優しい人

sasorimama.fu

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優しい人・第2話

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鎮静剤で眠る萌花の横で、母親に自分の体の事情を話し、萌花のお腹の子は自分の子ではない、少し考えさせて欲しいと病院を辞した。

そのまま式場に電話を入れ、予約をキャンセルをした。

1週間は待つので、もしまたやはり使いたいということであればお電話ください、と言われ
「はい」
と口では発音し

―ないから。

胸で呟いて電話を切った。


全身から力が抜けていく。

病院から出てぼんやり歩き、コンビニに目を留めて店に入る。

久しぶりにタバコとライターを買った。


少し歩いて駅まで行き、囲いがあるだけの喫煙スペースに入り、もう忘れかけていた煙を吸い込む。

上を向いてフー…っと吐き出せば、スウッ…と空に消えていく薄い煙…

何時間か前に見た空は、あの鐘の音を吸い込んだのに、今は、篤仁の行き場のない怒りとも悲しみともつかない物と共に吐き出した紫煙を吸い込んでゆく。


ずっと一緒に居た…筈…

いつの間に…萌花……

誰の子やねん?!

頭に浮かんだ安っぽい責め句に、寧ろ自分が傷つく。


正しく清純な萌花。
いつも明るく楽しく、そして賢い、正に篤仁の理想の女性、文句なしの恋人だった。

それまでに付き合った数人の彼女達など思い出せない程、好きだった。

信頼していた……

家族になる、その意識は付き合い初めて数ヶ月で、もうあった。
長い春ではあったが、お互いの家の行き来も頻繁で、結婚との境は子どもの誕生というくらいの感じが2人の中にあった。
子どもの名前を2人で話し合ったことも2度や3度ではない。
親達も、子どもが先でもいいよ、などと冗談を言う程だった。

結婚したものの何年も子どもが出来ない。
当初は妻側の原因と決めつけ、お互いの両親からのせっつきに焦り、イライラして妻を傷付けた。だが、調べたら原因は自分にあった。皆、ちゃんと調べておかないとならない、と学生時代アルバイトをしていた整骨院の先輩から聞き、念の為と検査に行ったら、まさかの我が身だった。

1点の曇りもなかった2人の間に、たった一つ出来た秘密に苦しんだ時間。

それが、よりによって結婚式場の予約に訪れた場で知らされた、衝撃と言えば余りにも軽い、篤仁にとってそれは「爆破」。

ショック、怒り、悲愴、絶念…
色んな感情が脳と胸に渦巻いた。

だが、萌花の妊娠を知った時、爆発的な感情が押し寄せる一瞬前、運命、と言われたように、ふとよぎった間があったのだ…


「…行ってみるか……」

篤仁は、数日前に来た中学の先輩、倉本の『集まるでー。阪急西口7時集合~』のラインを開け、時間を確認し
『今から参加、OKですか?』
と打つ。

すぐに既読がつき
『おー!待っとるで!7時大丈夫?』
と来た。

今まででは、ナシの選択を取ってみよう。
そう思った。

リセットだ。

『ちょっと厳しいので、店決まったら連絡下さい。直接行きます』
『サンキタ通りの焼き鳥かーちゃん。2階な』
『了解です。分からんかったら電話します』

本当は7時に間に合う。
だが、少し、一人で飲んで、酔ってから行きたかった。

今まで一度も顔を出さなかったのには理由がある。


その理由は…滝だった。


滝が中3、篤仁が中2の時の嘘みたいな出来事が忘れられず、気まずくて顔を見にくかったのだ。



「チカ?どないした?」
カウンターに座っていた高見草介(たかみ そうすけ)が立ち上がってカウンターの中に座り込んでしまった千佳史を覗く。

「あ、いや、ごめん…ちょっと…立ちくらみ…」
「大丈夫か?昨日も殆ど寝てないんやろ?もう…んな、ツレでもない奴、放っといたらええのに、いつまでもかまってするから…」

「うん…だって、可哀想やったから…」

「アホ。普通や、普通。いちいち可哀想、可哀想って付き合っとったら、お前の体がもたんやろ?」
「そうやけど…」
「ほんま、お前だけは…。優しすぎ。この仕事、向いてないよ」

《千流》は、親の転勤で中学卒業後すぐ関東へ移った千佳史が、3年前に一人で神戸に帰って来て開店したミックスバーだ。

オープン当時からの常連、草介は、すぐに立ち上がった千佳史がカウンターに置いた手の上に、自分の手をそっと置いた。

小さな白い顔に、小ぶりのパーツが並ぶ、優しげな顔。
少し離れ気味で、眠たそうに見えるタレ目のせいなのかも知れない。

栗色の長めの髪の上半分を無造作に纏めて括るハーフアップ、千佳史の定番ヘアは彼の色気を倍増する。

そんな千佳史目当てに、ここに通う客は少なくない。

草介もその中の一人だが、少し、他よりは、千佳史に近づいていると自負している。

「草介さん、ごめん。今日中学の同級生のプチ同窓会やから、7時から2時間だけ閉めるねんけど…」
「あ、ああ、ああ。言うとったな。ええよ?ほんなら俺、飯食ってまた来るわ。10時頃やったらもう大丈夫か?」
「うん」

「ほんじゃ…」
「後でええよ」
草介がカウンターに置いた札を、千佳史は受け取らない。

「それはそれでええ、って」
「あかん。要らん。うちは女の子のクラブやラウンジちゃうで?1日2回もセット取らへん」
「ほんま…商売っけのない奴やな。では、仰せのままに」
「はい、後でね」
「おう」

草介をドアまで送ると、抱きしめられる。

「今日、抱きたい」
「…ちょっと…わからん。友達来るし」
「そか。なら、大丈夫そうやったら。キャンセル待ち1番で」

「何やそれ」

草介は返事の代わりに、ニッと笑うと、キュ…と千佳史の唇を吸って、出て行った。

パタン、とドアが閉まり1人になると《焼き鳥かーちゃん》に電話する。

『はいよ!かーちゃんです!』
「あ、俺。チカやけど」
『はいー、チカちゃん!待ってるでー』

明るい大将の声がする。
大将は
「嫁が死ぬほど好き!」
ということで、店の名前を《かーちゃん》にしている。

もちろん、かーちゃんも手伝っている。

「ごめん、あの、5人って言うとったけど、俺入れて6人に変更」
『おう!大丈夫!奥の部屋あけとくし!』
「ありがとうー!ほんなら後でね」
『お待ちしております、ベッピンちゃん!』

わざわざ自分から言うことはしないが、付き合いが長くなってくると、特に隠しもしないので、千佳史がゲイだと知っている人間は少なくない。

特に、お互いの店を行き来する、こういった飲食店の者達には周知のことだ。

知り合いの店に行っていて、千佳史に目を奪われ
「ね、あれ、どっかの店の子?」
と聞いてくる女性も少なくないが、千佳史の店は、友人以外のストレートはお断りなので、そういう類は客にはならない。

だから、誰も千佳史の素性を明かさない。


千佳史は店の鍵を内側から閉め、洗面室の鏡を覗く。

「はあ…緊張する」

顔を洗い、歯を磨く。

髪を括り直し、ピアスを7月生まれの篤仁の誕生石、ルビーの小さい物に変える。
そのピアスを、シトラス系のコロンを少し垂らした指で1度、挟む。

会っていなかった14年、少しも想いは薄れることはなく、顔を浮かべない日の方が少なかった。
だが、実際会うのだとなると、怖気づいてどうしようもない。

「大丈夫。あれからもう10年以上経ってんねや。志賀も忘れてる」
鏡の中の、情けない顔に言って、頬をピシャリと叩いて背中を伸ばし、店を出た。


心臓が口から飛び出さなきゃいいのだけれど……

    
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