191 / 215
幸福の国 アンハナケウ
191 人の祈りと神の願い
しおりを挟む
:::
広場に戻ったルーディーンは、まずフォレンケを探した。
彼とペル・ヴィーラに話を通すように言われているが、話しやすさを考えるとフォレンケに軍配が上がる。
決してヴィーラのことが苦手なわけではないが、良くも悪くもルーディーンからすればかなり目上の相手であるため、彼に対しては何かと気を遣わなければならない。
落ち着いて、きちんと説明しなければならないのだ。
ヴィーラの前にフォレンケと話したほうが頭の中も整理できる気がする。
ところが思わぬことに、フォレンケはヴィーラのところにいた。
まだ彼は治療を受けている身のはずだ。
切り株からヴィーラのいる木陰までは少しばかり離れており、いったい誰がそこまで彼を運んだのかとルーディーンは驚いた。
歩くにしてもまだ手助けが必要な状態だろうに、わざわざ無理をしてまでそちらに移動した理由がわからない。
フォレンケとともにララキもそこにいて、なぜか彼女はあたりを忙しなく見回している。
その光景にルーディーンの脚は止まった。
タヌマン・クリャに話すかどうかはヴィーラたちに許可を得てから、という約束をしている以上、ララキがいてはカーシャ・カーイの生存を打ち明けることができない。
立ち止まったまましばし悩み、しかし、ルーディーンは覚悟を決めて再びそちらへ歩き出した。
先に信頼できるかどうかを確かめてもいいと思いなおしたのだ。
細かいところに囚われて、するべきことができなくなってしまっては本末転倒ではないか。
女神の接近にいち早く気づいたのはララキで、彼女は満面の笑みで「おかえりなさーい!」と声をかけてきた。
なんて胸がすく表情をする娘だろう。
まるで一面青いワクサレアの草原を歩いていて、偶然に咲いた花を見つけたような気分になる。
思わずこちらの頬まで緩んでしまいそうだと思いながら、ルーディーンは彼女の前まで歩いていった。
ついでに確かめてもいいかもしれない。
さきほどの、彼女が去り際に送ってきた目配せの意味を。
「ルーディーン、大丈夫だった?」
開口一番にフォレンケがそう尋ねてくる。
その意味を図りかねて、ルーディーンは小首を傾げた。
「それはこちらの台詞ですが……フォレンケ、あなたはまだ怪我が治ってはいないはずでしょう?
どうしてヴィーラのところにいるんですか?」
「相談してたんだよ。ルーディーンにも聞いてほしいから、とりあえず座って」
促されるまま、彼とララキの間に腰を下ろす。
目の前にはいつにも増して大儀そうな顔をしたヴィーラが座しており、彼の周囲には水でできた皿のようなものがいくつか置かれていた。
見たことのない術だ。
ルーディーンが座ったのを確認すると、フォレンケは一瞬あたりをさっと見回してから、小さな声で言った。
「……ヴニェクと何か話してる」
「さしずめアルヴェムハルトの件であろ。さすがに行動が早いの」
「だけどそう素直に治させてくれるとは思えないよね。たぶん、あとで何かしら妨害される」
「まあ、それを見越して話を振っておいたのだ。あれはしばらく的として働かせる。
その間にこちらはすべきことを済ませようぞ」
「……ほんと東の神じゃなくてよかったって心から思うよ……」
フォレンケとヴィーラはそんな話をしているが、ルーディーンにはさっぱり意味がわからない。
振り返ってみると、ヌダ・アフラムシカとヴニェク・スーが何か話しているのが確認できたが、彼のことだろうか。
──三人が、彼のことを疑っている?
ルーディーンの内心に光明が瞬く。
もしかするとこれは、思っていた以上に話が進められるのかもしれない。
ならばこちらも切り出さなくては、と適切な言葉を頭の中で探し始めたルーディーンに、心配そうな小声で話しかけてきた者がいた。
「ねえ、ほんとに大丈夫?」
ララキだった。
さっきの笑顔が嘘のように、なぜか泣きそうな眼をしてそう訊いてきた。
「なんか、さっき、……シッカに変なこと、されてなかった?」
「……いいえ」
ルーディーンは首を振った。
そして、やはり彼女は知っていたか、見ていたかしたのだろうと理解した。
でなければこんな訊きかたをすることはないだろうし、こんな顔もしなかったろう。
だから敢えてルーディーンは否定して、そしてこう答えた。
「ヌダ・アフラムシカには、何もされていません。……あれは彼ではありませんから」
はっきりとそう告げると、ララキのみならずフォレンケとヴィーラも眼を見開く。
「ルーディーン……つまり気づいて……」
「いえ、……ついさきほどまでは、恥ずかしながら知りませんでした。ある人が教えてくれたのです」
「ある人?」
「私はそれをお話しするためにここに来たのですが……ララキがここにいるということは、ペル・ヴィーラ、ならびにフォレンケ、あなたがたはタヌマン・クリャを信用していると考えてもよろしいですか?」
フォレンケとヴィーラは顔を見合わせ、ララキはふたりのようすを伺っている。
やがてヴィーラが溜息混じりに、そういうことにしておけ、と吐き捨てるように言った。
どこか不服そうな口ぶりにフォレンケもララキも苦笑いしている。
ルーディーンはほっと息を吐いて、今一度あたりを確かめてから、三人にだけ聞こえるように言った。
「……カーシャ・カーイに会いました」
はっと息を呑む音がする。ただしそれはふたりぶんだけだった。
ヴィーラは肘置きにしているらしい石に頬杖をついて、生きておったか、とこれまたなぜか嫌そうな口調で呟いただけだ。
「彼はいまどこに?」
「森の中に身を潜めています。それから彼からヴィーラに言付が……"半影を預かっている"とのことです」
「……おお、そうか。それは良い知らせだの」
「よかった。それじゃああとは彼を探すだけなんだ。……それについては何か言ってなかった?」
「……いえ、それは一言も……それに私は、かの者の掌で紋章が朽ち果てるのをこの眼で見ています。それがアルヴェムハルトとラグランネの才で欺かれたものだったとしたら……もう……」
「──それは絶対ないッ!!」
そこで急にララキが声を荒げる。
もともと通りのいい声だったせいであたり一面に響き渡り、周囲の神々が何ごとかという顔でこちらを一斉に見つめてきたので、四人は一気に血の気が引いていくのを感じた。
視線の中にアフラムシカの姿もあったからだ。
ララキは真っ青になりながら、慌てて続ける。
「……あ、あたしこのままクリャと一心同体とか、そんなの絶対ありえない!! と、思うの!!!」
「そ、……そうだね、ほんと災難だったね! ヴィーラ、どうにかしてあげられないかなあ?」
「無理だの。統合するにしろ分離するにしろ、直接その術を施した者の裁量次第であるゆえの。
要するにクリャとアフラムシカでなければどうにもならん。その彼らができぬと申すならできぬのであろ」
「まあ……ですが、術の仕組みはヴィーラもご存知でしょう? なんとか知恵を貸していただけませんか?」
「……面倒だの~。このペル・ヴィーラ、そう易々と鰭(ひれ)は振るわんぞ~」
恐らく誤魔化しきれた、と、思う。
周りの神々はみんな視線を戻したし、アフラムシカもどうやら誰かに話しかけられて、そちらのほうを向いたようだ。
注目は離れた。
四人は揃って深い溜息をつき、ヴィーラの水がララキを小突く。
飛沫でララキの顔がずぶ濡れになった。
「うつけ。喧しい声を上げおって、そのうえ吾まで芝居に巻き込むな」
「ごめんなさいぃ……でも巻き込んだのはフォレンケだもん……」
「ヴィーラもけっこうノリよかった気がするんだけど……はあ、それで、ララキ? 断言するからにはその証拠というか、確信があるんだよね?」
「……うん」
ララキは頷き、自身の掌を見つめた。
その表情はどこかやるせなさを漂わせている。
上っ面では本来の姿を取り戻したように見えるが、それはあくまでクリャがそのように見せかけているだけであり、その身体がクリャのものであることに代わりはない。
手は紛らわしいと思ったのかすでに素手となっていた。
見た目だけの手袋があっても、彼女はこれまでのように指で紋章を描くことができないのだ。
もしも描くことができたなら、この場に呼び出すこともできたのに。
……ララキの表情はそのようにも読み取れる。
実際のところどうなのだろう。
神が人間に己の紋章を貸し与えるということはほとんど前例がなく、ルーディーンもララキに一度描かせたことがあるのみだ。
しかも一時的に手と口を借りただけで、実際にララキの意思にやらせたわけではなかったので、彼女がもう一度ルーディーンを召喚することはできない。
だが、アフラムシカはそのような緊急時の手段としてではなく、平時から彼女が好きなときに彼を呼べるように紋章と詩を晒していたようなのだ。
その繋がりが絶えていないのなら、ここに召喚することも可能かもしれない。
とすれば今そこでアンハナケウの新たな王として君臨している男が別人であることも証明しうるのではないか。
まあ、などと考えたところで机上の空論にすぎないのである。
ララキには手袋がないし、彼女は神と癒合してこそいるが人間にすぎず、アンハナケウにおいては発言権を持たない。
その彼女が呼んだアフラムシカこそ真だと証明するほうが実際には難儀だろう。
「あのね。あたしにちょっと、考えがあるんだけど」
顔を上げてララキがそう言う。
そのとき前髪から滴った雫が、鼻梁のわきを流れ落ちていったのが、まるで泣いているように見えた。
: * : * :
玄関先に美しい花を飾った、よく手入れの行き届いた家だった。
建物は小ぢんまりとしているが、そのぶん品がいい佇まいだとスニエリタは思った。
表札の名前を確かめてから扉を叩く。
少し遠くのほうから返事が聞こえる。
ややあって、深緑色に塗られた玄関扉がゆっくりと開いた。
そこから顔を出したのは、南国人らしい浅黒い肌をした中年の女性である。
豊かな黒髪を後ろで編んで垂らし、花を模した髪飾りを着けているが、その風合いには見覚えがある。
大きな瞳は少女のようで、年齢のわりに愛らしいという表現が似つかわしい人だった。
女性は玄関先に佇む見慣れぬ外国人ふたりを、驚いたようすで見つめている。
警戒していると言ってもいいだろう。
その視線は真っ先にこちらの腕を辿り、手袋を着けているかどうかを確認したようだった。
「ライレマ教授の奥さまですね。俺はハーシから来た、ミルン・スロヴィリークといいます」
「わたしはマヌルドから来ました。スニエリタ・エルファムディナ・クイネスと申します」
「まあ……。遠いところからいらしていただいたのに申し訳ないのだけど、主人なら今、この家にはいませんよ」
「いえ、わたしたちはあなたにお会いしたかったんです。その、ララキさんのことで……」
「あら!」
そこで女性の表情が急に緩む。
「もしかして、ララキのお友だちかしら?」
ふたりは頷き、それぞれ旅をしていてララキに出逢ったことを話した。
どちらも決して短く済む話ではなかったので、ライレマ夫人が室内に招きいれてくれ、ありがたく居間に上がらせてもらう。
甘いお茶までごちそうになりながら、ふたりは代わるがわるララキとの旅の話をした。
夫人は最初から最後まで笑顔で話を聞いてくれた。
ララキがタヌマン・クリャと一体化してしまったことや、アフラムシカとともにアンハナケウに行ってしまったことまで正直に話したけれど、彼女の笑顔はそれでも崩れなかった。
すべてを聞き終えてから、彼女はお茶のおかわりを注ぎながら呟くように言った。
「……主人の言ったとおりになったわねぇ」
その言葉にスニエリタとミルンは顔を合わせる。
そんなふたりを見て、ライレマ夫人が初めて少しだけ悲しそうな笑顔になった。
「あの人はね、ララキがうちを出て行ったら、きっともう二度と戻っては来ないだろうと言ったの。
神が授けてくださった娘だから、いつか神のところへ帰る運命に違いないって。
でも、そう……あの子はほんとうに幸福の国に辿りついたの。それなら私が心配するようなことはないわね」
「それは……」
ミルンが言葉を詰まらせる。
今のアンハナケウが決して安全な場所ではないではないことを、今一度この人に説明するべきかどうか、彼は悩んでいるようだった。
しかしライレマ夫人はララキのことを覚えているし、世界がおかしくなったことにも恐らく気づいている。
このようすならライレマ教授もそうだろう。
それならララキの身が今どれほど危険に晒されているか、理解できないはずはないのだ。
聡明なライレマ教授ならそれくらい推察できるのであろうから。
スニエリタもミルンもアンハナケウに行ってそのようすを直接見たわけではない。
だが、他の神の血を浴びたフォレンケや、弱ったオヤシシコロカムラギの姿を目の当たりにしている。
現状では人間にはさほど被害はないが、神の世界においては大惨事が起きているには違いないのだ。
それでもなお、心配は無用とするライレマ夫人の根拠はどこにあるのだろう。
スニエリタが訝っていると急に彼女が立ち上がった。
「少し待っていてくれるかしら」
そう言い残して婦人は居間を出て行った。
残されたスニエリタとミルンは、お茶を飲みながら溜息をつく。
「とっとと本題を切り出したほうがいいか。どのみち時間もそうないし、この家にあるのは確かだからな」
「そうですね……でも、なんて説明したらいいんしょうか」
などと話していると、夫人が戻ってきた。
手には布でできた袋を携えている。
南部独特の柄が織り込まれた布で、どうやら彼女の手製らしい。
夫人はそれをふたりに差し出し、こう告げた。
「あなたたちはこれを受け取るためにここに来たのよね。違うかしら?」
「えっ……」
「失礼します。
……あっ! そうです、俺たち、これをララキに届けるように頼まれて……でもどうして……」
袋の中身を確かめたミルンが叫ぶ。
スニエリタも横からそれを覗いて驚愕した。求めていたものがすべてそこに揃っていたからだ。
確かにふたりはそれを手に入れるためにここに来た。
探索紋唱をして、それがここにあることはすでに調べがついていた。
だがそのことをまだこの人には話していない。
いきなり切り出すのも失礼だし、とりあえずは自分たちとララキの関係から、順を追って説明するべきだと思ったからだ。
何かが必要だとも、それが何かも一切伝えてはいない。
それなのに、すでに過不足なく予め用意されていたというのか。
唖然とするふたりに、夫人はにっこりと微笑んで言う。
──それも主人の予想なのよ。
「ララキは帰ってこないのに、これだけがあるのはおかしい。きっとあの子の身に何かがあったのだろう。
だからそのうちララキか、もしくはあの子の代わりに誰かが取りにくる……。
ほんともう、何もかもあの人の言ったとおりだわ」
「じゃ、じゃあこれは、その」
「受け取って。そしてあの子に届けてちょうだい。
それからついでに一言、伝言もいいかしら」
ふたりは頷いた。
手に取った袋からは、優しく甘い南部の花の香りがした。
→
広場に戻ったルーディーンは、まずフォレンケを探した。
彼とペル・ヴィーラに話を通すように言われているが、話しやすさを考えるとフォレンケに軍配が上がる。
決してヴィーラのことが苦手なわけではないが、良くも悪くもルーディーンからすればかなり目上の相手であるため、彼に対しては何かと気を遣わなければならない。
落ち着いて、きちんと説明しなければならないのだ。
ヴィーラの前にフォレンケと話したほうが頭の中も整理できる気がする。
ところが思わぬことに、フォレンケはヴィーラのところにいた。
まだ彼は治療を受けている身のはずだ。
切り株からヴィーラのいる木陰までは少しばかり離れており、いったい誰がそこまで彼を運んだのかとルーディーンは驚いた。
歩くにしてもまだ手助けが必要な状態だろうに、わざわざ無理をしてまでそちらに移動した理由がわからない。
フォレンケとともにララキもそこにいて、なぜか彼女はあたりを忙しなく見回している。
その光景にルーディーンの脚は止まった。
タヌマン・クリャに話すかどうかはヴィーラたちに許可を得てから、という約束をしている以上、ララキがいてはカーシャ・カーイの生存を打ち明けることができない。
立ち止まったまましばし悩み、しかし、ルーディーンは覚悟を決めて再びそちらへ歩き出した。
先に信頼できるかどうかを確かめてもいいと思いなおしたのだ。
細かいところに囚われて、するべきことができなくなってしまっては本末転倒ではないか。
女神の接近にいち早く気づいたのはララキで、彼女は満面の笑みで「おかえりなさーい!」と声をかけてきた。
なんて胸がすく表情をする娘だろう。
まるで一面青いワクサレアの草原を歩いていて、偶然に咲いた花を見つけたような気分になる。
思わずこちらの頬まで緩んでしまいそうだと思いながら、ルーディーンは彼女の前まで歩いていった。
ついでに確かめてもいいかもしれない。
さきほどの、彼女が去り際に送ってきた目配せの意味を。
「ルーディーン、大丈夫だった?」
開口一番にフォレンケがそう尋ねてくる。
その意味を図りかねて、ルーディーンは小首を傾げた。
「それはこちらの台詞ですが……フォレンケ、あなたはまだ怪我が治ってはいないはずでしょう?
どうしてヴィーラのところにいるんですか?」
「相談してたんだよ。ルーディーンにも聞いてほしいから、とりあえず座って」
促されるまま、彼とララキの間に腰を下ろす。
目の前にはいつにも増して大儀そうな顔をしたヴィーラが座しており、彼の周囲には水でできた皿のようなものがいくつか置かれていた。
見たことのない術だ。
ルーディーンが座ったのを確認すると、フォレンケは一瞬あたりをさっと見回してから、小さな声で言った。
「……ヴニェクと何か話してる」
「さしずめアルヴェムハルトの件であろ。さすがに行動が早いの」
「だけどそう素直に治させてくれるとは思えないよね。たぶん、あとで何かしら妨害される」
「まあ、それを見越して話を振っておいたのだ。あれはしばらく的として働かせる。
その間にこちらはすべきことを済ませようぞ」
「……ほんと東の神じゃなくてよかったって心から思うよ……」
フォレンケとヴィーラはそんな話をしているが、ルーディーンにはさっぱり意味がわからない。
振り返ってみると、ヌダ・アフラムシカとヴニェク・スーが何か話しているのが確認できたが、彼のことだろうか。
──三人が、彼のことを疑っている?
ルーディーンの内心に光明が瞬く。
もしかするとこれは、思っていた以上に話が進められるのかもしれない。
ならばこちらも切り出さなくては、と適切な言葉を頭の中で探し始めたルーディーンに、心配そうな小声で話しかけてきた者がいた。
「ねえ、ほんとに大丈夫?」
ララキだった。
さっきの笑顔が嘘のように、なぜか泣きそうな眼をしてそう訊いてきた。
「なんか、さっき、……シッカに変なこと、されてなかった?」
「……いいえ」
ルーディーンは首を振った。
そして、やはり彼女は知っていたか、見ていたかしたのだろうと理解した。
でなければこんな訊きかたをすることはないだろうし、こんな顔もしなかったろう。
だから敢えてルーディーンは否定して、そしてこう答えた。
「ヌダ・アフラムシカには、何もされていません。……あれは彼ではありませんから」
はっきりとそう告げると、ララキのみならずフォレンケとヴィーラも眼を見開く。
「ルーディーン……つまり気づいて……」
「いえ、……ついさきほどまでは、恥ずかしながら知りませんでした。ある人が教えてくれたのです」
「ある人?」
「私はそれをお話しするためにここに来たのですが……ララキがここにいるということは、ペル・ヴィーラ、ならびにフォレンケ、あなたがたはタヌマン・クリャを信用していると考えてもよろしいですか?」
フォレンケとヴィーラは顔を見合わせ、ララキはふたりのようすを伺っている。
やがてヴィーラが溜息混じりに、そういうことにしておけ、と吐き捨てるように言った。
どこか不服そうな口ぶりにフォレンケもララキも苦笑いしている。
ルーディーンはほっと息を吐いて、今一度あたりを確かめてから、三人にだけ聞こえるように言った。
「……カーシャ・カーイに会いました」
はっと息を呑む音がする。ただしそれはふたりぶんだけだった。
ヴィーラは肘置きにしているらしい石に頬杖をついて、生きておったか、とこれまたなぜか嫌そうな口調で呟いただけだ。
「彼はいまどこに?」
「森の中に身を潜めています。それから彼からヴィーラに言付が……"半影を預かっている"とのことです」
「……おお、そうか。それは良い知らせだの」
「よかった。それじゃああとは彼を探すだけなんだ。……それについては何か言ってなかった?」
「……いえ、それは一言も……それに私は、かの者の掌で紋章が朽ち果てるのをこの眼で見ています。それがアルヴェムハルトとラグランネの才で欺かれたものだったとしたら……もう……」
「──それは絶対ないッ!!」
そこで急にララキが声を荒げる。
もともと通りのいい声だったせいであたり一面に響き渡り、周囲の神々が何ごとかという顔でこちらを一斉に見つめてきたので、四人は一気に血の気が引いていくのを感じた。
視線の中にアフラムシカの姿もあったからだ。
ララキは真っ青になりながら、慌てて続ける。
「……あ、あたしこのままクリャと一心同体とか、そんなの絶対ありえない!! と、思うの!!!」
「そ、……そうだね、ほんと災難だったね! ヴィーラ、どうにかしてあげられないかなあ?」
「無理だの。統合するにしろ分離するにしろ、直接その術を施した者の裁量次第であるゆえの。
要するにクリャとアフラムシカでなければどうにもならん。その彼らができぬと申すならできぬのであろ」
「まあ……ですが、術の仕組みはヴィーラもご存知でしょう? なんとか知恵を貸していただけませんか?」
「……面倒だの~。このペル・ヴィーラ、そう易々と鰭(ひれ)は振るわんぞ~」
恐らく誤魔化しきれた、と、思う。
周りの神々はみんな視線を戻したし、アフラムシカもどうやら誰かに話しかけられて、そちらのほうを向いたようだ。
注目は離れた。
四人は揃って深い溜息をつき、ヴィーラの水がララキを小突く。
飛沫でララキの顔がずぶ濡れになった。
「うつけ。喧しい声を上げおって、そのうえ吾まで芝居に巻き込むな」
「ごめんなさいぃ……でも巻き込んだのはフォレンケだもん……」
「ヴィーラもけっこうノリよかった気がするんだけど……はあ、それで、ララキ? 断言するからにはその証拠というか、確信があるんだよね?」
「……うん」
ララキは頷き、自身の掌を見つめた。
その表情はどこかやるせなさを漂わせている。
上っ面では本来の姿を取り戻したように見えるが、それはあくまでクリャがそのように見せかけているだけであり、その身体がクリャのものであることに代わりはない。
手は紛らわしいと思ったのかすでに素手となっていた。
見た目だけの手袋があっても、彼女はこれまでのように指で紋章を描くことができないのだ。
もしも描くことができたなら、この場に呼び出すこともできたのに。
……ララキの表情はそのようにも読み取れる。
実際のところどうなのだろう。
神が人間に己の紋章を貸し与えるということはほとんど前例がなく、ルーディーンもララキに一度描かせたことがあるのみだ。
しかも一時的に手と口を借りただけで、実際にララキの意思にやらせたわけではなかったので、彼女がもう一度ルーディーンを召喚することはできない。
だが、アフラムシカはそのような緊急時の手段としてではなく、平時から彼女が好きなときに彼を呼べるように紋章と詩を晒していたようなのだ。
その繋がりが絶えていないのなら、ここに召喚することも可能かもしれない。
とすれば今そこでアンハナケウの新たな王として君臨している男が別人であることも証明しうるのではないか。
まあ、などと考えたところで机上の空論にすぎないのである。
ララキには手袋がないし、彼女は神と癒合してこそいるが人間にすぎず、アンハナケウにおいては発言権を持たない。
その彼女が呼んだアフラムシカこそ真だと証明するほうが実際には難儀だろう。
「あのね。あたしにちょっと、考えがあるんだけど」
顔を上げてララキがそう言う。
そのとき前髪から滴った雫が、鼻梁のわきを流れ落ちていったのが、まるで泣いているように見えた。
: * : * :
玄関先に美しい花を飾った、よく手入れの行き届いた家だった。
建物は小ぢんまりとしているが、そのぶん品がいい佇まいだとスニエリタは思った。
表札の名前を確かめてから扉を叩く。
少し遠くのほうから返事が聞こえる。
ややあって、深緑色に塗られた玄関扉がゆっくりと開いた。
そこから顔を出したのは、南国人らしい浅黒い肌をした中年の女性である。
豊かな黒髪を後ろで編んで垂らし、花を模した髪飾りを着けているが、その風合いには見覚えがある。
大きな瞳は少女のようで、年齢のわりに愛らしいという表現が似つかわしい人だった。
女性は玄関先に佇む見慣れぬ外国人ふたりを、驚いたようすで見つめている。
警戒していると言ってもいいだろう。
その視線は真っ先にこちらの腕を辿り、手袋を着けているかどうかを確認したようだった。
「ライレマ教授の奥さまですね。俺はハーシから来た、ミルン・スロヴィリークといいます」
「わたしはマヌルドから来ました。スニエリタ・エルファムディナ・クイネスと申します」
「まあ……。遠いところからいらしていただいたのに申し訳ないのだけど、主人なら今、この家にはいませんよ」
「いえ、わたしたちはあなたにお会いしたかったんです。その、ララキさんのことで……」
「あら!」
そこで女性の表情が急に緩む。
「もしかして、ララキのお友だちかしら?」
ふたりは頷き、それぞれ旅をしていてララキに出逢ったことを話した。
どちらも決して短く済む話ではなかったので、ライレマ夫人が室内に招きいれてくれ、ありがたく居間に上がらせてもらう。
甘いお茶までごちそうになりながら、ふたりは代わるがわるララキとの旅の話をした。
夫人は最初から最後まで笑顔で話を聞いてくれた。
ララキがタヌマン・クリャと一体化してしまったことや、アフラムシカとともにアンハナケウに行ってしまったことまで正直に話したけれど、彼女の笑顔はそれでも崩れなかった。
すべてを聞き終えてから、彼女はお茶のおかわりを注ぎながら呟くように言った。
「……主人の言ったとおりになったわねぇ」
その言葉にスニエリタとミルンは顔を合わせる。
そんなふたりを見て、ライレマ夫人が初めて少しだけ悲しそうな笑顔になった。
「あの人はね、ララキがうちを出て行ったら、きっともう二度と戻っては来ないだろうと言ったの。
神が授けてくださった娘だから、いつか神のところへ帰る運命に違いないって。
でも、そう……あの子はほんとうに幸福の国に辿りついたの。それなら私が心配するようなことはないわね」
「それは……」
ミルンが言葉を詰まらせる。
今のアンハナケウが決して安全な場所ではないではないことを、今一度この人に説明するべきかどうか、彼は悩んでいるようだった。
しかしライレマ夫人はララキのことを覚えているし、世界がおかしくなったことにも恐らく気づいている。
このようすならライレマ教授もそうだろう。
それならララキの身が今どれほど危険に晒されているか、理解できないはずはないのだ。
聡明なライレマ教授ならそれくらい推察できるのであろうから。
スニエリタもミルンもアンハナケウに行ってそのようすを直接見たわけではない。
だが、他の神の血を浴びたフォレンケや、弱ったオヤシシコロカムラギの姿を目の当たりにしている。
現状では人間にはさほど被害はないが、神の世界においては大惨事が起きているには違いないのだ。
それでもなお、心配は無用とするライレマ夫人の根拠はどこにあるのだろう。
スニエリタが訝っていると急に彼女が立ち上がった。
「少し待っていてくれるかしら」
そう言い残して婦人は居間を出て行った。
残されたスニエリタとミルンは、お茶を飲みながら溜息をつく。
「とっとと本題を切り出したほうがいいか。どのみち時間もそうないし、この家にあるのは確かだからな」
「そうですね……でも、なんて説明したらいいんしょうか」
などと話していると、夫人が戻ってきた。
手には布でできた袋を携えている。
南部独特の柄が織り込まれた布で、どうやら彼女の手製らしい。
夫人はそれをふたりに差し出し、こう告げた。
「あなたたちはこれを受け取るためにここに来たのよね。違うかしら?」
「えっ……」
「失礼します。
……あっ! そうです、俺たち、これをララキに届けるように頼まれて……でもどうして……」
袋の中身を確かめたミルンが叫ぶ。
スニエリタも横からそれを覗いて驚愕した。求めていたものがすべてそこに揃っていたからだ。
確かにふたりはそれを手に入れるためにここに来た。
探索紋唱をして、それがここにあることはすでに調べがついていた。
だがそのことをまだこの人には話していない。
いきなり切り出すのも失礼だし、とりあえずは自分たちとララキの関係から、順を追って説明するべきだと思ったからだ。
何かが必要だとも、それが何かも一切伝えてはいない。
それなのに、すでに過不足なく予め用意されていたというのか。
唖然とするふたりに、夫人はにっこりと微笑んで言う。
──それも主人の予想なのよ。
「ララキは帰ってこないのに、これだけがあるのはおかしい。きっとあの子の身に何かがあったのだろう。
だからそのうちララキか、もしくはあの子の代わりに誰かが取りにくる……。
ほんともう、何もかもあの人の言ったとおりだわ」
「じゃ、じゃあこれは、その」
「受け取って。そしてあの子に届けてちょうだい。
それからついでに一言、伝言もいいかしら」
ふたりは頷いた。
手に取った袋からは、優しく甘い南部の花の香りがした。
→
0
あなたにおすすめの小説
おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ
双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。
彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。
そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。
洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。
さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。
持ち前のサバイバル能力で見敵必殺!
赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。
そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。
人々との出会い。
そして貴族や平民との格差社会。
ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。
牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。
うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい!
そんな人のための物語。
5/6_18:00完結!
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
【完結】婚約者なんて眼中にありません
らんか
恋愛
あー、気が抜ける。
婚約者とのお茶会なのにときめかない……
私は若いお子様には興味ないんだってば。
やだ、あの騎士団長様、素敵! 確か、お子さんはもう成人してるし、奥様が亡くなってからずっと、独り身だったような?
大人の哀愁が滲み出ているわぁ。
それに強くて守ってもらえそう。
男はやっぱり包容力よね!
私も守ってもらいたいわぁ!
これは、そんな事を考えているおじ様好きの婚約者と、その婚約者を何とか振り向かせたい王子が奮闘する物語……
短めのお話です。
サクッと、読み終えてしまえます。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる