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第1話:完璧に片付けられた部屋と、最後の手紙
「奥様、馬車の準備が整いました」
「ええ、ありがとう。今行くわ」
長年仕えてくれた侍女の声に、私は静かに振り返った。
三年。私がこの公爵家に嫁いでから、流れた月日だ。
部屋の中には、もう私個人の私物は一切残されていない。
嫁入り道具として持ち込んだドレスも、宝石も、お気に入りのティーカップも、すべて一ヶ月前から少しずつ運び出していた。
残っているのは、公爵家の予算で設えられた、冷たくて豪華な家具だけ。
そして、部屋の中央にあるマホガニーのテーブルに置かれた、一通の白い封筒。
「本当に、これでよろしいのですか?」
侍女が不安げに私を見る。
私は微笑んで、小さく頷いた。
「もちろんよ。だって、旦那様が望んだことだもの」
私の夫である、レオンハルト公爵。
彼は私との結婚初夜に、冷たい氷のような瞳でこう言い放った。
『君を愛することはない。これはただの政略だ。僕には守るべき人がいる』
その『守るべき人』とは、彼が屋敷に囲っている、病弱で儚げな従妹のことだった。
彼女が熱を出せば、私の誕生日であろうと放り出して駆けつける。
彼女が寂しいと言えば、私との重要な夜会への出席を直前で取りやめる。
私はただのお飾りの妻で、公爵家の面倒な領地経営と、屋敷を覆う強固な魔力結界の維持だけを押し付けられる存在だった。
最初は、それでもいつか振り向いてくれると信じて努力した。
でも、ある日気づいてしまったのだ。
私が過労と魔力枯渇で倒れた日。彼は従妹と庭で楽しげに談笑し、私の見舞いにすら来なかった。
その時、私の中で何かが、ふつりと音を立てて切れた。
ああ、もういいや。
そう思ってからの私は、完璧だった。
表向きは従順で物静かな妻を演じながら、裏では自分の資産を徹底的に管理し、離縁の準備を水面下で進めてきた。
公爵家の財政も、結界の管理も、すべて引き継ぎ用の書類にまとめて執務室の机に置いてある。
私がいなくても一ヶ月は最低限回るようにしてあげたのだから、文句は言わせない。
一ヶ月後、結界が完全に崩壊して屋敷がどうなろうと、それは新しい魔術師を雇わなかった彼の責任だ。
「さあ、行きましょう。新しい人生が待っているわ」
私は一度も振り返ることなく、部屋を出た。
馬車に乗り込み、屋敷の門を抜ける時、不思議と涙は一滴も出なかった。
心が晴れやかで、背中に羽が生えたように軽い。
今頃、彼は従妹の部屋で優雅なティータイムを楽しんでいるだろう。
そして夜になり、何か用事でも思いついて気まぐれに私の部屋を訪れた時、彼は知るのだ。
私の匂いすら残っていない、空気まで冷え切った空っぽの部屋を。
テーブルに置かれた『離縁状』と書かれた封筒を。
私がいなくなってから、彼が何を思おうと、どう叫ぼうと、もう私の知ったことではない。
失ってから「実は愛していた」なんてすがってくるのなら、滑稽にもほどがある。
どうぞそのまま、空っぽの部屋で、一生後悔なさってください。
私は窓の外の高く澄んだ青空を見上げながら、この三年間で一番の笑顔を浮かべた。
「ええ、ありがとう。今行くわ」
長年仕えてくれた侍女の声に、私は静かに振り返った。
三年。私がこの公爵家に嫁いでから、流れた月日だ。
部屋の中には、もう私個人の私物は一切残されていない。
嫁入り道具として持ち込んだドレスも、宝石も、お気に入りのティーカップも、すべて一ヶ月前から少しずつ運び出していた。
残っているのは、公爵家の予算で設えられた、冷たくて豪華な家具だけ。
そして、部屋の中央にあるマホガニーのテーブルに置かれた、一通の白い封筒。
「本当に、これでよろしいのですか?」
侍女が不安げに私を見る。
私は微笑んで、小さく頷いた。
「もちろんよ。だって、旦那様が望んだことだもの」
私の夫である、レオンハルト公爵。
彼は私との結婚初夜に、冷たい氷のような瞳でこう言い放った。
『君を愛することはない。これはただの政略だ。僕には守るべき人がいる』
その『守るべき人』とは、彼が屋敷に囲っている、病弱で儚げな従妹のことだった。
彼女が熱を出せば、私の誕生日であろうと放り出して駆けつける。
彼女が寂しいと言えば、私との重要な夜会への出席を直前で取りやめる。
私はただのお飾りの妻で、公爵家の面倒な領地経営と、屋敷を覆う強固な魔力結界の維持だけを押し付けられる存在だった。
最初は、それでもいつか振り向いてくれると信じて努力した。
でも、ある日気づいてしまったのだ。
私が過労と魔力枯渇で倒れた日。彼は従妹と庭で楽しげに談笑し、私の見舞いにすら来なかった。
その時、私の中で何かが、ふつりと音を立てて切れた。
ああ、もういいや。
そう思ってからの私は、完璧だった。
表向きは従順で物静かな妻を演じながら、裏では自分の資産を徹底的に管理し、離縁の準備を水面下で進めてきた。
公爵家の財政も、結界の管理も、すべて引き継ぎ用の書類にまとめて執務室の机に置いてある。
私がいなくても一ヶ月は最低限回るようにしてあげたのだから、文句は言わせない。
一ヶ月後、結界が完全に崩壊して屋敷がどうなろうと、それは新しい魔術師を雇わなかった彼の責任だ。
「さあ、行きましょう。新しい人生が待っているわ」
私は一度も振り返ることなく、部屋を出た。
馬車に乗り込み、屋敷の門を抜ける時、不思議と涙は一滴も出なかった。
心が晴れやかで、背中に羽が生えたように軽い。
今頃、彼は従妹の部屋で優雅なティータイムを楽しんでいるだろう。
そして夜になり、何か用事でも思いついて気まぐれに私の部屋を訪れた時、彼は知るのだ。
私の匂いすら残っていない、空気まで冷え切った空っぽの部屋を。
テーブルに置かれた『離縁状』と書かれた封筒を。
私がいなくなってから、彼が何を思おうと、どう叫ぼうと、もう私の知ったことではない。
失ってから「実は愛していた」なんてすがってくるのなら、滑稽にもほどがある。
どうぞそのまま、空っぽの部屋で、一生後悔なさってください。
私は窓の外の高く澄んだ青空を見上げながら、この三年間で一番の笑顔を浮かべた。
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