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地面が急速に眼前に迫ってきたとき、初めて自分の置かれている状況に気がついたのだが。
まどろんでいた。
少し寝かかっていたかもしれない。
その時、音がした。
聞きなれない音だ。
なにかになにかが激しくぶつかったような音に聞こえた。
窓の外から聞こえてきた。
部屋から外を見たがなにも見えない。
今のが上から何か落ちてきた音であるならば、それは下の地面にあるはずだ。
――とりあえず見てみるか。
軽い気持ちだった。
笠井は立ち上がり、窓からベランダに出て、下を見た。
そこには一生忘れることができないおぞましいものが横たわっていた。
岡田たまきがマンションから飛び降りて死んだことはマンションじゅうに知れ渡り、全国ニュースでも取り上げられた。
八階のベランダから飛び降りたものとみられ、そのまま下のコンクリートに叩きつけられた。
ほぼ即死である。
大都会の郊外にあるこのマンションは超がつくほど巨大で、住人の総人口は一万人に近い。
そのため過去にも飛び降り自殺があったのだが、一番最近のものでも十年近くも前のことで、その後に入居した者はもちろんのこと、それ以前から住んでいた人にも大きな衝撃があった。
それにくわえて岡田たまきは新婚二か月目で、一般的には幸せの絶頂期にあると思われていたのだ。
それなのに自殺してしまうなんて。
そうなるとマンション中にさまざまな噂が広がる。
中でもまことしやかにささやかれていたのが「旦那が家庭内暴力をふるったのではないか」という噂だ。
隣に住んでいる人さえ、そんな場面は見たことも聞いたこともないというのに、その噂はいつの間にかほぼ確定事項となって広まった。
夫は新妻を突然亡くしたうえに、ひどい噂が広まってしまったためか、一か月を待たずにマンションを出て行ってしまった。
夫が出て行っても噂だけは残り、いなくなったのをよいことに具体的な出来事が、あたかも見てきたかのように伝わっていった。
もちろん誰一人そんな場面は見ていないのに。
夫を一度も見たことがない人たちの間で。
桜井健一はそんな噂にへきへきしていたが、その噂が語られることが、ある日一気になくなった。
それは次の自殺者が出たからだ。
香田まさみはなにかに気がついた。
音、におい、姿。
いや、そんなものはなに一つない。
あるとすれば、それは気配だ。
なにも見えないし、なにも聞こえない。
だが確実になにかがいる。
この自分の部屋に。
――なんなの?
明らかにこの部屋の空気が、先ほどとはがらりと変わってしまった。
不穏な感覚。
そして五感以外のなにかが、香田にある種の危険を伝えてきた。
しかし気配は強く感じるのだが、しばらくたってもなにかが起きるわけでもなく、なにも現れない。
香田は息を殺して、ただじっとしてやり過ごそうとした。
このまま何事も起きませんようにと、今まで一度も祈ったことのない神や仏に祈った。
それほどまでに気配から感じるものは、全身が縮み上がるほどの恐怖しか感じなかったのだ。
経験したことがないようなすざましいまでも恐怖。
なにがなんだかわからない。
香田は思わず叫ぼうとした。
しかしそれもできない。
叫ぶのはもちろんのこと、下手になにかをするとその気配を刺激するような気がしたからだ。
怖い。
でも動けない。
逃げられない。
叫べない。
その状況のまま、時間だけが過ぎてゆく。
――どうしよう……。
体中から変な汗をかいていると、その重すぎる気配が、一瞬で消えた。
――えっ?
これ以上はできないほどに神経を研ぎ澄ましたが、やはりなにも感じない。なにもいない。
――ふう、なんだったのかしら、今のは。
香田は椅子から立ち上がった。
その時である。
これまで以上の気配が、いきなり目の前に現れた。
それは気配だけではなかった。
しかしあまりにも目の前過ぎて近すぎて、それがなんなのかはわからなかった。
しかし視界の端に人の目のようなものが、女の目のようなものが見えた。
――顔?
そう思った瞬間、香田の体は吹っ飛んだ。
目撃者があった。
マンションの住人の一人である。
まどろんでいた。
少し寝かかっていたかもしれない。
その時、音がした。
聞きなれない音だ。
なにかになにかが激しくぶつかったような音に聞こえた。
窓の外から聞こえてきた。
部屋から外を見たがなにも見えない。
今のが上から何か落ちてきた音であるならば、それは下の地面にあるはずだ。
――とりあえず見てみるか。
軽い気持ちだった。
笠井は立ち上がり、窓からベランダに出て、下を見た。
そこには一生忘れることができないおぞましいものが横たわっていた。
岡田たまきがマンションから飛び降りて死んだことはマンションじゅうに知れ渡り、全国ニュースでも取り上げられた。
八階のベランダから飛び降りたものとみられ、そのまま下のコンクリートに叩きつけられた。
ほぼ即死である。
大都会の郊外にあるこのマンションは超がつくほど巨大で、住人の総人口は一万人に近い。
そのため過去にも飛び降り自殺があったのだが、一番最近のものでも十年近くも前のことで、その後に入居した者はもちろんのこと、それ以前から住んでいた人にも大きな衝撃があった。
それにくわえて岡田たまきは新婚二か月目で、一般的には幸せの絶頂期にあると思われていたのだ。
それなのに自殺してしまうなんて。
そうなるとマンション中にさまざまな噂が広がる。
中でもまことしやかにささやかれていたのが「旦那が家庭内暴力をふるったのではないか」という噂だ。
隣に住んでいる人さえ、そんな場面は見たことも聞いたこともないというのに、その噂はいつの間にかほぼ確定事項となって広まった。
夫は新妻を突然亡くしたうえに、ひどい噂が広まってしまったためか、一か月を待たずにマンションを出て行ってしまった。
夫が出て行っても噂だけは残り、いなくなったのをよいことに具体的な出来事が、あたかも見てきたかのように伝わっていった。
もちろん誰一人そんな場面は見ていないのに。
夫を一度も見たことがない人たちの間で。
桜井健一はそんな噂にへきへきしていたが、その噂が語られることが、ある日一気になくなった。
それは次の自殺者が出たからだ。
香田まさみはなにかに気がついた。
音、におい、姿。
いや、そんなものはなに一つない。
あるとすれば、それは気配だ。
なにも見えないし、なにも聞こえない。
だが確実になにかがいる。
この自分の部屋に。
――なんなの?
明らかにこの部屋の空気が、先ほどとはがらりと変わってしまった。
不穏な感覚。
そして五感以外のなにかが、香田にある種の危険を伝えてきた。
しかし気配は強く感じるのだが、しばらくたってもなにかが起きるわけでもなく、なにも現れない。
香田は息を殺して、ただじっとしてやり過ごそうとした。
このまま何事も起きませんようにと、今まで一度も祈ったことのない神や仏に祈った。
それほどまでに気配から感じるものは、全身が縮み上がるほどの恐怖しか感じなかったのだ。
経験したことがないようなすざましいまでも恐怖。
なにがなんだかわからない。
香田は思わず叫ぼうとした。
しかしそれもできない。
叫ぶのはもちろんのこと、下手になにかをするとその気配を刺激するような気がしたからだ。
怖い。
でも動けない。
逃げられない。
叫べない。
その状況のまま、時間だけが過ぎてゆく。
――どうしよう……。
体中から変な汗をかいていると、その重すぎる気配が、一瞬で消えた。
――えっ?
これ以上はできないほどに神経を研ぎ澄ましたが、やはりなにも感じない。なにもいない。
――ふう、なんだったのかしら、今のは。
香田は椅子から立ち上がった。
その時である。
これまで以上の気配が、いきなり目の前に現れた。
それは気配だけではなかった。
しかしあまりにも目の前過ぎて近すぎて、それがなんなのかはわからなかった。
しかし視界の端に人の目のようなものが、女の目のようなものが見えた。
――顔?
そう思った瞬間、香田の体は吹っ飛んだ。
目撃者があった。
マンションの住人の一人である。
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