反映

kuro-yo

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 私は今、トイレの個室の中で、大変に居心地の悪い思いをしている。


 最初にトイレの扉を開け、中に入ろうとした瞬間、

「ひっ…」

 私は危うく悲鳴をあげそうになった。

 トイレの床が無かったのだ。

 私は思わず膝がくだけ、開いたドアの把手にしがみついてしまった。

 下を見ると、三メートルほど下の方に底、というか床、が見える。何故か床には照明が設置されており、こちらを明るく照らしていた。

 もっと良く見ようと、そっと前のめりに覗き込むと、

「…うひ」

 下から良く見慣れた私自身の顔が、不安げにこちらを覗き込んできた。

 …。

 これ、鏡だ。

 それもおそろしく透明度が高く、極限まで磨きあげられ、まるでそこには何も存在しないかのように見える。

 私が手を伸ばすと、下から同じように手が伸びてくる。手を下ろすと、鏡の中の虚像の手とぴたりとあわさり、冷たくて固い、確かな床の感触が伝わってきた。


「なーんだ、鏡か。趣味悪っ!」


 これは確かに悪趣味だ。何しろ、人を下から覗き込む事になる。

 私は、床が鏡だと分かっても、鏡の上に足を踏み出す事にしばし逡巡した。そして、慎重にそっと、虚像のヒールの上に実像のヒールを載せた。

 やはりこつりという軽快な音とともに、床の確かな硬さを感じる事ができた。

 それでも私は(そんな事をしても意味ないと思いつつも)壁に手を付きながら、一番近い個室のドアを引き開けて、中に入る。幸い、個室の床は鏡ではなかった。

「ぎゃっ!」

 だが私は再び悲鳴をあげそうになった。

 個室の両サイドの壁が、またしても鏡だったのだ。合せ鏡の中、無限に続く便器の回廊だ。

 そこへ迷い混んだ私自身の視線が、驚愕の表情で私を見つめていた。

「ほ、本当に趣味が悪いわね…」


 こんな落ち着かない場所で用を足すなど、これほど居心地の悪い事もない。さっさと済ませて、待たせているパートナーの許へ行こう。


 私が、なるべく両サイドの壁から意識をそらすようにして便座に座っていると、別の個室のドアが開く音がしたような気がした。

 ついつられて、音のする方を振り向いた。すると、

「え?」

 鏡の中に無限に続く個室のドアのが開いて、光が差し込んでいるのが見えた。

 私は思わず、その虚像のドアをガン見していた。鏡の中の虚像の私たちもそのドアを見ていた。

 すると、ドアが、すっ、ぱたん、と閉じ、

「え?」

 今度はのドアが開いて、光が差し込んでいた。そしてまたぱたりと閉じる。

 そしてまたのドアが開いて閉じる。

 それは一つずつこちらに近づいてくる。

 その度に、鏡の中の虚像の私たちもそのドアの方に視線を移した。

「ひぃっ」

 私は、動転していて気付かなかった。

 鏡の中の隣の私は、姿だったのだ。その隣も、またその隣も…

 私は思わず反対の壁を振り返った。

 そこに写っている私も後ろ姿だった。

 しかし、そこには開いているドアはひとつもなかった。

 そうこうしているうちにも、鏡の中で開く個室のドアは、開いては閉じ、開いては閉じを繰り返しながらこちらに近づいてくる。

 そしてその都度、鏡の中の私の視線もだんだんとこちらに向いてくる。

 そして、ついに、私の隣のドアが開いて、光が差し込み、そして閉じた。

「(つ、次はここ!?)」

 私の左右の鏡の中の私の視線は、が私の方を向いている。

 私は思わず目を閉じた。


 きぃ…

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