私がいなくなってから「実は愛していた」なんて、滑稽にもほどがあります。どうぞそのまま、空っぽの部屋で後悔なさってください。

葉山 乃愛

文字の大きさ
1 / 35

第1話:完璧に片付けられた部屋と、最後の手紙

「奥様、馬車の準備が整いました」



「ええ、ありがとう。今行くわ」



長年仕えてくれた侍女の声に、私は静かに振り返った。



三年。私がこの公爵家に嫁いでから、流れた月日だ。



部屋の中には、もう私個人の私物は一切残されていない。



嫁入り道具として持ち込んだドレスも、宝石も、お気に入りのティーカップも、すべて一ヶ月前から少しずつ運び出していた。



残っているのは、公爵家の予算で設えられた、冷たくて豪華な家具だけ。



そして、部屋の中央にあるマホガニーのテーブルに置かれた、一通の白い封筒。



「本当に、これでよろしいのですか?」



侍女が不安げに私を見る。



私は微笑んで、小さく頷いた。



「もちろんよ。だって、旦那様が望んだことだもの」



私の夫である、レオンハルト公爵。



彼は私との結婚初夜に、冷たい氷のような瞳でこう言い放った。



『君を愛することはない。これはただの政略だ。僕には守るべき人がいる』



その『守るべき人』とは、彼が屋敷に囲っている、病弱で儚げな従妹のことだった。



彼女が熱を出せば、私の誕生日であろうと放り出して駆けつける。



彼女が寂しいと言えば、私との重要な夜会への出席を直前で取りやめる。



私はただのお飾りの妻で、公爵家の面倒な領地経営と、屋敷を覆う強固な魔力結界の維持だけを押し付けられる存在だった。



最初は、それでもいつか振り向いてくれると信じて努力した。



でも、ある日気づいてしまったのだ。



私が過労と魔力枯渇で倒れた日。彼は従妹と庭で楽しげに談笑し、私の見舞いにすら来なかった。



その時、私の中で何かが、ふつりと音を立てて切れた。



ああ、もういいや。



そう思ってからの私は、完璧だった。



表向きは従順で物静かな妻を演じながら、裏では自分の資産を徹底的に管理し、離縁の準備を水面下で進めてきた。



公爵家の財政も、結界の管理も、すべて引き継ぎ用の書類にまとめて執務室の机に置いてある。



私がいなくても一ヶ月は最低限回るようにしてあげたのだから、文句は言わせない。



一ヶ月後、結界が完全に崩壊して屋敷がどうなろうと、それは新しい魔術師を雇わなかった彼の責任だ。



「さあ、行きましょう。新しい人生が待っているわ」



私は一度も振り返ることなく、部屋を出た。



馬車に乗り込み、屋敷の門を抜ける時、不思議と涙は一滴も出なかった。



心が晴れやかで、背中に羽が生えたように軽い。



今頃、彼は従妹の部屋で優雅なティータイムを楽しんでいるだろう。



そして夜になり、何か用事でも思いついて気まぐれに私の部屋を訪れた時、彼は知るのだ。



私の匂いすら残っていない、空気まで冷え切った空っぽの部屋を。



テーブルに置かれた『離縁状』と書かれた封筒を。



私がいなくなってから、彼が何を思おうと、どう叫ぼうと、もう私の知ったことではない。



失ってから「実は愛していた」なんてすがってくるのなら、滑稽にもほどがある。



どうぞそのまま、空っぽの部屋で、一生後悔なさってください。



私は窓の外の高く澄んだ青空を見上げながら、この三年間で一番の笑顔を浮かべた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

元の世界に帰らせていただきます!

にゃみ3
恋愛
淡い夢物語のように、望む全てが叶うとは限らない。 そう分かっていたとしても、私は敵ばかりの世界で妬まれ、嫌われ、疎まれることに、耐えられなかったの。 「ごめんね、バイバイ……」 限界なので、元いた世界に帰らせてもらいます。 ・・・ 数話で完結します、ハピエン!

「病気だなんて、本当にお気の毒」

イチイ アキラ
恋愛
 始まりはとある伯爵家の再婚話から。  仲の良い婚約者に「病弱な義妹」ができたことから。  そしてその話につながる過去と、未来のお話。  世の中とは。いろいろと巡って廻るものなのである。

実兄の婚約者に恋した貴方を、私はもう愛さない。その椅子、行方不明のお兄様のものですよね?

恋せよ恋
恋愛
「ヘンリエッタ侯爵令嬢が可哀想だと思わないのか!」 海難事故で行方不明の兄の婚約者にうつつを抜かし、 私を放置した上に、怒鳴りつける婚約者シモン。 14歳から積み上げた3年間の信頼は、 ヘンリエッタ様の「嘘泣き」でゴミ箱に捨てられた。 いいですよ、どうぞお二人でお幸せに。 でも忘れないで。あなたが今守っているその席は、 「生きて帰ってきた」お兄様のものなんですよ。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

「親友の兄と結婚したら、親友に夫を取られました。離婚します」

柴田はつみ
恋愛
誰も、悪くない。 だから三年間、笑っていた。 親友の兄と結婚したエルミラ。 でも夫が振り向くのは、いつも親友が夫を呼ぶときだけ 「離婚しましょう、シオン様」 「絶対に、ダメです」 逃げようとするたびに、距離が縮まる。 知るほどに、好きになってしまう。 この男を捨てるには、もう少しだけ時間が必要みたいです。

「お前の座る席はない」と言われた令嬢ですが、夜会の席を決めたのは私です

さんご従五位
恋愛
両親を亡くし、伯母の家で肩身の狭い思いをして暮らす令嬢エリザベス。春の夜会に連れて行かれたものの、伯母からは「あなたに踊る資格はない」と言い渡され、壁際で大人しくしているよう命じられてしまう。 けれどその夜会の来客名簿も席順も贈答品の順番も、実はすべてエリザベスが裏で整えたものだった。伯母が自分の手柄にしようとして帳面を持ち出した結果、会場は大混乱。さすがに見かねたエリザベスが修正に乗り出すと……。 壁際に追いやられていた令嬢が、自分の力と居場所を取り戻すお話。

「贅沢不倫夫に「実家の支援は要らん」と言われたので屋敷の維持費を全額請求しました。――支払えない?なら体で払っていただきますわ」

まさき
恋愛
「お前の実家の支援など要らん」 贅沢三昧の不倫夫にそう言い放たれた侯爵夫人レイラは、動じるどころか翌朝、12年分・総額4万2千ルークの請求書を夫の朝食の隣に置いた。 用意周到な彼女は、万が一に備えてすべての支出を「貸付金」として記録していた。 支払えない夫が向かう先は、レイラの実家が経営する矯正労働施設。傍らには、元暗殺者にして絶対の忠誠を誓う執事・シオンが静かに控えている。 これは、完璧な清算と――思いがけない愛の物語。

完璧な夫に「好きになるな」と言われたので、愛されない妻になります

柴田はつみ
恋愛
結婚初夜、夫に「好きになるな」と言われました。 夫の隣には、馴れ馴れしい幼馴染令嬢。 ならば愛されない妻として身を引きます。 そう決めた途端、完璧な夫が私を手放してくれなくなりました。 侯爵令嬢エリシアは、王国一完璧な男と呼ばれる公爵レオンハルトに嫁いだ。 美貌、家柄、才能、礼儀。 何もかも完璧な夫。 けれど結婚初夜、彼は冷たい声で告げた。 「君は、私を好きになっては困る」 その言葉を聞いたエリシアは悟る。 この結婚は政略結婚。 夫の心には、自分ではない誰かがいるのだと。

皆様覚悟してくださいませ。偽聖女の義妹から全て取り戻します。今まで受けた仕打ちは倍にしてお返し致します。

くろねこ
恋愛
「殴られても、奪われても、祈れば治るから大丈夫」 ――そう思い込まされて育った公爵令嬢オリビア。 しかし、偽聖女を名乗る義妹に階段から突き落とされた瞬間、 彼女の中で“何か”が完全に目覚める。 奪われた聖女の立場。 踏みにじられた尊厳。 見て見ぬふりをした家族と神殿。 ――もう、我慢はしない。 大地そのものに影響を与える本物の加護を持つオリビアは、知略と魔法で屋敷を制圧し、偽りを一つずつ洗い流していく。 敵意を向けた者は近づけず、逆らった義母は“環境”に叱られ、王太子は腹を抱えて大笑い。 「奪われたなら、取り戻すだけです。倍……いえ、一万倍で」 これは、偽りの聖女からすべてを奪い返し、本物が“正しい場所”に立つ物語。 ざまぁ好き必読。 静かに、確実に、格の違いを見せつけます。 ♦︎タイトル変えました。