探し物

ツヨシ

文字の大きさ
上 下
1 / 1

探し物

しおりを挟む
大学の新学期が近いというのに、俺はまだ住まいが決まっていなかった。

理由はいろいろだ。

まず俺は、車やバイクはおろか、自転車すら持っていなかったので、下宿は大学の近くでないと困る。

毎日一時間も二時間も歩いて大学に通うなんて、冗談じゃない。

そのために捜索範囲が限定されてしまっている。

その上、さらにというか最も大きな理由があった。

それは家賃だ。

俺の家は決して裕福とは言えない。

正しく言えば貧乏と言ったほうがいいくらいなのに、無理して息子を県外の大学に入れたものだから、当然仕送りは少ない。

人並みの家賃を払おうものなら、遊ぶ金どころか光熱費や食事代すらなくなってしまう。

大学は郊外にあり、市の中心と比べると比較的安いのだが、それでもうちの経済状況には合わない。

「うーん、そんな安いところはないですね」

この不動産屋でも、そう言われた。

大学がそれなりの規模があるので、このあたりには学生向けのハイツ、マンション、アパート、下宿がけっこうある。

不動産屋も何軒かあるのだが、今のところ全て撃沈している状況だ。

――困ったな。

とはいえ、学生生活を野宿ですごすわけにもいかない。俺は再度アタックした。

「いらっしゃいませ」

まだ若いく、俺とそんなに年が変わらないように見える男が、出迎えた。

――えらく若いな。父親が経営者で、その息子か?

考えたが、それどころではない。

早速交渉にはいる。

最初、愛想だけはよかったその男だが、俺の「希望家賃」を聞くと、がくりと肩を落としてしまった。

わかりやすいリアクションだ。

――ここでもだめか。

そう思っていると、男が急に顔を上げた。

そしてもうすぐ十九年目に突入する俺の人生の中でも一度もお目にかかったことがないような目で、俺を見た。

「ありますよ」

男が言った。

横にあったメモを取り、そこに五桁の数字を書き込んだ。

――?

安い。このあたりの学生向けハイツの相場は、五万円前後といったところか。

ところが男が書き込んだ数字は、一万五千円だった。

相場の半分以下だ。

ついでに言えば、俺の高いとは言えない仕送りの半分以下でもあった。

「……これは」

予想外の家賃に返答に困っていると、男が言った。

「犬小屋なんかじゃないですよ。ちゃんとした物件です。ただし」

男は声のトーンを一気に下げた。

「事故物件ですがね」


去年のことだ。

202号室に住んでいた男性が殺された。

それも首なし死体で見つかったそうだ。

――聞いたこと、あるなあ。

一時期、全国ニュースなどで大々的に取り上げられていた話題だ。

今のところ、犯人は見つからないままである。

ついでに、持ち去られた首も。

担当者とそんな話をしながら歩いていると、くだんのハイツに着いた。

不動産屋よりも大学に近い。

一階三部屋、二階三部屋の築三十年になる木造ハイツ。

名を裏野ハイツという。


一階の三部屋は全て学生で埋まっているが、二階の三部屋はそろいもそろって空き部屋だ。

猟奇殺人が行われた部屋はもちろんのこと、その両隣も評判が悪いようだ。

「ここです」

担当者が鍵を開け、ドアを開き、俺に入るようにと促した。

中は二部屋。

トイレ、キッチン、それとバルコニー。

これで一万五千円なら、まさに格安だ。

「できれば、しばらく住んでもらいたいです」

若い担当者が、本音を漏らした。

事故物件でも誰かが一定期間住めば、もう事故物件でなくなると聞いたことがある。

その誰かを俺にやらせたいのだろう。

もちろん俺に異論はない。

契約は成立した。


荷物を運びいれ、ある程度片付けると部屋をでた。

食料の買出しだ。

コンビニやスーパーも歩いて数分のところにあった。

大学までも、ゆっくり歩いて十分といったところか。

それでこの家賃。

これ以上の高物件は、夢のまた夢だろう。

本当に運がよかった。

なにせこの俺は「事故物件? なに、それ。おいしいの?」というタイプなのだから。

殺人事件など、微塵も気にしない。


買出しから帰ってくると、一階の住人の三人が、そろって俺を出迎えた。

すぐさま自己紹介が始まった。

101号室は三回生の鳥田という小柄な男。

俺の部屋の下にあたる102号室は二回生の黒木という、これまた小柄な男。

103号室は俺と同じ新入生の吉野という中肉中背の男だった。

三回生の鳥田が声をかけてきた。

「君、202号室に入った人だね」

先輩なので敬語で答える。

「はい、そうですけど」

最後の「ど」を言い終わる前に、鳥田が言った。

「君、よくあんなところに住むね。あそこがどんなところか、わかってんの?」

「はい。事故物件でしょう。殺人事件があったと聞きましたが」

「ふーん、やっぱり知っているんだ。まあ、事故物件の場合、告知の義務があるからね。それでもあそこに住むつもりなんだな」

「はい」

三人が顔を見合わせた。

鳥田が一歩俺に歩み寄った。

「そうなんだ。それじゃあ、とりあえずがんばれ」

何をどうがんばればいいのか、皆目見当がつかなかったが、俺は答えた。

「はい、がんばります」

それを聞くと、三人はそれぞれの部屋へ帰っていった。

二人とも自己紹介以外は何も口をひらかないままに。


家賃を含めて全体的には好条件だが、気になることが二つあった。

それはハイツのすぐ横を、狭い道を隔てて電車が走っているということだ。

早く寝たとき、電車の音で起こされるかもしれない、と思った。

大学生で早寝早起きなんて、一部の体育会系以外はいないだろう。

もちろん俺は、一部の体育会系ではない。

となると、起こされるのは朝か。

ご丁寧にハイツの正面を通る道は、線路と交錯している。

つまり踏切があるということだ。

俺は不動産屋に聞いた。

「朝、うるさくないですかね」

「大丈夫です。地域住民との話し合いにより、午前七時ごろまでは、遮断機の音量を少し押さえてありますから」

ということは、七時以降は好き放題に鳴るということだ。

夜更かし上等というわけにはいかないかもしれない。

もう一つは、木だ。

ハイツの前には駐車場兼庭があるのだが、そこに一本の木がはえている。

上にはそれほど高くない木だが、横には広がり、初夏もまだまだだというのに青々と葉をつけている。

やりたい放題に広がった枝が、けっこう大きめの葉を山ほどつけた枝が、ちょうど202号室の前に陣取っているのだ。

「日当たり悪いんじゃないですか」

不動産屋は、軽く笑った。

「いえ、葉っぱですから。すき間はいくらでもありますよ」

そう言うが、俺にはすき間など確認できなかった。


住み始めて十日ほど経ったが、怪しい出来事は何一つ起こらなかった。

夜中に目が覚めたら、目の前に首なしの男が立っていた、なんてことは出来れば遠慮したいことではあるが、かといって全く何もないのはちょっと物足りない。

一階の三人にも聞いたが、三人とも奇怪な体験はしてないと言う。

とはいっても三人とも、自分のところにはないが、俺のところにはあるんじゃないかと思っているようだ。

全員が三日と空けずに「何か見なかったか」とか「何か聞かなかったか」とか聞いてくる。

俺が「何も見なかったし、何も聞かなかった」と言うと、ちょっぴり残念そうな顔をするのだ。

自分が当事者になるのは嫌だが、他人がそうなることは期待している。

――なんてやつらだ。

と思ったが、逆の立場だったら、俺もそうしたにちがいない。

人のことはあまり言えそうにない。


男は急いでいた。

彼女との大事な約束があるのに、会社での会議が長引いて、待ち合わせに遅れそうだからだ。

と言うよりも、遅れることはもはや確定事項となっていた。

――怒るだろうなあ……

彼女が男に怒りをぶちまけるのは、どうあっても避けられない。

そうなれば男がとるべき行動は一つしかない。

出来るだけ早く約束の場所に行くことだ。

遅れた時間の長さと、彼女の怒りの大きさは比例するからだ。

男は土砂降りの雨の中、線路脇のさして広くない道を、危険と言っていいスピードで車を走らせていた。

その時、男は何かを聞いた。

連続する高い音。

単純な音楽のようなリズムがある。

――なんだ?

男は気づいた。

男が今まさに追い抜こうとしている電車から聞こえてくるのだ。

それは警笛だった。

男が真横を走る電車に思わず目をやったと同時に、金属的な電車のブレーキ音が男の耳に届いた。

降りしきる雨の中、電車の車輪が火花を上げている。

その時、衝撃があった。

車の前方で。

――しまった!

電車に気を取られて、前をよく見ていなかった。

それで子供でも轢いたのかと思った。

急ブレーキで車を停車させ、慌てて車を降りた。

雨で体がずぶ濡れになるのもかまわず、まわりを狂ったように探した。

自分が轢いたであろう、何かを。

ところが何もなかった。

子供どころか猫の子一匹いないのだ。

――変だなあ。

車を見てみると、前方中央部がへこんでいる。

何かがここに当たったことは、間違いないのだが。

――何もないのなら、いいか。

男は大事なことを思い出した。

彼女のことだ。

急いで車に乗り込むと、タイヤをきしませながら車を発車させた。


大雨だというのに、なんだか外が騒がしい。

ビニール傘を手にして、俺は外に出た。

踏み切りの前に人があふれていた。

おまけにその人数が、増加している最中だ。

電車が踏み切りをふさぐように停まっていた。

「何かあったんですか?」

俺は顔なじみとなった、ハイツの向かいにあるパン屋の店員に聞いた。

「電車にはねられたんですよ。女の子が」

「女の子が?」

「ええ。母親がちょっと目を離した隙に、なぜか遮断機をくぐって線路に入り、気づいた母親の前ではねられたみたいですね」

店員の視線の先に、大雨の中地面にへたりこんで号泣している女がいた。

傍らに鉄道関係者と思われる男が寄り添っている。

店員が言った。

「しばらくはあの人たち、大変でしょうね」

「あの人たち?」

「鉄道関係者とか警察とか」

「何が大変なんですか」

「だって、探さなきゃならないですから、ばらばらになった女の子の死体を」

「!」

定員は、この場の空気にふさわしくない顔で笑った。


線路を横切る道路は一時通行止めとなり、道路そしてそれ以上に電車のダイヤは乱れたが、現場検証と死体集めは一応終わり、事故現場はいつもの日常を取り戻した。

しかしニュースでは各方面のことを考えてはっきりとは報道しなったが、現場付近の住人が皆知っていることがあった。

それは、女の子の首が、どうしても見つからないということだ。


朝起きて、ハイツ前の自動販売機でコーヒーでも買おうとしたところ、玄関のところで一階住人三人が集まって、何事か話をしていた。

その中の黒木が、俺を見かけると小走りに近いスピードで近寄ってきて、言った。

「昨夜、なにか聞かなかったか?」

――何かって、なんだ。

「いいえ、特に何も」

黒木は俺の返答に、ありありと不満の表情を浮かべた。

「じゃあ、いい」

そう言うと、そのまますたすたと自分の部屋に帰ってしまった。

「何かあったんですか?」

俺は鳥田に聞いた。

「いや、黒木のやつが、昨夜女の子の鳴き声を聞いたと言うんだ」

「女の子の……泣き声?」

「ああ。寝ようとしたら小学生くらいの女の子の鳴き声が聞こえてきた。だから外に出て探してみたが、女の子なんてどこにもいない。で、部屋に戻ってみると、また聞こえてきた。それでまた外に出て探してみたが、やはり誰もいない。また、部屋に戻って……てなことを数回繰り返した後、泣き声は聞こえなくなったそうだ」

「女の子と言うと」

「そう、黒木も言っていた。数日前に電車にはねられて亡くなった女の子じゃないかってね」

電車にはねられ、いまだに首が見つかっていない女の子。

どうやら黒木は、その女の子の亡霊ではないかと思っているようなのだ。

鳥田が言った。

「まっ、俺は何も聞いてないし、もともとそういう類の話は、あまり信じないほうなんでね。だから一言で言うと、どうでもいい」

俺には幾度となく「何か見なかったか。何か聞かなかったか」と聞いてきたくせに、実際に何か聞いたといっている黒木の話には、全く興味がないらしい。

――いいかげんな人だ。

俺はそう思った。

言うだけ言って、鳥田は部屋に帰った。

あとには俺と吉野が残された。

吉野が言った。

「女の子のない声だけど、どう思う?」

どうも思わない。

そんなものを気にするくらいなら、最初から202号室に住んだりはしない。

「黒木先輩の、勘違いとか空耳とかじゃないの」

「うーん、どうかなあ」

吉野は判断つきかねる、といった具合か。

幽霊を積極的に信じているわけでもなく、かと言ってかたくなに拒否しているわけでもない。

そういうタイプなのだろう。

「黒木先輩は、えらく気にしていたけどね」

そんなものが気になるくせに、よくもまあ殺人事件のあった真下の部屋にすんでいるものだ。


次の日、まだ寝ているところに、入り口のドアが激しく叩かれた。

時計を見ると、まだ午前六時だ。

ほとんどの大学生が、余裕で惰眠をむさぼっている時間帯である。

――誰だ。こんな朝っぱらから。

重い体を起こして玄関のドアを開けると、そこには黒木が立っていた。

なんだか目が血走っている。

黒木が言った。

「昨夜、何か聞かなかったか?」

――昨夜?

ほとんど頭が回っていないままに答えた。

「いや、何も聞いていませんけど」

黒木が掴みかからんばかりの勢いで言った。

「本当か!」

ここにきてようやく、俺は昨日の話を思い出した。

黒木が聞いたと言う、女の子の泣き声のことを。

「もしかして、また聞いたんですか」

「ああ、また聞いたよ。聞きたくもないのにな」

俺は、極度の興奮状態にある黒木をなんとかなだめて、自分の部屋にお帰り願った。


大学の食堂で、鳥田が話しかけてきた。

「黒木のやつ、何か言ってこなかったか?」

俺は今朝あったことを話した。

「やっぱりな。俺のところにも来たんだよ。えらい勢いで。ついでに吉野のところにもな」

「……」

「ったく。ただの空耳なのに、迷惑なことだ」

鳥田の頭の中では女の子の声は空耳、ということが確定事項のようだ。

「とにかく、もう一度ややこしいことを言ってきたら、軽くしめてやらんといかんな」

鳥田はそう言って笑った。


その日の夜、それは起こった。

「うぎゃああああああああああ」

聞いたことのないほど大きな叫び声。

黒木の部屋からだ。

――えっ?

あわてて下に下りると、黒木の部屋の前には既に鳥田と吉野がいた。

「おい、どうした」
鳥田がドアを叩きながら言ったが、返事はなかった。

「おい黒木、どうした」

再び鳥田が呼びかける。

が、反応はない。

鳥田がドアを開けようとしたが、鍵がかかっているのか開かなかった。

「くそっ」

力ずくで開けようとしたが、無駄だった。

「ちょっと、どいてください」

俺は鳥田を脇によけて、ドアの前に立った。

身長190センチ以上。

高校三年生までレスリング部だった俺は、少し下がって姿勢を低くし、そのままドアに向かって全力でタックルをかました。

バン!

大きな音とともに、ドアは吹っ飛んだ。

中は真っ暗だった。

俺は電灯のスイッチを入れた。

「!!」

全く予想していなかった光景が目に飛び込んできた。

黒木はいた。目の前に。

しかしその黒木は、首だけとなって血だまりの中に沈んでいたのだ。


大家が来て次に救急車。野次馬に次いで警察。ちょっと遅れてマスコミ。

気がつけば裏野ハイツのまわりは人であふれていた。

俺ら三人は、当然警察の事情徴収を受けた。

第一発見者および第一容疑者だからだ。

三人の主張は一致していた。

事実のままだ。

ここで警察とひと悶着あった。

叫び声を聞いてすぐ中に飛び込んだのに、中には黒木の首しかなかった。

つまり、その短時間に犯人は黒木の首を切り、誰にも見られることなく体を持ち去ったことになる。

いったいどこの誰が、そんな芸当が出来るというのか。

「おまえらつるんで、嘘をついているんだろうが!」

と言うのが警察の見解だ。

完全に犯人扱いだ。

しかしあの状況なら、そう思うのも無理のないことなのかもしれない。

そんな具合に警察にいくらつつかれても、俺も鳥田も頑として証言を変えなかった。

一見おとなしそうに見える吉野も、それは同じだった。

三人の言い分が一貫して変化がなく、動機もわからなければ物的証拠もない。

警察はついに根負けし、俺たちはようやく解放された。


マスコミは大騒ぎだ。そりゃそうだろう。

前の年には202号室で首なし殺人事件。

数日前には目の前の線路で少女がはねられ、そして同じハイツの102号室で、推理作家もお手上げの首だけ殺人事件があったのだから。

トーク形式の情報番組では「呪い」とか「怪奇」だのの文字が踊っていた。

202号室の住人である俺は、幾度もインタビューを求められたが、適当と無関係を軸に答えた。

あと「顔は出さないでくれ」と言っておいたが、それはどの局も守ってくれたようだ。

こんなことで有名人になるなんて、御免だ。


翌朝部屋を出ると、鳥田が立っていた。

どうやら俺が出てくるまで、黙って待っていた様子だ。

「どうしたんですか」

鳥田は」、恐ろしく歪み引きつった顔で言った。

「俺も聞いたんだよ」

「えっ?」

「女の子の泣き声をな」

「……」

鳥田はしばらく俺の顔をじっと見ていたが、やがてその場を去った。


その夜、結構遅い時間に、大家と不動産屋が訪ねてきた。

「どうしたんですか」

大家が言った。

「いや、鳥田さんが引越しをしたいと言い出しまして。それで、粟野さんはどうかと思いまして」

不動産屋が菓子折りを差し出した。

とりあえず受け取る。

俺が何も言わないので、今度は不動産屋が言った。

「どうでしょうか」

俺は考えるふりをして、言った。

「もう少し家賃が安くなれば、このままいてもいいですが」

大家と不動産屋が顔を見合わせた。

二人で少しはなれた場所に移動し、小声で何か話し合っていたが、やがて俺のほうに戻ってきた。

再び二人で顔を見合わせた後、不動産屋が言った。

「それでは家賃、一万円ちょうどではどうでしょうか」

俺は一度考えるふりをしてから言った。

「いいでしょう」

二人は安堵の表情を浮かべた。その時である。

「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃああああ」

聴いた瞬間に恐怖がわき上がるような悲鳴。

鳥田だ。

俺は階段に向けて走り出した。

やや遅れて二人が追ってきた。

鳥田の部屋に着いたと同時に、隣から吉野が飛び出してきた。

俺はドアを開けようとした。

が、開かなかった。

大家が割って入り、少し震える手で合鍵を取り出し、開けた。

部屋の中は明るかった。

そしてその中央に、鳥田の首だけが転がっていた。


マスコミは狂喜乱舞し、警察は頭をかかえた。

今回は俺と吉野に加えて、大家と不動産屋がいた。

二人とも絶妙のタイミングで来てくれたものだ。

お互いがお互いの無実を保障し、俺は前回のような粘着質な尋問を受けずにすんだ。

吉野は引越しの準備を始めた。

新しい部屋が見つかるまでは、ホテルにでも泊まると言う。

二度と裏野ハイツには戻らないそうだ。

荷物の梱包や運搬も、全て引越し業者に任せるとも言っていた。

俺は少しごねてから、202号室に残った。

家賃は破格の七千円にまで下がった。


六部屋あるハイツに、この俺一人だけ。

これまで下の黒木に気を使い、大きな音などたてぬようにしてきたが、それももう必要ない。

近所中に聞こえるような大騒音でなければ、いくらでも騒げるのだ。

そして家賃相場五万円のハイツに、七千円で住んでいる。

こんな天国のようなところ、誰が手放すものか。


数日は何もない。

刑事はまだうろうろしているようだが、あれだけいたマスコミの数はめっきりと減った。

ニュースは日々更新される。同じところにとどまり続けては、商売上がったりなのだろう。

「おはようございます」

顔なじみのご近所さんにあいさつする。

むこうもあいさつを返してはくれるが、簿妙によそよそしい。

あんなことがあったハイツに一人で住んでいる大学生。

そうとうな変人だと思われていることだろう。

それと数々の事件と俺の姿が重なって、俺自身が死神か疫病神に見えているのかもしれない。


俺もただ何の対策もなく、楽観的に住み続けているわけではない。

幽霊は信じないが、連続首だけ殺人の犯人は、まだどこかにいる。

未だ誰も犯行方法を特定できない、神出鬼没の天才的殺人鬼が。

そうなるとここにいる俺が狙われる確立は、決して低くないと考えるのが正解だろう。

窓はプロレスラーでも開けられないほどにしっかりと固定し、入り口の鍵はなんと五つに増やした。

部屋の出入りは極力明るいうちにすまし、夜は出歩かないようにした。

そのため変わったことと言えば、夕食に多かったコンビニ弁当が姿を消し、自炊が増えたことだ。


二度目の殺人事件から十日ほど経ったある夜、俺は突然目覚めた。

その、目覚め方はあまりにも唐突だった。

ほんの一秒前まで寝ていたはずなのに、その一秒後には、起きた後顔を洗って、その辺りを散歩してきたくらいに、頭がはっきりしているのだ。

もちろんこんなことは、今までに一度も経験したことがなかった。

――なんだあ?

無意識のうちに聞き耳を立てていた俺に、ある音が聞こえて来た。

それは少女の鳴き声だった。

黒木も鳥田も聞いたと言う、あの泣き声なのか。

まさかそんなものが本当に聞こえてくるなんて、頭の片隅にもなかった。

――なんなんだ。

俺は寝床を飛び起き、外に出た。


――このあたりか。

それは俺の部屋の日当たりを妨害している木の前だった。

ここが一番泣き声がよく聞こえる。

俺は何かに導かれるように、木を見上げた。

真夜中だが、外の街灯の光が当たってよく見える。

視点が木の一点から動かなくなった。

そこに何かがあることを、誰かが告げるかのように。

――あれは?

何かがある。

生い茂る木の枝の中心付近に。

が、よくは見えない。

俺はそばにあった物干し竿を掴むと、そのまわりの葉を叩き落した。

そして見た。

それはどう見ても少女の首だった。

――まさか!

電車にはねられて、首だけ見つからなかった少女。

あの首なのか。

だとしても、なんでこんなところにあるのだ。

いくら電車に吹っ飛ばされたとしても、この距離と高さのところまで、飛んでくるものだろうか。

「体がないわ」

「首がないぞ」

唐突に、二人の声が耳に響いた。

少女の声と男の声。

振り返ると、そこにいた。

一人の男。

に、見えたが、よく見ると男の体の上には、少女の首が乗っていた。

「……!」

「体がないわ」

「首がないぞ」

また聞こえた。

と同時に二人の思考、欲望というようなものが、俺の頭の中に直接進入してきた。

一人は電車にはねられた少女。

首だけになり、体を捜している。

一人は去年殺された男。首を捜していた。

男は殺された後、地縛霊としてハイツにとどまった。

が、あまりにも力が弱かったために、何の怪異も起こすことが出来なかった。

そこへ首だけの少女が加わった。

男よりも強い力を持った少女が。

一人一人では、邪悪な力は発動しなかったことだろう。

が、男の体と少女の首が出会い、交じり合い、合体したことにより、この猟奇的なことが起こった。

恨みは強いが力の弱い男と、恨みはそれほどではないが、強い力の少女の融合によって。

そのことが俺には、手に取るようにわかった。

首と体は合体したが、お互いに大きさの違いにより不服があった。

そして少女の力が男よりも上なので、今は少女の体探しのほうが先となっている。

少女の目がはっきりと俺を捕らえた。

「おにいちゃんは、どうかな」

しばらく俺を見ていたが、やがて目をそらした。

少女の落胆の想いが、俺の脳に入ってきた。

体が欲しくて黒木と鳥田の体を奪ったが、小柄な二人でも少女にとっては大きすぎた。

俺は小柄どころか、人一倍体が大きいのだ。

「おにいちゃんは、役に立たないわ」

そう言うと、少女の首がすうっと消えた。

少し遅れて男の体が消えた。

俺はその場にへたり込んでしまった。


翌日、たまたま見つけたということにして、警察に連絡した。

庭の木に、お探しの少女の首がありますよ、と。

再び近所の人およびマスコミが騒ぎ出したが、俺にはどうでもいいことだ。

あんなところに首が引っかかったままでは、いくらなんでも少女がかわいそうだと思っただけだ。


首は引き取られ、ちゃんと供養されたようだ。

しかし少女の鳴き声は、時折聞こえてくる。

まだ体を捜しているようだ。

このハイツに生きた少女が入居でもすれば、彼女はきっと満足することだろう。

だが当分は、そんなことはないだろう。

少女どころか、誰一人入居する気配がない。

それまで俺は、ここに一人で住むのだ。

月七千円の家賃で。

願ったり叶ったりだ。

本当に運がいい。

俺はそう思った。


      終
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...