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メイの思い出
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転移魔方陣の光が消えた後、 床に刻まれていた複雑な文様も跡形もなく消えていた。
3年ぶりに開かれた聖域の入り口は、再び閉ざされ、不可侵の楽園に戻ったのだった。
カインが消えたあと、静かに涙を流しながら その場にへたり込むメアリーはコーリンに助け起こされ、そのまま寝室に連れていかれたようだった。
そうして残ったデモンにメイは話しかけた。
「・・・坊ちゃん、行っちゃいましたねぇ。」
デモンは、
「どうせまたすぐ旦那様が戻してきますよ。」
と、そっけなくつぶやくと、転移の間を出て行き、聖域の日常を回す歯車に戻っていった。
一人たたずむメイはぼんやりとここに来た日のことを思い出していた。
メアリー様が旦那様の第二夫人となったとき、世間では、かつての友人の、しかもその夫を亡くしたばかりの未亡人とまだ1歳にも満たない子供を侯爵籍に入れたことで、いろいろな憶測が飛んだことは覚えている。
それに加えて、旦那様がこの母子に対し聖域を住まいに充てがわれたと聞いたときは 侯爵家の関係者は驚きを隠せなかった。しかしその後 特に何があったとの話も出ず、平穏に過ぎていたはずだった。
侯爵家の影として日々、潜入、諜報、暗殺に明け暮れていたある日、突然指示されたのが聖域で暮らす母子の警護と世話であった。聖域が閉じられる前の話である。
もう一人の人物と共に任務に就くようにとのことで、その人物と顔を合わせたとき、その中年女の持つ目つきの鋭さと、まとう空気に、己と同じ影のにおいを色濃く感じたのであった。
ちなみに相手も同じようにこちらを思っていることがなんとなく分かった。
侯爵家の所有するいくつもの別邸のうちの一つに、聖域と言われる秘匿された場所があるのは話には聞いていた。
そして、そこに住まう聖域の番人のことも。
聖域の番人とは、その名の通り、聖域を代々守ってきた者たちの一族のことで、そこから生涯出ることはない、まさしく聖域そのものであり、影の間でも伝説の人物だった。
当代の聖域の番人のデモンは、我々が聖域の内側へ足を踏み入れた直後、転移魔方陣を消滅させて、出入り口を完全に閉ざしてしまった。
こんなことをしては、容易に出入りが出来なくなるではないかと思ったが、旦那様のご指示だという。
メアリー様とカイン様は侯爵家に籍を得てから三年、一度も聖域を出ることもなく住み続けておられたとのことだった。私が初めてお会いした時には、カイン様は既に3歳になっておられた。
デモンの話によると、母子を聖域に受け入れたとき、侯爵家から、生え抜きの侍女とメイド数名が派遣されたらしいが、3年が経過したころから急に妙な動きを取りだしたということだった。
デモンはその違和感の正体をはっきりとは捉えられなかったが、聖域の番人としての本能が危険を察知していた。
そこで旦那様に報告すると、すぐにその者達を侯爵直属の影に入れ替え、聖域を閉じる命が下った・・・というのが、我々がここに来ることになった顛末だった。
その後侯爵邸に戻された彼らは行方不明となり、なにもかもがはっきりしないまま、聖域は閉じられた楽園になったのだった。
そんな風にデモンから 我々がここに来させられた経緯を聞いたが、それでも なぜ影の中核の一端にいる我々が、ここに来させられたのかの疑問は晴れなかった。
なんの力も利用価値もない、友人の未亡人とその遺児でしかない彼らを守る為に、なぜここまでするのか。
これまで受けてきた侯爵の命令は、常に王国、王家、そして侯爵家の繁栄の為だけにあり、それは冷徹なまでに合理的であっただけに、この度の命令に納得することはできなかった。
ごく幼い頃から泥の中を一人で生き延びて、侯爵直属の影となり、血と謀略にまみれた世界にいた自分にとって、メイドとして母子の姿を見続けるだけの任務は退屈でたまらない物になるだろうと思っていた。しかし そばで目にする母と子の優しい時間は、まどろみの中でたゆたう感覚に似て、これが幸福という感情なのかもしれないと思ったのだった。
こうして、メアリー様、カイン坊ちゃん、デモンにコーリンと私だけで過ごす穏やかな時間は過ぎ去っていったが、カイン坊ちゃんが6歳になったとき、坊ちゃんだけ本邸に戻る決定が下された。
坊ちゃんはメアリー様に甘やかされたおかげで、少々わがままである。
そして、坊ちゃんに自分の料理を食べさせたくてしかたないデモンのおかげで、少々食い意地の張ったお子様にお育ちになった。
しかし愛情に満たされてきたおかげで、いまだ歪みや穢れを知らないカイン様は、汚れ仕事をやってきた私の目には大変にまぶしい存在であった。
その坊ちゃんが、妖怪だらけの貴族社会でとても無事でおられるとは思わなかった。
そのうえ、デモンとの鬼ごっこという名の容赦ない魔法回避訓練をこなしていくうちに、分厚い肉の下から光り輝く美しい妖精が現れた。
そして魔力無しという、身を守るすべを持たない妖精が、この聖域を出ていくという。
カイン坊ちゃんがここを出ていった今になってようやく、かつて 旦那様がメアリー様とカイン坊ちゃんを抱き込むように聖域に閉じ込めた理由と、昔 私がお二人を守る命を受けた理由に納得がいったのだった。
さきほどデモンは、旦那様がすぐに坊ちゃんをここにまた戻すことになると言っていたけれど、私にはそうは思えなかった。
きっと、その輝きに囚われた誰もかれもが、美しい妖精を逃がすまいと手を伸ばすだろう。
閉じられた楽園の中にいる私は、妖精の羽が折られることがないように願うばかりだった。
3年ぶりに開かれた聖域の入り口は、再び閉ざされ、不可侵の楽園に戻ったのだった。
カインが消えたあと、静かに涙を流しながら その場にへたり込むメアリーはコーリンに助け起こされ、そのまま寝室に連れていかれたようだった。
そうして残ったデモンにメイは話しかけた。
「・・・坊ちゃん、行っちゃいましたねぇ。」
デモンは、
「どうせまたすぐ旦那様が戻してきますよ。」
と、そっけなくつぶやくと、転移の間を出て行き、聖域の日常を回す歯車に戻っていった。
一人たたずむメイはぼんやりとここに来た日のことを思い出していた。
メアリー様が旦那様の第二夫人となったとき、世間では、かつての友人の、しかもその夫を亡くしたばかりの未亡人とまだ1歳にも満たない子供を侯爵籍に入れたことで、いろいろな憶測が飛んだことは覚えている。
それに加えて、旦那様がこの母子に対し聖域を住まいに充てがわれたと聞いたときは 侯爵家の関係者は驚きを隠せなかった。しかしその後 特に何があったとの話も出ず、平穏に過ぎていたはずだった。
侯爵家の影として日々、潜入、諜報、暗殺に明け暮れていたある日、突然指示されたのが聖域で暮らす母子の警護と世話であった。聖域が閉じられる前の話である。
もう一人の人物と共に任務に就くようにとのことで、その人物と顔を合わせたとき、その中年女の持つ目つきの鋭さと、まとう空気に、己と同じ影のにおいを色濃く感じたのであった。
ちなみに相手も同じようにこちらを思っていることがなんとなく分かった。
侯爵家の所有するいくつもの別邸のうちの一つに、聖域と言われる秘匿された場所があるのは話には聞いていた。
そして、そこに住まう聖域の番人のことも。
聖域の番人とは、その名の通り、聖域を代々守ってきた者たちの一族のことで、そこから生涯出ることはない、まさしく聖域そのものであり、影の間でも伝説の人物だった。
当代の聖域の番人のデモンは、我々が聖域の内側へ足を踏み入れた直後、転移魔方陣を消滅させて、出入り口を完全に閉ざしてしまった。
こんなことをしては、容易に出入りが出来なくなるではないかと思ったが、旦那様のご指示だという。
メアリー様とカイン様は侯爵家に籍を得てから三年、一度も聖域を出ることもなく住み続けておられたとのことだった。私が初めてお会いした時には、カイン様は既に3歳になっておられた。
デモンの話によると、母子を聖域に受け入れたとき、侯爵家から、生え抜きの侍女とメイド数名が派遣されたらしいが、3年が経過したころから急に妙な動きを取りだしたということだった。
デモンはその違和感の正体をはっきりとは捉えられなかったが、聖域の番人としての本能が危険を察知していた。
そこで旦那様に報告すると、すぐにその者達を侯爵直属の影に入れ替え、聖域を閉じる命が下った・・・というのが、我々がここに来ることになった顛末だった。
その後侯爵邸に戻された彼らは行方不明となり、なにもかもがはっきりしないまま、聖域は閉じられた楽園になったのだった。
そんな風にデモンから 我々がここに来させられた経緯を聞いたが、それでも なぜ影の中核の一端にいる我々が、ここに来させられたのかの疑問は晴れなかった。
なんの力も利用価値もない、友人の未亡人とその遺児でしかない彼らを守る為に、なぜここまでするのか。
これまで受けてきた侯爵の命令は、常に王国、王家、そして侯爵家の繁栄の為だけにあり、それは冷徹なまでに合理的であっただけに、この度の命令に納得することはできなかった。
ごく幼い頃から泥の中を一人で生き延びて、侯爵直属の影となり、血と謀略にまみれた世界にいた自分にとって、メイドとして母子の姿を見続けるだけの任務は退屈でたまらない物になるだろうと思っていた。しかし そばで目にする母と子の優しい時間は、まどろみの中でたゆたう感覚に似て、これが幸福という感情なのかもしれないと思ったのだった。
こうして、メアリー様、カイン坊ちゃん、デモンにコーリンと私だけで過ごす穏やかな時間は過ぎ去っていったが、カイン坊ちゃんが6歳になったとき、坊ちゃんだけ本邸に戻る決定が下された。
坊ちゃんはメアリー様に甘やかされたおかげで、少々わがままである。
そして、坊ちゃんに自分の料理を食べさせたくてしかたないデモンのおかげで、少々食い意地の張ったお子様にお育ちになった。
しかし愛情に満たされてきたおかげで、いまだ歪みや穢れを知らないカイン様は、汚れ仕事をやってきた私の目には大変にまぶしい存在であった。
その坊ちゃんが、妖怪だらけの貴族社会でとても無事でおられるとは思わなかった。
そのうえ、デモンとの鬼ごっこという名の容赦ない魔法回避訓練をこなしていくうちに、分厚い肉の下から光り輝く美しい妖精が現れた。
そして魔力無しという、身を守るすべを持たない妖精が、この聖域を出ていくという。
カイン坊ちゃんがここを出ていった今になってようやく、かつて 旦那様がメアリー様とカイン坊ちゃんを抱き込むように聖域に閉じ込めた理由と、昔 私がお二人を守る命を受けた理由に納得がいったのだった。
さきほどデモンは、旦那様がすぐに坊ちゃんをここにまた戻すことになると言っていたけれど、私にはそうは思えなかった。
きっと、その輝きに囚われた誰もかれもが、美しい妖精を逃がすまいと手を伸ばすだろう。
閉じられた楽園の中にいる私は、妖精の羽が折られることがないように願うばかりだった。
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