空洞

ツヨシ

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大学一年の夏休み、市民プールの監視員のバイトをした。
基本的にはただ見ているだけのバイトだ。
バイトを始めて数日間は何事もなかったが、ある日、とてつもなく奇妙なものを見た。
気付けばプールの真ん中あたりに、小学生低学年くらいの男の子が俺に背を向けて立っているのだ。
子供用プールは端にあり、あれくらいの子供がここに入ってくることはあまりない。
そしてありえないことに、男の子は真っ直ぐに立っていて全く動かないのだが、腰から上が全て水面よりも上にあるのだ。
あのあたりは大の大人でもプールの底に足をつけたら、肩よりも上くらいしか水面から出ないというのに。
それにどう見てもその男の子は、泳いでいるとかそんなものではなく、ただ立っているようにしか見えないのだ。
――なんなんだあれは?
あまりにも不気味だが、周りの人間でその子供に反応している人は誰一人いなかった。
ひょっとしてあれは俺にしか見えていないのではと思い始めたとき、その子供がくるりと振り返った。
顔がなかった。
顔に当る部分が大きな穴の開いた空洞のようになり、そこが真っ黒なのだ。
そして目も鼻も口もないというのに、そいつが俺をじっと見ていることがはっきりとわかった。
俺の身体は固まり、目はそいつに釘付けになった。
それなのに気がつくと、その子供はどこかに消えていた。
いついなくなったのかもわからない。
ずっとそいつを凝視していたというのに。

その日一日、なんとか監視員の仕事をこなしたが、もちろん平常心ではなかった。
バイトが終わり、帰り支度をしていると、大学の四回生でこの仕事を四年間しているという先輩に声をかけられた。
「なにか見たのか?」
なにかあったのか、ではなくてなにか見たのかと聞いてきたのだ。
見たことを告げると先輩が言った。
「そうか。あれを見たのか。たまに見るやつがいるんだよな。俺も二年前に一回だけだが見たんだ。このプールで誰か死んだなんて話は聞かないのにな」
そういうと先輩はそのまま帰った。

次の日はバイトが休みだったので、ネットや図書館などで徹底的に調べ上げたが、先輩の言うとおりで、あのプール誰かが死んだという話は出てこなかった。
それなのに次の日に市民プールに行くと、またあれが現れた。
そして前と同じように振り返って、暗く穴が開いたような顔で俺をじっと見たのだ。


       終
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