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ルビーのちょっとだけ世界救済活動
しおりを挟むこの世界には、とある偉大な魔女の伝説がある。
嵐を鎮め、国を救い、世界を変えた銀髪の魔女。
けれど──
これは、彼女がまだその名を世界に轟かせる少し前の話だ。
「さて、今日も世界を救っていきましょうか」
晴れた陽の光に照らされ、輝く銀髪を靡かせながら、少女はぴょこぴょこと軽やかに飛び跳ねていた。
まるでお使いに向かう子どものような足取りだが、本人は至って真面目である。
彼女の名は、ルビー・スカルズ。
かつて帝都で名を馳せた魔女リムルの娘だった。
もっとも──本人いわく。
「私は弱小魔女だけどね」とのことらしい。
「おや、ルビー。いい所に来たよ」
帝都の外れの小さな町。顔見知りのマリルが困った顔で手を振る。
「どうしたの? マリルおばさん」
「これどうにかならんかねぇ。川に土砂が崩れてきて……」
目の前の川は、昨日まで透き通っていたのに、今日は茶色く濁っている。
「あれま。任せてよ。このくらいだったら弱小魔女の私でもどうにかなる……はず」
ルビーは袖をまくり、川辺にしゃがみ込む。
そっと水に手を入れ、目を閉じた。
ふわり、と空気が静まる。
次の瞬間、濁った水がくるりと渦を巻いた。
土砂だけが意思を持ったように水から分かれ、丸く固まり、ゆっくりと岸へ運ばれていく。
水は瞬く間に透明に戻った。
川底の小石がきらりと光る。
何事もなかったかのように、さらさらと流れ出す。
ルビーはぱちりと目を開けた。
「うん、上手くできた」
「まあ……! ありがとうよ、ルビー」
「これくらいどうってことないよ。魔法の練習にもなるしね」
そう言って、えへへと笑う。
まるで簡単な水汲みでも終えたかのような顔だ。
「そういえば、ルビーは杖を持たないのかい?」
「弱い者は杖を持てないんだよ」
「呪文みたいなのもかい?」
「うん、簡単な魔法は要らないんだって」
マリルは首を傾げる。
今の魔法が“簡単”なのかは疑問だったが、本人がそう言うのだからそうなのだろう。
「だから、お前さんはあまり魔女らしくないんだね」
着古したローブに、質素なワンピース。
依頼を受けて報酬を取るわけでもなく、町をふらふら歩いては困りごとを見つけては直していく。
「あはは。私は物語に出てくる主人公の魔女じゃなくて、名前もつかないモブ魔女みたいなものだからお金をもらうほどの魔法は使えないんだよ~」
ルビーは目を細めて言う。
物語の魔女は、魔王を倒したり、戦争を止めたりする。
でも自分は――
川をきれいにして、壊れた屋根を直して、迷子の猫を見つけるくらい。
それでも。
(世界って、小さな“困った”でできてると思うんだよね)
ひとつ直せば、ちょっとだけ平和になる。
それを毎日やれば。
もしかしたら、ちゃんと世界は救われるんじゃないだろうか。
ルビーは本気でそう思っている。
誰かに認められなくてもいい。
伝説にならなくてもいい。
今日もひとつ世界を救えたのだから。
「さて、次はどこを救おうかな!」
ぴょこぴょこと跳ねながら、ルビーは町を進んでいく。
◇◇◇
八年前──ルビー十二歳。魔法学校入学後の魔力鑑定式。
「偉大なる魔女リムルの娘だって……!?」「きっと相当魔力を持ってるはずだ」
広間には生徒だけでなく、教師や各地から集まった魔法使いたちの姿もあった。無数の視線が、細い背中に突き刺さる。
(ぐぬぬ……母様は私の魔力をすごいって褒めてくれたけど、母様みたいにはきっといかないよ)
魔力は水晶の色で判定される。
黄・緑・橙・青・赤の順に強く、極稀に“色なし”が現れる。色なしは最弱。数百年に一人いるかいないかだ。
(せめて橙であれば……まだ十二歳だもん)
そっと水晶に触れ、魔力を流す。
その瞬間、室内に強い風が巻き起こった。水晶の中で色が目まぐるしく変わる。黄、緑、橙、青、赤──次の瞬間、すべての色が沈み、深い闇のような色に染まった。
「……これは……」
「黒?」
ざわめきの中、学校長と大魔法使いたちが慌ただしく水晶を囲む。短い協議の後、学校長が振り返った。
「ルビー・スカルズ……色なし」
あまりにもあっさりと告げられたその言葉に、視界が白くなる。色なし。ほぼ魔力を持たぬ者と同義。期待は一瞬で失望に変わった。
「これから杖を選ぶ。杖は魔力を増幅させるが……色なしには所持を認めない。ルビー・スカルズは自習していなさい」
小さな笑いが起きる。
十歳で母を亡くし、遺された学費でここに来たルビーは辞めるわけにはいかなかった。
(卒業さえすれば校外での魔法使用許可は出る……五年間、踏ん張ろう)
授業に参加させてもらえなくても、図書室で学び続けた。基礎から高位魔法まで理論を頭に叩き込む。力がなくても、知識なら身につく。
実力試験の日、詠唱して低位魔法を発動させる。
「こんな魔法に詠唱を使うのか?」
それでも諦めなかった。詠唱を削り、構築を組み替え、何度も頭の中で反復する。そしてある日、無詠唱で魔法が灯った。誰も気づかなかったが、ルビーは小さく拳を握った。
五年後、制限だらけのまま卒業し、魔女の称号を得る。華やかさとは無縁の門出だった。
それから三年。この町に住んでいるのだ。
家の前の芝生に寝転がり、空を見上げる。
「なんだか懐かしいこと思い出しちゃったなぁ……」
ころりと寝返りを打つ。
「力がないから、私が住んでるこの町くらいは小さな救済を与えないとね」
それがきっと、世界を救うことに繋がるはず。
鼻歌を歌いながら目を閉じる。日差しが暖かく、まぶたの裏が赤く染まる。うとうとと意識が落ちかけた、その時だった。
重たい足音。
土を踏みしめる鈍い音が、すぐそばで止まる。
ゆっくりと目を開くと、真上から一人の男が覗き込んでいた。
次の瞬間、ぽたり、と生温かい雫が頬に落ちる。
赤い。
男の背には、ぐったりとした別の男が背負われていた。
「血……出てるよ」
淡々と告げる。
「あんた、人間か?」
「……? うん」
「ここはあんたの家か?」
「うん」
男は息を荒げ、必死の形相で言った。
「頼む……! 仲間がこの森で魔物に襲われた。こいつを家に置いてくれ……」
ルビーは背中の男をじっと見る。腹部が何かに貫かれたように抉れている。血が止まらない。
「たしかに、これ以上動くと死ぬね」
「ああ……だから止血して、治癒魔法の使える魔導士か魔女を呼んでくるから──」
「あ、じゃあ私がやるね」
ひょい、と手を挙げる。
男は目を瞬かせた。
「あんた……魔女なのか? 森の妖精じゃなく?」
「お兄さん頭でも打ってる? それに、ここ森だけど五十メートル先で町だよ。医者はいないし、魔女は私だけ」
そう言いながら扉を開ける。男は躊躇なく家に入り、小さなベッドへ仲間を横たえた。
「ベッドは後で弁償するよ」
「そうしてぇ~」
ルビーは、わかりやすくしょげる。
「ところで治癒魔法はどれくらい使えるんだ?」
ルビーは正直に答えた。
「わからない。使ったことないから」
「ない!? それは使えないってことじゃ──」
「うーん……まじない程度。止血くらいはできる気がする」
「気がするって……」
男の言葉が途切れる。
ルビーは傷口に手を重ね、目を閉じた。
静かに魔力を流す。
一瞬、空気が揺れた。
裂けた肉が引き寄せられるように閉じ、砕けた骨が音もなく噛み合い、止まらなかった出血がぴたりと止まる。皮膚はなめらかに再生し、痕すら残らない。
数秒。
ただそれだけだった。
(……これが、まじない程度?)
男は息を呑む。だが、集中しているルビーに声はかけられない。
やがてルビーが目を開く。
「うん、めちゃくちゃ上出来だと思う。もしかしたら中はぐちゃぐちゃかもだけど」
「怖いことを言わないでくれ……」
仲間は穏やかな呼吸を取り戻している。顔色もみるみる良くなっていた。
「だが、感謝する。この礼は必ず──」
「いいよ。高位魔法も未熟でも魔力不足でも使えるってわかったから」
淡々とした声。
ルビーは本気で嬉しそうだった。
(これで町のじいちゃんばあちゃんの腰痛治療できるかな)
「あ、ベッドは買ってね」
「わかっている。……そうだ、あんた名前は?」
「ルビー」
「ほう、ルビー。赤い瞳にぴったりな名だな」
男はじっと彼女の瞳を見つめる。
「俺はルドルフ。帝国の騎士だ」
「……ルルね。覚えておくよー」
「ルドルフだ!!」
家の中に、ようやく普通の声が響いた。
だが、すぐにルドルフは表情を引き締める。
「だが、ルビー……ここに住んでいて平気なのか? 最近この辺りは魔物が多い。もうすぐ魔竜が出るとも噂されている」
魔竜。
数百年に一度、大災害を起こす存在。
目覚める前触れとして魔物が活発化すると言われている。
ルビーは首を傾げた。
「うーん……弱い魔物なら、この町には結界を張ってるから平気だと思う。多分」
「結界を……張っている?」
さらりと言う。
(さっきの治癒魔法……あれは帝国でも最高位に近い。結界まで? しかも“多分”だと?)
ルドルフは探るように尋ねた。
「ルビーは、もしかして野良魔女か?」
「まっさか~。魔法学校出ずに魔法使うのは違法だよ~」
「いや、それは知っているが」
(なら、なぜ自分を弱いと思い込んでいる?)
その時、ベッドの上で仲間がうめき声を上げた。
「……ギル!! 起きたか!」
「あれ……俺、傷が……」
腹部に手を当て、目を見開く。
「ああ! この魔女が治してくれたんだ!」
「本当か……? ありがとう、助かった」
まっすぐな感謝の言葉。
ルビーは少しだけ目を細めた。胸の奥が、じんわり温かい。
こういうのが、好きだ。
二人が立ち上がり、帰ろうとした時だった。
「ルビー、このまま帝都に来いよ。ベッドも弁償するし、今日は眠れないだろう? うちのを使ってくれ」
「んんー、寝れないこともないけど……」
(血は魔法で落とせるけど。落ちてもなんか、こう……気分的にねぇ)
少し考えてから、ぱっと顔を上げる。
「うん、じゃあそうしようかな」
どうせ暇だ。
小さな町の小さな救済は、明日でもできる。
そうしてルビーは、ふらりと帝国騎士について行くことにした。
◇◇◇
帝都についた時。
(帝都なんて、魔法学校を卒業して以来だなぁ)
石畳の道も、高い塔も、空を横切る飛行魔道具も。
どこか懐かしいのに、少しだけよそよそしい。
余り変わらない街並みを、ほんの少しだけ懐かしんだ。
ギルとは帝都の門で別れた。
何度も礼を言われ、最後はほとんど拝まれそうな勢いだった。
そして、ルドルフの邸宅の前に二人は立っていた。
白い外壁に大きな門。
庭には整えられた生垣と噴水。
「ルルって貴族なの?」
「ん? ああ、まあな。伯爵家の三男だから、何のしがらみもないお気楽貴族だよ」
冗談交じりに肩をすくめる。
(お気楽……?)
ルビーは屋敷を見上げた。
(私の家、あの門の中に三つは入るな)
客室に案内されると、バルコニー付きの広い部屋だった。
天蓋付きのベッド、厚い絨毯、磨かれた家具。
「おぉ……! 私の家の十倍くらいある」
「落ち着かないかもしれないが、好きに使ってくれ」
そう言ってルドルフが部屋を出ようとした、その時。
────バリンッ
夜を裂くような音。
ただのガラスの割れる音ではない。
帝都を覆う強固な結界が、強引に引き裂かれた音だった。
次の瞬間、遠くから悲鳴が重なって届く。
「……!? なんだ?」
ルドルフがバルコニーへ駆け寄る。
ルビーもひょい、と並んで覗き込んだ。
だが、視界には静かな夜景しかない。
「一体何が────」
その言葉の途中。
邸宅の真上を、巨大な影が横切った。
月が遮られる。
風圧が、遅れて押し寄せる。
二人は同時に空を見上げた。
「……あれは……!!」
「わ、ほんとに魔竜だね。予想的中じゃん、ルル」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろう!!」
黒い巨体が旋回するたび、帝都の空気が震える。
ルドルフは即座に部屋の扉へ走った。
「俺は城へ向かう! ルビーはここで大人しく──」
「……私も行く」
即答だった。
「なにを馬鹿なことを」
「だって、きっと凄い魔法がいっぱい見られるよね? ルルは先に行ってて。私はあとから行くから」
冗談ではないとわかるからこそ、ルドルフは焦る。
「……死にたいのか?」
「いや、別に? 死ぬ時は死ぬしって感じ。死ぬなら強い魔法を見て死にたいかな」
赤い瞳が月光を受けて淡く光る。
無邪気で、どこか危うい。
ルドルフの直感が告げていた。
──この魔女を、城に連れていったほうがいい。
「……わかった。だが急いでいる。走れるか? 無理なら抱き上げる」
「んー、走れないけど飛べるよ」
その一言で、ルドルフは走り出した。
石畳を蹴る音の横を、ふわりと浮かぶ影が並ぶ。
ルビーは楽しそうに夜風を切っていた。
城へ着くと、騎士団本部はすでに騒然としていた。
ルドルフはまず魔法管理局へ連絡を入れる。
「大魔法使い殿に、ルビーという魔女を連れてきたと伝えてくれ」
その名は、すぐに上層へ届いた。
「なんだと……!? あの、ルビー・スカルズが?」
「……皇帝陛下に、魔竜討伐魔法軍への加勢許可を得るしかないな……」
異例の速さで許可が下りる。
命令が伝えられた時、ルドルフは強く反対した。
だが。
「え、いいの? やった」
ルビーは、心から嬉しそうだった。
(来てよかった。きっと猫の手も借りたいとはこのことだね)
城壁の上。
魔法軍はすでに配置についている。
攻撃前だというのに、魔女の姿はほとんどない。
討伐は男の仕事──そんな古い考えが、未だに根を張っていた。
だが、誰もが同じ顔をしている。
覚悟と、諦め。
「勝てるはずがない……」
「巣に帰るのを待つ方が……」
何千年も倒されていない魔竜。
その中で。
ルビーひとりが、にまにまと笑いながら作戦を聞いていた。
難しい言葉が飛び交う。
陣形、連携術式、魔力分配、制圧波動。
ほとんどわからない。
「ねね、どゆこと?」
近くの青ざめた魔導士に聞く。
「と、とにかく最大限の攻撃を一斉に叩き込むんだ……それしかない……!」
「攻撃魔法……」
ルビーは小さく呟く。
(うう~ん。学校では最低位しか許されなかったし、使う機会もなかったしなぁ)
(試しに、高位の魔法を使ってみたいなぁ。発動できても、色なしの私じゃ大した力じゃないだろうけど)
さらににまにまとした顔になる。
その笑みを見て、周囲の魔導士たちは思った。
──恐怖で壊れたのか。
だが、どうせ皆死ぬかもしれないのだ。
誰も、それ以上気にする者はいなかった───。
ルビーは、先ほどの青ざめた魔導士キースとペアを組むことになった。
作戦は単純。
騎士団が地上から牽制し、魔法軍が空から撃ち落とす。
ルビーたち魔法軍は空へと舞い上がり、それぞれが杖を構えた。
詠唱が重なる。
光が幾重にも走る。
帝都を破壊し続ける魔竜へ、高位魔法が雨のように降り注ぐ。
だが──
黒い鱗は、ほとんど傷つかない。
「くっ……!」
冷や汗を流しながら、誰も止めない。
魔力が尽きるまで、ただ撃ち続ける。
その中で。
詠唱なしで中位魔法を順に試していたのが、ルビーだった。
「ねえねえ、大魔法使いってどれ?ここにいる?」
呑気な声。
キースは詠唱を終え、荒い息のまま答える。
「あそこだ……! 最高位を扱えるのは大魔法使いラント様だけなんだ……!」
視線の先では、ラントが膨大な魔力を放っている。
だがその顔には、すでに限界の色が滲んでいた。
(みんな私より魔力あるのに……)
ルビーは不思議そうに首を傾げる。
(やっぱり知識の問題なのかなぁ。最高位って詠唱長いし、覚えづらいし)
「ねえねえねえ」
必死なキースに耳打ちする。
キースの目が見開かれた。
「そんなのできないよ!!」
「ほんとにちょーっとだけ。私の魔力と同時に放てば、いける気がするんだ」
「無理だって!! 最高位だぞ!?」
「まあまあ、物は試しだよ」
にまにまと笑う。
その様子を、大魔法使いラントは遠目に見ていた。
必死に最高位の攻撃魔法を放ち続けながら、すでに悟っている。
――自分の力では、もう無理だ。
魔力が底をつきかけている。
腕が震え、詠唱の声もかすれる。
それでも撃ち続けるしかない。
だが視界の端で、にまにまと笑う少女の姿が揺れた。
ラントは思い出す。
八年前。
ルビー・スカルズの魔力鑑定式を───
(あの魔女が出した水晶の黒は、最強を意味している……だが、あの時)
水晶が、黒に染まった瞬間。
ざわめきが止まった。
判定を下すための、ほんの数分の話し合いだった。
だが、その数分は異様に長かった。
学校長。
大魔法使い。
魔法幹部。
誰もが、水晶から目を離せなかった。
黒。
記録上、最強。
同時に――災厄。
「……一旦、判定は伏せる」
それが最初の決定だった。
少女はまだ幼い。
今ここで公表すれば、帝都が騒ぐ。
その場では“色なし”として処理された。
だが、後日改めて開かれた会議で、再び議題に上がった。
「本人にだけ明かしましょう」
「だが、数百年前一人黒水晶を出した者は……」
「……自分を見失って村三つと町二つを滅ぼしたと記録があったな」
「本人にも隠すべきかと……」
重苦しい空気の中、結論は出た。
ルビー・スカルズ本人にも隠す。
教員たちは訳もわからぬまま命じられた。
色なしには杖は使えないという決まりを徹底しろ。
存在しない“無詠唱で発動する魔法”を強要しろ、と。
杖を与えると一振で全てを破壊してしまうと危惧し、正確な詠唱で強すぎる魔法が本人にもバレてしまうから。
だから杖は与えない。
だから詠唱はさせない。
だが知識だけは与えた。
いずれ、帝都に何かあった時のために。
ルビーは、何も知らないまま、都合よく。
帝都の外れ……帝都から近い町の、人目のつかない少し森に入った小屋に住まわされていた。
隔離でも、追放でもない。"保険"
帝都が滅びかけた時に使う、最後の切り札。
そして今。
その“保険”が、空で笑っている。
ラントは歯を食いしばった。
(もう……あの娘なくして魔竜を撃退することなど無可能だ……!!)
己の判断を悔やみながら。
同時に、祈るような気持ちで。
あの黒の力が、どうか暴走ではなく──救いでありますように、と───────。
ルビーは、相変わらずキースを説得して最高位の魔法を試させるようにしていた。
「よし、じゃあ行くよ。全部の魔力を込めて詠唱してね」
キースは喉を鳴らし、震える声で詠唱を始める。
「ディグゼルグネシア=ヴァイ…………」
ルビーが、詠唱の手本を見せる。
「ディグゼルグネシア=ヴァルトルクシオン」
詰まりながらキースが息を吸う。
「……っディグゼルグネシア=ヴァルトルクシオン」
ルビーは横目で確認する。
「いけそう?」
「う、うん……!魔力を全部込めてみるよ……!」
ルビーは満足げに笑った。
「ふふん!!よし、やるよ。せーの」
キースの杖に、補助をするようにルビーは手を並べ、街を破壊する魔竜へ掌を向ける。
「「ディグゼルグネシア=ヴァルトルクシオン」」
その瞬間。
世界が白く染まった。
とんでもなく強い光が、太く鋭い光線となって轟音と共に放たれる。
空気が裂け、衝撃波が帝都を揺らす。
吹き荒れる暴風に瓦礫が舞い上がり、魔導士たちは姿勢を保つのに必死だった。
一直線に走った白閃は、帝都を蹂躙していた魔竜へ直撃する。
硬鱗を焼き、肉を穿ち――
巨大な身体を、完全に貫通した。
魔竜が絶叫を上げる。
地響きを立てながら、その巨体がゆっくりと傾き、やがて崩れ落ちた。
轟音。
土煙。
そして、静寂。
「やった……!!すごい!!すごいよ……!!」
ルビーは大喜びだった。
普段顔に出にくい表情が嘘のように、笑顔で空をくるくると飛び回る。
「……ほんとに凄い。ルビーさん君は一体───」
「やっぱり帝国で働く強い魔導士は最高位の魔法をあんな風に使えるんだ!キースすごい!!」
「いや、あれは君が……」
「謙遜しなくていいよ、私は所詮知識だけを蓄えた色なしなんだから」
「色なし?」
キースの顔色がさらに悪くなる。
(色なし……色なしは確か、低位の魔法すらままならない稀代稀に見る落ちこぼれ……だよな?)
そして、動揺しているのはラントも同じだった。
「本当にあれが……私が使っていた最高位の攻撃魔法と同じだと言うのか……?」
今代、世界で一番強い魔法使いの称号――大魔法使い。
ルビーの母、偉大なる魔女リムルと肩を並べて戦った彼でさえ、あれほどの威力を放つことは出来ない。ルビーの魔法の10%程の威力でも全魔力を要した。
だがあの少女は……
楽しそうに笑っている。
「おーい!!ルビー、大丈夫かー!!」
地上から声をかけたのはルドルフだった。
「あ、ルル。凄いの見れちゃったよ、本当に来てよかった」
「見れたって……」
(お前が発動してるところみんな見てたっつーの)
そう思いながらも、言っても無駄だと口を閉じる。
「天才魔導士のキースに拍手だね」
「おー、そうだな」
ルドルフはテキトーな返事をしたが、ルビーの笑顔に思わず頬を染めた。
最高位魔法を放った瞬間、光に照らされたルビーの姿は――
あまりにも眩しく、美しかった。
(パッと見背が低いからかちんちくりんなんだけどなぁ……)
◇◇◇
それから一週間が経った。
ルビーは、新しく運び込まれたふかふかのベッドに体を沈めながら、今にも眠りに落ちそうだった。
「気持ちいい……寝たい……のに」
「なんでいるの?」
薄く目を開けたままの問いに、部屋に居座るルドルフとキースは顔を見合わせる。
「ルビーさん、陛下が魔竜討伐の褒美を与えるから登城するようにと……これで三回目のお達しでして……」
「なんで、見てただけの野次馬魔女が褒美をもらうの。いきたくない」
「だから~、討伐したのはルビーさんだって……」
ルドルフはため息をつき、ベッドの端に腰を下ろした。沈んだマットレスがふわりと揺れる。
「行ってやれって。魔法軍の小僧が困ってるじゃんか」
「小僧って……僕は二十六歳ですよ」
「え、年上?」
半分夢の中の声で、ルビーはもぞりと寝返りを打つ。
「ルルは……なんでまいにち……くるの?」
「ん~……俺は───ルビーに会いに?」
勇気を振り絞った言葉だった。
だが返ってきたのは、規則正しい寝息。
「寝てるし……」
「寝てますね……」
キースは肩を落とした。
「皇帝陛下の命令でルビーさんを連れていくのは絶対なのに……どうしましょう……」
「んぁ~、これも世界の救済だって言えば来てくれるよ」
「世界の救済?」
「ああ。ルビーは、力のない魔女の自分でもちょっとしたことで人を助けて世界の救済に貢献してるんだってよ」
「……実際に世界を救ったようなものでしょうに」
あの魔竜は数百年に一度現れ、一年をかけて世界を巡る災厄。
本来ならば、もっと多くの命が奪われていたはずだった。
怯えながら未来を待つ人々も、きっと増えていた。
それが、止まった。
「でもそこが、ルビーの可愛いところだよな」
ルドルフはまるで何年もルビーを知っているような口ぶりだった。
そして、眠る彼女を見つめる。
光を浴びていた戦場の姿とは違い、今はただ無防備で小さな魔女だ。
キースはその横顔をちらりと見て、静かに微笑む。
「んん~……モブ魔女でも世界は救えるもん……ちょっとだけ……」
寝言だった。
二人は目を合わせ、小さく吹き出す。
これは、伝説の偉大なる魔女がつくった一つ目の伝説。
これからの未来にルビーは沢山の伝説作り、世界を何度も救うのだが──
今の彼女は自分が最強だと知らないまま、町の困り事を解決して。
今日もきっと───
ほんのちょっとだけ、世界を救うのだ。
5
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