだった。

「温かい……」

彼は陶酔したように目を細めた。
その瞳には、ギラギラとした欲情と、安らぎへの渇望が入り混じっている。

「もっとだ。もっと、俺に触れさせてくれ」

彼は私の顎をくい、と持ち上げさせると、頬を寄せてきた。
冷たい頬と、私の頬が重なる。
彼はそのまま、猫が飼い主に甘えるように、私の肩や首に頬を擦り付け始めた。

「リリアナ。お前は、俺の鎮静剤だ」

帝国最強の「死神」と恐れられる男が。
今はただ、私の体温を貪るだけの、哀れな迷子に見えた。

「無能だのゴミだの、誰が言った? 節穴もいいところだ」

彼は私の耳元で、熱っぽく囁く。

「お前は世界で唯一、この俺を『人』にしてくれる。……なあ、リリアナ。頼むから、俺を拒絶しないでくれ」

それは命令ではなく、懇願だった。
もし私が「嫌だ」と言えば、この世界最強の男は、その場で泣き崩れてしまうのではないか。
そう思わせるほどの、脆さと危うさ。

私は、恐る恐る自分の手を、彼の手に重ねた。

「……私は、どこにも行きません」

だって、私にはもう帰る場所なんてないのだから。
それに――。
誰かにこれほどまで「必要」とされたのは、生まれて初めてだった。

「貴方が私を必要としてくれるなら、私は貴方のお側にいます」

私の言葉に、ディルク様は大きく目を見開いた。
そして次の瞬間、彼は私を抱きしめる腕をさらに強め、私の髪に深く口づけを落とした。

「愛している」

心臓が跳ねた。
早すぎる。会ってまだ一時間も経っていない。
けれど、その言葉には、嘘偽りのない重みがあった。

「お前を愛する。俺の全てを捧げよう。だから……一生、俺の檻から出るな」

甘く、重い、独占欲の鎖。
けれど、冷え切っていた私の心には、その重ささえもが心地よかった。

黒竜は高度を下げ始める。
眼下に見えてきたのは、永遠の冬に閉ざされた北の大地。
そして、鋭利な氷柱のようにそびえ立つ、巨大な黒水晶の城だった。

「ようこそ、俺たちの城へ」

ディルク様は満足げに微笑んだ。

「さあ、まずは風呂だ。そして食事をして、寝るぞ」
「は、はい」

私は素直に頷いた。
けれど、この時の私はまだ理解していなかった。
彼の言う「一緒」が、文字通り「片時も離れない」という意味であることを。

「お前を抱いて寝れば、20年ぶりに熟睡できそうだ」

彼の赤く充血した瞳が、獲物を狙う肉食獣のように、怪しく光った。



~あとがき~

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